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――当日は曇天だった。
あたしは予定時刻の20分前に、タマムシシティジムに着いた。
案内の人に従って巨大な門をくぐり、
荘厳としか言い表しようのない庭園を抜けて、バトルフィールドに辿り着く。
この表現だけでは、敷地の広大さを伝えるには不充分かな。

「お嬢様は只今準備中で御座います。しばらくお待ちくださいませ」

そう言って、案内人が去っていく。
あたしは丈の低い植物が繁茂した緑の庭に、たった一人取り残された。
とりあえず、先鋒を出しておく。
――閃光。

「ぴいっ」

元気よく鳴いて、手をぱたぱたさせるピッピ。
この子はどうしてこんなに嬉しそうなんだろう?
頭を傾げて、ピッピの視線を辿ると、謎が解けた。
雲の切れ間に、真っ白な夕月が覗いている。

「ピッピは望月の夜を特別に好むと聞きますが、
 あなたのピッピはそれとは無関係に、月がお好きなようですわね」

はっ、として視線を下げると、
植物の緑に囲まれて、夕月の色を写し取ったような白の着物を着た女の人が、
もうずっと前からそこにいたみたいに佇んでいた。
疑うまでもない。この人は、あたしが屋上で出会った女の人と、同じ人物。

「エリカさん、ですか?」

ゆっくりと首肯して、

「先日は正体を明かさないままに立ち去ってしまい、申し訳ありませんでした。
 非公式な本店視察のため、わたくしがあの場にいることを、出来るだけ誰にも知られたくなかったのです」
「あ、謝らないでください。
 あたしはそんなこと全然気にしてませんし、それに、謝るならあたしの方です。
 エリカさんとの約束を、その日のうちに破ってしまって……。
 あの香水のことを、従姉に喋ってしまったんです」
「まあ。それこそ、些事ですわ」

エリカさんは微笑み、
風の流れを読むかのように目を閉じた。

「"sweet rose"の使い心地はいかが?」

あたしは視線に晒されているわけでもないのに、目を背けた。

「ごめんなさい。まだ、一度も使ったことがないんです。
 ……なんだか、勿体なくて」
「使い惜しみされても、香水は喜びませんわ。
 常日頃からつけることが肝要ですのよ」

あたし、頻繁に香水を買うほど、お金を持っていません。
そう言おうとしたけど、恥ずかしさが口を噤ませた。
こんな御屋敷に住むエリカさんと、あたしでは金銭感覚が根本的に違うんだろうな、と思ったその時、

「でも、決してそれを強要するつもりはありませんの。
 ――あなた、思い人はいらっしゃる?」

「えっ?」

思い人――心に思う人――好きな人。
そこまで辿り着くまでに、たっぷり五秒かかった。
心の中にタイチが現れて「俺、俺!」と主張し始めたけど、
それはきっと、最近知り合った同年代の異性があいつだけだから。
あたしは誰かに"一目惚れ"した経験はないし、
まして一週間ちょっと関わり合っただけの男の子を好きになるほど節操なしでもない。
たとえ、そう、あいつが体を張ってあたしを庇ってくれたとしても、それとこれとは無関係よ。
あたしは言った。

「いません」

エリカさんは上品に唇の端を上げて、意味ありげに微笑んだ。

「そう。なら、これはあなたに思い人が現れた時のために憶えておいて欲しいのだけれど、
 実は"sweet rose"の開発コンセプトは『誘惑の香り』ですの。
 ですから、もし思い人と二人になる機会があれば、惜しみなく使ってくださいね」
「……はい」
「さて、そろそろ閑話も仕舞いにしましょう。
 時間は有限です。最初にまず、ポケモンバトルの形式について説明しますわ」

