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ビルの壁面を沿うように続く空調ダクトを降りていくのは骨が折れた。
両手両足を突っ張っれる丁度良い広さではあることは確かだが、
とっかかりがないために、いつ手足が滑って落ちてしまいやしなかと心に余裕がない。
フロアに通じる分岐路を見つけは入り込み、現在位置が2Fでないことを確認してから垂直降下を再開すること四回。
僕はモニター越しではない、生の拍手喝采を耳にした。マイクを通したハギノの声も、幽かに聞こえてくる。
それはあのピッピとピクシーが、ポケモンから動物に退化させられたことを意味している。
僕は居たたまれない気持ちになった。

「ピィ……」

ねえ、サカキ。
いったい君はいつ、このレセプションに幕を下ろすつもりなんだい?
このままなにも起らなければ、あと数分もしないうちに、レセプションは終わってしまう。
システムの管理者を拉致できる機会が、水泡に帰してしまう。
僕は半ば諦観しつつ、眼前に展開された網状のレーザーセキュリティシステムを眺めた。
他のフロアと違い、2Fの警備システムは尋常ではなかった。
もし無警戒に直進していたら、即座に警備員が駆けつけてきていただろう。そうなればまさに袋の鼠である。

「――他にご質問は?――」

空調ダクトを伝わる場内の音に耳を澄ませる。

「――BWボールは既に量産体制に入っているのかしら――」

質問はやはり、BWボールに集中していた。
聴衆の中にもBWボールを使うことで人間とポケモンのパワーバランスが崩壊し、
過剰使用の結果として、絶滅する野生ポケモンが現れることを危惧している人間はいるはずだ。
なのにBWの開発に異を唱える者は現れない。
それは単純に周囲から浮くのが嫌だからではなく、BWボールが金になると、誰もが確信しているからだろう。
土建屋は野生ポケモンの妨害によって滞っていた開拓事業の再開が可能になり、
ポケモンディーラーは『安全なポケモンを飼いたい』というニーズに完璧な形で応えることができるようになり、
警察や警備会社は容易にポケモン犯罪を抑制・鎮圧することができる。
だが、現実にはその通りにならないだろう。
BWボールが世の中に行き渡ればそれらの新事業は一過性の物に留まり、かつシルフカンパニーの利潤は小さくなる。
よって、

「――いいえ、残念ながらBWボールは法人・一般共に販売は行いません――」

BWボールは限定された組織に限定された個数貸し出される方式になる、と考えるのが妥当だ。
この日を境に、ポケモンと人の関わり方は徐々に変遷していくことだろう。
土地開発によってもたらされる利便性に両目を曇らせた大衆に、
ポケモンの権利を主張する団体や学者の声は虚しく響き、
そう遠くない未来、人類はブレインウォッシングされていないポケモンを外敵と見なし、
ブレインウォッシングされたポケモンを安全な動物として都合良く扱うようになるだろう。
質問は続く。ハギノが時には的確に、時には曖昧に答えていく。
僕は黙してその遣り取りを聞いているだけだった。
そして。

「――それでは、次の方を最後に、質問を打ち切らせていただきます――」

束の間の静寂。
最後に質問する権利を与えられた男は言った。

「――誠に素晴らしいレセプションでしたな――」

ハギノが戸惑ったように言った。

「――それは……ありがとうございます――」

"サカキ"は喉の奥で転がすような笑い声を響かせて、

「――いや、恐縮するには及ばない。礼を言うのは私の方だ。
 シルフカンパニー社員の諸君、素晴らしい"余興"をどうもありがとう――」

マイクが拡声機能を失い、同時に、幾重にも重なった悲鳴と怒号が聞こえてくる。
僕は反射的に会場の天井に続くダクトを見た。侵入者を阻むレーザーの網は消滅していた。
デプログラムは正常に作動した。記憶媒体の挿入に失敗したのかと心配していたが、杞憂だったようだ。
まったく、随分待たせたじゃないか、サカキ。
ダクトを駆け抜ける。
等間隔に設置された格子から見えるのは暗闇だけで、
2F、もしくはシルフカンパニー全体の電気供給が失われたことが分かる。
場内の人間の怒号と悲鳴は、停電によるものだろうか、それとも――。
想像を振り払う。
いつしか喧噪は収まり、奇妙な静寂が場内を支配しているようだった。
僕は音を立てないよう、慎重にダクトを進んだ。
会場の真上まで辿り着き、格子にそっと顔を近づける。
そして僕は、信じられない光景を目の当たりにした。




