※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

自らの策略に落ちるの図

 目の前にまんじゅうがある。
 それは茶色く、見た目からは黒糖まんじゅうであるとわかる。
 そいつは、俺の目の前で強烈な力を放っていた。まるで野生の獣が獲物を狙っているかのような、恐ろしい殺気を。
 まず、まんじゅう全体を包みまんじゅう一番の魅力を内へと隠してしまい、しかし包んでいるそのものがまた内とは違う魅惑さをかもし出している皮っ。キラリと光を反射し滑らかで曇りのないツヤをアピールしていて、思わず皮だけを、ゾクゾクするような背徳感を一身に受けながら、ペリペリ、ペリペリと反抗できないのをいいことに俺の意のままにはがす。そ、それだけで身もだえするようなたまらなさが……っ!
 だがそれだけでは終わらないッ。無理矢理はがした皮を、少しずつ、ゆっくりとじっくりとなぶる様に楽しみ……いやいや、欲望のおもむくままにそれは一息に口に運ぶ。……うおおッ! とても俺には決められない! そっ、それに、皮を食べたときに口の中に広がる黒糖のほんのりとりした香りに、優しく柔らかく口内を撫でられるような舌触りを想像しただけで、お、おおお、俺はもうッ!
 ………………中身のことを考えてみよう。そんな想像だけで人を狂わせてしまうようなものに抱かれ守られている中身。いったい、どれほどすごいものなんだ!? こしあんなのかつぶあんなのか、それとも栗などサプライズがつまっているかもしれない! あぁ、この宝箱にはどんな財宝が入っているんだ!?
 ムラがなく滑らかで、食べる者の舌に愛情という名の美味しさを届けてくれるこしあんは、まるで暖かな家庭のよう! そして、こしあんと同じ要素をもちながらも、しかし、しかしなのだ! あずきと言うアクセントを楽しませてくれるつぶんあんッ、そう、それは友人とのいるような緩くも波のある楽しさ!
 さらに、あんの味だけでなく、他の栗や苺などの絶妙な一体感を味あわせてくれるそれは、ドキドキやワクワクが溢れている恋人との時間を感じさせてくれる!
 いったい、中身にはなにが入っているんだ!? 考えれば考えるほど、想像し創造し宗像(そうぞう)してしまいテンションが上がってくるううぅッ! 俺、もうアレな世界へ旅立つ! マジ旅立つから!
 ……はぁ、はぁ。食べるときを想像しただけでこれだと? 想像でこんな状態に陥らせてしまうまんじゅうの殺気……恐ろしすぎる。なんて悪魔のような奴なんだ!
 きっとこれを食べたら、俺はきっと、幸福の絶頂に昇るだろう。きっとなる。そして逝く。逝かなきゃおかしい。逝くのが当たり前。逝かない奴は人間じゃねぇッ!
 …………だが、俺がその幸福を味わうにはひとつ問題があった。このまんじゅうを狙っている者は、俺だけではないのだ。もうひとり、冷静沈着に虎視眈々とわずかな隙を見つけまんじゅうを我が物にしようとたくらんでいる者が、もうひとりいるのだッ。注釈しておくが、俺はけっしてそいつのような極悪さはない。出来ることなら、皆でこの幸福を共感したいと思っているのだ。本当に本当。誰にも取られないようまんじゅうを全て密かに俺の部屋へ運び、ゆっくりたっぷりと楽しもうなどとはけっして思ってない。決して! そう思ってるのはまんじゅうを付け狙うもうひとりだ。絶対そうなのだ!
 ……しかし、一番の問題はそいつではない。この問題は、そんな心の広い俺すらも、心を鬼としなければならないほどゆゆしき問題なのだっ。
 その問題とは……まんじゅうが、ひとつしかないことである!
 いくつもあれば、そいつと分けたのだが、ひとつしかないまんじゅうは無念なことに分けられないのだ……っ!
 ひとつしかないまんじゅうは、ふたりで分けられない。包丁で切るとか手で半分にするとか言うことも無理なのだ! だってひとつしかないのだから! ひとつはどうあがいてもひとつ。ひとつは分けられない、一割る二は計算できない分数なんて知らない少数なんて知らない一より小さい数字はゼロしかないんだ! だから分けるのは無理なのだッ、反論は許さん!
 ということで。分けるのが無理である以上、まんじゅうを食べれるのはひとりのみ。だから俺は、まんじゅうを手に入れるために戦わなければならない! あいつになんて負けてなるものかッ!
 さて、戦いに勝つためには相手の行動を予測することが第一歩である。そして、行動を予測するためには、相手のことを知る必要がある。
 あいつのこと……。とりあえず、今あいつがしていることから観察しよう。
 あいつは今、イスに腰かけながら本を読んでいる。一見ただの文学少年だが――ここで油断してはいけない。
 本を読んでいるだけですよ、と見せかけながら、今あいつが読んでいるのはちょっとおおやけに口に出して言えない、ひとを天誅させる技術をイラスト付きで網羅している解りやすさがセールスポイント、「良い子は真似しないで下さい」の有名フレーズがぴったりの『必殺術』という本なのだッ。
 あいつはその本を読みながら、「あぁ、なるほど」とか「こうすればいいのか」なんて妙に熱心なようすがうかがえる。
 ……が、しかぁし! 俺は見抜いている!
 実はその本を熱心に読んでいるのはただのフリなのだと! あいつは「自分は本を読んでいてまんじゅうに興味なんてありませんよ」とアピールし、スキを突いて俺を亡き者にしようとたくらんでいることを! なにより、『必殺術』なんて読んでるのが証拠だ! あいつはこん跡を残さず、まるで赤い服の大泥棒三世並のテクニックで俺を始末しまんじゅうを盗るつもりなのだ! これだから、漫画家とかいう芸術家野郎はあなどれねぇぜ……
 だが甘い、甘すぎる。義理チョコのうれし切ない甘さより甘いわぁッ! そのようなちょこざいな手口などに、この俺が、まんじゅうへの情熱を溢れんばかりに抱えている俺に通用せんわ!
 さぁいつでもかかってこい! どんな策をめぐらしてあろうとも、この俺がねじ伏せてやる! まんじゅうは誰にも渡さんッ!
 渡してなるものかあぁッ!
 そして俺は、本を読むフリをしている狡猾なあいつにファイティングポーズを構えたその時。
「あ、まんじゅうだー」
 俺の背後から、すなわちまんじゅうのある方から声がした。
「おいしそー。ちょうどお腹へってたんだよねー」
 予想外方向からの奇襲だと――ッ!?
 俺は慌てて振り向き血相を変え、恥も外聞も矛盾も捨て「待て、せめて半分に分けて」と言いかけたところで。
「いただきまーす」
 ぱくっ、と。まんじゅうは一瞬にしてもう取り返しのつかない暗黒へと吸い込まれてしまった。
「んー、おいし~。やっぱりまんじゅうは黒糖にかぎるよねー」
 お……俺の希望が……俺の命が……喰われて、しまった。成す術もなく、星の瞬くほんの間のように。
 こ、これが、策略にはまってしまった武将の心境なのか……なんという、絶望感……ッ。
 勝者の歓喜を目の当たりし、俺は膝を落としたのだった。
「俺の、家庭の味……ガクッ」