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アメフラシとてるてる坊主

バイト帰りの疲れた体をひきずって、安アパートの古びた廊下を
歩いていると、ドアから味噌のいい匂いがただよってきた。
児玉の部屋だ。アイツ、また朝から何かとってきたのかな。
「…児玉、何か美味いの作った?」
ドンドンとドアを叩くと、「おー」というのんびりした声が
返ってくる。ドアが開くと、満面の笑みの児玉が、エプロンつけて
立っていた。
「あさとぉからよぉござんしたの!」
「は? 何て?」
「いや、気にするな。今日は、俺の実家の名物料理作ってたんだよ。
 食ってくか? ん?」
「あー」
いつも落ち着いている男の、珍しいハイテンションさに、徹夜明けの頭が
あまりついていかない。しかし、俺の頭は、睡眠欲よりも食欲の方を優先
するよう指示を出した。だって給料日前で、ここ数日ロクなもの食べて
いないのだ。カップラーメンカップラーメン、のり弁、カップラーメン。
俺はあがりこんで、児玉の部屋のちゃぶ台の前に、チョコンと座り込んだ。
…あぁ、同じアパートで同じ間取りの部屋なのに、どうしてコイツの部屋は、
こんなに居心地がいいんだろう。男の一人暮らしで、自炊したり、部屋を
キレイに片付けたりするヤツは、コイツの家しか知らない。しかも、病的な
までにキレイというわけではないから、まるで母親のように暖かみがある
部屋で、妙にこう…落ち着くというか、眠くなるというか…。

気が付けば、俺はウトウトしていたらしい。ガツンと何かで頭を叩かれて、
目が覚めた。いつのまにか、魔法のように、俺の目の前に食事が置かれている。
「うぁ、うおー! すげぇ、料亭みてぇ! 何このナマコみたいなの」
「あー、ベコだよ。こっちじゃ食べないんだよな。遠慮しなくていいから食え」
児玉が、暖かい味噌汁を俺に渡してくれた。
どうしよう。児玉が神様に見えてきた。
「ありがとう、児玉ぁ」
「気にするな。具材は今朝海で獲ってきたヤツだから、無料だ」
炊きたてのゴハンに、暖かい味噌汁。焼き魚に、「ベコ」の和え物。
俺はむさぼるように食べた。ベコは初めて食べる味だが、コリコリしていて
美味しい。こんなのが獲ってきて作れるなんて、児玉は何て天才なんだ。
ふと目線を横にやると、窓のところに何かかかっているのに気が付いた。
あれは…てるてるぼうず…?
「…児玉、あれ何?」
俺の向かいで味噌汁をすすっていた児玉は、てるてる坊主に気づいて、
はにかんだ笑みを浮かべた。
「あぁ、日曜日、海に行く」
「日曜日?」
「そう。安藤先輩、誕生日だろ? 魚でも獲ってきて、ご馳走作ろうと思ってさ」
恥ずかしそうに笑う児玉の顔に、俺は胸のあたりが重くなった。
お前、日曜日は俺と遊びに行く約束してたのに、忘れてるのか。
反射的に、Tシャツの上から胸をつかんだ。
なぜだか胸が痛い。
児玉と遊びに行くからって、バイトまで休んだのに、児玉はあっさり忘れてるのか。
安藤先輩とは、この安アパートの同じ階に住む人で。
貧乏人が多いこの学生アパートで、毎日笑顔を振りまいて、アパート住人全体の
飲み会などを取り仕切っていたりする人で。
男なら誰でも憧れるような人で。
「…あぁ、飲み会するんだ」
「そう。皆で先輩びっくりさせて、飲み会しようってさ。お前も参加だぞ」
児玉の顔に、「先輩の喜ぶ顔見たい」という気持ちが書いてあるのが分かった。
あぁ、児玉は先輩のこと好きなんだなぁ。
じゃなきゃ、わざわざ日曜日まで日にちがあるのに、てるてる坊主なんて
作って吊るすわけがない。しかも布とゴルフボールで作ったらしく、まん丸の
頭で輝くような笑顔を欠いている。
心臓のあたりが、ギュウッと収縮するのが分かった。
どうしてだろう。吐きそうだ。
「…どうした? 小峰」
「いや…何でもな…」
さらに胸のあたりがざわついて、俺はうつむいた。
何でだろう。俺は何にこんなに胸をざわめかせてんだ。子供じゃあるまいし、
たかが一緒に出かける約束忘れられただけで。
「おかしいなぁ、何か腹壊すようなもの、入ってたか?」
不思議そうな児玉に、俺はかぶりをふった。
しかし、胃や腸まで痛くなってきたあたりで、俺は気づいた。
これって、もしや嫉妬ってヤツか?
痛みがだんだんひいてきたので、俺は話を変えるために、ちゃぶ台の上に目をやった。
「なぁ、そういえば、『ベコ』って何?」
「ベコ? …こっちで何て言うのかな。あ、そうだそうだ。てるてるぼうずの
 反対だよ」
「反対? ……何? ナマコ?」
「違う。『アメフラシ』」
聞いたことのないものだった。しかし、その名前に少し自嘲する。
日曜日、雨が降ればいいって思っている俺は、ある意味このナマコみたいなもんか。
児玉が、わざわざ人のために海に行かなければいいのに。俺と一緒にいればいいのに。
そんな子供じみたことを考えた瞬間、俺の胸がまたギュウッと痛くなってきた。
「見てみるか? アメフラシ」
そんな俺に気づかず、児玉は台所の隅に置いてあったクーラーボックスを持ってきた。
ガチャリと開けて、「これがアメフラシだよ」と手の上に乗せて、俺に見せてくれる。

汗が出た。
そこには、信じられないほど大きなナメクジがいた。

俺はそのまま、トイレに駆け込んだ。吐いた。
しかし吐きながら、妙な安堵感を覚えていた。
良かった。これは腹痛で嫉妬じゃない。

日曜日、寝込んでいる俺に、児玉が済まなそうに俺の部屋にやって来た。
「こっちのアメフラシは、毒持ってんだってなぁ。ごめんな、俺知らなくてさ。
 これ、お詫びの魚だ。今度改めて、一緒に海行こうよ。
 また、てるてる坊主作っとくからさ」
児玉の言葉に、思わず胸がざわめいた。
これは腹痛じゃない。はず。