「そん、な……」

何が起こったのか、正確に思い出すことができない。
あたしの理解が追いつくよりも先に、あたしの指示がゲンガーとスターミーに届くよりも先に、
フーディンはフユツグの唯一言の命令を、忠実に実行していた。

両手のスプーンが摺り合わされた次の瞬間には、
フーディンは前衛のゲンガーと後衛のスターミーの間に"テレポート"していた。
"念力"でスターミーの体が宙に持ち上げられて、
あたしはゲンガーにスターミーを助けるように指示した。
フーディンは初めから目を瞑っていた。瞳術は効かない。
ゲンガーは陰を滑るように移動して、腕を刃に変形させて斬りかかった。
けれどフーディンは片手でスターミーを束縛したまま、もう片方の手に握っていたスプーンをナイフに変形させて、ゲンガーの刃を受け止めた。
ゲンガーが動揺した隙に、フーディンはスターミーに"サイケ光線"を浴びせかけて、"テレポート"で最初の位置に戻った。
その時何故かフーディンの目は完全に開かれていて、あたしは反射的にゲンガーに"ナイトヘッド"を使うように言った。
フーディンは同時に"金縛り"を発動していた。ゲンガーは身動きがとれなくなり、フーディンは幻覚に襲われて体勢を崩した。
フユツグは「"瞑想"しろ」と最初で最後の追加命令を出した。数秒の瞑目の後、フーディンは正常な意識を取り戻したようだった。
そこで初めて、あたしは瞳術対決に誘われていたことに気がついた。
フーディンとは違って、ゲンガーには自力で状態異常を解除する術がない。
硬直したゲンガーを目の前に、フーディンは両手のスプーンを交差させた。青白い光がスプーンを包み、ゲンガーの体も同じように光で包まれた。
そしてその光が収まるのと同時に、ゲンガーは倒れた。

「今の技が何なのか分かっていないようですね。
 "サイコキネシス"ですよ。戦闘不能は必至だ」
フユツグはこめかみを押さえながら言った。

「だから言った。抵抗は無意味だと。
 キリンリキを倒した時はもしや、と思いましたが、
 あなたに僅かでも彼の能力の片鱗を感じ取った僕の目が間違っていた。
 第一印象は往々にしてその人物を正しく表していることを、再認識させられましたよ」
「どういうこと?」
「僕に与えられた任務は、つい先程まであなたが監禁されていた場所に、あなたを誘導することだった。
 あの部屋の備蓄は見たでしょう?
 何のつもりかは知らないが、上層部はあなたをしばらくの間、あの部屋に監禁するつもりでいたようです。
 僕は初めからあなたをシルフカンパニーに案内しても良かった。
 しかし、あなたが彼の娘であることを知って、好奇心がそれを上回った。
 彼の遺伝子を受け継ぐあなたと、ポケモントレーナーとして対話してみたかった。
 しかし実際に話してみれば、あなたは自分の父親がただ漠然と凄い存在だと知っているだけで、
 彼の能力を自身が受け継いでいる可能性はおろか、彼の能力がどういったものであるのかさえ認識していなかった」

あたしは理解した。
フユツグにとってあたしは、期待外れだったのだ。

「僕が言いたいことを察してもらえたようですね。そう、あなたはあまりに凡庸だった。
 バッジを5つ集めた事実は、あなたが"それなりに"優秀なトレーナーであることを証明しているが、
 所詮、代替のきく100人に1人、1000人に1人の逸材でしかない。最強と呼ばれた彼とは比べものにならない」

熱い何かが頬を伝う。
唇に染みたそれはしょっぱくて、あたしはやっと、自分が泣いていることに気付いた。

「何も泣くことはないでしょう。僕は別にあなたを責めているわけじゃない。
 怨むなら父の血を薄めた母を怨むことです。
 さて、拘束しましょうか。
 何、手荒な真似はしませんよ。あなたも"一応は"彼の娘ですからね」

止めようとしても、止まらなかった。膝をつく。
あたしは今まで、何を自信満々に自分のお父さんの名前を口にしてきたんだろう。
あたしのお父さんがあのサトシなら、あたしにもお父さんと同じ不思議な力が受け継がれていて当たり前。
なのに、あたしには何もない。ポケモンの機微を察することができても、ポケモンの心を読むことなんてできない。
あたしにお父さんの娘を名乗る資格なんて、ない。

―――それは違うよ、ヒナタ―――
―――それは違うな、マスター―――
―――それは違います、ヒナタさん――――

不意に、胸に温かいもの流れ込んでくる。
初めはそれが何なのか分からなくて怖かった。
ピッピと、スターミーと、ゲンガーを順番に見て、やっと分かった。
安心して、嬉しくて、やっぱり涙が止まらない。

