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「鍵は?」とカエデが言った。
「あいつが持ってるかも」

タイチがスキンヘッドに近づこうとしたその時、

「ヒャ、ヒャハハ……ハ……」

スキンヘッドが眼を覚ました。

「抵抗したら容赦なく攻撃するから。本気よ」
「お前のボールの開閉機構は潰してある」

スキンヘッドはさっきのように取り乱さなかった。
背中を壁に預けたまま、狂ったように笑っていた。

「鍵はどこ?」
「ヒャハ、ハハ、ねえよ、ンなもん」
「本当のことを言って」
「初めからねえんだよ、ヒャハ、どうしても外したきゃ、力任せに壊すしかねぇ。
 拘束具の中の腕がどうなるかは知らねえけどなァ、ヒャハハ」
「この野郎……!!」
「タイチ! 待って!」
「ヒナタ、でも、」
「こいつの言うことに乗せられちゃダメ」

冷静になれば、解決策が思い浮かぶはず。

「ぴぃ」

弱々しい声であたしを呼ぶピッピ。
閃きは意外と早く訪れた。

「ピッピ、"小さくなる"のよ」
「ヒャハハ、そいつはやめとけ。俺もグロい光景は見たくねェからな」

そしてその分、その閃きは一瞬で消えてしまった。

「小さくなれば拘束具を抜け出せると考えたのかもしれねェが、
 残念ながらそいつはポケモンのサイズに合わせて締まるように出来てる。
 加えて、一度締まったが最後、広がることは二度とねぇ。
 "小さくなる"を解除した時にどんな悲惨なことになるか想像してみやがれ」
閃光。
空気が揺らめく。
空調が存在理由を失うほどに、熱気が部屋に充満する。
バクフーンを従えて、タイチはスキンヘッドに歩み寄った。

「拘束具を外す方法を教えろ」
「脅しのつもりか? 坊やがどれだけ粋がったところで、
 ねぇものはねぇし、外せねぇものは外せねぇんだ。諦めな」
「……ッ」

あたしは自分の無力さを呪った。
ピッピはあれから泣きもしなければ暴れもしないけど、心の内の葛藤は計り知れない。
自分のお父さんやお母さんが、すぐ近くで弄ばれて、苦しんでいるのに、
自分は拘束具に囚われて、しかもそれが外れる見込みがない。そんな状況にいるピッピに、あたしは何もしてあげることができない。
カエデがピッピの拘束具に触れて言った。

「外から壊すのもダメ、小さくなって抜けるのもダメ、
 内側から壊せばピッピの腕は無事で済むけど、自力で外すのはピッピの力じゃ不可能よね……」

その時、あたしの意識裡にチラつくものがあった。
拘束具は小さいながらにも頑丈で、普通のピッピの腕力で壊せるような代物じゃない。
でも、その腕力を、延いては身体能力を増大させることが出来れば、
想定以上の負荷を与えて拘束具を壊せることができるのではないか。
あたしはバッグを探って、奥の方から目当ての物を取り出した。
タブレットケースはバクフーンの炎を反射して、目映い橙色に輝いていた。
「ヒナタ、それってまさか……!!」

カエデはすぐにこれが何なのか気付いたようだった。

「どうしてあんたがそれを持ってるのよ!?」
「あの後、バッグの中を見たら、入ってたの。
 あの男の人、詐欺師じゃなかったみたい」
「どうして黙ってたの?」
「だってカエデが知ったら捨てられると思ったから……」

タマムシシティの路地裏であの男の人と対峙したとき、
カエデは禁止薬物に対して、嫌悪感をむき出しにしていた記憶がある。
実は薬をもらっていたことを告白したら、
「偽物かもしれない」だの「法に触れるからダメ」だのなんだの言われて、処分されそうで嫌だった。

「あんたねー、手に入っちゃったモンを捨てろなんてあたしは言わないわよ。
 むしろあの時の二万が無駄にならなくて良かったわねって喜ぶに決まってるじゃない」
「すまん、話の内容が見えないんだが」
「あ、タイチくん置いてきぼりにしてた。
 話すと長くなるから入手した事情は割愛するけどー、実はこの子が持ってるこれ、タウリンとリゾチウムなの」
「マジなのか?
 そういう薬物はもう何年も前に生産が中止されてるはずだ。
 なんでヒナタがそれを……って、事情は聞いちゃダメなんだったな」

