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地下牢

カツ―――……ン…………と、
冷え切った空気に鋭い靴音が響く。
一部の隙もなく磨き上げられたそれは、身に着けているスーツと同じように
きっと彼に合わせて作られたものだろう。それも質の良い。
靴ばかり見ていてもしょうがないので、私は顔を上げた。
左腕の鎖がじゃらりと鳴る。

「――話す気には、ならないかい?」

あまりにも貫禄と威圧感に溢れているその雰囲気に、不釣合いなほど若い姿。
その唇からこぼれるシガーの吐息が、私に尋ねた。
冷たい床にうずくまる私の視線に合わせて、彼が膝を折る。
汚れるのを構う風もなく土埃の舞う床にいつも着ているスーツの膝をつけ、
無精ひげだらけの私のあごに指で触れた。
ここに囚われて何日が経ったのか、もう記憶は定かでない。

「私は喋らないよ」

涼やかなオリーブグリーンの目に間近で見つめられながら首を振る。
あごに触れた指はそれでは離れようとしなかったが、
目の前の瞳はわずかに悲しそうに笑った。

「どうしても?」
「何度言われても同じだ」
「そう」

君は実に有能なエージェントだね。これまで受けたどんな拷問でも口を割らなかったし、
自白剤も催眠術もてんで効きやしない。でもね……

「そんなに、組織に――いや、君のボスに忠実な君が、いまだに舌を噛み切らないって事は
 まだ逃げ出せるチャンスがあると思ってるんだよね?」
「…………」
「残念ながら、そんな物は無いよ」

また少し悲しそうに笑って、彼は立ち上がった。
指は、するりと私の喉をなぜてから離れる。

「でもねえ、私の組織もあまり暇じゃあないんだ。
 吐きもしない捕虜をいつまでも飼っておくなって、上の方が煩いんだよ……。
 私は君がとても好きなのに」

何だか自分の理解の範疇を超えた言葉を聞いた気がした。
確かに、組織の幹部であるというこの若い男が
ただの捕虜に過ぎない私の下へやってきたのはこれが初めてではなかった。
しかしそれは、私が重要な情報を握っているという事と
それをなかなか喋らないために、彼がわざわざやって来て
毎回説得なり拷問なりを行っているものだと思っていた。

「殺すには惜しいけど、このままここに居させてあげる事も出来ないんだ……。
 だからね、今日はいい案を持ってきたんだよ」

言いながら、私の身体を抱き上げるようにして立たせる。また鎖が鳴った。

「君が、私の物になればいい」

一体何を言っているのか。
私は、私のボスにだけ忠誠を誓っている。それを裏切るなどありえない。
ましてや他人の手でそれを強制されようと言うのなら、
それこそ真っ先に舌を噛み切って死んでやる。
そんな思いを込めて目の前の顔を睨み付けると、彼は今度は至極嬉しそうに微笑む。

「大丈夫だよ。何も心配しなくていい。私が君を作り変えてあげよう」

ぐにゃ、と視界が歪んだ。
どんな薬もマインドコントロールも効かないように訓練されたはずの体が
急速に幻惑の中に落ちていくのが分かる。
覗き込んでくるグリーンだったはずの瞳が、今は極彩色に見えた。

「次に目が覚めるとき、君は私のものだ」

君は君のアイデンティティを残したまま、私のものになる。
残念ながら、記憶が残るかどうかは保障できないんだけど……
けれど記憶を失っても君は君だものね。
前の君と違うのは、私を愛してやまなくなるって事だけだ。
そしたら2人であの男に……君のボスに会いに行こう。
どんな顔をするか見ものだよ。
さ、ほら、目を閉じて。おやすみ。

そんな独白にも似た語りかけを聞きながら、
私は目の裏に弾ける色彩の世界に意識を投じた。