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ボロ負け

「いま何回? え、もう8回裏か、今夜もダメだなぁ」

手にしたクリップボードを団扇代わりに振りまわしながら、
先輩は休憩室のドアを足で開けて乱入し、ひょいっとテレビを覗いてきた。
反対の手には、良く冷えて水滴のびっしりついた缶ビールが二本。
少人数でしこしこ残業をしていると、どこからともなくビールを持ってくるのだ、この人は。
画面では、先輩ご贔屓の地元プロ野球チームが9-1で負けている。

「まった今期も最下位が指定席だな。ほら、冷えてるぞ」

僕は唐突に投げられたビールを何とか受け止めた。
給湯設備の流しへ立って、プルトップを開ける。泡が勢いよく溢れ、僕の手を滑った。
先輩を見ると、もうあいている缶を机に置き、椅子に座って壮絶にクリップボードで自分を扇いでいる。
今日はたしかに暑いが、それにしても彼は暑がりだ。熱い彼の性格のせいかもしれない。
冷えたビールが喉をすべる感覚に感嘆しながら、僕は椅子に戻った。

「先輩って、なんだか負けてても嬉しそうッスよね」
「おうよ、十年に一度しか勝たないとこがホームチームだと、負けに慣れんのさ」

楽しそうに笑いながら、彼は喉仏を上下させてビールを飲む。
スポーツマンらしい焼けた首筋から汗が一筋おち、骨ばった手がそれをぬぐった。
彼はここからそう遠くない地元強豪高の野球部出身で甲子園にも出場し、
大学在学時も中々の選手で、今でも社内の草野球ではエースを張っている。

「それにな、」
「え、何スか?」

大観衆にわくテレビ画面をみていると、唐突に先輩が言った。

「スポーツだと、負けても何も起こらないだろう、それがいいんだよ」
「はぁ?」
「野球ならな、精一杯フェアにプレーして、それで負けても、
まあ選手は次期の契約とか年俸なんかが掛かってるだろうけどさ、
でも誰も死なない、誰も困らない、そうだろう?
実社会であんなに負けてみな、そりゃもう大変なことんなるぜ、
だから俺たちゃ普段は、汚いことをしてでも勝たなきゃならんのさ。
でもスポーツは、正々堂々と潔く負けられる。それがいいんだよ」

僕はテレビに映った四番打者の、夏の半袖ユニフォームから出た完璧な筋肉のついた腕を、
それから先輩の、引き締まっているとはいえ、プロに比べると緩んだ肉の腕を見た。

「ああ、終了だ。9-1か、これでボロ負け五連敗だな! さあ、仕事に戻るぞ」
「はいっ」

楽しそうにそう言う先輩に促され、僕は弾かれたように立ち上がった。