あたしはピッピの近くに屈み込んで、

「今はこれが合法か違法かなんてどうでもいい。
 ピッピ、よく聞いて?」
「ぴぃ?」
「この注射を打つことで、その錠を自力で外せるだけの力があなたに備わるかもしれないの。
 痛いけど、我慢できる?」
「……ぴぃっ」

ピッピは大きく頷いた。
あたしはタブレットケースから注射器を取り出して――、

「ちょっと待って、ヒナタ。
 あんた注射の経験あるの?打たれる方じゃなくて、打つ方の」
「あ」
「あ、じゃないわよ。どうせあんたの知識なんて、打つ前に針の中の空気を抜いておく、くらいでしょ」

図星だった。

「ちょっと待ってなさい」

カエデはおもむろに泡を吹いて倒れていた偽医者をたたき起こし、

「あんた、一応は医者なのよねえ?」
「ふぁ、ふぁい?」
「注射器くらい扱えるかって聞いてんの!」
「で、できる。できます!」

その手にタウリンがたっぷり詰まった注射器を握らせた。

「血管外したら承知しないから」

冷や汗を垂れ流して震える男とは対照的に、ピッピはじっと目を瞑り、注射針が皮膚を貫くその時を待っていた。
オツキミヤマで出会った頃のこの子なら、大泣きして暴れていたんだろうなと思うと、成長したピッピが嬉しい反面、少し寂しくもあった。
針がピッピの皮膚に埋没し、ピストンが押し込まれ、薬液がゆっくりと注入されていく。

「よ、よし。終わったぞ」
「どうもありがとう」

カエデが一瞬、この部屋にやってきた時と同じような妖艶な笑みを浮かべて、

「ぐふっ」

偽医者を昏倒させる。
あたしはピッピに尋ねた。

「どう? 体に変化はない?」
「ぴぃ……?」

外見は繕っていても、本当は痛かったのだろう、
目の端っこに浮かんだ涙を見て、抱きしめたくなる気持ちをあたしはなんとか押さえ込みつつ、

「こう、なんというか、内側から力が溢れてくるような感じはしない?」
「流石に気が早すぎないか。タウリンのことは俺もよく知らねえけどさ、
 注射してすぐに効き目が現れたりはしないだろうよ」
「そ、そうよね」

ピッピは今しばらく、この錠に行動を制限されることになる。
カエデが明るい調子で言った。

「とにかく、いったんここを出ましょ?
 あのハゲとこのおっさんにはもう何も用がないし」
「そうだな。増援がこないとも限らない」

あたしはピッピを抱え上げた。
そして踵を返し、ドアに手をかけた瞬間、

「ヒャハハ、この時を待ってたんだ。
 てめえらが俺に背を向ける、この時をよォ!!」

乾いた炸裂音があたしの耳朶を震わせた。



「お前、あんなのが開発されてること、知ってたか」
「いいや……初耳だ」

僕の真下でモニターを眺めている社員が呟く。
テクニカルタームが八割を占めるおおよそ来場者の理解を求めているように聞こえないハギノの説明が終了し、モニター内の聴衆は緘黙していた。
BrainWashingボール。それがBWボールの正式名称だった。
動物とポケモンを隔てる主因たる『特殊能力』、すなわち『技』を封殺する、人間の切り札。
このボールに捕らえられたポケモンはみな闘争本能を失い、人に従順な愛玩動物に成り下がる。
『技』は使えなくなるのではなく、使い方を完全に忘れてしまうだけ。だから洗脳。
それが長広舌の要約だった。

―――ふざけるな。

僕は激情に任せて放電しそうになるのを抑えなければならなかった。
聞いた後でさえこれなのだから、ハギノが語っている間、どれだけ僕の忍耐力が試されたかは語るまでもないだろう。

