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会場まで行ったのにキャンセルかよ!

鳴らない電話をずっと待っている。
寒空の中、待ち合わせの10分前にはこの場所に着いていた。冷たくなった手が温もり
を求めてガタガタと震えている。タメ息と共に吐き出した息は真っ白で、涙が出そうになった。
俺がこの場所に着いてから、もう2時間が経過している。いい加減帰りたくなってきた。
「早く来いよ・・・待っててやってんだぞ・・・」
愚痴を零しながら携帯電話を睨む。時間は無常にも俺だけを置き去りにしてどんどん
進んでいった。人の洪水が、目に痛い。

誘ったのはあいつの方からだった。何かと忙しいあいつの仕事が休みだというこの貴
重な日に、俺に二枚のチケットを見せながら映画に行こうと言って来た。三週間ぶり
のデート。俺がその甘美な誘惑に勝てる訳が無かった。俺は主人に尻尾を振る子犬の
ように喜びを露にしながら、貴重な約束をしっかりと交わした。とても楽しみにしてたんだ。
いつも俺から誘うばかりで、あいつから何処かへ行こうなんて言葉を聴くことは全然無かったから。

時計の針は開演20分前を指している。もう中に入らなければ間に合わない時間だ。
俺はもう一度携帯を睨みつけ、あたりを見回した。あいつの姿らしきものは、見当たらない。
最後まで連絡もなく、俺を寒空の中待たせて、あいつは今何やってんだろう。
あいつから約束したことなのに。二時間も前にこんなところへ来て、寒い中を震えながら待ち続けて、
あいつに会えるのを楽しみにしていた俺が、馬鹿みたいだ。
以前は金色に輝く夢の招待状に見えたチケットも、今はただの忌々しい紙くずに見えてくる。
俺は自嘲の笑みを浮かべると、会場内に向かって足を踏み出した.
せめてこのチケットが無駄にならないよう、意地でも見てやろう。嗚呼情けない貧乏人の性よ。
笑いたければ笑えよ。勿体無いものはもったいないんだ。
ピルルルルルル・・・・・唐突に俺の携帯から着信音が鳴り出した。ちくしょう!
俺が決心つけた矢先に誰だ!さっきまであんなに沈黙を守ってた癖に!
俺は発信者の名前も見ずに通話ボタンを押した。
「誰だ?今忙しいんだよ」
「ほぅ・・・愛しい男に随分な言い草だなぁ・・・お前のことだから、未だ会場で待ってるんだろう?」
小さな機械の先から流れてきたのは、よく知った声。
心地いい低音が耳をくすぐっては俺の機嫌を急上昇させる大好きな音。
「俺のことを寒空の中放ったらかしにするような男は俺のマイハニーじゃねぇなぁ?何処の野郎だ?」
「お前こそ、俺のことを放ったらかしにして連絡さえ寄越さなかっただろう。俺が風邪で倒れてたらどうするつもりだったんだ?」
「うるせぇな。お前が会場に来ないほうが悪いんだよ。二時間も待たせやがって・・・風邪引いたら慰謝料請求するぞコラ」
俺から連絡しなかったのは、何か癪だから。いつも俺ばっかり気にして、あいつからは何も言ってこないから。
今日くらいは期待してたんだよ。お前から「悪いな」とか「遅れる」とか一言だけでも、俺のことを気にかけてる証を。
「ところで、いきなりだが行き先を変更する。場所は今から指定しよう。其処に向かってくれ」
「はぁ?会場まで来たのにキャンセルかよ!しかも俺を長時間待たせた上にまだ歩かせる気か?
いいかげんキレるぞこのフェスティバル馬鹿野郎!」
「・・・場所はお前の居る場所から500m先のホテルだ。展望レストランで待っててやる」
「・・・チケットがダミーなら最初からそう言えよ阿呆」
ああ、もう、これだからあいつは始末に負えないんだ。俺の喜ぶことをいつも先回りしてやってのける。
欲しいことをちゃんと、わかってくれてる。意地悪で、最低で、言葉足らずだし、
約束も守らないヤツだけど、ちゃんと俺のこと、考えてくれてる。

俺は踵を返すと、あいつの居るホテルへと足を向けた。
イライラしてた気持ちなんて、何処かへ消えてしまっていた。