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ゲンガーは答えなかった。

「どうして無視するのよ?」

いつもみたいに「うーうー」言いなさいよ。
あたしは怒ったフリをして、ゲンガーが困ったように鳴くのを待った。
けれど、ゲンガーの視線が――その源の赤い瞳が、
服従を忘れ、暗い光を宿していることは明らかだった。

雲が夕月を完全に隠す。
西の空を赤く染めていた夕陽も、つい数分前に山の端に隠れてしまっている。
夜が、訪れようとしていた。

あたしが動揺して言葉を失っているうちに、ゲンガーが自然の影に同化していく。

「待って、ゲンガー! 勝手に戦ってはダメ!」

形振り構わず叫んでみても、反応はなかった。
声が届いていないの?
それとも、届いた上で、無視されているの?
エリカさんは眉根を寄せて、

「躾が行き届いていないようですわね」

あたしにそう言い放ち、次いで、ラフレシアに命令した。

「"痺れ粉"の濃度を高めつつ、第二撃目の"ソーラービーム"を充填しなさい」

再び、花片の中心に燐光が収束していく。
その間にラフレシアは身を振って、目に見えるほど濃い"痺れ粉"の幕を張った。
あたしにはこの後の展開が、手に取るように解った。
ゲンガーはラフレシアに接近できない。あの濃さの"痺れ粉"では、少し吸い込んだだけで全身麻痺してしまう。
かといって手を拱いていても、ラフレシアは時間をかけてソーラービームを充填し、
何らかの索敵技を使ってゲンガーのだいたいの位置を特定、その後、掃射を行うことは目に見えている。

「………ッ」

やっぱりエリカさんとあたしとでは、経験の違いがありすぎたのよ。
相性の良い炎タイプのポケモンでもいない限り、勝てっこない――。

ふいに、花畑の真ん中に赤い光が灯る。
姿を眩ましたかに見えたゲンガーは、あろうことか、ラフレシアの正面に現れていた。

「馬鹿ッ! 直撃を受ける気なのっ!?」

ラフレシアが体を傾ける。

――今度は目を閉じたりしなかった。

花片が角の緩い五角形に展開する。

――ゲンガーは微動だにしない。

収束していた光の粒が糸になり。

――ただ、ラフレシアをひたすらに見つめて。

光の糸が、光の束になって。

――その瞳が、ゲンガーの背中越しにでも解るほどに、眩しいフラッシュを焚いた。
瞬間、白の閃光が花畑を薙ぎ払う。
続いて、地面が削り取られる轟音が響く。
その凄まじい威力を目の当たりにして、しかし、ゲンガーはまったくの無傷だった。
ソーラービームが逸れていたからだ。

「何故……? どうかしましたの、ラフレシア?」

エリカさんが気遣うように声を掛ける中、
あたしはラフレシアに起こった異常に気づいていた。
あのラフレシアは、ソーラービームを外したんじゃない。
――ゲンガーが、視えていないんだわ。
だってその証拠に、ラフレシアのつぶらな瞳は、さっきから焦点を結んでいない。

あたしはポケモン図鑑を取り出して、
ゲンガーが使用した技を調べてみた。

「――――ナイトヘッド――――恐ろしい幻を相手に視せる攻撃――――」

あたしは自分の予想が、二重で外れていたことを知った。
ゲンガー……。
ラフレシアは攻撃を外したわけでも、あなたが視えていないわけでもない。
あたしやエリカさんには視えない、幻覚に踊らされているのね?

14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/11/09(日) 21:53:07.86 ID:IdqylF5X0
ゲンガーが誰ともなしに頷く。
するとラフレシアは、まるで牧羊犬に追い立てられた羊みたいにおどおどした様子で歩き始めた。

「止まりなさい。"痺れ粉"の有効範囲から出てはなりません」

ラフレシアは言うことを聞かない。
そこでやっと、エリカさんはラフレシアがゲンガーに誘導されていることに気づいたようだった。

「なんてこと……。
 ソーラービーム充填直前の一刹那に、
 あの子の意識を籠絡したと言うんですの……?」

一歩、また一歩と、ラフレシアがゲンガーに近付いていく。
その体はもうとっくに、"痺れ粉"の幕外に出てきていた。
あたしは言葉の届かないゲンガーに、心の中で呼びかけた。
ねえゲンガー。あなたの瞳術、凄いわ。
あたし、あんなに動揺したエリカさんの声を聞くの、初めてよ?