「それではこのピッピとピクシーを使って、ボールの効力を御覧に入れましょう」

ハギノが朗々と語る間も、デプログラムが発動する気配はない。
僕は失敗したのか?
それともデプログラムに問題があったのか?
デプログラムは動作しているが、電力供給を停止させる時間が未だ訪れていないだけなのか?
サカキは僕に任務を与えたが、その全容は明らかにしなかった。
ブリーフィングの時はあえて尋ねなかったが、それが今となっては惜しい。
僕はさして迷わずに、モニターの声を拾える位置から、先に進むことを決めた。
一つはレセプションが実際に進行している2Fに赴くため。
そしてもう一つは、これからポケモンとしての尊厳を失う二匹の悲鳴を聞くのが、僕にとって耐え難い苦痛になりそうだったからだ。



銃声にも似たその音は、しかし、銃弾を伴ってはいなかった。

「っう、ぁあぁぁっ、あぁぁあぁぁっ!!」

火薬の匂いと。
スキンヘッドの悶絶と。
ひしゃげた黒い鉄の塊と。
有り得ない方向に折れ曲がった指と。
それらの要素は如実に、スキンヘッドが拳銃を取り出して引き金を引こうとした刹那、
銃身が爆発したことを物語っていた。

「大人しくしてりゃ良かったのにな」

タイチが吐き捨てる。
あたしはスキンヘッドの近くに立ち上る陽炎を見た。

「タイチが守ってくれたの?」
「やったのはバクフーンだけどな。
 相手が銃を持ち出したら、火薬の発火点まで銃を温めてやれ、ってカレンさんに教わったんだ。
 まさかこんなところで役に立つとは思ってなかったぜ」
「タイチくんすっごーい。あいつは自業自得よねー」

三人とも個室から出たのを確認して、
カエデがパウワウに言った。

「"冷凍ビーム"で扉を固めて」
「ぱうっ」

扉の隙間が氷で埋め尽くされる。
試しにタイチがドアノブに手をかけたけど、

「うおっ、冷てぇ!」

一秒と掴んでいられなかった。
これで少なくともシルフカンパニーを探索する時間くらいは、スキンヘッドと偽医者を閉じ込めておくことができる。
二人は怪我をしていたけど、あの個室には色々と物が揃っていたから、応急処置をするには困らないはず。
そういえば監禁されていた時は意識していなかったけど、あの個室には生活に必要な物がたくさんあった。
短期間なら外に一歩も出ずに生活できるくらい。
普通、社員の福利厚生のために、そこまでするかしら。
小さな疑問を胸に、あたしたちは医務室から廊下に出た。
廊下は来た時よりもさらに静まりかえっていた。

「妙に静かだな」

とタイチが言った。

「あれだけドタバタすれば誰か気づきそうなもんだが」

発砲音が近くで鳴って、異常を感じない人間はいない。
けど、このフロアから逃げ惑う人々の騒ぎは聞こえなかった。
そこから導き出される結論は一つ。

「誰かがこのフロアから離れるように、誘導したのね」
「ご明察です、ヒナタさん」

三つの人影が、廊下のエレベーター側から近づいてくる。

「一足遅かったようですね。
 僕はあなたたちを過小評価していました。
 雑兵といえど彼らもシステムの人間です。
 それを下したことは誇りに思ってもらってもかまいませんよ」

先頭の男は少し距離を置いて立ち止まり、
敵意の欠片も感じ取れない優しい微笑みを浮かべて見せた。
フユツグだった。

「フユツグ、てめぇ、俺たちを騙してやがったな!?」
「騙すとは人聞きの悪い……と言いたいところですが、
 この期に及んで言い訳するつもりはありませんよ。そう、僕は裏切り者だ」

その一言で、あたしはそれまで繋ぎ止めていた一縷の願いを切り離した。
フユツグは協力者なんかじゃなかった。
あたしとタイチをシルフカンパニーに誘い込むための仕掛け人だった。
あたしたちを騙していた時のフユツグの言葉が、どこまで真実でどこまで虚構なのかは分からない。
けど、あたしに親身にしてくれた行動の全てが、演技だったことは疑いようもない。

「なに? ヒナタもタイチくんも、あの人のこと知ってるの?」

フユツグが言った。

「昨日までの友人ですよ」

すかさずタイチが言い返す。

「俺はお前と出会った時から一度だってお前に心を許した覚えはねえよ」
「そうですか、悲しいですね。
 しかし彼女……ヒナタさんはどうでしょう?」
あたしは一歩後ずさった。
フユツグは眼鏡を左手でクルクルと回しながら、