「……みんな……ありがとう……」

さっきのような人の言葉は返ってこない。
けど、心は通じ合っていた。
サイコキネシスで意識を乱されたゲンガーの苦しみが分かる。
サイケ光線を浴びたスターミーの痛みが分かる。
両腕を拘束されているピッピの歯痒さが分かる。
あたしは立ち上がった。

「妙な真似はするなと忠告したはずですが?
 体に分からせる必要があるようですね。
 フーディン、"念力"で押さえつけろ」

既視感が襲う。
ずっと前、まだピカチュウと一緒に旅を続けていた頃、オツキミヤマでハギノはエーフィに"念力"を指示した。
対象はあたしだった。怯えて目を瞑っていたあたしを助けてくれたのは、ピッピの"光の壁"だった。
今となっては懐かしい思い出。
手の甲で涙を拭って、フユツグとフーディンを見据える。
フーディンがスプーンを擦る。あたしはちっとも怖くなかった。

「なに?」

ピッピが"光の壁"を発動してくれることを、知っていたから。
どすん、と金属の拘束具が床に落ちる音がする。

ピッピは"指を振って"いなかった。
解放された両手を前に突きだして、一つの技として"光の壁"を発動していた。

「チッ、イレギュラーか」

フユツグがこめかみを押さえながら言う。
うっすらと額に汗が滲んでいるのが見える。

「誤算でした。しかし、修正可能な誤算だ。
 矮小なピッピなど、フーディンの敵ではない」

意識を集中する。
心に温かいもの――ポケモンの意識――が流れ込む。
ピッピは充分に戦える。
スターミーは"自己再生"である程度回復している。
けど、ゲンガーは"サイコキネシス"のダメージが深く、復帰は難しそうだった。
あたしは言った。

「みんな……任せてもいい?」

フユツグはESP能力を使ってフーディンと心を通わせている。
フーディンは戦況に合わせて自分で判断し、時折フユツグの指示を仰ぐ。
あたしはフユツグに比べて、経験も、知識も、圧倒的に不足している。
対抗するにはお父さんから受け継いだこの力で、お父さんの戦い方を模倣するしかない。

「ポケモンに判断を委ねる戦い方は大きなリスクを伴うと教えたはずですが。愚妹の極みですね。
 ESP能力による彼の模倣でさえ、体得するのに数年の時を要するというのに……。
 あなたのそれは彼に対する冒涜にも等しい」

もう何を言われても、心が乱れることはない。
三重の肯定があたしを勇気づけてくれる。
行け、とフユツグが言う。
スターミーが"水鉄砲"を放つ。
ピッピがフーディンに向かって駆ける。その疾さにあたしは目を疑った。
タウリンは確かにピッピの身体能力を強化していた。
でも、反射的な行動は相手に読まれやすい。
しかもピッピは拘束を解かれて嬉しいのか、冷静な判断力を失っている。

「ピッピ、後ろよ」

――だからあたしが、客観的な視点でそれを補う。

ピッピが即座に方向を変えて、何もない虚空に"体当たり"する。
"水鉄砲"が当たる直前、フーディンは予想通り"テレポート"を発動した。
出現先はピッピの目の前だった。
メキ、と鈍い音が響き、フーディンが蹌踉めく。
間髪入れずピッピがフーディンの右手からスプーンを"はたき"落とす。

「退けっ!」

更なる連撃を加える前に、フーディンが"テレポート"でその場を離脱する。

「やれやれ、偶然ほど恐ろしいものはない」

余裕たっぷりの言葉とは裏腹に、フユツグの表情は青ざめていた。

「不用意に近づくな。遠距離から始末しろ」

フーディンがスプーンで中空に円を描く。
スターミーが、"リフレクター"が展開されたことを教えてくれる。
あたしの瞳に映らない情報も、ポケモンの目を通せば視ることができる。
フーディンは次に、"サイコキネシス"を発動するに違いない。
エスパー系最強の技を防ぐには、"光の壁"はあまりに脆い。
技の発動を邪魔するにも、距離が離れすぎている。

―――諦めるにはまだ早いな、マスター―――

心に響いた声に、体が震える。
その声には確かに、暴走状態のゲンガーの名残があった。
―――そう怯えてくれるな、あのヘタレの代わりに俺が出てきてやっただけさ――――