「目を覚ますのです! 今すぐゲンガーから離れなさい!」

エリカさんの呼びかけも虚しく、
ラフレシアはとうとう、ゲンガーの目の前まで近付いてきた。
蹌踉めく手足。
だらしなく垂れ下がった、五枚の花片。
――もう、勝ちは決まったようなものだわ。

「ゲンガー、"催眠術"で眠らせるのよ!」

あたしは無意識に、そう命令していた。

出し抜けにゲンガーが振り返る。反応してくれた!
そう喜ぶ暇もなく、赤い瞳に射竦められる。
視線が語っていた。

"水を差すな"

喉元に刃物を押し当てられたような錯覚がした。

あの腹の立つニタニタ笑いはどこにいったの?
あの聞くだけで力の抜ける、間抜けな鳴き声は?
――あたしの知ってるゲンガーは、どこにいっちゃったの?

ゲンガーを形作る影の密度が高まるのが、遠目にも分かった。
緩慢な動きで、腕が引かれる。
その先には無防備なラフレシア。

「お待ちになって!」

エリカさんが筒袖からボールを取り出す。
でも、彼女の指がボールのスイッチに触れるよりも先に――。

鈍い音がフィールドに木霊した。

ラフレシアの太めの体が放物線を描く様子は、何かの冗談のようだった。
赤くて厚い花片が、花畑に沈む。
あの打撃を受けてなお、ラフレシアは力を振り絞って、起き上がろうとしていた。
でも、音もなく影を移動したゲンガーが、それを許さなかった。

再び、殴打。鈍い音が響く。ラフレシアが吹き飛ぶ。胞子が舞う。草木が薙ぎ倒される。
終わりの見えないエンドレスリピート。それは最早、ただの暴力だった。
「やめて! もうラフレシアは戦闘不能だわ!」

何度そう叫んでも、ゲンガーは聞き入れてくれなかった。
どうして? どうして無視するの?
こんなのって、ない。あなたのこと、信じかけていたのに――。

痛めつけられて、それでも必死に起き上がろうとするラフレシア。
それを嘲笑うかのように殴り飛ばすゲンガー。
視界が滲む。泣いてしまいそうになる。
そうなる前に、あたしはエリカさんに向かって言った。

「もう勝負はついたはずです! 今すぐラフレシアを、ボールに仕舞ってください!」
「…………」
「エリカ、さん?」

目を凝らす。
エリカさんはボールを手にした状態で停止していた。
両目には、暗い赤の光。
ゲンガー、あなたまさか―――。

フィールドが静かになる。
見れば、瀕死の手前でありながら戦意を喪失しないラフレシアに、
ゲンガーがゆっくりと歩み寄っているところだった。

ヒュ、と腕が振るわれて、
先端の影が、薄い刃に変形する。

お願い。
それだけは、やめて。

まるでコマ送りの映画を見ているみたいに、
時間が、ゆっくりと流れていく。

あたしが一度呼吸する間に。
ゲンガーは3mの距離をゼロにして。

あたしが一度瞬きする間に。
ゲンガーは刃と化した腕を天高く振り上げた。

一点で静止。
そのまま、ずっと振り下ろさないで。
振り下ろされたとしても、どうか、外れて。
咄嗟の祈りは神様には届かず、
ゲンガーは真っ直ぐに影の刃を落とした。

あたしは感覚を閉じた。
ラフレシアの花片のひとつが、切り刻まれる。
苦悶の叫びが、花畑に響き渡る。
そんな残酷なイメージが、瞼の裏で、耳の奥で再生されて――。

薄くて固い何かが、小刻みに震える音がした。

「勝敗は既に決しておる。
 これ以上の攻撃は、タマムシシティジム先代頭首のワシが許さぬぞ」

薄く目を開ける。ラフレシアは無事だった。
ゲンガーは腕を振り上げた状態で静止していた。
影の刃には、ストライクの鎌が噛み合い。
両手足には、モンジャラとフシギバナの蔓の鞭が絡みついている。

そして、ゲンガーとラフレシアの間に割って入るようにして、
着物姿の男の人が、扇子をゲンガーの額に突き付けていた。
顔は見えなかったけれど、
髪には白髪が入り交じっていて、初老であることが分かる。

「お嬢さん。このゲンガーをボールに仕舞いなさい。
 今なら君の命令にも進んで従うはずだ」

あたしは言われるがままにハイパーボールを取り出して、ゲンガーに向けた。
――閃光。

「……う」

仕舞う直前、あたしは涙混じりの鳴き声を聞いたような気がした。
硬直が解けて倒れかけたエリカさんを、フシギバナが支える。
あれほど厚く張っていた雲が晴れて、月明かりが辺りを照らし出した。
花畑は見るも無惨なほどに荒れ果てていた。
男の人はあたしに背を向けたまま言った。