「ヒナタさん、僕はできるならあなたを傷つけたくない。
 あなたにも成し遂げなければならない目的があるように、
 僕にも成し遂げなければならない目的がある。
 ここであなたたちが抵抗したところで、いたずらに拘束時間が延びるだけです。
 どうか降服して、大人しく捕らえられてもらえませんか」

優しい声が芽生えかけていたあたしの敵意を削いでいく。
でもあたしは知ってしまった。
丁寧な言葉遣いの裏には、計算し尽くされた権謀が秘められていることを。

「いやよ」
「なぜ? 抵抗は無意味だと言っているでしょう」
「フユツグは今、あたしにもフユツグにも、それぞれ成し遂げなければならないことがある、って言ったわよね」
「確かにそう言いましたが」
「それは間違いよ。
 あたしはピカチュウを本気で助けたいと思っているから、ここにいるの。
 フユツグは違う。ただ命令に従っているだけじゃない」
「動機の重みが違うと、そう仰りたいわけですか」

不意にフユツグは眼鏡を回すのをやめて、
手の中に眼鏡を掴んだまま、握りつぶした。

「甘えるな」

いつの間にかあたしの目の前から、フユツグはいなくなっていた。
そこにいたのは感情の欠落した表情で溜息を吐く、システムの人間だった。
「本気で誰かを助けたい? だから何だ。
 感情の強みで我が通ると思うな」
「……………」
「おっと、すみません。僕としたことが取り乱してしまいました」

表情に感情が戻り、フユツグが戻ってくる。
その光景はフユツグが剥がれ落ちた仮面を拾い上げ、もう一度はめ直すところを連想させた。

「ありがとう、フユツグ」
「礼を言われる覚えはないのですが?」
「今のでやっと、あなたのことを敵だと思えるようになったわ」

ゲンガーとスターミーを解放する。
背後で、カエデもポケモンを全て解放したようだった。

「あんたが誰だかはしんないけど、
 ヒナタの敵はあたしの敵ってことで、倒させてもらうわ」

タイチが言った。

「バクフーンの攻撃翌力を甘く見るなよ」
「確かに正面からでは少々不利ですね。
 ……回り込め、ツインズ」
「「御意」」

フユツグの背後にいた二人の黒服が同時にボールを展開する。
鳥をモチーフにしたこけしのようなポケモンは、あまり目に優しくない色をしていた。
黄緑の体毛に埋もれた小さな目が、ギョロリと一回転してあたしたちを見据える。

「回りこめって、ここは一本道だぞ。そんなこと出来るわけ――」
「「ネイティオ、"テレポート"だ」」

ツインズと呼ばれた黒服が、一瞬にしてあたしたちの背後に出現する。

カエデが黒服の二人組を警戒しながら小声で言った。

「どうする、ヒナタ?」
「分担を決めましょ。
 一人がフユツグと、二人が黒服の二人組と戦うの」
「よし、じゃあ俺がフユツグと――」
「待って。フユツグは、あたしに戦わせて」
「本当にそれでいいのか? お前、フユツグと全力で戦えるのか?」

あたしは断言した。

「出来るわ」

タイチはまだ何か言いたそうな顔をしていたけど、結局は首を縦に振ってくれた。

「分かった。じゃあそっちは任せるぜ。
 カエデ、俺たちはあの黒服共を叩くぞ!」
「りょーかい、タイチくん」

タイチとカエデに背中を預けてフユツグと向き合う。
微笑みは不気味な嘲笑に歪んでいた。

「作戦が決まったようですね。
 ……屈服させろ、キリンリキ」

閃光。
現れたポケモンはとても奇妙な形をしていた。
動物のキリンを小さくしたような体躯に、首と同じくらいの長さの尾がついていて、先端は丸く膨らんでいる。
横から見れば左右対称に見えそうで、しかし黄色と黒の二色に分かれた体毛のおかげで、前半身と後半身が見分けられるようになっていた。

「あなたを拘束する前に、忠告しておきます。
 これは正式なポケモンバトルではない、よって僕はあなたに危害を加えることを厭わない。
 ご承知済みのことだとは思いますが、一応ね」

