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「だから発電所で偶然お前に会った時はマジでびっくりしたな」

とタイチは笑い混じりに言った。
タイチの話を聞いているあいだに、あたしの頭はすっかり冴えていた。

「あの時は、キャタピーにびびってた情けない俺を忘れたままでいてほしい気持ちと、
 もしかしたら俺と友達になったことを……あの冒険を思い出してくれたらいいなって気持ちが半々だった。
 ま、結局ヒナタは親父の話通り、完璧に俺のことを忘れてくれてたわけだが」

それは、あたしがタイチと一緒に家を抜け出して、森に入って、キャタピーに囲まれて、
見知らぬトレーナーに助けられて、気を失うまでの経緯を聞かされた今でも変わらない。
あたしの瞼の裏にはちっともそれらにリンクした映像が立ち上がらなかった。

「こうやって一緒に旅出来る今では、その方が良かったと思ってるんだ。
 あの頃俺たちはまだ子供で、攻撃的なキャタピーの群れとか、
 お前を救った炎の壁とかは、結構怖いものとしてお前の目に映っていたはずだ。
 わざわざ思い出して怖い思いする必要はねえよ。思い出し損だ」

お母さんもシゲルおじさまも、あたしが二度も怖い思いをすることはないと思って、あたしに何も教えなかったのだろうか。
でもそれなら、

「……それならタイチは、どうして今になって、あの時のことを詳しく話す気になったの?」
「お前だけには、本当のことを話しておこうと思ってさ」

本当のこと?

「今の昔話に、嘘が混じってたの?」
「嘘は混じってない。実は親父とカスミおばさんに黙ってたことがあるんだ。
 落ち着いた後で、カスミおばさんはヒナタを助けてくれた人の特徴を俺に訊いてきたんだが、
 ガキの記憶力なんてたかが知れてる、俺の拙い情報でその人が見つかるわけもなくて、結局お礼はできなかった。
 けれどそれから何年かして……俺はパソコンの画面の中に、そのトレーナーを見つけ出したんだ」
「ポケモンバトルの修行の格言に、上手いバトルを見て技術を盗め、ってのがあるだろ。
 俺は親父がジムリーダーだから、好きなだけトキワジム挑戦者と雇いのトレーナー、或いは親父との戦いを観察できた。
 けど……こんなことを言うと贅沢かもしれねーけどさ……やっぱり何度も見てると飽きてきて、他のポケモンバトルも見たくなってくるんだよ。
 親父も雇いのトレーナーもポケモンは固定だからな。
 そこで俺は親父のパソコンにこっそりアクセスして、アーカイブから過去のポケモンリーグ中継動画一年分を拝借することにした。
 ランカークラスのバトルは想像してたよりもずっと凄かった。
 そしていよいよ決勝の時になって、俺は昔ヒナタを助けてくれたトレーナーを見つけたんだ」

……まさか。
不意に、胸が苦しくなる。
あれほど会いたかったお父さんと、あたしはずっと昔に会っていた……?

「画面の中のそいつの髪は真っ黒で、ぴしっとしたスーツを着てて、落ち着き払っていた。
 やがてそいつはリザードンを召喚した。羽がところどころ破れてて、全身が古傷だらけのリザードンだ。
 俺はそこでほぼ確信した」

タイチはそこで一度言葉を切り、

「ヒナタを昔助けたのは多分、お前の親父だ」

タイチの言葉で現実感が増す。同時に、大量の疑問が生まれる。
あたしが質問するのを見透かしていたかのように、タイチは釘を刺した。

「でも、"絶対"とは言えねえ」
「えっ……」
「俺はその人の顔の造形と、リザードンの外見的特徴が、お前の親父……サトシの顔の造形と、サトシのリザードンのそれと似ているから、そう思った。
 俺がヒナタと冒険した時の年齢と、その頃の記憶力を考えたら、ただの思い違い、勘違いってこともあり得る。
 この話を親父やカスミおばさんにしなかったのは、これが理由なんだ。
 お前の親父の話は、なんつーか、親父やカスミおばさんの前ではタブーでさ。
 いや、別にしてもいいんだけど、空気が重くなるっつーか、あまり好ましくない雰囲気になるんだよ。
 それにもし本当にお前の親父だったとして、辻褄が合わねえところが多すぎたし、
 その辻褄合わせができるほどガキの俺は賢くもなかった。
 だから俺はその発見を誰にも話さなかった。
 いつかヒナタがその記憶を取り戻して、それでも自分を助けてくれたトレーナーに心当たりが無い時に、この話をしてやろうと思ってた」 
あたしは知らず、髪がぐしゃぐしゃになることも厭わずに、頭を強く押さえていた。
幼い頃の自分を呪う。
ばか。
どうして気を失ったりしたのよ。
もし恐怖に目を瞑ったりしないでいたら、あたしはお父さんを間近で見て、話して、記憶に留めることができたのに。

