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あたしが聞いた話をそのまま話し終えた時、二人の反応は見事なまでに正反対だった。

「有りえねえ。マジで有りえねえ」
「…………………」

有りえねえ、を連呼するタイチと、ひたすら物言わぬ貝に徹し続けるカエデ。
「ミュウスリーはまだ信じられるとして、
 ポケモンがいない時代の超文明とか、
 その遺産のトンデモコンピュータがセキエイに隠されてるとか、お伽噺もいいとこだろ」
「マサキ博士も言ってたわ。
 信じるか信じないかは、あたしたち次第だって」

あたしは畳の上に、シゲルおじさまから貰った地図を広げた。

「でも、これを見て。あの夜、リザードンは西に飛び去っていったわ。
 ヤマブキシティから西に直線を引くと、ほら、セキエイ高原があるでしょ?」
「偶然だって。それにいくら西に都合良くセキエイがあるからって、
 途中で方向転換しないとも限らないし、セキエイ高原に降りたとも限らないじゃねえか」
「それはそう、だけど……」

お父さんはセキエイ高原にいる。
そんな、根拠のない確信があった。
――本当、中途半端ね。
煮え切らない自分に苛立ちが募る。
あたしはもう、この件に関わらないと決めた。
――それなら、どうしてタケシさんへの返事を保留にしたの?
どこからともなく聞こえてくる囁きから意識を逸らしたくて、自然と手がピカチュウの温もり探した。
手は虚しく空を掴んだ。
出し抜けにカエデが言った。

「……そうだったんだ」
「何か閃いたのか、カエデ?」
「前にタマムシシティに来た時――タイチくんと合流する前の話ね――あたし、運よくタマムシ大学でマサキ博士の講義を聴くことができたのね。
 その話の内容を纏めると、」

環境が激変して、生物は淘汰された。
絶滅を免れるためには、生き延びるためには、進化するしかない。
そしてその中でも、一際高い環境適応能力を開化させた生物がポケモンである。

「こんな感じだったんだけど、あたしにはどーしても環境変化のトリガーが何か分からなかったのよねー。
 でもでも、それがもし古代人が内輪揉めの末に引き起こした大規模な環境破壊だったとしたら、辻褄が合うと思わない?」
「カエデまでそんな途方もない話信じてるのかよ」
「タイチくんはリアリスト過ぎ。想像は自由なんだから、別にいいじゃん。
 それにー、もしそれが本当なら世紀の大発見なのよ?
 マサキ博士に抜け駆けで論文書いちゃおうかしら。
 天才美少女考古学者現る、みたいな感じでマスコミに取り上げられたらどうしよう?」
「ねえよ、そんな展開」
「きゃはは、タイチくんひどーい」

タイチとカエデの仲は、前よりも親密になったように見える。
なんというか、カエデに遠慮が無くなった。
やっぱり、シゲルおじさまがタマムシティに帰ってきた夜に何かあったのかしら……。
それはきっと喜ぶべきことなのに、素直に喜べない。暗い気持ちが邪魔をする。
タイチは不自然に咳払いして言った。

「マサキ博士の話を聞いて、親父たちはどうするって言ってた?」
「……まだ、決めかねているみたい」

けど、サカキのスパイが捕らえられ、管理者に繋がる有力な情報が皆無な現状では、結局マサキ博士の情報に頼るしかない、と思う。

「きっとマサキ博士の誘導を疑ってるんでしょうねー」

あたしはカエデに反論した。

「あたしは、マサキ博士のことを信じてる。
 マサキ博士はシステムを裏切って、怪我をしてまで、あたしにピカチュウを届けてくれた。
 裏切るような人じゃないと思うわ」
「あたしだってマサキ博士のことを信じたいわよ。
 でもね、ヒナタ。マサキ博士は、一度はシステムの人間だったの。
 マチスの例があるから慎重にもなるわよ。全幅の信頼を寄せた結果、裏切られたのよ?」
「マサキ博士は、自分を信用することを強要しなかったわ」
「それさえも演技だとしたら?
 それに、もしマサキ博士が本当にシステムを裏切ってきたのだとしても、それがマサキ博士の話を保障するわけじゃない。
 とにかく、無責任に信じられるあたしと違って、 大人たちは嫌でも猜疑心を持たざるを得ないのよ」

