草木植え込みの緑を何気なく眺めている。夏は生育が早い。家の庭も気つけばジャングルの一帯。
懐かしさに涙を滲ませそうになる。我が家を出たのはそれほど昔だったろうか。一宿一飯にも事欠く旅の身空。若い少年の時分は物語を憧れ放浪の孤独さえ愛したけれど、身に起きてみれば夢幻であった。願望なればこそ美しく、辛きは現実のみと詩文めいた苦笑がもれる。
緑にありふれた庭の草は、刈ろうとすればヤブ蚊の群れ大挙して襲撃し、夏の最中に軍手手拭い長袖長靴を全身に装備する必要がある。泥縄のごとき所業の罰だろうか。小雨などパラついても意に介す必要のないとはいえ、ますます熱帯じみてキャンプを張るがごとく屋内に退避する。クーラーと麦茶の住民の歓迎は妖精郷にも似てキャンプに遥かに勝る。ずぶ濡れの衣服を放り出し白のシャツ一枚で汗を散じ、回復して再び開拓の精神横溢すればジャングルに挑む。妖精郷に惑わされて戻らぬ者も少なくはなし。
往時の記憶は、また鮮やかに旅の目的を呼び起こした。晴子という名を。散歩に出たきり帰らなかった女を。彼女は何時だか妖精郷の住人として麦茶を煎れていた。甘く冷たい薄茶の液を注いで、細い腕は、露を結んだガラス瓶を差し出した。
当ても無く歩く間に風景は変わり記憶は呼び起こされまた忘れられる。自分の身がどこに転がっていくやらまるで予測もつかないが、しかし川が大海に注ぐようにいづれ何処かにはたどりつくのだろう。
最終更新:2008年12月22日 20:06