「どうしてお父さんは、あたしを置いていなくなっちゃったのかな」

せめてお母さんやシゲルおじさまが来るまで見ていてくれてもよかったのに。

「どうしてお父さんは、戻ってきてくれないのかな」

忙しくて長くマサラタウンに留まれないないなら、たとえ一年に一日顔を見せてくれるだけでもよかったのに。

「勝手、すぎるよ」

会いたいよ、お父さん――。

「泣いてんのか?」
「なっ、泣いてなんかないっ!」

これじゃあ「はい」と言ってるようなものだ。
それでもタイチはからかいも慰めもせずに、淡々と言ってくれた。

「ま、いつかきっと、ヒナタの溜め込んだ気持ちを全部はき出せる時が来るだろ。
 お前がお前の親父に向かって、これまでほったらかしにした理由を訊ける時が」

本当にそんな時が来るのだろうか。
来るとしても、それはいつになるんだろう?

「いつになるかは分からねえけど、そう遠くない未来に、親父さんの手がかりは見つかるぜ」
「どうしてそんなことが言えるの?」

あたしの憂いを察したのか、声を弾ませてタイチは言った。

「どうしてもなにも、俺も協力してやるからさ。
 ピカチュウが拉致られる前は、セキエイのコンピュータを調べるために、ポケモンリーグ優勝を目指してたんだろ?
 二人でリーグ優勝を狙えば可能性は倍じゃねえか。
 ピカチュウを取り戻した後は、ちゃちゃっとバッジ集めて、上位ランカーになって、リーグ優勝すりゃいいのさ」
「タイチ……」
「流石に喋り疲れたから寝る。
 明日は俺が自主的に起きるまで起こさないでくれ。
 フユツグから連絡が来るまでに寝溜めしておきたいんだ」

早口でそうまくし立て、わざとらしく寝返りをうつタイチ。
照れ隠しのつもりなのかしら。

「ねえ、待って」
「…………」
「あたし、タイチの昔話聞いても、タイチが何も出来なかったことを聞いても、タイチのことを情けないなんてちっとも思わなかったよ」
「…………」
「だってタイチはそれから何年も経った後で、あたしを何度も、危ない目から助けてくれたじゃない。
 それに……それにね……、」

あたしのお父さん探しに協力してくれるって言ってくれて、すっごく嬉しかった。
ピカチュウを助け出した後もタイチと一緒に旅が出来ると思ったら、すっごく安心したのよ。
こんなこと言ったらあんたが調子に乗るのは目に見えてるし、
あたし自身恥ずかしいから、絶対口には出さないけどね?



「順調に回復しているようで何よりだ」

そりゃどうも、とペルシアンの通訳を経て僕は答えた。
サカキは今日も今日とて仕立てのいいダブルのスーツを着ていた。
暑くないのだろうか、と不思議に思い、何十年とこの服に慣れ親しんだ彼にその疑問は野暮だな、と思い直す。

「ピカ、ピカチュウ?」

随分とこの前の面会から間が空いたね?

「私も組織の統轄で多忙なのだ。
 無論、その内容をお前に語る気はないが」

別に聞きたくないよ、ロケット団解体後の内情なんて。
……ちょっと興味はあるけどね。

「さて」

とサカキは近くの椅子に深く腰掛け、ペルシアンを足許に侍らせた。

「約束だ。お前の疑問に答えられる範囲で答えてやろう」

僕は尋ねた。

「ピカ、ピカー?」

ここの精確な所在地を答えてくれ。

「七島という諸島群は知っているな?」

僕は頷く。その名の通り七つの島からなる列島で、カントー地方から定期船が出ているはずだ。

「ここはその諸島群の一つ、五の島のリゾート地区にある私の別荘だ」

道理で日夜問わず快適な気温・湿度で、天気も安定して晴れているはずだ。
この建物はその気候を前提とした場所に建てられているのだから。
それにしても、木の葉を隠すには森の中とはよく言ったものだ。
この島では隠れ家も別荘と呼び名を変えられるし、
別荘のオーナーであるサカキもたくさんいる富豪のうちの一人でしかない……。

