認知バイアス応用
前稿では人間が「ついていない」と感じるときに生じる錯覚の問題について紹介した。しかし確率の偏りは実際世の中には確実に存在し、そうした出来事に直面した場合においても我々はしっかりと戦わなければならない。
筆者は長年の麻雀研究を通じて、たとえばリーチ一発自模裏ドラつきを少々喰らおうが動じない精神力を有するに至った。しかしこれは通算数千の打半荘数による豊富な経験の賜物であると考えている。すなわち長く麻雀をプレイしていれば、そうした一見ついてない出来事も特段稀ではないということが体感的にわかるようになるということだ。
Wesnothにおいても同様に、熟練プレイヤーは経験によって、こうした確率現象に対する判断力や精神的強靭さを有していると思われる。しかしwesnothは麻雀よりも1試合に要する時間が長く、熟練は容易ではなかろう(単に我々のキャリアが短いだけであるかもしれない)。しかしついていないと「感じられる」出来事は日々容赦なく我々に襲い掛かってくるのである。前稿では"日々精神の鍛錬に努め、常に冷静な心が保てるようなプレイヤーに是非なっていただきたい"とだけ述べるに留まったが、しかし仏でも何でもなく、また特段の経験を積んだわけでもない我々凡人がそうした煩悩から逃れる方法はあるのだろうか。このようなことは本来個々人の努力に帰するべきところであろうが、ここでは少しだけ、そのための心の置き方のようなことを紹介しようと思う。
簡単にいうと、少し悲観的になってみなさい、ということである。たとえば後攻のあなたは今、深夜に総攻撃を行った。暗黒僧で前衛のエルフ戦士を剥がし、骨斧で魔術師を倒し、ターンエンドを押した。しかしもう夜は明ける。奥には増援の新たなウーズの姿が見え、エルフ戦士もまだ数人健在である。もし骨斧がウーズに倒されてしまうと、エルフ戦士2匹が暗黒僧まで届いてしまうという状況だ。より詳細な状況は今こうだとしよう。骨斧(平地40%)はウーズの攻撃が2ヒットすると死に、暗黒僧(平地40%)はエルフ戦士の攻撃6ヒット分で死ぬとしよう。骨斧が死ぬ確率は36%(0.6^2=0.36)であり、骨斧が死んだとして暗黒僧がエルフ戦士2匹に攻撃された時の被弾数期待値は4.8発(0.6*8)なのでまあ半々以上で死なない。しかしながら、こうした時に予想をやや悲観的に見積もっておくのである。すなわち「悪ければ骨斧と暗黒1が死ぬなあ」と前もって考えておくのである。ここで「骨斧死ぬな。頼むから」などと考えていると、死んだ時にがっくりするか頭にくるのである。
ただし1点だけ補足。悲観的予測はただ受け入れるだけしかない出来事すなわち相手ターン時、それを眺めている際のみ行うのであって、自ターン時の戦略構築時に悲観的予測をしろと言っているわけではないということに注意していただきたい。すなわち悲観的予測は期待値(あえて補足するならば、もっとも高頻度で起こる事象)から外れた予測であるのだから、それを元にして構築した戦術は合理的でない公算が大きいということである。悲観的予測はあくまで不幸な出来事に対する心の準備という意味合いで用いればよろしい。まあこれは1つの方法であって、繰り返しになるが個々人が好みの方法を取れば良いだろう。正座して神棚を拝むとかなんとか、まあ好きにやればよろしい。