フユツグはキリンリキの胴を撫でながら言った。

「"サイケ光線"」
「ゲンガー、躱して接近して!」
「躱すのは大いに結構ですが、射線上に自身がいることをお忘れなく」

ハッとした次の瞬間、スターミーがあたしの正面に体を投げ出していた。

「スターミー!!」
「やはりまだ公式バトルのルールに縛られているようだ。
 いや、それ以前にヒナタさんが未熟なのか……。
 負傷したポケモンにかまけて命令待機中のポケモンを等閑にするのは未熟者の証ですよ」
「"シャドーパンチ"よ、ゲンガー!」
「そう、それでいい。
 ポケモンは体力が残っている限り、介抱のあるなしに関わらず勝手に立ち上がるのですから。
 キリンリキ、"高速移動"だ」

一発、二発、三発……。
シャドーパンチが当たらない。

「ゲンガー、ここは一度、影に隠れて!」
「良い判断です。しかし甘い。"フラッシュ"で炙り出せ」

眩い閃光が影という影を駆逐し、ゲンガーの躯がくっきりと浮彫になる。

「"踏みつけ"てやれ」

キリンリキが後ろ足を振り下ろす。

「うーっ!!」
「ゲンガー! そんなっ、どうしてノーマルタイプの技がゲンガーに――」

「あまり僕に呆れさせないでくださいよ、ヒナタさん。
 ゴーストポケモンは至近距離から強い光を浴びると実体化を余儀なくされる。
 対ゴーストポケモンの基本戦術でしょう」

軽蔑の入り交じった言葉に、返す言葉が見つからない。

「キリンリキ、止めを刺せ」

キリンリキが身を反転させて、前脚でゲンガーを踏みつける。
ゲンガーは霊と毒、二種類の属性を持っている。
至近距離からエスパータイプの技を受ければ、瀕死は免れない。

「させない。スターミー、"水鉄砲"!」

背後からの攻撃に、キリンリキは回避か防御の二種類の選択を迫られる。
あたしはそう思い込んでいた。

「反らせろ」

高圧水流が軌道を変えて、壁面を浅く傷つける。
キリンリキには水滴一粒かかっていない。

「"光の壁"も"リフレクター"も使っていないのに、どうして攻撃が当たらないのか分からない、という顔をしていますね。
 タネを明かせば単なる"念力"の応用ですよ。
 ポケモンの特殊能力は攻撃技にカテゴライズされているものでも、応用次第で防御に転用することができる。
 しかもキリンリキには第二の頭脳がある。
 今ならあなたの方から見ることができるでしょう?
 尻尾の丸みに刻まれた目と口が。
 僕のキリンリキに背後からの不意打ちは無意味だ」

フユツグは饒舌だった。
あたしにポケモンの戦術を説くのが愉しくてたまらない、そんな様子だった。
悔しかった。
でも、不思議と耳を塞ぎたい気持ちにはならなかった。
それはポケモントレーナーを志す前に通っていた学校で、
意地悪だけど授業は分かり易い教師と対峙した時の気持ちとよく似ていた。

「スターミー、もう一度、"水鉄砲"を撃って」

フユツグには気取られないよう、一瞬だけ、天井に視線を移す。
「結果は同じだというのに、あなたも成長しませんね。
 それではポケモンが可哀想だ。キリンリキ、反らせろ」

発射された高圧水流が、最初の時と同じように、キリンリキに命中する直前で反れる。
反れた水流はまたしても壁面を抉り、そのまま天井にあった『照明』を破壊した。

「ゲンガー!」
「うっうー!!」

明かりが消えて深まったキリンリキの影に、ゲンガーが同化する。

「小賢しい真似を――"フラッシュ"で炙り出せ!」
「二度も同じ技を食らうもんですか。"シャドーパンチ"!」

一刹那疾く放たれたゲンガーの拳が、真下からキリンリキを殴り飛ばす。

「深追いはせずに、距離を取るのよ!」
「うー」

フユツグはあくまで冷静だった。

「一発もらったか。立てるな、キリンリキ?」

キリンリキもダメージを表情に出さずに立ち上がる。
その僅かな時間を、あたしは追撃の指示に費やさなかった。
この長い廊下で、キリンリキはスターミーとゲンガーに挟まれている。
けど、二つの頭脳を持つことで、正面と背面のどちらから攻撃を受けてもそれを迎撃することが出来る。
たとえ片側から攻撃されても、もう片側からは決して"目を逸らさない"―――。
あたしの頭に閃くものがあった。