「ピィカ、チュ?」

この島に定期便は一日に何本やってくるんだ?と僕が尋ねると、

「よもや脱出でも考えているのか?」
「ピカ」

監禁された時のことを想定して、一応ね。
隠しても無駄なので正直に告白すると、サカキは唇の端を歪めて笑った。

「案ずるな。お前の自由は保障してやる。
 それに元々この別荘にはお前が元いた場所ほどの上等な牢がない。
 初めに言っただろう、ここはリゾート地区に建てられた保養所なのだと」

そして律儀に質問にも答えてくれた。

「観光客の増加に伴い定期便の数は増えている。
 天候にも左右されるが、大抵は日に六本程度だな」
「ピカ」

ありがとう、参考にさせてもらうよ。脱走する機会はないだろうけど。

「さて、前座に興じている時間の余裕はない」

サカキが雰囲気を変える。

「お前が真に尋ねたいことは何だ」

所在地の確認も一応必要ではあったんだけどね。
まあ確かに、この質問と比べれば前座扱いも仕方ないか。僕は尋ねた。

「チュウ、ピカ、チュウ」

すかさずペルシアンが翻訳する。

「ピカチュウを監禁していたあの組織について、詳しく知りたい、と言っていますニャ」

「システムを語るにはポケモンと人の交わりの原初から歴史を紐解かねばなるまい」

システム?
僕はその言葉のイントネーションから、それが単なる"機能"という意味以上の意味を持っている、
或いは、一つの固有名詞として使われていることを推察する。
次いで、僕があの施設から脱出した際に、ムサシとコジロウのどちらかが、
「システムの連中が追ってきている」などと言っていたことを微かに思い出す。

「この情報を知る者は私と、私が信頼を置く幹部のみだ。
 システムに関する情報は機密なのだ。それは何も"私の組織"に限ったことではない。
 この世に存在するあらゆる組織、機関、団体の一握りの、上層部だけが知る真実だ。
 それをお前に話してしまうことに抵抗はないが……フフ、これは前例のないことだろうな。
 正直に言えば、私が全てを話し終えた時点で、お前がポケモンという立場からどういった感想を抱くのか、非常に興味深い」

僕のような一介のポケモンに最高機密を明かす決意をしてくれてどうもありがとう。
それでその「システムと」いうのは、一体全体、何なんだ?

「巨大な管理機構、と説明するのが最も適当なのだろうな。
 ポケモンと人間の共生社会を統轄し、監督し、補正し、保持するのがシステムの役割であり、存在意義だ。
 実を言えば、システムという名は便宜的に付けられたものだ。
 その組織に正確な呼び名はない。私が知らないのではない。初めから無いのだ。
 表社会にその存在が漏れることは有り得ない。
 情報は即座に揉み消される。言論の自由の象徴とされるインターネットにも奴らの手が回り、徹底的な情報操作が行われている」

そんなことが可能なのか。

「可能だ。何故ならこの情報化社会の枢軸となる企業には、遍くシステムの息が懸かっているのだからな。
 ある時、システムの影を追ったフリーのジャーナリストがいた。
 数日後、彼は重篤な記憶障害に陥って路上に立ち尽くしているところを警察に保護された。
 言わずもがな、システムの連中に処理されたのだ。殺されなかっただけマシだった、と言える」

僕はサカキの言葉から導き出される一つの事実に驚愕していた。
サカキは指を組み合わせ、そこに視線を落としながら、

「誰もシステムには逆らえない。
 それは表社会の正規企業や勇気ある個人に限った話ではない。
 フフ、俄には信じられんだろうが、かつて栄華を極めた私のロケット団も、システムの管理下にあったのだ」
「ピ……ピカチュ……」

君たちは……必要悪だったのか……。

「その通りだ。ロケット団という悪の"記号"はシステムにとって使い勝手の良い調整装置だった。
 大衆の注意を惹きつけてシステムの存在を目立たなくさせ、
 同時にポケモンの捕獲、売買を行って、人為的にポケモンの個体数を増減させていたのだ。 
 私はその真実を、かつてはロケット団のボスであった臨床の母から聞かされた。
 当時の私は他の無知蒙昧なロケット団構成員と同じように、ロケット団は悪事に手を染めた人間の逃げ場であり、
 社会不適合者が価値を見出される自由な組織なのだと信じ切っていただけに、その真実を受け入れることができなかった。
 しかし、受け入れざるを得なかった。数日後に母が他界し葬儀が終わると、私はすぐに母の後継者として、ロケット団を束ねなければならなかった。
 システムの指示を受け、いかに自然な悪事に見せかけて、中堅・末端構成員を踊らせるか。
 私は"真実"を知る、母の腹心であった最高幹部の何名かの協力を仰いだ。
 いつしか私は彼らの協力を必要としなくなり、システムにも一目置かれる存在となった。
 その頃には、私は一種の満足感を得ていた。
 システムの言いなりになっていると知りながら、これが正しいロケット団の在り方なのだと自分を納得させていたのだ」