フーディンの体が強張る。

―――あいつは甘い。土壇場で俺の意識の一部を自分の核に移植しやがった―――

見ればフーディンの足許には、影から伸びた黒い腕が絡みついていた。

―――俺が出てくるのは、あのヘタレが気を失っている時か、俺の出現を許した時だけだ―――

ルビーの原石のように暗い赤の瞳が二つ、影の溜まりに浮かんでいる。

―――なに、安心しな。マスターのポリシーに反するようなことはしねえ。あのヘタレに消されるのは御免だからな―――

黒い影が足から胴体へとフーディンを包み込んでいく。

―――これが最初で最後のお喋りになる。じゃあな、マスター。俺は役に立つぜ、少なくともあのヘタレよりは、よ―――

あたしはただ呆然と、第二のゲンガーの言葉を聞いていた。
フユツグの叫び声で我に返る。

「この死に損ないが! 何を手間取っている、フーディン!」

フーディンがスプーンをナイフに変形させて、まとわりついた黒い影を切り刻む。
散り散りになった影は一点に集まり、ゲンガーになった。
動悸が痛い。
けど、今は第二のゲンガーの復活に、動揺している場合じゃない。
ピッピがフーディンとゲンガーの位置に辿り着く。

「ぴぃっ!!」

ピッピがフーディンに飛びかかる。
ゲンガーが両腕を刃に変えて斬りかかる。
スターミーが誤射の有り得ない"スピードスター"で援護する。
強化されたピッピの身のこなしと、ゲンガーの経験則に基づいた体術があれば、エスパー系の技を発動する余裕を与えずにフーディンを倒せる。
あたしはそう思い込んでいた。

「まさかあなた如きにこの技を使うことになるとは……"予知夢"だ、フーディン」

フユツグが壁に手をついて言った。肩で息をしている。

――『こちら側の脳の負荷も、時間の経過とともに増大します。無理矢理回線をこじ開けているんですから』――

あたしはESP能力の代償を思い出した。
けど、ここで手を緩める選択肢はなかった。
スピードスターが リフレクターに罅を入れる。ゲンガの一薙ぎが透明の壁を完全に砕く。
ピッピが飛び跳ねる。フーディンがそれを最小限の動作で躱す。
ゲンガーの刃を受け流し、返す刃で両足を切りつける。
ダメージはなくともゲンガーは影に溶け込むことを余儀なくされる。
ピッピはナイフを"はたき"落とそうとして逆に切りつけられ、
背後から放たれた第二陣のスピードスターは、フーディンにかすりもしなかった。
まるでこちらの動きを全て知っているような挙動。

「無駄、ですよ……はっ…はぁっ……あなたのポケモンの動きは、全て……、予知済みだ……、っ、……」

それを聞いてあたしの心に生まれたのは、諦めではなく、希望だった。

「ありがとう、フユツグ」

フユツグが困惑の表情を浮かべる。あたしはあなたに、本当に感謝しているのよ。
あなたのおかげで、あたしは一回りも二回りも、成長することができた。
強みは弱点の裏返し、とあなたは言ったわ。
完璧な技なんて存在しない。"予知夢"の弱点は、相手の行動を全て予測しているという、その慢心にある。
フーディンがスプーンを逆手に持ち変える。
フユツグの目は最早虚ろになっていた。
フーディンがフユツグを媒介にして喋っているような錯覚に囚われる。

「ククク……"サイコキネシス"の神髄を見せてあげますよ。
 予備動作に時間がかかるのが難点ですが、止められるものなら止めてみるといい」

さっきのサイコキネシスとは比べものにならないほど強い光がフーディンを包む。
あらゆる妨害は読まれている。単純な技の組み合わせでは歯が立たない。
でも――。

「ピッピ、"指を降る"」

果たしてフーディンの未来予知は、発動する側も予測できない技を、予知することができるのだろうか。
その瞬間、あたしと三匹のポケモンは、完全に思考を共有していた。
スターミーが"水鉄砲"で残っていた照明を次々に破壊する。
肥大化したゲンガーが、巨大な暗幕となってフーディンを覆う。
"指を降る"に未来予知は意味を為さない。直接目で見て回避することも出来ない。

「まさか巻き添えにする気か……?
 やめろ、そのゲンガーは瀕死だ! 発動する技次第では蘇生できなくなるかもしれないんだぞ!」
「承知の上よ」

暗幕の外で、ピッピが指を振り終える。

「サイコキネシスはやめだッ! テレポートで離脱しろ!!」

その指示はあまりに遅すぎた。
ピッピがステップを踏む。
そして、

「ぴぃっ!!!!」

渾身の"メガトンパンチ"を暗幕の内側に叩き込んだ。
あたしは信じていた。うーうーが大好きなピッピが、うーうーを傷つけるような特殊タイプの技を選ぶわけがない。
思い返してみれば、ピッピはいつだって"指を降る"で状況を好転させてきた。
ポケモンタワーでゲンガーからあたしを守ってくれたとき、サファリパークでキュウコンと対峙したとき……。
発動された技は決して『最強』の技ではなかったけど、その状況に一番ぴったりな、『最高』の技だった。
フーディンが倒れるのと同時に、フユツグも膝をつく。
あたしはスターミーとゲンガーをボールに戻して、フユツグに歩み寄った。
フユツグは自嘲的に笑って言った。