エリカさんの話を纏めると、以下の通りになる。
試合は、3vs3の勝ち抜き方式。
ポケモンの交代は自由。
ただし、戦闘不能と審判された時点で、強制的に戦闘可能なポケモンと交代しなければならない。
どちらかの持ちポケモンが全員戦闘不能、もしくは降参した時点で、試合終了となる。
本格的なジム戦をするのは、思い返してみると、これが初めてかもしれない。
だからこそ、あたしは自分の強さを存分に試すことができる、と思った。

互いに、両端の浅く隆起した部分に移動する。
植物の列は雑然としていながらもまとまっていて、
春になれば花畑のように色鮮やかなバトルフィールドになることを伺わせた。
その中に、ボールが投げ入れられる。
――閃光。
両側頭部に赤い花をつけ、
巨大な葉をスカートのように纏ったポケモンが現れる。

「こちらの先鋒は、キレイハナ。
 この子はダンスがとても得意なんですのよ。
 そちらはピッピのままでよろしくて?」

ピッピはあたしがいなくなったからか、
不安げに周囲を見渡したり、飛び跳ねたりしていたけど、
草木の向こうのキレイハナを見つけた後は、大人しくなった。
これから何が始まるのか。
自分が何をすべきなのか。
ちゃんと、理解しているんだ……。

「はい」

頷く。

「それでは、レインボーバッジを賭けた戦いを始めましょう――」

強めの風が吹き、フィールドの枯れ草が舞い上がる。
それが収まったのと同時に、あたしは指示を出した。

「ピッピ! 植物に身を隠しながら、キレイハナに近付いて!」
「焦りは禁物ですわ。キレイハナ、"甘い香り"を漂わせて待ちなさい」

ピンク色の小さな体が茂みに紛れる。
これで高い視点で見渡せるあたしやエリカさんからも、
ピッピがどこにいるのか分からなくなった。

――大丈夫かしら。

一瞬でも、そう思ってしまった自分を叱る。
ピッピはもう、茂みの迷路から出られなくなったり、
棘のある植物に触れて飛び上がるような、柔なポケモンじゃない。
あの子は成長した。
シオンタウンでゲンガーに立ち向かってから、
怖いモノに対しては目を瞑るのではなく、
逆に直視することが大切なのだと、あの子なりに気づいたみたいだった。

身を揺らすキレイハナ。
ここまでは届かないけど、
キレイハナの周囲にはもう充分に"甘い香り"が広がっているに違いない。

あたしの作戦は、これまでの指を振らせるだけの運に任せた戦法から、
基本技を組み合わせた戦法に変えて着実に勝つ、というもので、
まず位置を明かさないようにしてピッピに接敵させ、
その後、"歌う"で相手を眠らせて、戦闘不能にするつもりだった。

バトル開始から一分が過ぎた。
そろそろ、ピッピがキレイハナに接近して待機している頃だろうか?
それとも、まだ待つべきだろうか?
あたしが判断を下す前に、エリカさんが命令した。

「キレイハナ、もう"甘い香り"は結構――"マジカルリーフ"を放ちなさい」
キレイハナの体の揺れが止まる。
纏っていた葉っぱのうち、数枚が身を離れて宙に舞う。

エリカさんの意図が不明だった。

高い視点を持つあたしでさえ大体の位置しか分からないのに、
キレイハナに、あの子の位置が特定できるわけがないわ――。
そう思う一方で、あたしはエリカさんが無意味な命令を下すわけがないとも解っていた。

「丸くなって、ピッピ!
 無理に避ける必要はないから、出来るだけダメージを抑えるのよ!」

叫ぶ。

「好判断ですわ」

直後、ふわふわ滞空していた葉っぱが、
糸に引かれたように地上へ向かい、

「ぴぃっ……」

丈の高い草むらの一カ所から、小さな悲鳴が上がった。
あれは、攻撃が当たることを恐れる声?
それとも、受けてしまった傷の痛みに堪える声?
いずれにせよ、不可解なのは、
どうしてキレイハナに、ピッピの居場所が分かったのか、ということ。
エリカさんが言った。