だが、とサカキは愉快げに逆説を口にする。

「一人の子供が現れて、私の価値観を粉々に破壊していった」
「ピカピ……」

サトシ……か。

「そうだ。奴は幾度に渡り私の計画を邪魔してきた。
 ポケモントレーナーとして経験の浅い奴をひねり潰し、トレーナー生命を絶つことは容易かった。
 幹部クラスのトレーナーを数名宛がえばそれで終わりだ。
 だが、何故か私は奴を放置した。見て見ぬふりをしていた。
 今から思えば、私は怖かったのだ。奴はあまりに無垢だった。
 ポケモンを悪事に利用し、真実を知ってシステムの奴隷となってからは完全に物として見ていた私に、
 奴は私が初めてポケモンに出会った頃の記憶を呼び起こさせた。
 私が育て上げたポケモンを全て打ち負かした後で奴が語った言葉は、私が何十年も前に置き去りにした、ポケモンを愛することを思い出させた」

僕は目を丸くする。
まさか冷酷非道が身上の君の口から、そんなに優しい言葉が飛び出すなんて思いもしなかったよ。

「くっくっく、お前でもそうなのだから、
 当事者の私がどれほど自分の変化に困惑したかは、想像に難くないだろう?
 それから私がどうしたかは、世間に報じられている通りだ。
 ロケット団内部からの反発や、システムからの警告、それら一切を無視して、私はロケット団という組織を解体した。
 バカバカしくなったのだ。
 私が母の跡を継いでからというもの、私はずっとシステムに疑念を抱いていた。
 人とポケモンの共生社会を繁栄に導く方法で、何故人とポケモンが悲しみ、苦しまなければならないのか。
 システムがロケット団を隠れ蓑にし、その正体を公にせず、影役者に徹する理由とは何なのか。
 私は元ロケット団員の中から優秀かつ信頼のおける人材を引き抜き、
 様々な形で裏社会の需要に応える事業を展開しながら、システムについて情報を集めることにした」 

いくらサカキに求心力、統率力に優れ、元ロケット団員の助けがあったとはいえ、
システムに睨まれないよう再び裏社会で基盤を作るまでには、相当な苦労があったことだろう。

「私が知る中で、システムほど不透明な組織は他にない。
 当然、調査は困難を極めた。だが、いかにシステムの防諜能力が秀でていようと抑制できないものがある。
 人間の感情、即ち、システムへの不満だ。
 私はそこに目をつけた。システムの差配によって不利益を被ることになったシンジゲートの幹部と接触し、
 不良在庫を処分を引き受ける見返りとして、システムの内情を探るよう依頼した」

その、不利益を被ることになったシンジゲートというのは?

「ポケモンの能力アップを専門に研究・開発を重ね、タマムシシティを中心に事業を展開していた企業の集合体だ。
 一昔前に法改正が行われ、ほとんどの製品の生産中止をやむなくされた。
 製造に携わっていた人員の解雇や、製造工場の閉鎖、大量の不良在庫の処理……連中が受けた打撃は凄まじかった」

勿論、その法改正にはシステムが関わっているんだろうね。
君の組織が不良在庫の処分を引き受けたというからには、当然、そのシンジゲートが被った損害の補償もシステムは行わなかったわけだ。
サカキは頷き、

「だがしかし、ロケット団のような孤立した組織と違い、シンジゲートやコングロマリットといった巨大組織に対しては、システムもある程度は慎重な対応を見せる。
 例えば企業のトップが参加するカンファレンスには、システムの人間が直々に出席する。
 そして私は、その機会を狙えば、システムの派遣員から情報を引き出せると考えたのだ。
 結果的に、その目論見は成功した。
 が、得られた情報は決して芳しいものではなかった」

どうやって情報を吐かせたのかは聞かないでおくとしよう。

「システムの全体像を把握しているのは極一部の人間のみ。
 末端は与えられた役割を粛々と果たすだけだ。余計な情報は与えられない。
 例えるならば、システムという機械を形作る歯車といったところだな。
 システム上層部の人間は、通常、一纏めにすればいい仕事をわざと細分化し、
 それがどのような影響を社会にもたらすのか、末端に悟らせないようにしている」
「ピィ……ピカチュ?」

しかし、何かしら得るものはあったんだろう?