「あなたが……継承者だったとは………。
 ふ、ふふ……完敗です……これが本物と贋物の差か……。
 もう、僕にESP能力を使う力は残っていない……煮るなり焼くなり、好きにするといい……」
「そんなことに興味は無いわ」
「……あなたを騙し、侮辱した僕が憎くないのですか?」
「あたしはピカチュウを探しにここに来たのよ。
 ねえ、フユツグはあたしのピカチュウがどこにいるのか知らない?」

フユツグはあたしから目を逸らして、

「知りません。ただ……」
「ただ?」
「屋上に行けば、面白いものが見られるでしょう」
「面白いものって何のこと?」
「さあね……僕は詳細を知らされていない。
 決して屋上には近づくなと、上から通達があった。それから推測したまでです」
「そう……、ありがとう」

立ち上がる。
フユツグは何か言いたげな顔であたしを見上げた。
その時、

「ヒナタ! 大丈夫か!?」
「あたしの許可無くやられたりしてないでしょうね?」

黒服を倒したタイチとカエデがやってくる。
二人とも疲労を感じさせまいとしているけど、苦戦したことはポケモンの傷から伝わってくる。
あたしは微笑んで見せた。
それからピッピと顔を見合わせて、ウインクする。
フユツグとの戦いの中で、ポケモンと心を通じ合わせられるようになったことは、今暫く、秘密にしておこう。

「てめえには山ほど聞きたいことがある」

タイチがフユツグの胸ぐらを掴む。
フユツグは抵抗しなかった。

「もういいの。もういいのよ」
「よくねえ。こいつは、この野郎は――」
「だから、いいって言ってるじゃない」

フユツグはただ命令に従っていたわけじゃなかった。
お母さんを唆した男を見つけ出そうと必死になって、
システムの犠牲者が目に入らなくなっていただけだった。

「ねえ、フユツグ。フユツグは少しでもナツメさんの傍にいようとして、
 ヤマブキシティジムの雇いのトレーナーになったのかもしれない。
 でも、月並みな台詞だけど、今の復讐に取憑かれたフユツグを見てもナツメさんが喜ぶとは思えないわ」
「彼女は喜びや悲しみという感情を失ってから久しい」
「もしナツメさんの心が正常だったら、の話よ。
 それに、あたしはこうも思うのよ。ナツメさんはその男に唆されたんじゃなくて、
 自ら進んで、その男に協力したんじゃないか、って。
 その男とナツメさんがどんな関係にあったのかも分からないのに、その男に殺意を向けるのは、間違ってる」
「やれやれ、年下の分際でこの僕に説教ですか」

フユツグは力なく笑った。
そして、ポツリと呟いた。

「しかしそれが彼の娘の言葉とあらば、拝聴の価値はある。……考えておきますよ」

フユツグはタイチの手を振り払うと、壁に背中を預けるようにして腰をおろし、目を瞑った。
ESP能力を酷使したことによる疲労は、相当なもののようだった。
「これからどうするつもりなの、ヒナタ?」

あたしはフユツグから聞いた話を二人に話した。

「屋上か。丁度こいつらがこの階に来る時に使ったエレベーターがそのままだ。使わせてもらおうぜ」
「ちょっと待って。先にピッピの止血を……」

ドレスの裾を裂いて、ピッピの肩の切り傷を縛る。
淡いピンクから乳白色に変わりつつあるピッピの体に、黒い生地はよく映えた。

「ぴぃっぴぃ~♪」

ピッピが嬉しそうに飛び跳ねる。その時だった。
ごうん、と重たい音が空気を震わせる。
見れば非常階段に通じる通路に、厚い鉄の壁が降り始めていた。

「なになに、どーなってんの!?」
「慌てるな、カエデ。これは……防火壁だな。
 しかもこの振動からするに、シルフカンパニー全体で防火壁が作動してるみたいだ」

レセプション当日に限って、火事が起こるとは思えない。
あたしたちを捕まえるため?でも、そのためにわざわざ全部の階の防火壁を降ろす必要があるのかしら?
急に手を引かれて、思考がストップする。

「走るぞ。早くエレベーターに乗り込まねえと、この階に閉じ込められちまう!」

あたしは頷いて、走り出した。