「わたくしとキレイハナに、隠れんぼに付き合う気はありませんの」
空いた距離を感じさせない、透き通った声。

「あなたは一つ、思い違いをしていますわ。
 わたくしのキレイハナには、ピッピの位置など見当もついておりません。
 元々"マジカルリーフ"は、対象を自動追尾する特殊な技ですの。
 そこに回避率を下げる"甘い香り"を組み合わせることで、
 必中とも言える命中精度を実現していますのよ」

あたしは返す言葉を失った。
そんなの、反則じゃない。
ピッピには遠距離から攻撃する技がない。
近、中距離攻撃を仕掛けるために近付いても、
気配を感じとられた瞬間に"マジカルリーフ"で探知され、
確実にダメージを与えられてしまう。

所詮、ここまでだったの?
一か八か、指を振らせてみようかしら?
それとも何もかも諦めて、ポケモンチェンジしようかしら?

「……ぴぃ!」

その時、茂みのどこからからピッピの鳴き声が聞こえた。
小さいけど、力強くて。
まるで、まだ自分は戦えると、意思表示しているかのような。

目が醒めたような気持ちになった。
考えなしに"指を振らせる"のは、もうやめようと決めたのは誰?
経験の足りないピッピを、敢えて戦力としてジム戦に出そうと決めたのは誰?

「――全部、あたしじゃない」

"歌う"で眠らせることは、今となってはもう不可能だわ。
ピッピの基礎能力は総じて低いから、
"たいあたり"や"はたく"では、ろくなダメージが見込めない。
とすると、フィールドを利用した強化攻撃か、
相手の技を逆手にとった攻撃に頼るほかない。
ピッピの技は、ほとんどがノーマル。
地形を利用することは難しい。
でも、相手の技を逆手にとることは、
ピッピの小さな体とマジカルリーフの特性を考えると、そう難しくないように思えた。

「ピッピ、"小さくなる"のよ。
 避けることに専念しながら、キレイハナの様子を窺って」
「回避率を上げたところで、マジカルリーフの追跡の精度が若干落ちるだけ。
 隠れんぼが、鬼ごっこになっただけのことですわ」
「確かに、エリカさんの言うとおりです。
 でも、技は重ねることが出来ますよね。――ピッピ、もう一度小さくなって!」

舞い上がっては、茂みのどこかに突き刺さっていた葉の軌道が、目に見えてブレはじめる。
エリカさんは、初めて言葉に苛立ちの感情を乗せたように見えた。

「ならばこちらも、それに見合うだけの物量をぶつけさせて戴きましょう。
 キレイハナ、様子見は終わりです」

数枚ずつ剥がれていた葉が、一気に十数枚舞い上がり、
そこに周囲に散在していた大きく厚みのある葉も加わって、緑の渦が出来上がる。
その中の一枚が、鋭く空を切って茂みに刺さる。
――焦ってはだめ。
また一枚、少し離れたところに刺さる。
――まだよ、あともう少し。

先ほどよりも短い間隔で、さらに一枚。
――今だわ。

「ピッピ、キレイハナに近付いて!」

その瞬間、キレイハナは緑の渦の制御を解き放った。

「無謀ですわね。
 キレイハナに近付けば近付くほど"甘い香り"の影響を強く受けるというのに」
「いえ、それでいいんです。
 攻撃を受けるのは、ピッピじゃなくて、キレイハナ自身なんですから」
「えっ……?」

エリカさんとあたしの視線の先――。
マジカルリーフの軌道が、そのままピッピの進路を示していた。
茂みに突き立つ葉の狙いが、だんだん絞られていく。

「キレイハナ、技を解除しなさい!」

エリカさんがそう叫んだ時、既にマジカルリーフの軌道は、キレイハナの目前にまで迫っていた。
キレイハナは逃げ出そうとした。
でも、数歩も動かないうちにマジカルリーフに追いつかれて――。
その身に浅い傷をたくさん負って、倒れた。
キレイハナのスカートがもぞもぞと動き、
手の平サイズのピッピが顔を出す。