――選ぶということは、その選択から生じる結果に責任を負うということ。
マサキ博士の話が嘘なら、あるいは真実と思い込まれた想像に過ぎなかったとしたら、時間のロスは取り返しのつかないことになる。
あたしは頷いた。

「ま、明日になりゃ結論が出てるさ」

タイチが空気を変えるように言った。

「ところでさっきは、タケシさんと何話してたんだ?」
マサラタウンに帰るように誘われていることを明かしたら、
タイチやカエデは、どんな反応を示すのかしら。
そんなことを考えている内に、あたしは自然に言葉を返すタイミングを逸してしまった。
タイチがあたしの顔を覗き込んで、

「どうして黙るんだよ。秘密の話だったのか?」
「ううん、違うの。ただ、ちょっと混乱してて……。
 タケシさんは、お母さんから伝言を頼まれていて、それをあたしに伝えてくれたの。
 お母さんはあたしに、マサラタウンに帰ってきて欲しいみたい」

カエデが気遣わしげな声で言った。

「それで、ヒナタはなんて返事したの?」
「保留にしてもらったわ。でも、」

答えは既に決まっている。
今から思えば、どうして保留にしたのか分からない。

「あたしは、マサラタウンに帰るつもりよ」
「……そう」

カエデは寂しげな微笑を浮かべた。

「ヒナタが決めたことなら、あたしは反対しない」

色々と言いたいことがあるに違いないのに、最小限に言葉を絞ったカエデの優しさを感じる。
これでいいのよ、とあたしは思った。
これからはマサラタウンで、お母さんとピカチュウと一緒に静かに暮らす。
システムのこともミュウスリーのことも、お父さんのこともアヤのこともみんな忘れて……きっと、もう二度と旅に出ることもない。
それでいい。それの何が悪いの。あたしは十分頑張った。十分傷ついた。カエデもあたしの選択を認めてくれている。

「それでいいのかよ」

不意に、あたしは甘美な自己肯定から引きずり出された。

「えっ……」
「それでお前は、本当に後悔しないのかよ」
「ちょっと、タイチくん!」
タイチは真剣だった。真剣にあたしが出した答えに反対していた。
あたしは努めて冷静に答えた。

「後悔するとか、後悔しないとか、関係ないわ。
 旅を続ける理由がなくなったから、マサラタウンに帰るのよ。
 そしてあたしの旅の目的は、あの人に会って、どうしてあたしやお母さんを置いて行ってしまったのか訊くことだったの」

バッジを集めることも、ポケモンリーグに出場することも、全てはその目的を叶えるための手段に過ぎなかった。
珍しくカエデがタイチに舌鋒を鋭くした。

「ねえ、タイチくん。
 これはヒナタの問題で、あたしたちが軽々しく口を出しちゃいけないことだと思う。
 ヒナタが旅をやめると決めたなら、その選択を尊重してあげるべきよ。
 それに大人たちは、絶対にヒナタを作戦に同行させようとする。そうしたら、ヒナタは余計に悲しむことになるのよ?」

言葉は暈かしているけれど……。
カエデはあたしが作戦に同行すれば、結果的にあの人と再会することを分かっていて、こう言ってくれている。
しかし実際のところ、カエデの言葉は惜しかった。
あたしがもう一度お父さんに会ったとき、心に生まれるのは悲しみでも興奮でもない、純粋な居たたまれなさだと思う。
娘として認められなかったあたしが、父権を捨てたあの人に対して、何ができるだろう。何を話しかけられるだろう。
きっとあたしは何もできない。何も話しかけることができない。

「どうして自分で自分を縛るんだよ」

口元を押さえる。知らず、唇が動いていたようだった。
心の中で呟いたつもりの言葉は、しっかりとタイチに聞かれていた。
目を伏せていても、あたしの心の奥底を刺そうとするタイチの視線を感じる。

「お前、まだ割り切れてないだろ。
 父親にもう一度会っても仕方ないって、自分で自分に言い聞かせてるだけだろ」
「タイチくんっ!」
「言わせてくれ、カエデ」
「っ……」
「なあ、ヒナタはあんな別れ方で納得できるのか。
 あの時は状況が特殊過ぎたんだ。
 もっと普通の形で再会してたら、結果は全然違ってたはずだぜ」
「…………」

