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送り狼

「えーんえーん」
僕は周囲に響き渡るように大きく声を出しました。
「えーんえーん、迷子になっちゃったよぅ」
すぐそこに彼がいることはわかっていたのです。
両の手を目に当てて、泣き真似をしながらも、手の間からそっと茂みのほうを見てみると、
僕の声を聞きつけた彼が、草の影からこちらを窺っています。
僕はさらに声を張り上げ泣いてみせます。
「えーんえーんえーん、お家に帰れないよぅ」
こちらの備えは万端整っているはず。
今朝は念入りに手入れをしたので、自慢の巻き毛もふわふわだし、
寒いのを我慢して露出度高めの装いをしてきたのですから。
ここ数日まともな食事にありつけていない彼が、この僕のを見過ごせるわけないのです。
しかし、草むらからガサゴソと物音はすれども、一向に彼の現れる様子がないのに僕が少し
イラつき始めたとき、「コホンッ」と躊躇いがちな咳払いがひとつ、背後から聞こえました。
そして、緊張した様子で
「き、きみ、どうかしたの?」
僕に呼びかける声がします。
「よっしキタ!」と心の中でガッツポーズをとりながら振り向くと、そこには、彼の、
白粉で顔を真っ白にした、彼の姿がありました。
…僕は、僕自身を、よく堪えたと、褒めてあげたい。よく、笑い噴出さずに耐えたと。
一瞬、泣くのを忘れてポカンとしてしまったた僕を、不思議そうに見ている白い顔。
それ以上直視することはできませんでした。
おそらくは、僕を怯えさせまいと、少しでも僕の姿に近付こうとしてのことでしょう。
彼らしいと言えば、この上なく彼らしい、間抜けた思考と行動です。
そんなんだから、いっつも餌に逃げられるのさと思いつつ、僕は泣き真似を再開しました。
こんなことで出足を挫かれちゃたまらない。
「えーん、迷子になっちゃったんだよぅ」
「か、かわいそうに。私が送っていってあげるよ。きみのお家はどこ?」
用意していた言葉を一息に吐き出すように彼は言いました。
言い終わると、全ての仕事を終えたとばかりに、ほっと息をつきました。
彼としては、こう言ってしまえば僕は言うことを聞いて、大人しく後をついて来るだろうから、
人気のない道にすがらことに及ぶ…というように、万事うまく運ぶと思っていたのでしょう。
しかし、そうは問屋が卸さない。
僕はさらに声を一段大きくし、激しく泣いてみせます。
予定外の反応に途端に慌てふためく彼。
「大丈夫、ちゃんと家まで送っていくよ、本当だよ」
「えーんえーん」
「わっ悪いことしようなんて全然考えてないんだからね!私を信じておくれ」
「えーん」
「ほら、泣かないでお家を教えて」
「えーん!お家がわからないから迷子なんだよーぅ」
「そ、そうだね。そうだよね」
「えーん…」
「どうしようか。どうすればいいかな。弱ったな」
僕をなだめるのに精一杯で、彼は本来の目的など忘れてしまっているようです。
そこで、潤んだ目をして少し上目遣いに見上げれると、彼の咽喉がゴクリと唾を飲み込んで
動くのが見えました。
「お腹が空いたよぅ」
「…私もだ」
ともすると白粉の下から現れそうになる欲望を、必死に押し鎮めようとする様は、
見ていてとても楽しい。
まったく要領を得ない問答に半ば呆れながら、それでも僕は、そんな彼を可愛らしく思います。
初めて彼を森で見かけたあの日から、彼の存在は常に、僕の加虐心を煽情してくるのです。
喰う者と喰われる者という本来の関係を越えて、僕は彼に近付きたいと、
そう願わずにはいられない。
僕はか弱き存在だが、知恵という偉大な力で、今日それを叶えるつもりです。
「寒いよぅ」
「うん、日がだいぶ傾いて来たからね…じゃあ、こうしよう。今夜は私の家へ泊まるといい。
 明日になったら、お家を探してあげるから。家で、あったかいミルクを飲もう」
彼にしては上出来の、僕が思い描いた通りの回答です。
「ミルク?はちみつ入り?」
「ああ、はちみつ入り」
僕は、か弱さと可愛らしさを過剰に演出しながら、彼の袖を掴んで寄り添いました。
泣き止んだ僕にほっと胸を撫で下ろし、彼は歩き出します。
二人の重なった長い影を携えて、彼は今日の狩の成功を確信したのでしょう、
満足そうな顔で独りごちました。
「送り狼なんて言葉、知らないんだろうなぁ…」
そんな彼の影を踏みながら、僕は今夜の成功を確信して、ほくそ笑みました。
羊の皮を被った狼なんて言葉、彼はきっと知らないのでしょうね。