「勿論だ。その男を徹底的に絞り上げた結果、
 システムの一員になるまでの経緯と、今日までにこなしてきた仕事の概要を聞き出すことができた。
 調べたところ、その男の経歴は実に華やかだった。
 幼少の頃からポケモンの扱いに長け、
 ポケモン遺伝子工学を専攻、タマムシ大学遺伝子工学科を次席卒業。
 某製薬会社で勤務する傍ら、遺伝子治療の研究を続けて7年目の春に、差出人不明のメールが届く。
 そこにはその男が持つコネクションの範囲で聴取可能なある情報を仕入れろと記されていた。
 見返りは破格の報酬だ。男は、当時予測されていた不況に備える小金稼ぎのつもりで、その依頼を承諾した。
 支払いは完璧だった。味をしめた男はそれからも従順に仕事をこなし続け、
 やがて大企業のトップが参加するカンファレンスのオブザーバーを務めるようになった……ということだった。
 そして、仕事の中には他の人間と連携するものがあり、その時その男は、
 システムに引き抜かれる人間は、誰もが何か一つの分野を極めているということに気付いたそうだ」

サカキは語りながらベッドテーブルにある水差しから隣にあったガラスのコップに水を移す。

「予測していたことではあったが、私は驚いた。
 システムがいつ創設されたのかは現時点でも定かでないが、
 もし男の話が正しければ、この世に名声を轟かせた世界の偉人・賢人の幾人かは、
 システムにその能力を捧げていたということになる。
 男が言うには、システムが最も欲している人材は、ポケモンを自在に駆ることのできる優秀なトレーナーらしい。
 システムに不服を示す組織と交渉が決裂した時、或いはフリーのジャーナリストに嗅ぎ回された時。
 最もスマートな解決方法は暴力で相手を黙らせることだ。
 話し合いとは潤沢な時間と金があって初めて成立するもであり、どちらかが欠けたが最後、必ず泥沼化する。
 かつてのロケット団に実働部隊が存在したように、システムにも汚れ仕事を請け負う実働部隊が存在する。
 構成員の大部分は、ポケモンリーグで不正を働き追放された悪質トレーナーや、
 ポケモンを使用して凶悪犯罪を犯した、元服役囚――実力は相当だろうが、まったく、システムも見境が無い」

溜息を吐いて、コップの水を飲み干すサカキ。
確かに、そんなゴロツキたちの統率が取れるのか疑問だね。

「統率はとれているらしい。
 強い者が弱い者を従える。実力主義という奴だな。
 もっともその男にポケモンバトルの才は無く、実働部隊に直接関わる機会はなかったようだが……。
 男が語った仕事の内容は、先に言った通り、それ単体では何を目的としているのか推測できないものばかりだった。
 結局私はシステム上層部の情報を何も聞き出せないまま、その男を返さざるを得なかった。
 長期間の拘留はシステムに怪しまれる可能性があったからだ」

いやいや、待ってくれ。
システムに返せば、君に色々と尋問されたことがすぐにバレてしまうじゃないか。

「その男は何も覚えていない。私はエスパーポケモンの使い手であるナツメに協力を依頼した。
 当時の彼女にとって、薬で見当識がぐらついている大人一人の記憶を弄ることは、簡単なことだった」

よく彼女が元ロケット団首領である君の願いを聞き入れたな。

「フフ、私は悪の組織の首領であり、同時にトキワのジムリーダーでもあったのだ。
 裏の顔を見せている時は強い風当たりも、表の顔を見せている時は和らぐというものだ。
 それにナツメも私と同様、システムの暗躍に不信感を抱いていた。
 それから私はシステム構成員の疑いがある人間を片端から調べ上げ、確証を得た時は拉致し、
 情報を吐かせ、ナツメに記憶を修正して元の生活に送り返す作業を繰り返した。
 気の遠くなるような作業だったが、私は五年かけて、十何人かの構成員から情報を引き出すことに成功した。
 作業は順調に思えた。しかしある時ナツメが精神を病み、その方法は使えなくなった」

