ドアをはさんで背中合わせ

「迷惑だ」
強く言い切った瞬間、彼の目が凍りついた。
「そんな戯言、二度と口にするな。不愉快だ」
向かい合えば少し見上げる彼の顔。
紅潮していた頬が蒼褪めていくのを睨むように見つめる。
「今の言葉は忘れてやる。明日までに頭を冷してこい」
言外にチームを辞めることは許さない、と告げると彼の凍り付いていた瞳がひび割れた。
裂け目から溢れてくるのは苦しみ、怒り、絶望。そして悲しみ。
かすかに震えだした彼のふっくらとした唇から目を逸らし、背を向けた。
そのまま部屋を出て、ただ一人、彼を置き去りにする。
後ろ手にドアを閉めてはじめて、身体が震えだした。
だいじょうぶ。彼の前では冷徹さを保てていたはずだ。
口調も表情も、眼差しさえも揺るぎはさせなかった。
かみ締めた奥歯が、今ごろのようにカチカチ鳴る。
目の奥が刺すように熱く痛む。だが泣くことは許されない。
苦しいのは傷ついたのは彼であって私ではない。
それでも全身から抜けていく力に膝が笑い、もう立っていることすら覚束ない。
ずるずるとしゃがみ込むと、そのままドアに背を預けた。
だいじょうぶ、彼はしばらく出てこない。それだけのショックは与えた。
そのくらいの判断ができないような、浅い付き合いじゃない。
そうとも。
彼のことは良く知っている。
人当たりの良い、誰にでも好かれる、如才ない才能ある男。
その優秀な男が。
どうして。どうして、こんな馬鹿なことをしたんだ。
お前が馬鹿げたことを言い出さなければ、もう少しあのままでいられたのに。
お前を可愛がることも、構うことも、好きなだけお前に優しくできたのに。
「愛している」――だなんて、何を勘違いをしている。何を血迷った。
馬鹿な男。頭がいいくせに、途方もなく愚かな男。
お前なんてこのまま順風満帆、友人にも将来にも恵まれた陽の当たる道をそのまま
歩いていけばいいんだ。いっときの勘違いで後ろ指を差されることはない。
お前ほどの器量を持つ男には焦らなくとも女は群がる。そのうちからつりあいの取
れた最高の女を選べ。
そうして似合いの女性と共に過ごす健やかで幸福な日々に、いつか私への気持ちが
友情や尊敬だったと気がつく。愚かな真似をしなくてすんだと、胸をなで下ろすだ
ろう。
そう、いつか。
お前の横に相応しい女性が。
切り裂かれるように胸が痛むのは、先刻の一瞬で噴出した汗で背中が濡れているか
らだ。湿ったシャツにドアが冷たいから。
だがその背に、ふと温もりを感じたような気がした。
……ああ、お前もそこで項垂れているのか。
力なくこのドアに背をもたれているんだな。
わかるさ、お前のことは。
伊達にお前のことを見ていない。他の誰よりもお前を見つめ、お前のことを考えて
きたんだ。
お前を傷つけた、それはわかっている。
すまない、と謝ることはできない。
それがお前のためだから。
罰も罪も、辛さも苦しみも、未来永劫の業火すらも、全て私が引き受ける。

だから今だけ――この一瞬だけ、この背の温もりを許してくれ。



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最終更新:2011年04月20日 16:58