「ぴぃっ!」

元気な声が響く。
でもピッピの小さな体は、遠目で見ても分かるほどに、擦り傷だらけだった。
マジカルリーフの何枚かを食らってしまったのだろう。
――ありがとう、ピッピ。後でいっぱい、褒めてあげるからね。

「あなたはもう十分頑張ったわ。ボールの中で休んでいて」

二閃。
つと視線を上げれば、エリカさんもキレイハナをボールに戻しているところだった。
これで互いに、戦闘可能なポケモンを一匹失ったことになる。

「お見事。
 マジカルリーフの追尾特性を利用して、キレイハナに狙いを向けさせ、
 キレイハナ本体を身代わりにして、自らは無傷で逃げ延びる――小さくなったピッピだからこそ可能な戦法ですわね」

エリカさんの褒め言葉に、あたしは素直に喜ぶことが出来なかった。
もしあたしがエリカさんなら、キレイハナの"甘い香り"に"痺れ粉"を混ぜて、
ピッピが近付くのを二段構えで封じることを考えただろう。
エリカさんがそうしなかったということはつまり、
彼女が先鋒同士の戦いに、本腰を入れていなかったということ。

「次は積極的に攻めるとしましょうか。出なさい、キマワリ」

――閃光。
両手を葉、足を根っこ、胴体を茎として、
その上に眩しいほどの笑顔が乗った、向日葵のようなポケモンが現れる。

「あらあら、少し元気が羨しいようですわね」
「これで、元気がない方なんですか?」
「ええ。日中はもっと活力の満ちあふれた笑顔を見せてくれますのよ」

……想像できないわ。
あたしは諦めて、ベルトからボールを外した。

「お願い、ヒトデマン!」

――閃光。
予想はしていたことだけれど、
植物の絨毯の上に水タイプのヒトデマンが降り立つと、
やっぱり、凄い違和感があるわね……。
エリカさんはキマワリとヒトデマンを交互に見据えて、

「相性だけが全てではない――。
 その言葉の証明を目の当たりにすることが、先日からずっと楽しみでしたの。
 しかし、わたくしとて容赦は致しません」

即答する。

「承知の上です」

フィールドも、相手ポケモンのタイプも、
ヒトデマンにとっては苦手なものばかり。
でも、負ける気はしなかった。
ヒトデマンはピカチュウを除いて、
あたしと一緒に旅をしてきた時間が最も長く、
最も心が通じ合っているポケモンなんだから。

あたしは大きく息を吸い込んだ。落ち着いて――自分に、そう言い聞かせる。
初戦とは違い、二戦目の決着にはそう時間がかからないだろうな、という予感があった。

「キマワリ、"種マシンガン"を浴びせてやりなさい」
「ヒトデマン、"みずでっぽう"で弾き飛ばして」

だだだ、と連続発射される黒い種子を、水鉄砲が散らしていく。

「なかなかの水圧ですわね……。
 しかし、互いに直線的な攻撃のぶつけあい、というのも趣がありませんわ。
 "葉っぱカッター"を織り交ぜて差し上げて、キマワリ」

キマワリが腕を振るう。
すると、千切れた葉っぱが大きなカーブを描き、回り込むような攻撃を仕掛けてきた。
相殺は出来そうにない。
ヒトデマンは、曲線的な攻撃を相殺する技を持っていない。

「ヒトデマン、"固くなる"で第一波の"葉っぱカッター"を凌いで。
 水鉄砲はまだ緩めちゃダメ」
「受けさせてよろしいんですの?
 "葉っぱカッター"は"マジカルリーフ"ほど生易しい威力ではありませんことよ」

葉っぱカッターがヒットして、水鉄砲の軌道が、わずかに揺らぐ。
酷な指示だとは、理解していた。
でもここで"葉っぱカッター"に対処することに集中していたら、
"種マシンガン"の連続ダメージの後、立ち直れないままに止めを刺されていただろう。
まだ戦えるわよね――、ヒトデマン?