ナツメが精神を病んだ……? そんな話、僕は一度も……。

「世間に公表されていないのだから当然、お前が知るはずもない。
 原因はエスパーポケモン使いの宿命とも言える、脳の過剰負荷だ。誰の責任でもない。
 ナツメという協力者を失った私は、別の方法を考えねばならなかった。
 ナツメの代わりを探す道もあったが、ナツメほど繊細かつ緻密な記憶操作が可能なエスパーポケモン使いもいまい。
 私は熟考の末、二重スパイを使うことにした。
 だが、既に構成員となった人間は「ポケモンと人間の共生社会の監視」というシステムの高尚な文句を信じ切っているか、
 選民意識に酔っているかのどちらかで、籠絡するのが難しい上に、二重スパイに寝返る可能性もある。
 そこで私はスパイの養成に向けて、一足早い段階から手を打つことにした」

なるほど。
予めシステムにスカウトされそうな人材に唾を付けておいたのか。

「そうだ。
 才能の卵からとりわけ将来性のあるものを選び出し、システムの情報を仕込み、
 もしそれらしき連絡があれば、私に伝えるよう指示した。
 これは賭けだった。私が選んだ人間にシステムが興味を示さない可能性は多いにあった。
 しかし、私の人選の目は確かだった。
 私はシステムという堅牢な組織に、三人ものスパイを送り込むことに成功したのだ。
 が、前途は多難だった。三人のスパイのうち、一人は実働部隊員の補佐役に、
 一人は諸般のフィールドワークに、一人はポケモンが有するESP能力の研究に配属された」

下積みから始まったのか。
システムにもヒエラルヒーはきちんと存在しているというわけだ。

「ああ、まったくもってその通りだ。
 先に言った通り、構成員の横の繋がりは皆無に等しい。
 必要以上に干渉しないよう、命令されているからだ」

恋愛なんてもっての他だな、と僕が冗談を言うと、サカキは薄く笑って続けた。

「無論、下手に横の繋がりを持とうとすれば怪しまれる。
 私は三人に、とにかく最初はシステムという組織における地位を向上することに全力を注ぐよう指示した。
 元々才能は保証されているのだ、数年の歳月が過ぎ、三人はそれなりの肩書きを得た。
 一人は実働部隊の精鋭として一目置かれるようになり、
 一人は実地調査を行う側から管理する側へ異動し、
 一人はESP研究の功績が認められ、遺伝子研究の精粋とも言える秘密研究施設に臨時配属となった」

その秘密研究施設というのが、僕が囚われていたところ、と考えていいのかな。

「そうだ。お前がどれほどあの施設で自由を許されていたのか知らないが、
 その一人と顔を合わせていても不思議ではない。何しろ奴の上司はマサキなのだからな」

僕の脳裡に、マサキに窘められていた哀れな青年の姿が浮かぶ。
まさか彼が? いや、考えるだけ無駄だな、彼の顔の造形は殆ど覚えていないし、例え本当にそうだったとしても、得るものがない。

「心当たりがあるのか?」
「ピィカ」

何でもない。続けてくれ。
「地位が向上すれば、枠からはみ出た行動も多少は認められるようになる。
 三人の精力的かつ密やかな情報収集により、システムはようやくその全貌を覗かせ始めた。
 「人間とポケモンの共生社会の監視」という標語は、概ねその通りに実行されている。
 通常、摘発から法の裁きにかけられるまで莫大な労力と時間を要するポケモンを乱獲・殺害する組織も、
 組織の実働部隊の手に掛かれば、二日三日で壊滅する。腰の重い国家権力より余程頼もしく思える。
 また、独善的な道徳観念を振りかざされ中止に追い込まれたクローン研究も、
 システムの庇護の下では気兼ねなく行うことができる。これも一見は迫害される科学者を憂慮し、援助しているように思える。
 だがしかし、私はこれらのプロジェクトの影に、何か巨大な陰謀が潜んでいるように思えてならんのだ」

根拠は?

「直感だ」

僕の記憶が正しければ、君はどんな状況でも冷徹に論理を優先する人間だったと思うんだけど。
サカキはペルシアンの翻訳を意に介せず言った。

「不審な点がいくつかある。
 システムはポケモンと人間の繁栄を謳いながら、
 それとは関係ないように思える行動を起こしている。
 代表例を挙げれば、先に言ったポケモンの能力を永続強化させる薬物の取り締まりや、
 ジムリーダーが管理するバッジの能力の弱体化だな」