タイチの言葉に煽られて、冷えていた胸の奥が熱を帯びていく。
聞き流せばいいの、無視すればいいの。
そう言い聞かせても、熱は全身に向かって広がるばかりだった。

「ヒナタはもう一度、親父さんに会うべきだ。
 俺の親父は俺の親父の考えがあってヒナタを連れて行くつもりみたいだが、
 ――それとは別の意味で、ヒナタは親父さんに"きちん"と会って話すべきなんだよ」
「……うる……さい」

頭を犯した熱が、怒りに変換される。
止められなかった。
あたしは半ば自棄になって叫んだ。

「勝手なことばっかり言わないでよ!
 あたしがどれだけあの人に会うのを楽しみにしてたか、
 どれだけあの人の言葉に傷ついたか、どれだけあの夜の記憶に苦しめられたか、知らないくせに!
 もう一度会うべきだなんて……タイチにとっては所詮、他人事だからそんなことが言えるのよ!」
言い過ぎた、と思った時は遅かった。
恐る恐る視線を上げる。
怒り。悲しみ。呆然。
果たしてタイチの表情は、あたしが想像したどの表情とも違っていた。
タイチはちっとも動じていなかった。真剣な眼差しも微動だにしていない。
あたしはふと、タイチが恐ろしくなった。
もしタイチがあたしの暴言にショックを受けていれば、あたしが謝ることでこの場の空気をうやむやにすることができたのに。
タイチはきっと、どんなにあたしが酷いことを言っても折れない。
このままタイチと対峙していれば、マサラタウンに帰る気持ちが揺らいでしまう。

「………やだ………」

気付けばあたしは、逃げるように部屋を飛び出していた。

「……タイチなんか嫌いよ。だいっきらい……」

カエデもあたしを引き留めようとしていた裏で、タイチと二人きりになれたことを喜んでいるのかもしれない。
マサラタウンに帰ると言ったときに反対しなかったのも、二人きりで旅が出来ることを見越してのものだったのかもしれない。
そんな最低の想像をする自分が最低だと自覚できないくらい、あたしの頭は憤りと熱に浮かされていた。

――結局、あたしにはピカチュウしかいないのよ。

部屋で待つ三匹のポケモンは、ピカチュウの代わりにならない。
あたしは黄色の温もりを探して、屋敷の廊下を歩き出した。



僕が向かった先、マサキに宛がわれた庵には先客が居た。

「――遠慮せんでええねん――もらっとき――」
「――結構です――俺は――ですから――」

中の様子を窺う。マサキとは別の声音には聞き覚えがあった。
入室を躊躇っていると、影が近づいてきて、障子が開いた。

「ちゃんと覚えとったみたいで感心感心。
 てっきりヒナタちゃんとニャンニャンしてて忘れてるかと思っててんけどな」
「ピィカ、チュウ」

まさか。僕は時間と約束に真摯なポケモンなんだよ。
それに加えて体が疼き始めている。忘れようがない。

「そんならチャッチャと済ませた方がええな。
 っと、その前に先客の紹介まだやった。
 まあ君のことやから声で想像ついてたかもしれへんけど、一応言っとくわ。
 タマムシ大付属病院から脱ける時に助けてくれた――」

マサキを無視して敷居を跨ぐ。
マサキの紹介に与った青年は、目を瞠って僕を見つめていた。

「ピカ、ピーカ、チュ」

君がシステムの追っ手を足止めしてくれたおかげで、僕は無事に(マサキは無事とは言い難いが)この場に辿りつくことが出来た。
改めて礼を言うよ。

マサキが吊り下げていない方の手で障子を閉めつつ、

「しゃあない。ワイが通訳したるわ。
 ピカチュウは君にお礼言うてるんや」
「…………」

青年は硬直したまま喋らない。
マサキの通訳を信用していないのか?
一瞬そう考えたが、どうも違うようだ。青年はぱちぱちと瞬きを繰り返して、

「本当、だったんですね。
 あのサトシのピカチュウ……何度も親父とお袋から聞かされてた。
 ははっ……偶然にしてもすげぇ快挙だな、俺……」

僕の話を両親から聞かされていただって?
青年の顔をまじまじと観察てみたが、僕と接点のある人物の面影は見えてこなかった。
合点がいかない僕に、マサキが可笑しそうに言った。