「"みずでっぽう"はもういいわ。
 ここは一旦引いて"保護色"で隠れて」

水を打ち止め、初戦でピッピがしたように、茂みの中に隠れる。
植物の背丈より僅かに背丈の大きなヒトデマンだけど、
"保護色"がヒトデマンを風景に溶け込ませ、どこにいるか分からなくしていた。
"種マシンガン"と第二波の"葉っぱカッター"が目標を見失う。
それを確認してから、あたしは追加で指示を出した。

「ヒトデマン、しばらくの間は"自己再生"で傷を癒すのよ」

エリカさんは細く溜息を吐いて言った。

「一戦目は待ちに徹したことが失着となりました。
 よって二戦目は、勝負を長引かせるつもりはありませんの。
 キマワリ"成長"なさい」

キマワリが足を地面に突き刺す。
"成長"は確か、地面から養分を吸い取って特殊攻撃力を上げる技だったはず。
後手に回るのは不味いわね――。
そう思った次の瞬間には、エリカさんは新たな指示を出していた。

「準備は整った?」

眩しい笑顔が首肯する。

「重畳ですわ」

エリカさんはあたしに向かって楽しそうに言った。

「さあ、とくとキマワリの"花片の舞い"を御覧になって」

キマワリが指揮者のように、両手を掲げる。
それを皮切りにして信じられないことが起きた。
根を張ったキマワリから同心円状に、
今まで緑単色だった草木が、次々と芽吹いていく。
赤、黄、白――色とりどりの花が開いては、
まるで時間を早送りしたように花片を散らし、吹き荒ぶ風に攫われていく。

「綺麗……」

その光景は、思わずそう呟いてしまうほどに綺麗だった。

「そこにいましたのね?」

エリカさんの声で、ふっと我に返る。
フィ-ルドは既に半面が花畑になっていた。
その一端で、急な周囲の変化に対応出来ず、
ヒトデマンが場違いな姿を晒していた。
まだ、傷は完全に治りきっていない。
次に草タイプのダメージを受けたら、例え"自己再生"でも回復が追いつかない。
途方に暮れかけたその時、アヤメ叔母さまの言葉を思い出した。

――受動的にではなく、能動的に判断力を働かせなさい。

キマワリを見る。この花畑を作って"花片の舞い"を発動させるために、エリカさんは最初に"成長"を指示した。
ということは、ああやって地面に根を張らなければ、"花片の舞い"は上手く発動できないのではないかしら。

「さあ、終止符を打ちましょう」
「まだヒトデマンがやられると決まったわけじゃありません。
 ヒトデマン、"水鉄砲"でキマワリを打って! 今のキマワリは身動きがとれないはずよ!」

ヒトデマンは五芒星の体をいっぱいに張って、
貫通力を高めた"水鉄砲"を放った。
しかし、それがキマワリに当たる前に――、
宙に舞っていた花片が押し寄せて壁になり、水を吸い取るようにして威力を殺した。
届いたのは精々、水飛沫ぐらい。

「うふふ。"花片の舞い"の前では"水鉄砲"も如雨露と大差ありませんわね」

エリカさんはほとんど勝利を確信しているようだった。

「ヒトデマン、最初の位置に戻って、別の角度からもう一度水鉄砲を撃って!
 今度は"バブル光線"も組み合わせるのよ!」

ヒトデマンが移動しながら、再度、水鉄砲としゃぼんの群れで攻撃する。
勢いのある水鉄砲はまたしても花片の楯で防がれ、
時間差で飛んでいったしゃぼんの群れは、密度の小さい花片をぶつけられて、飛沫を宙に散らした。
それでもまた、同じように攻撃する。
同じように防がれる。
それを幾度か繰り返してから、あたしは攻撃の手を緩めた。
エリカさんが妖艶に微笑む。