「ついて来なさい。
 そのゲンガーのことで、少し、君に話しがある」



―――――
――――
――

「本当に、大丈夫なんですか?」
「ええ、もうすっかり」

あたしの顔色を下から覗き込み、

「そんなに思い詰めた表情をなさらないで。
 あなたのことを責める気持ちなど、わたくしには一切ありませんの」
「でも――」

口を開きかけたあたしを制して、エリカさんは片手をつくようにして身を起こした。

「姿勢を崩してお待ちになっていてね」

薄桃色の裾が、襖の向こうに消える。
その時初めて、あたしはエリカさんが着物から浴衣に着替えさせられていたことに気がついた。

エリカさんの着物姿を見たことがある人はたくさんいても、
生地の薄い浴衣に袖を通している姿を見たことがある人は、滅多にいないんじゃないかしら。

少しだけ舞い上がって――。
すぐに、ジム戦の記憶があたしを底に引き戻す。

ゲンガーを止めてくれたタマムシシティジム先代頭首、
つまるところのエリカさんのお父様の指示で、事後処理はあっという間に終わった。
意識を失っていたエリカさんは庵に運ばれ、
瀕死状態のラフレシアは、すぐにポケモンセンターに搬送された。
お父様との話を終えた後、
あたしは御屋敷の家人に道を聞きつつ、エリカさんがいるという庵に向かった。
エリカさんは安らかに眠っていた。
入れ替わるように出て行こうとした従者に、あたしは尋ねた。

『エリカさんは目を覚ますんですか?』
『お医者様は楽観しておいででした。
 すぐにでも目をお醒ましになられるかと存じます』

あたしはエリカさんの枕元に座った。
御屋敷の人間からすれば、迷惑かもしれない。
でも――。
ラフレシアを過剰に傷つけてしまったこと。
トレーナーであるエリカさんに瞳術をかけてしまったこと。
それらを直接エリカさんに謝るまで、帰ることなんて出来なかった。
従者さんの言うとおり、エリカさんは30分もしないうちに目覚めた。
あたしは額を畳につけて謝った。
エリカさんは何も言わずにあたしの言葉を聞いてくれた。

そして時間は今に戻る。
障子窓から覗く日本庭園は、すっかり夜の帷に包まれていた。
タマムシシティジムに訪れてから、三時間以上経ったことになる。
カエデ、心配してるかしら。してないはずがないわよね。
何か連絡手段があればいいんだけど……御屋敷の電話を借りるなんて、厚かましいことは出来ないし。
悶々としていると、襖が開き、エリカさんが現れた。

「お待たせしました。
 すぐにでも見つけられるかと思っていましたのに、
 存外、手間取ってしまいましたの。収納は計画的に、ですわね」

手には、見るからに年季の入った木箱。
エリカさんはその蓋を開けて言った。

「レインボーバッジです。
 ただし型番は数年前の物で、現在のバッジの効果とは多少の差違があります」

バッジが暖色の照明を受けて、七色に輝く。

「さあ、お受け取りになって」

あたしは横に首を振った。

「それは……。出来ません」
「何故ですの?」
「あたしは、自分の実力でラフレシアに勝ったわけじゃありません。
 ゲンガーが暴走しただけです。そしてあたしは、あの子を止めることが出来なかった……。
 だから、あたしにレインボーバッジを受け取る資格なんて、ないんです」
「バッジを所与するか否か。それを決めるのはジムリーダーであるわたくしですわ。
 確かにあなたはゲンガーを制御するだけの支配力を持っていませんでした。
 しかし、ピッピ、ヒトデマンの戦いを見る限り、
 あなたはレインボーバッジを持つ資格を十二分に満たしていると思いましたの」

喜びで、耳が熱くなる。
エリカさんは続けた。

「加えてこのバッジは、、
 私的にもあなたに受け取って欲しい代物なんですのよ」
「どういう意味ですか」
「あなた、バッジにポケモンを隷従させる効果があることはご存じ?」

首肯する。エリカさんは続けた。

「レインボーバッジには、例え他人のポケモンでも、
 中堅クラスまでなら服従させることの出来る効力があります。
 いえ、今ではその効力が"あった"という表現をした方が適切かもしれませんわね。
 上からの指示で、年々、その効果は弱体化の一途を辿っているのです。
 しかし、このバッジは予備として古くから保管されていたもの。
 全盛の効果が期待できますわ」

そこでやっと、あたしはエリカさんの言わんとしていることが分かった。
エリカさんの手があたしの手をとって。
掌に、小さくて冷たい感触が広がる。

「これが、あなたのゲンガーの暴走を抑える裨輔とならんことを」
「エリカさん……」

どうしてこの人は、こんなに優しいの?
どうして自分と、自分のポケモンを傷つけた相手に、ここまで尽くすことができるの?
思わず、泣き出しそうになる。
エリカさんは、あたしが涙を堪えるのを、黙って待ってくれた。

―――――――
―――――
―――

あたしが語り終えた後、
エリカさんは肩を落として言った。

「残念ですが……、あなたのお役立てになれるような情報は入っておりませんわ」

「そう、ですか」

同じように肩を落とす。落胆を隠しきることは出来なかった。
落ち着きを取り戻し、ポケットにバッジを仕舞った後、
あたしは当初の目的である、ポケモンの生態調査を名目にポケモンの乱獲を行っている組織がないかどうかを、エリカさんに尋ねた。
エリカさんは色々な資料に目を通してくれたけど、
該当、もしくは関連するような情報は、一つもないようだった。

これから、どうやってあの男やアヤの組織の情報を集めようかしら。
ジムリーダーのエリカさんでも見当がつかないのよ?
あたしに出来る?