へえ。ヒナタが初めてバッジを得た時に不思議に思っていたが、そんなことにまでシステムが関与していたとはね。

「私は根気よく三人からの報告を待った。
 三人が寝返ったり、スパイ活動がシステムの情報員に露悪したりはしなかった。
 まあ、その三人にはシステムが出す報酬の倍を渡してやっていたのだから、当然と言えば当然だな。
 そして私は今から丁度八ヶ月前に、興味深い情報を得た。
 システムは今まで調和と安定を第一に優先してきていたが、近い将来、
 ポケモンと人の在り方に変革を起こす計画が企てられているという噂があると、スパイの一人は語った。
 私は初め、その情報を見逃していた。
 だが、他のスパイから寄せられる情報を組み立てていくうちに、私は一つの仮説を立てるようになった。
 ミュウツーが創られた孤島の再調査、
 グレン島で秘密裏に行われているクローン技術の実質的な完成、
 強化骨格を媒介してポケモンを自動制御する構想――。
 システムはMⅡ研究の再開、そしてクローン技術の応用によるMⅡ量産を企てているのではないか、と私は考えたのだ」

そして僕の報告を以て、その仮説は立証された。
残念ながらな、とサカキは唸る。

「ピカ、ピーカ?」

でも、予め分かっていたなら、何故ミュウスリーの完成を阻止しなかったんだ?

「しなかったのではない。出来なかったのだ。
 システムに真っ向から刃向かうなど、全盛期のロケット団でも無謀というものだ。
 その残滓である小さな組織で、一体どれだけのことが出来ると思っている?」

じゃあ、君は何も出来ないと知りながら、あくせく情報を集めてるのかい?

「それも違うな。私は時期を待っているのだ。
 確かに真正面からの対決では分が悪い。あっという間にひねり潰される。
 が、背後からの奇襲、とりわけ狙う相手がシステムのトップであれば、可能性は見えてくるだろう」

サカキは不敵な笑みを浮かべて言った。

「近日、ヤマブキシティのシルフカンパニー本社2Fにおいて、新型特殊ボールのレセプションが執り行われる。
 クライアントのみならず、各界の著名人も招待される大掛かりなものだ。
 そしてその参加者の中に、システムのトップ――管理者が紛れているという情報があるのだ」

管理者?

「これもシステムと同じように、便宜的に名付けられたものだ。
 といっても、システム構成員のほとんどは、管理者という呼び名を使っているようだがな。
 管理者がレセプションに参加する目的は不明だ。
 単純に新型ボールの性能に興味を示したからか、システム傘下のシルフカンパニーの監督のつもりか、或いは私の想像の及ばぬ計画のためなか。
 それは分からん。が、管理者が公の場に姿を現すのは、私がシステムを追い続けて十年余り、初めてのことだ」

捕縛する、つもりなのか。

「そうだ。これは出来る、出来ないの問題ではない。
 ミュウツー、いやミュウスリーを量産し、制御する……システムがその先にどんな構想を描いているのかは知らん。
 だが、どんなに科学技術が進歩しようとも、奴を制御することは不可能だ。
 私はそれを知っている。何故なら私は過去に一度それを試み、失敗しているのだからな。
 ミュウツーに高度な自我が生まれたように、ミュウスリーにも同じものが生まれるだろう。
 そうなれば、人間の道具となる可能性は万に一つも有り得ない。
 仮に奴を深い微睡みに導き、その躯だけを傀儡にするとして、どれほど巨大な演算・制御装置が必要になると思う。
 たった一体を動かすために、それだけの代償が必要なのだ。
 数十体のミュウスリーを同時に動かすなど、現在の科学技術では到底不可能というものだ。
 制御に失敗した個体が未だ微睡みの中にあれば、回収するだけで事無きを得るだろう。
 しかし、もし制御が解けた瞬間に覚醒すればどうなる?」

答えるまでもない。
僕とサカキは、人類への復讐に取り憑かれたミュウツーをよく知っている。

「ミュウスリーの暴走は人類史に深刻な出血を強いるだろう。
 だから私は、是が非でもシステムの構想を打砕かねばならんのだ」

しかし実際問題、管理者を人質にとったとして、システムが取引に応じるだろうか。
首を挿げ替えられれば人質の意味はなくなるし、
もし取引に応じたとして、その後、MⅢ計画が再発しないという保証もないだろう。

「何を勘違いしている。私が欲しているのは、管理者の身柄ではなく、奴の頭に入っている情報だ。
 捕縛した後は自害されぬよう厳重に管理し、自白剤で全てを吐かせた後、解放する」

僕は「なるほどね」と聞き流したが、
審問が終わった頃、管理者の精神が崩壊していることを想像し、僅かに寒気を覚えた。

「システムが唯一怖れているのは、その存在が大衆に知れ渡ることだ。
 私がシステムの者に暗殺されたところで、私が遺したあらゆる情報媒体が消えて無くなるわけではない。
 取引終了後、システムが少しでもMⅢ計画を再開させる素振りが見えれば、
 私の遺志を引き継ぐ者がシステムの存在を世間に公表するだろう」
「チュウ、ピカチュ」

