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*ジョン・コルトレーン~John Coltrane
1926年9月23日 - 1967年7月17日
アメリカノースカロライナ州生まれ
モダンジャズのサックス奏者。テナーサックスをメインとする
最初期はアルトサックス、1960年代はソプラノサックス、最晩年にはフルートを演奏。
活動時期
1950年代のハード・バップの黄金時代から1960年代のモード・ジャズの時代、フリー・ジャズの時代まで活躍した。
[[チャーリー・パーカー]](アルトサックス)亡き後、[[ソニー・ロリンズ]](テナーサックス)と並ぶジャズ・サックスの大御所。
妻はピアニストの[[アリス・コルトレーン]]、次男はサックス奏者の[[ラヴィ・コルトレーン]]、三男はサックス・クラリネット奏者の[[オラン・コルトレーン]]である。
来日時のインタビューで、もっとも自分に影響を与えた音楽家二人として[[オーネット・コールマン]]とともに[[アルバート・アイラー]]の名前を挙げている。また、[[アルバート・アイラー]]は、コルトレーンに心酔していた。コルトレーンの葬儀の時にはソロ演奏を行っている。
コルトレーンの演奏を形容する時にしばしば用いられる「シーツ・オブ・サウンド」という言葉は、音楽評論家のアイラ・ギトラーが、1958年に『ダウン・ビート』誌で使ったのが最初。
**略 歴
1949年 [[ディジー・ガレスピー]]のバンドに参加。テナー・サックスに転向。
1955年 [[マイルス・デイヴィス]]のグループに参加。
1957年 プレスティッジ・レコードと契約。[[セロニアス・モンク]]のリーダー・アルバムに参加、音楽的に影響を受ける。独特の演奏スタイルを確立し、後のジャズ界に影響を与えた。
1959年 マイルスの『カインド・オブ・ブルー』に参加。モード・ジャズという手法を世に示す。アトランティック・レコードに移籍。
1960年 『ジャイアント・ステップス』発表。その後マイルスのバンドを脱退。
1961年 インパルス!レコードに移籍。一時的に[[エリック・ドルフィー]](バスクラリネット)を加えたクインテットで活動。その後は主に[[マッコイ・タイナー]](ピアノ)、[[ジミー・ギャリソン]](ベース)、[[エルビン・ジョーンズ]](ドラム)とのカルテットで幾多の名演を生んだ。
1962年 [[デューク・エリントン]]とも共演。
1965年 [[ファラオ・サンダース]]が加入。12月に[[マッコイ・タイナー]]がバンドを離れ、[[アリス・マクロード]](1966年にジョンと結婚)が加入。
1966年 3月に[[エルビン・ジョーンズ]]も退団。
1966年 7月来日。記者会見で「10年後のあなたはどんな人間でありたいと思いますか?」という質問に対し「私は聖者になりたい」と答えたというエピソードがある。また同記者会見にてもっとも尊敬する音楽家は?という質問に対し、[[オーネット・コールマン]]の名前を挙げた。
1967年5月7日 ボルチモアで最後のコンサートを行う。
1967年7月17日 肝臓癌で死去。
**作 品
* Coltrane(プレスティッジ)
* Blue Train(ブルーノート)
* Soultrane(プレスティッジ)
* Giant Steps(アトランティック)
* Coltrane's Sound(アトランティック)
* My Favorite Things(アトランティック)
* "Live" At The Village Vanguard(インパルス)
* Coltrane(インパルス)
* Ballads(インパルス)
* Duke Ellington & John Coltrane(インパルス)
* Impressions(インパルス)
* A Love Supreme(インパルス)
* Ascension(インパルス)
* Expression(インパルス)
[[JOHNCOLTRANE.COM>http://www.johncoltrane.com/]]
#related()
*ジョン・コルトレーン~John Coltrane
1926年9月23日 - 1967年7月17日
アメリカノースカロライナ州生まれ
モダンジャズのサックス奏者。テナーサックスをメインとする
最初期はアルトサックス、1960年代はソプラノサックス、最晩年にはフルートを演奏。
活動時期
1950年代のハード・バップの黄金時代から1960年代のモード・ジャズの時代、フリー・ジャズの時代まで活躍した。
[[チャーリー・パーカー]](アルトサックス)亡き後、[[ソニー・ロリンズ]](テナーサックス)と並ぶジャズ・サックスの大御所。
妻はピアニストの[[アリス・コルトレーン]]、次男はサックス奏者の[[ラヴィ・コルトレーン]]、三男はサックス・クラリネット奏者の[[オラン・コルトレーン]]である。
来日時のインタビューで、もっとも自分に影響を与えた音楽家二人として[[オーネット・コールマン]]とともに[[アルバート・アイラー]]の名前を挙げている。また、[[アルバート・アイラー]]は、コルトレーンに心酔していた。コルトレーンの葬儀の時にはソロ演奏を行っている。
コルトレーンの演奏を形容する時にしばしば用いられる「シーツ・オブ・サウンド」という言葉は、音楽評論家のアイラ・ギトラーが、1958年に『ダウン・ビート』誌で使ったのが最初。
**略 歴
1949年 [[ディジー・ガレスピー]]のバンドに参加。テナー・サックスに転向。
1955年 [[マイルス・デイヴィス]]のグループに参加。
1957年 プレスティッジ・レコードと契約。[[セロニアス・モンク]]のリーダー・アルバムに参加、音楽的に影響を受ける。独特の演奏スタイルを確立し、後のジャズ界に影響を与えた。
1959年 マイルスの『カインド・オブ・ブルー』に参加。モード・ジャズという手法を世に示す。アトランティック・レコードに移籍。
1960年 『ジャイアント・ステップス』発表。その後マイルスのバンドを脱退。
1961年 インパルス!レコードに移籍。一時的に[[エリック・ドルフィー]](バスクラリネット)を加えたクインテットで活動。その後は主に[[マッコイ・タイナー]](ピアノ)、[[ジミー・ギャリソン]](ベース)、[[エルビン・ジョーンズ]](ドラム)とのカルテットで幾多の名演を生んだ。
1962年 [[デューク・エリントン]]とも共演。
1965年 [[ファラオ・サンダース]]が加入。12月に[[マッコイ・タイナー]]がバンドを離れ、[[アリス・マクロード]](1966年にジョンと結婚)が加入。
1966年 3月に[[エルビン・ジョーンズ]]も退団。
1966年 7月来日。記者会見で「10年後のあなたはどんな人間でありたいと思いますか?」という質問に対し「私は聖者になりたい」と答えたというエピソードがある。また同記者会見にてもっとも尊敬する音楽家は?という質問に対し、[[オーネット・コールマン]]の名前を挙げた。
1967年5月7日 ボルチモアで最後のコンサートを行う。
1967年7月17日 肝臓癌で死去。
**作 品
* Coltrane(プレスティッジ)
* Blue Train(ブルーノート)
* Soultrane(プレスティッジ)
* Giant Steps(アトランティック)
* Coltrane's Sound(アトランティック)
* My Favorite Things(アトランティック)
* "Live" At The Village Vanguard(インパルス)
* Coltrane(インパルス)
* Ballads(インパルス)
* Duke Ellington & John Coltrane(インパルス)
* Impressions(インパルス)
* A Love Supreme(インパルス)
* Ascension(インパルス)
* Expression(インパルス)
[[JOHNCOLTRANE.COM>http://www.johncoltrane.com/]]
#related()