年表
この年表は、B.Y(Before Yoshiwara)とA.Y(Anno.yoshiwara)を小見出しとし、その下に西暦や年号となっている。
B.Y 400頃
12世紀初頭
秩父平氏の一族である秩父重継(ちちぶしげつぐ)が麹町台地の先端に館を建てる。
真下には今の東京湾の入り江が入り込んでおり、入り江の入り口(戸)という意味から「江戸」という地名となった。
B.Y 162
1456年(康正2年)
太田道灌が秩父重継館跡地に江戸城を建設。
その後江戸城は、扇谷上杉氏、後北条氏の手へと渡る。
B.Y 28
1590年(天正18年)
豊臣秀吉の命により、徳川家康は関東へ移封。江戸を居城とすることに。
同年、旧江戸城址に江戸城の築城を開始。
B.Y 13
1605年(慶長10年)
江戸柳町で遊女屋を営んでいる
庄司甚右衛門(甚内)を始めとする遊女屋稼業の者達から
遊郭設置願いが幕府に出される。
しかし、時期尚早ということで幕府はこの願いを取り下げた。
B.Y 6
1612年(慶長17年)
再度願いを提出し、幕府採択。
B.Y 1
1617年(元和3年)
A.Y 1
1618年(元和4年)11月
日本橋葦屋町(ふきやちょう)の北はずれにある約二丁(約220m)四方の湿地帯で、
置屋?17軒、
揚屋?24軒にて
旧吉原?の営業が始まる。
A.Y 38
1656年(明暦2年)
10月16日夜10時頃、呉服町2丁目から出火。激しい北西風に乗り、八丁堀まで灰にした。消失町数48、類焼家屋898。
これをうけ、消防組織の拡充と、都心の長崎町、大工町、中橋北槇町に火除けの空地(広小路)を作り、この3町を吉原と霊岸島へ移動させることに。
吉原遊郭は移転を強制される。
A.Y 39
1657年(明暦3年)
3月2日〜3月4日(旧暦1月18~20日)にかけて、のちの世では
明暦の大火、振袖火事、丸山火事と呼ばれる大火災が発生。
江戸の大半を焼失した。
7月7〜8日(旧暦6月14〜15日)
遊女たちが、浅草3ヶ所(今戸、新鳥越、三谷村)にある
仮宅?へ、ほぼ追放に近い移転を始める。
9月(旧暦8月)
代地の普請が大半完成。
旧暦8月14日、浅草千束村にて新吉原が開業。
A.Y 340
1958年(昭和33年)3月31日
売春禁止法実施。
最終更新:2007年09月25日 23:10