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大好きだけどさようなら

珍しく深く眠っている彼の前髪は、先ほどまでの行為の名残か汗で少し湿っていた。
眉間に皺を寄せた難しい顔で眠っている彼の頬を、起こさないよう、そっと撫でる。
僕より十も年上のくせに、子供のように安心しきった顔で眠る彼を見ていると、自然に顔が綻んだ。と同時に、目尻が濡れる。
喉がひくりと震え、慌てて口元を押さえた。泣いたりなんかしたら、彼を起こしてしまう。
ゆっくり静かに深呼吸をして呼吸を落ち着け、のそりと体を起こして枕元に置いてあった眼鏡を掛ける。
鮮明になった彼の顔をじっと見つめ、溜息を吐いた。

僕がこのひとに告白をしたのは、半年前の事だ。
大学の准教授をしていた彼に一目惚れをして、興味なんかなかった彼の授業を受けては質問をしに通った。
十も年下の学生で、しかも男など相手にされないだろう。
そう思っていても、日に日に募る思いを打ち明けずにはいられなかった。
一年の片思いを経て思いを告げたあの日の事は今でもよく覚えている。
「お前みたいな子供、半年で飽きるだろうな」
彼は鼻で笑いながらそう言い、眉間に皺を寄せたまま僕に手を差し伸べてくれた。
駄目もとだった僕の告白を、受け入れてくれたのだ。

それからはあっという間に時間が過ぎた。
毎日楽しくて幸せで、彼の隣にいるだけで満たされていたのに、信じられないような幸せを次から次に貰った。
携帯電話を持っていなかった僕に、連絡が取れなくて不便だからと彼の持っていた携帯電話を一台持たせてくれた。
訪ねてきた時にいちいち鍵を開けるのが面倒だからと合い鍵をくれた。
それから初めてこの部屋で抱いて貰った夜、泣いてしまった僕に彼が珍しく慌てていたのを思い出す。
僕の頬を優しい手で拭いながら、「痛いなら止める」と言った彼に、痛いのではなく幸せで涙が出るのだと告げるまでに時間が掛かった。
一日ごとに好きだと思う気持ちは増していき、半年が経とうとしている今では最初の頃の何倍にも膨れあがっている。
きっと明日はもっと好きになる。それではいけない。
(半年経ったら、飽きられるんだ)
一緒にいても、いつだって彼がはじめに言った言葉を引きずっていた。半年、半年後には別れを告げられる。その日を待つのが怖かった。
明日でちょうど半年。彼から言われるのを待って彼の前でみっともない姿を晒すより、自分から離れることを決めた。

「大好きです。……でも、さよなら」
聞こえるか聞こえないかの声で、口の中で呟いた。
腰に回されていた腕をそっと除け、静かにベッドを降りる。
鞄の中から貰った合い鍵と携帯とを取り出し、枕元に置いた。
床に脱ぎ散らかしていた服を掴む。寝室を出て、リビングでなるべく音を立てないように手早く服を着た。
カーテンの隙間から見える外はまだ暗い。
早く出ないと。早起きの彼が起きる前に。
あとはこの家を出ればおしまいだ。
ここはオートロックになっているから、合い鍵を置いてきてしまった僕にはもう入れない。
よろけながら玄関へ向かい、靴を履く。立ち上がった途端、ぽたりと目から雫が落ちた。
(いけない、)
慌ててドアノブに手を掛け、外に出る。ふらついていたせいで外に出た途端ドアから手を離してしまった。
「あっ」
小さな声を挙げたと同時に、ドアが閉まる。
堅く閉じたドアの前で僕は呆然と立ち尽くした。
(もう、入れない)
もう二度と彼の隣で眠る事はない。
頬の濡れる感触はあったけれど、体が竦んで拭うことさえ出来なかった。
ぱたぱたと足元に雫が落ちる。

拭ってくれる手の持ち主はもう、僕の傍にはいない。