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人事部

「こちらとしてもまことに心苦しいのですが、どうぞご理解ください」
「はぁ……」
 なで肩の男は怒ることも落胆することもなく、達観しているようにさえ見えた。

 人事部人材構築2課――内部から「肩叩き課」と呼ばれるこの仕事は、簡単に言うとリストラの対象になった社員に首切りを宣告し、退職を勧めるというものだ。
 論理的に話を進めて相手の感情を逆撫でしないよう配慮し、会社の意向を伝えてもう逃げ場はないと諭す。
 決して気持ちの良い仕事ではないが、かといってエネルギッシュに営業先に愛想を振りまく性分でもないので、佐伯は「肩叩き」であることにそこそこ満足していた。

 退職勧奨を受けた人間は、様々な反応を返した。
 逆上して掴みかかる者、顔を覆って泣き出す者、動揺のあまり支離滅裂な話を始める者。
 自分より1周りも2周りも年上の社員が心を乱す様子を見ていると、哀れみと軽蔑がないまぜになったような複雑な感情が沸いた。
 しかし、今日の男は違った。
「そうですか」「はい」「わかりました」、無表情にこの3つの言葉を繰り返し、反論もせずに帰っていった。
 その落ちた肩は絶望のためにゆがんだわけではなく、生まれ持った骨格なのだった。
 佐伯は彼に関連するファイルを手に取り、書類をたぐった。 
 古河実、35歳。営業部所属。借り上げ社宅在住。実家は自営業の定食屋。未婚、扶養家族なし。
 いかにもパッとしない営業マンのデータだが、佐伯にはどうしても気になる点があった。

 古河が入店してからきっかり5分後、佐伯は居酒屋ののれんをくぐった。
 目当ての男はカウンターの隅にひっそりと座っていた。
「古河さん、偶然ですね」
「あぁ、人事部の……」
「佐伯です。お隣いいですか」
「どうぞ」
「今日はどうも」
「人事部のお仕事も大変ですね」
「いいえ、営業の方にこそ頭が下がります」
「営業はね、好きなんですけど僕には向いてなかったみたいです」
「まったく、何ていったら言いか……」
「ビジネスですから仕方のないことですよ」
 曖昧に笑って熱燗をすする古河の手元に、鰐皮の時計が光っている。
 佐伯は一呼吸置いてから切り出した。
「時計、お好きなんですか?」
「え?」
「ブランパンの少数限定モデルですよね」
「詳しいんですね」
「憧れの時計なんです」
「まぁ、時計は一生モノですから」
「私なんかには一生かかっても手が届きません」
「佐伯さん、言いたいことがあるならはっきり言ってください」
 古河の横顔に変化はない。
 怒りも動揺も一切見えない、まさにポーカーフェイスだ。
「古河さん、何をなさってるんですか? 産業スパイって時代でもありませんよね」
「僕はただの無能なサラリーマンですよ」
「そんな方がこの時計を? 失礼ですが、あなたの給料では無理だ」
「……飲みながらする話じゃありませんね。出ましょうか」

 古河に連れてこられたのは、雑居ビルの中の薄暗い雀荘だった。 
 冗談のようなレートを聞き、佐伯は気が遠くなった。
 そこに居合わせた、どう見ても堅気ではない男達を相手に、半荘勝負が始まった。
 リーチ、平和、一盃口。東場は佐伯の安手の早上がりも通用した。
 しかし南場――相手に高い手で上がられ、苦しくなる。
 最後の親は古河だった。ここで勝たないと、二人の負けは大きくなる。
 牌を取り終え並べ直していると、ふいに古河が手を上げた。
「天和です」
 配牌の時点で上がっているという非常に確率の低い役満貫だ。
 雀荘全体がざわめいた。イカサマではないか、という声も聞こえてくる。
「おいあんた、俺らの目の前でサマやったってんじゃねぇだろな」
 強面の男にすごまれても、古河は動じなかった。
「やったように見えたなら、やりなおしましょうか」
 その声には怯えのような響きは全くない。
 しばらく睨みあった末、男達が舌打ちをして万札の束を雀卓の上に投げやった。
「どうも」
 ひょうひょうとその金を拾いあがる古川を、佐伯は呆然として見ていた。
「いつもあんなことをなさってるんですか」
「そんなことしたら命がいくつあってもたりません」
「じゃあ一体……」
「要するにね、ギャンブルが得意なんですよ」
 古河は飲み終えた缶コーヒーを、離れた場所に向かって投げた。
 美しい放物線を描いて空き缶がゴミ箱に収まった時、ようやく佐伯も合点がいった。
「株ですか」
「自慢じゃないですけど才能があります」
 真面目な顔で言うので、妙にリアリティーがあった。
「気付いたら会社の給料よりそっちの収入の方が増えてました」
 淡々とした引き際の理由はそれだったのか。
 佐伯は納得し、ずっと気に留めていた古河の時計に目を向けた。
「じゃあリストラなんて痛くも痒くもありませんね」
「いや、不安ですよ。会社を辞めると一日中パソコンの前にいてしまいそうで」
「では一応未練があると?」
「引っ越したり保険を切り替えたりするのもおっくうですし」
 佐伯はにやりと笑った。
 きっと古河ならどんな時もこんな笑みはこぼさないだろう。
 彼が営業に向かない原因がわかったような気がした。
「古河さん、私と取引をしていただけませんか?」

 事業戦略部新規開拓3課――内部から「博打打ち課」と呼ばれる場所に古河はいた。
 1課や2課の綿密なデータを基にした堅実な戦略とは違い、従来の常識に捉われないユニークな戦略を打ち出す遊撃手的なポジションだ。
 リスクを恐れない肝の太さと、過酷な状況の中でも勝ちの道を探す冷静さを求められるこの部門に、佐伯はコネを伝って古河を推薦したのだ。
 成果はすぐに出た。
 古河の研ぎ澄まされた勝負感覚により、3課の担当したあるプロジェクトが大成功を収めた。
 リストラ目前の他部署の平社員の返り咲きとあって、人事部の英断も評価されることになった。
 佐伯が直接登用したわけではないのだが、人事部長はわざわざ肩叩き課までやってきて、彼に握手を求めた。
 佐伯が差し出した手には、ブランパンの時計が嵌められていた。
「プロジェクトのご成功おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「株の方はいかがですか」
「最近はもっぱら逆張りですね」
 二人は以前来た居酒屋で杯を交わしていた。
 古河は酒が入るといくらか表情がわかりやすくなるということに、佐伯は最近になって気付いた。
「おかげで一発逆転できました」
「それもご自身の持っている運でしょう」
「実はね、自分より強い勝ち馬を知りません」 
 軽口のように聞こえるが、まぎれもない事実なのだろうと今ではわかる。
 酢の物をつまんだ瞬間、佐伯の目はある一点に集中した。
「古河さん、それって……」
「あぁ、ブレゲのクラシックタイプです」
 佐伯は息を呑んだ。
 それは彼が取引の条件として譲り受けたものより、更に高価な腕時計だった。
「佐伯さんも、僕なんかよりずっとお似合いですよ」
 古河は佐伯の手首を柔らかく押さえ込み、曖昧に笑ってみせた。
 この男は本当に油断ならない。
 くたびれたスーツも、ずり落ちた肩も、すべては彼の強さを隠す鎧なのだ。
「もう一つ取引をしませんか」
 いざという時はやはりポーカーフェイスらしく、彼の感情は読めない。
「……出ましょう」
 この勝ち馬に乗るのも、悪くはない気がした。