「なぜ追い打ちをかけなかったんですか?
 まさかキリンリキが体勢を立て直すのを待っていた、とでも?」
「違うわ」
「………?」
「考えていたのよ。あなたのキリンリキを倒す方法を」

「それはそれは。さぞかし鮮やかな着想が得られたのでしょうね?」
「もちろんよ。スターミー、スピードスター!」
「考えた結果がそれですか? "念力"で弾き飛ばせ」
「念力は確かに厄介だけど、これならどうかしら」

スピードスターが壁を反射しながら、様々な方向からキリンリキを襲う。
一つ二つを反らせても、全部を同時に反らすことはできない。

「チッ、"高速移動"で躱せ」
「躱すのは大いに結構だけど、射線上に自分の体があることをお忘れなく」

乱反射した光弾がキリンリキの背後、フユツグに向かう。
これであたしは、ついさっきの台詞をそのまま返した形になった。
仄かに見えた勝機に興奮しているのが、自分で分かる。
そこに相手トレーナーを直接攻撃することによる罪悪感が付けいる隙はなかった。

「知恵を付けましたね。しかし、僕が生身でこの場に立っているとでも?」

硬い音が響き、スピードスターが消滅する。
フユツグの正面には予め"リフレクター"が張られていたのだろう。

「反撃に移らせてもらいましょうか。
 キリンリキ、"サイケ光線"でスターミーから始末しろ」

そしてその言葉をフユツグが発した瞬間、あたしの勝利は確定した。
キリンリキがスターミーを正面に据えるために向きを変える。
同時に、キリンリキの背面、つまり尻尾の目がゲンガーと直線で結ばれる。
フユツグは焦る様子のないあたしを不審に感じたのか、

「目を閉じろ!」

と鋭く指示を出した。
けど、それよりも速くあたしが言った「"黒い眼差し"」で尻尾の両目は見開くことを余儀なくされていた。
あたしは言った。

「"催眠術"よ、ゲンガー」

ぐらり、とキリンリキの四肢が支える力を失う。
スターミーは指示するまでもなく水鉄砲を噴射していた。
キリンリキはカーペットを乱しながら、フユツグの近くに転がった。
脳裡に、アヤやハギノのポケモンに対する酷い扱いが浮かぶ。
けれどフユツグは戦闘不能になったキリンリキを淡々とボールに戻して、俯き、肩を震わせ始めた。

「そうだ。そうでなくては」

フユツグは笑っていた。

「やられましたよ、ヒナタさん。
 背後からの奇襲に対応できるということは、背後からの攻撃を"認識"できなければならない。
 強みとは弱点の裏返しでもある。
 ここで一つ仮定の話をしてみましょう。
 もしあの時、僕が咄嗟に"サイケ光線"の目標をスターミーからゲンガーに切り替えていたら、どうするおつもりだったんですか?」
「そのたとえは有り得ないわ。
 "サイケ光線"を撃てるのは、キリンリキの正面からに限られているんだから」

あの切迫した場面で、前後の向きを入れ替える余裕は無かったはず。

「そこまで洞見されていましたか。感服を禁じ得ませんね」
「最初にゲンガーが止めを刺されかけたときのことを思い出して、不思議に思ったのよ。
 尻尾にも頭脳があるのに、サイケ光線を撃つときにわざわざ正面から向き合うように反転した理由が何なのか、ずっと考えてたの。
 多分キリンリキの尻尾にある頭は、第二の目となって後ろを警戒したり、単純な迎撃をしたりすることしかできない。違う?」
「その通りです。キリンリキの第二の頭脳はその小ささ故に複雑な思考が出来ない。
 いやはや、彼の娘という肩書きは伊達ではありませんね。
 惜しむらくはその勝利が二対一によるものだということですが……」