君は本当に変わったな。

「私は何も正義感に燃えているわけではない。
 私と同じ過ちを犯そうとしている人間を、見て見ぬふりは出来ん。
 それだけだ」

サカキはやおら立ち上がり、ペルシアンを一瞥して言った。

「システムの話は以上だ。
 他の質問はまた後日、シルフカンパニー潜入当日のお前の配置を伝える時に聞こう。
 それまでは精々リハビリに専念しろ。中庭を貸してやる。
 リハビリ相手には、有閑を持て余している屋敷内の部下を使うがいい」

ああ、ありがとう――って、今君は何かおかしなことを言わなかったか?

「リハビリ相手が部下のポケモンでは不足か?」

いや、もう少し前だ。

「他の質問はまた後日、シルフカンパニー潜入当日のお前の配置を伝える際、一緒に聞くと言ったはずだが?」

そう! そこだよ。
何故僕が君の計画に荷担することになっているんだ。

「ふむ、お前と私の間に、齟齬が発生しているようだな」

サカキは物憂げな口調とは裏腹に愉快そうな表情を浮かべて言った。 
「お前には管理者の捕縛に一枚噛んでもらう。これは既定事項だ」

僕は首を横に大きく振って、

「ピカ、ピーカ!」

認めないぞ。確かに君には助けてもらった恩があるし、
システムとMⅢ計画の深刻さも理解しているが、
僕にはまず、ヒナタに会って、彼女を安心させる義務があるんだ。

「ほう。私の命令を無視し、ここから脱出すると?」

残念だけど、そうなるね。

「冷静になれ、ピカチュウ。
 この屋敷から一歩でも外に出たが最後、お前は野生ポケモンだ。
 ヒナタという娘の居場所を探す手がかりをどうやって得る?
 それ以前に、まずどうやってこの五の島から脱出する?」

ぐうの音も出ない。
僕とコミュニケーション出来る人間は極々限られている。
サカキとこうやってスムーズに会話出来ているのだって、ペルシアンの存在あってこそだ。
ポケモンが誰の手も借りずに、現在位置を刻々と変えるトレーナーを探し出せる可能性は零に等しい。
「ようやく自分の置かれている立場を理解したようだな」

初めからこれが目的だったのか。

「老いてなお、お前は貴重な戦力だ」

君に少しでも心を許した僕が愚かだったよ。

「そう悲歎に暮れるな。
 私はお前にチャンスを与えてやろうと思っているのだ。
 かつての主と再会するチャンスをな」

言葉よりも先に、耳がぴくりと反応する。

「管理者には当然、護衛が付く。
 それも管理者の顔を知るほどに信頼され、かつ咄嗟の戦闘にも反応できる最高のトレーナーが配備されるだろう。
 三人のスパイのうち、一人は実働部隊の精鋭であると言ったな。
 その一人の報告によれば、今から約十五年前、実力主義の実働部隊に配属後、
 異例の早さで昇進し、システム要人の護衛を常任するに到った少年の逸話があるそうだ。
 約十五年前、ポケモンリーグ制覇後、防衛戦を除いて公の場に姿を見せず、
 永世の名を冠されてからは完全に姿を眩ましたお前の元主と、符号する点がいくつか存在すると思わないか?」

サトシはシステムの一員となるために、過去を捨てた。
考えられない話ではなかった。
あの施設にいた頃、マサキは言っていた。

『年がら年中、こんなとこで研究を続けて、死亡説が流れたりしたら大変やろ。
 ま、ここにはそれでもいい、っていう研究者もおるけどな。
 ワイは違う。表社会で築いた名声や、居場所をいつまでも残しときたい、欲張りなんや』

サトシもマサキと同じ気持ちだったのだろうか。
カスミを捨て、カスミのお腹の中にいたヒナタを捨て、それでもポケモンリーグの栄冠だけは捨てられなかった。
そして永世の名を得たと同時に未練も消え、完全に姿を眩ました。そういうことなのか。
でも、システムの構成員のほとんどは、表の仕事とシステムの仕事を両立させているとサカキは言っていた。
どうしてサトシは表の世界に見切りをつけなければならなかったんだ?
システムのことを隠しながらカスミやヒナタと暮らす道だってあったはずなのに――。
感情が昂ぶる。それを見計らったかのようにサカキは言った。

「今一度訊こう。私に協力するか?」

僕は先程とは正反対の言葉を口にした。