自嘲的な思考にはまりそうになったその時、エリカさんが手を打った。

「そうですわ。何もわたくしに頼らずとも……、
 セキチクシティに、ポケモンの保護に尽力している研究機関があるのをご存じ?
 いえ、知っていないわけがありませんわね。
 あなたがポケモントレーナーになった時に、必ずその名を目にしているはずですから」

あたしは数年前に参加した講習会を思い出した。
トレーナー免許を取得するのに絶対聞かなければならないお話で、
だけど幼い頃からポケモンと一緒だったあたしにとっては退屈極まりない話で、
眠気を堪えるのに必死だったのを憶えている。
そしてその時、壇上に立って熱く口舌を振るっていたのが――

「――ポケモン協会」
「ご名答」
「それは・……あたしも考えました。
 でも、あたしみたいな一介のポケモントレーナーが訪ねたところで、
 公になっていない組織の情報を、教えてくれたりするとは思えません」

窓口で適当にあしらわれるのは目に見えている。
しかし、エリカさんは「まあ、そんなことでしたら」と言って、
ぱぱっと一筆したため、あたしに差し出してくれた。
壁に飾られている掛け軸の文字が霞むくらいの達筆だった。

「ポケモン協会には、ポケモン研究者の中でも特に保護活動に尽力しておられる"ウツギ博士"という方がおられますの。
 古くからわたくしのお父様と親交が深く、わたくしにもよくしてくださりました。
 この紹介状を渡せば、きっと、あなたの求める情報を提供してくださるでしょう」

「何から何まで、ありがとうございます」

封書を受け取り、一礼する。
あたしはお暇することにした。
いい加減、カエデが不安に駆られて、ワニノコやパウワウに八つ当たりしている頃だろう。
あたしが腰を上げると、エリカさんも腰を上げた。

「闇夜で足許が見えにくくなっています。
 わたくしが先導しますわ」
「だ、大丈夫です。エリカさんは休んでいてください」
「嫌です」

普段は物静かで沈着な雰囲気のエリカさんだけど、案外、子供っぽいところもあるのね……。
あたしは結局根負けして、お願いすることにした。
幽邃の地に、からん、ころん、と軽やかな音が響き渡る。
浴衣姿に下駄を履いたエリカさんは暗闇の中と言うこともあり、一、二回りほど若々しく、綺麗に見えた。
勘違いされると困るから言っておくけど、
これは勿論、今のエリカさんも綺麗だけど、若く見えたエリカさんはそれよりも綺麗だった、という意味よ?
正面玄関に着くまでの間に、あたしはエリカさんと色々な話をした。
どれも他愛もない話題だったけれど、最後にエリカさんは、あたしにこんな質問を投げかけてきた。

「ねぇ。あなたはどうしてそのような組織を探しているんですの?」
「あたしのピカチュウが、その組織の所為で、居なくなってしまったからです」
「…………」

エリカさんが俯く。深くは尋ねてこなかった。
あたしが過去を思い出して、傷ついていると思っているのかもしれない。
確かに、思い出すのは辛いし、
ピカチュウと別れてから、もう一ヶ月以上が過ぎたけど。
なんとか、あの子への手掛かりは繋ぐことが出来ている。

――今はそれだけで十分だわ。
警備の人が閂を外す。重厚な門が外界に開け放たれる。

「それでは、わたくしはここで。
 旅の無事と成功を、お祈りしていますわ」
「はい。前にも言ったかもしれませんけど……
 エリカさんもジムリーダーとレッドベルの兼業、頑張って下さい。応援してます」

外に二、三歩踏み出して、振り返る。
エリカさんは微笑んで、手を振ってくれていた。
けれど、その表情はどこか、精巧な作り物を連想させた。

「さようなら」

その一言を境に、ぎぃい、と門が閉まっていく。

ゲンガーのこと。
レインボーバッジのこと。
ポケモン協会のウツギ博士のこと。

余韻に浸りたがっている印象的な事柄が多すぎて――、
あたしは門が完全に閉じた後も、しばらくそこで立ち尽くしていた。