「実はこの子、ムサシとコジロウの養子やねん」

サカキの別荘で、見舞いに来てくれたムサシとコジロウの台詞を思い出す。

『養子って言っても、孤児を引き取って育ててあげただけよ。
 15の時には自立して、今はボスの下で立派に働いてるわ』
『といっても、育ての親には連絡の一つもよこさない馬鹿息子さ。
 タマムシで元気にやってるって昔の仲間に聞いて、安心するくらいだよ』

「ん、もしかしてもう知っとったんか?」
「ピィ」

存在だけはね。
僕は青年に顔を向けて、

「チュウ?」

君は偶然あの場にいたのか?
それとも誰かの指示であそこに待機していたのか?
マサキが通訳する。

「俺はあのとき、タマムシ大付属病院の周辺を巡回してたんです。
 そしたらドーブルが異変を感じて……」

よく僕たちに追いつけたね。

「職業柄、タマムシの地形は知り尽くしてますからね。
 何にせよ、あなたが無事で本当に良かった。
 しくじってたら、親父とお袋に半殺し食らってるとこですよ」

と言って、青年は笑った。

「ピィカァ?」

君も無事だったようで何よりだよ。
結局、あの後はどうなったんだい?

「騒ぎを聞きつけた警察が駆けつけてきましたよ。
 男はすぐに姿を消しました」

青年は詳細を語らずに、腕時計に目をやって、

「俺、そろそろ行きます。
 マサキ博士、肩の怪我、お大事に。
 ピカチュウ、あなたに会えて良かった。
 親父とお袋は昔色々と縁があったみたいだけど、俺はどうかな。
 ……それじゃ」

最後に僕を一瞥して、去っていった。
足音が十分に遠ざかったのを確認してから僕は言った。

「チュウ?」

死んだんだね?

「やっぱり、分かるか」

僕はこれまでにポケモンを失ったトレーナーを何人も見てきた。
彼は僕と話していたとき笑っていたが、目は深い悲しみを湛えていた。

「ドーブルはポケモンセンターに搬送後、死亡確認されたっちゅう話や」

「ワイはそれ知って、援助を申し出てんけどな。
 案の定振られてもうたわ。
 あの子にはあの子なりの哲学があるみたいや。
 強い子やで、ほんまに。
 血は繋がってへんでも、流石はあの二人の子供ってところやな」

マサキは煙草に火をつけ、それを咥えてから鞄の留め具を外した。
注射器に薬液を吸わせ、外筒を弾く。

「ほな、いくで」
「…………」

マサキの繊細な挙止は、注射針が皮膚を貫いた瞬間を意識させない。
わずかに遅れて、血液を流れる鎮痛剤の冷たさを感じるのみだ。
注射器を片付け終えたあと、自分の吐いた紫煙の行方を目で追いながらマサキは言った。

「今、君が何考えてるか当てたろか」

遠慮しておくよ。

「未来あるポケモンが死んで、先の短い自分が生き存えたことに不条理感じてるんちゃうか」

やれやれ、遠慮しておくと言ったのに。
溜息を吐く僕を余所にマサキは続けた。

「ドーブルが死んだことは、君が心患わせることやない。
 あの子はワイと、何より君をシステムの追っ手から助けられたことを心から喜んでた。
 後でワイが君が入ったボール持ってたこと聞かされて、自分の仕事に誇り持てたとも言うてた。
 これが嘘やないことは、初めて君を間近で見たあの子の反応思い出したら分かるやろ」
「…………」
「あの子はドーブルの死に納得してる。
 せやのに君が後ろめたい思いして卑屈になったら、死んだドーブルが報われへんと思うで」
「……チュウ」

分かったよ。もう、分かったから。

「悪いなあ。説教臭くなってもうて」

いいんだ。君の言っていることは正しい。
ただね、僕は不安なんだ。
死ぬことは怖くない。その気持ちは変わらない。
けど、果たして僕はヒナタに再会すべきだったのかどうか、今ではその自信が揺らいでいる。
"お父さん"という心の拠り所を失った彼女は、僕に依存することで、さらに無防備な状態になってしまった。

「ピカチュウ」

いつになくマサキが冷たい声で言った。

「君がおらんことに慣れてたヒナタちゃんと、今のヒナタちゃんでは、君が死んだ時に受ける感情の落差に天と地ほどの違いがある。
 病院で君は、それを知ってなお、ヒナタちゃんに再会する道を選んだ。
 その代償として、あの子のドーブルは死んだんや。
 今更病院で安楽死しといた方が良かったなんて言うたら、ワイは君を許さんで」