「ようやく諦めましたのね?」

あたしは項垂れてみせた。

「己を恥じることはありません。もともと、勝ち目のない戦いでしたのよ。
 キマワリ、止めですわ」

宙に残っていた花片が、
まるで天敵に襲われた小魚の群れように、一斉に向きを変える。

こうなった今――、
勝機があるとすれば、唯一つだわ。

「"花片の舞い"を受けるよりも先に、キマワリを倒すのよ!」
「不可能です。このフィールドでヒトデマンが素早く移動することなど――」
「ヒトデマンっ、高速スピンで滑走して!」

ヒトデマンはあたしの指示通りに一番初めの位置、つまり"水鉄砲"と"種マシンガン"を撃ち合った場所に移動していた。
水鉄砲によって根本から横薙ぎになった草木は、"花片の舞い"の影響を受けることなく、
そのまま滑らかな緑の絨毯として、キマワリへの道を作っていた。
先にまき散らしたバブル光線で、摩擦係数はさらに減っているはず。

ヒトデマンが加速する。
キマワリは笑顔を崩してエリカさんを仰いだ。

「案じる必要はありません。花片を残らず叩き付けてあげなさい!」

轟、と一陣の風が吹く。花片がヒトデマンに向かい始める。
でもそのスピードは、ヒトデマンの攻撃をガードしていた時よりもずっと遅かった。ヒトデマンの滑走に、あと少しのところで追いつかない。

「なっ、」
「ヒトデマンっ、そのままの勢いで"体当たり"して!」

ヒトデマンが高速スピンの体勢から跳ね上がり――
地面に根を張っていたキマワリは避けることもできずに、真正面から"体当たり"を受けた。
ぱっ、とキマワリ自身の花片が舞う。

「大気中の水蒸気含有量を増やし、花片を湿らせて重くする――。
 あの"水鉄砲"や"バブル光線"は、悪足掻きではなかったのですね……」
「地面に落とすまでは叶わずとも、ヒトデマンがキマワリに接近までの時間稼ぎになれば、それで良かったんです」

もっとも、上手くいくかどうかは全然自身がなかったんですけど……とは言わないでおいた。
別に少しくらい、見栄を張ったっていいでしょ?
エリカさんは髪を耳に掛けながら、

「相性だけが全てではない――。
 本当の意味でそれを思い知らされたのは、これで二度目ですわ」

ごめんなさいね、とキマワリに言葉をかけ、ボールに戻した。
余談だけど、キマワリは倒れた後でさえ笑顔だった。
絶対に痛かったはずなのに……もしかしてこのキマワリ、凄い精神力の持ち主なのかも。
ヒトデマンは"自己再生"で傷を癒している。
それを見たエリカさんは、筒袖からボールを取り出し、両手で掲げた。

「――力を貸して、ラフレシア」

閃光。ぼむ、と重量感たっぷりな音が響き、
エリカさんの最後のポケモンが出現する。
頭の天辺を柱頭として、その周りに厚みのある鮮やかな朱の花片をつけたフラワーポケモン、ラフレシア。
上から見ていたあたしにはまるで、花畑に突如、大輪の花が咲いたように見えた。
エリカさんは間断なく命令した。

「"日本晴"」

あたしは空を見上げた。薄い雲が、ゆっくりと晴れていく。
でも既に東の端が紺色に染まった空からは、ほとんど光が降ってこない。

「"痺れ粉"」

技名のみを淡々と告げる声は、そこで止まった。

ラフレシアはゆらゆらと身を揺らすだけで、その場から動かない。
"日本晴"と"痺れ粉"だけで、どうするつもりなのかしら?

