ペスト(黒死病)

(癙、Pest(独)、Bubonic Plague) は、人体にペスト菌(Yersinia pestis 腸内細菌科 通性嫌気性/グラム陰性/無芽胞桿菌)が入ることにより発症する病気。日本では感染症法により一類感染症に指定されている。ペストは元々齧歯類(特にクマネズミ)に流行する病気で、人間に先立ってネズミなどの間に流行が見られることが多い。菌を保有したネズミの血を吸ったノミ(特にケオプスネズミノミ)に人が血を吸われた時にその刺し口から菌が侵入したり、感染者の血痰などに含まれる菌を吸い込む事で感染する。人間、齧歯類以外に猿、兎、猫などにも感染する。

かつては高い致死性を持っていた事や罹患すると皮膚が黒くなる事から黒死病と呼ばれ、恐れられた。14世紀のヨーロッパではペストの大流行により、全人口の三割が命を落とした。

症状と病型

ペスト菌が体内に入って2~5日たつと、全身の倦怠感に始まって寒気がし、高熱が出る。その後、ペスト菌の感染の仕方によって症状が違い、次のような病型に分類されている。

腺ペスト
リンパ腺が冒されるのでこの名がある。ペストの中で最も普通に見られる病型。ペストに感染したネズミから吸血したノミに刺された場合、まず刺された付近のリンパ節が腫れ、ついで腋下や鼠頸部のリンパ節が腫れて痛む。リンパ節はしばしばこぶし大にまで腫れ上がる。ペスト菌が肝臓や脾臓でも繁殖して毒素を生産するので、その毒素によって意識が混濁し心臓が衰弱して、多くは1週間くらいで死亡する。死亡率は50から70パーセントとされる。

ペスト敗血症
ペスト菌が血液によって全身にまわり敗血症を起こすと、皮膚のあちこちに出血斑ができて、全身が黒いあざだらけになって死亡する。ペストのことを黒死病と呼ぶのはこのことに由来する。

肺ペスト
腺ペストの流行が続いた後に起こりやすいが、時に原発することもある。かなり稀な病型。腺ペストを発症している人が二次的に肺に菌が回って発病し、又はその患者の咳によって飛散したペスト菌を吸い込んで発病する。気管支炎や肺炎をおこして血痰を出し、呼吸困難となり2~3日で死亡する。患者数は少ないが死亡率は100パーセントに近い。

皮膚ペスト
希にノミに刺された皮膚にペスト菌が感染し、膿疱や潰瘍をつくる。

治療

伝染病院に隔離され、抗生物質による治療が行われる。有効な薬品としてストレプトマイシン、テトラサイクリン、サルファ剤等があげられる。適切な治療がなされれば死亡率は20から0パーセントに下がる。

予防

予防策として、

  • 感染の予防策としてはペスト菌を保有するノミや、ノミの宿主となるネズミの駆除
  • ワクチンの接種
  • 腺ペスト患者の体液に触れない
があげられる。

ペストの歴史

アテナイの疫病
紀元前429年、ペロポネソス戦争の最中ギリシャのアテナイを襲って多数の犠牲者を出した疫病は、「アテナイのペスト」と呼ばれていたが、記録に残る症状の分析により、今日では痘瘡(天然痘)または発疹チフス(あるいはそれらの同時流行)と考えられ、ペスト説は完全に否定されていると言ってよい。

東ローマ帝国での流行
ヨーロッパで最初に記録に残っているペストの流行は、542年から543年にかけて東ローマ帝国で流行したものである。当時は「ユスティアヌスの斑点」と呼ばれた。

14世紀の大流行

中世ヨーロッパにおけるペストの伝播472年以降、西ヨーロッパから姿を消していたが、14世紀には全ヨーロッパにまたがるペストの大流行が発生した。当時、モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが、この大流行の背景にあると考えられている。1347年10月(1346年とも)、中央アジアからイタリアのメッシーナに上陸した。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミが媒介したとされる。

1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。正確な統計はないが全世界で8,500万人、当時のヨーロッパ人口の三分の一から三分の二、約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。

イギリスでは労働者の不足に対処するため、エドワード3世がペスト流行以前の賃金を固定することなどを勅令で定めた(1349年)ほか、リチャード2世の頃までに、労働集約的な穀物の栽培から人手の要らないヒツジの放牧への転換が促進した。

また、ユダヤ教徒の犠牲者が少なかったとされ、迫害や虐殺が行われた(ユダヤ教徒が井戸へ毒を投げ込んだ等のデマが広まった)。ユダヤ教徒に被害が少なかったのはミツワーに則った生活のためにキリスト教徒より衛生的であったという考えがある一方、実際にはキリスト教徒と隔離されたゲットーでの生活もそれほど衛生的ではなかったなどの見解もある。

地中海の商業網にそって、ペストはヨーロッパへ上陸する前後にイスラーム世界にも広がった。当時のエジプトを支配し、紅海と地中海を結ぶ交易をおさえて繁栄していたマムルーク朝では、このペストの大流行が衰退へと向かう一因となった。

2004年に英国で出版された「黒死病の再来」という本によると、当時の黒死病は腺ペストではなく出血熱ウイルス(エボラのような)だったという。北里柴三郎の命をかけた努力により抗血清でペスト等を治す方法はできたがエボラは有効な治し方は無くいまだに脅威があるといえる。

その後の流行
その後も、ペストは17-18世紀頃まで何度か流行している。1665年にはロンドンで流行し、およそ7万人が亡くなった。後にダニエル・デフォーは『疫病の年』(A Journal of the Plague Year、1722年)で当時の状況を克明に描いている。フランスでは1720年にマルセイユで大流行(en:Great Plague of Marseille)した。しかし、集権化にともなう防疫体制の整備と衛生状態の改善から、これ以降の大流行はみられなかった。こうして先進諸国では19世紀までにほとんど根絶されたが、発展途上国ではなお大小の流行があり、インドでは1994年に発生、パニックが起きたほどであった。

日本では、1899年(明治33年)に国外から侵入したのが初のペスト流行である。翌年より東京市は予防のために一匹あたり5銭で鼠を買上げた。本来日本国内にはケオプスネズミノミは生息せず、したがってペストはなかったとされている[要出典]。なお、1926年以降日本では発生していない。
最終更新:2009年03月04日 20:21
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