フユツグの肩の震えが止まる。

「さて、第二回戦といきましょうか」

懐から現れるは、傷だらけのハイパーボール。
あたしはそのボールの傷の付き方に見覚えがあった。

「待って、フユツグ。
 戦う前に、あなたに聞いておきたいことがあるの」
「何ですか?」
「フユツグのお母さんは……、ナツメさんね?」

フユツグのアルカイックスマイルが引き攣り、

「何を根拠にそんなことを――」
「ヤマブキシティに来てから昨日までのフユツグは、あたしやタイチを信用させるための、演技だったのかもしれない。
 でも、あたしを色々なところに案内してくれた時に、ナツメさんが心を病んだ理由を話すフユツグを見て感じたの。
 いつでも余裕があって、冷静なフユツグだったけど、」

――『例え精神の異常が超能力者の宿命であったとしても、その時期を遅らせるよう、努力すべきだったんです』―― 

「その言葉だけは本気だった。
 ナツメさんがそんな風になってしまったのは、逆算すれば、ちょうどフユツグが子供の頃だわ」
「それさえも演技の一つだとしたら?」
「あたしがそう思う理由は、まだあるの。
 ねえ、気付いてた? フユツグは誰にでも丁寧な言葉遣いをしていたけど、
 ナツメさんを呼ぶときだけは、呼び捨てにしてたのよ」
「………」
「最後に、そのハイパーボール。
 その傷の付き方、あたしがお父さんから受け継いだ、ピカチュウのモンスターボールのそれに、そっくりなの。
 だから、」
「黙れ」
顔を上げたフユツグは仮面を忘れていた。

「僕の母親は殺された。僕が子供の頃にね」
「えっ、でも、ジムにはナツメさんが、」
「あれは、あの女は僕の母親なんかじゃない。ただの廃人だ」
「フユツグ……?」

フユツグの表情には鬼気迫るものがあった。

「正直に言えば、あなたと話していると非常に苛々させられましたよ。
 ポケモンに会えなくて悲しい、父親に会えなくて悲しい。
 求める相手があるだけマシだということに何故気付かないんですか?
 僕の母親は、まだ僕が物心もつかないうちに気が触れたんです。
 訳も分からない男に唆されてね。超能力の酷使は、彼女の発狂の刻限を早めた。
 彼女はそれを知りながら、幼い僕にとって母親という存在が永久に失われてしまうと知りながら、その男に荷担したんです」

「狂った母が恐ろしくなった父は早々に逃げ出しましたよ。
 もっとも、僕も引き留めもしませんでしたがね。
 僕は孤児院に入れられ、ナツメの息子という肩書きは過去のものとなった。
 しかし、彼女の能力の一部は受け継がれていた。
 僕は幼い頃からエスパーポケモンを自在に扱うことができた。
 ある時知らない男が孤児院にやってきて、僕を引き取ると言った。
 もしその男が現れなければ、僕はきっとただポケモンの扱いに秀でた人間として終わっていたでしょう。
 僕はシステムに救われたんです」

――『俺はシステムに救われたんだ』――
スキンヘッドの言葉とフユツグの言葉が重なる。

「システムのやり方に、疑問は感じないの?」
「なぜ疑問を感じなければならないんです」

フユツグは即答した。

「僕はシステムのヒエラルヒーをのし上がるために任務をこなすだけだ。
 システムの任務に犠牲はつきものです。いちいち犠牲者を気にかけている余裕などない」
「どうして普通のポケモントレーナーとして生きる道を選ばないのよ」
「システムには僕が求める情報があるからです。
 僕の母を精神的に殺したのは、裏社会の暗渠を這い回る鼠のような男だ。
 その男の情報を手に入れるには、システムで高い地位に就くしかない」
「その男の情報を手に入れて、その後はどうするの?」

無表情に、自然な笑みが描かれる。

「殺すに決まっているでしょう?」

背筋に悪寒が走る。
今の一言で分かった。
あたしがどれだけ説得の言葉を連ねたところで、
フユツグが積み重ねてきた復讐の念を解かすことはできない。
ましてやシステムに対する無条件の服従に、疑問を感じさせることなんてできっこない。

「昔話はもう充分でしょう」

閃光。現れたポケモンはあたしの良く知る旧種のポケモンだった。
ケーシィからユンゲラーを経た最終進化形態。念力ポケモン、フーディン。
フユツグは唯一言、フーディンに告げた。

「――制圧しろ」