「ヒトデマン、試しに水鉄砲を撃ってみて」

ラフレシアは避けるどころか、身を守ろうとさえしなかった。
ヒトデマンが近付くのを待っているの?
でも、むざむざ麻痺させられにいくほどあたしとヒトデマンは馬鹿じゃないわ。
このまま離れたところから攻撃していれば、
少しずつだけど安全に、確実に、ダメージを与えることが出来る。
あたしはエリカさんを伺った。
写真に納めたくなるほど、綺麗な無表情だった。

しばらく、指示に迷う。
エリカさんには何かの考えがあって、ラフレシアを待機させているのかもしれない。
それでも結局、あたしは嫌な予感を無理矢理に断ち切って、ヒトデマンに攻撃させようとした。
その時だった。

ぽつり、ぽつりと、光の粒が夕闇に浮かぶ。
まるで小さな蛍のようなその光は、ラフレシアの花片の中心に収束していた。
その技を、あたしは知識として知っていた。
ソーラービーム――草系統の強力な量子砲。
あたしはやっと、エリカさんがラフレシアを出してから、
技の名前を命令するだけで他に指示を出さなかったのか理解した。
"日本晴"と"痺れ粉"が、そのまま"ソーラービーム"の合図、だったんだ。

「ヒトデマン、逃げて! あの技には絶対に当たっちゃダメ!」

ヒトデマンをモンスターボールに戻すという考えは、焦りで吹き飛んでしまっていた。
光の粒が光の糸になり。
光の糸が、光の束になって。
ラフレシアが頭を傾ける。
あたしは反射的に目を閉じた。
その次の瞬間には、瞼の裏が真っ白に染められていた。

「ヒトデマン――!!」

光が収まって、やっとの思いで目を開ける。
フィールドには、定規で引いたみたいに真っ直ぐな破壊の爪痕が残されていた。
息をすることも忘れて、ヒトデマンの姿を探す。
ヒトデマンはすぐに見つかった。
ソーラービームの痕から少し離れたところに転がっていた。
その半身は、ボロボロに傷ついていて。
コアの点滅さえ、弱々しかった。

責任は全て、トレーナーのあたしにある。
トキワの森の時みたいに、また、口を聞いてもらえなくなるかもしれないわね……。
ヒトデマンをボールに戻す。エリカさんが口を開いた。

「急所は外していますわ。
 ポケモンセンターで治療すれば三日で快癒するでしょう」

あたしはそれには答えずに、最後のボールに手を掛ける。
ゲンガー。
出来ることなら、あなたは使いたくなかった。
あなたはあたしが自力で捕まえて育てたポケモンじゃない。
だから野生のポケモンや一般のポケモントレーナーとの戦いでも、出すのを躊躇ってきたわ。
でも……、今度ばかりは、あなたの力を借りないと勝てないみたい。
「…………!」

エリカさんが目を見開く。無理もないわね。
バッジを三つしか持っていないトレーナーが、普通、ハイパーボールを持っているわけがないもの。
モンスターボールよりも強い閃光が走り、ゲンガーがフィールドに立つ。
日が落ちていることもあってか、その体はいつもよりふくよかで、
輪郭は夕闇に溶けて曖昧になっていた。

「うっうー」

ゲンガーがあたしを見て、ニタァと笑う。
あたしは小さく手を振り替えした。
相変わらず、何を考えているのか分からない薄気味悪い笑みね……。
鳴き声は可愛いのに。あれ、今あたし可愛いって言った?

「そのゲンガーは、あなたのポケモンで間違いないんですの?」
「はい。申請書の通りです」

入手した経緯はどうであれ、あたしのポケモンであることに違いはない。

「そう。では、こちらも一切の遠慮を捨てて参りましょう」

ラフレシアが初めて一歩、前に踏み出す。
それが切欠だったのかもしれない。
突然、空気が冴え凍った――ような錯覚に襲われた。
夕月が再び雲に覆われ、なのに地上の風はぴたりと止まり、ねっとりとした閉塞感が漂う。
これによく似た状況を、あたしはよく知っていた。夏の夜。ポケモンタワーの最上層。

「ゲンガー、あなたの仕業なの……?」