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「ピッピ、指を振るのよ!」

あたしの呼びかけに、
ピッピは小さく頷いてから、同じく小さな指を降り始めた。
もくもくもくもく。
指の先から黒煙が湧き出て、瞬く間にピッピを覆い隠す。そして――。

「ぴぃっ!! ぴぃ、ぴぃ」

ケホケホ、と可愛らしく咳をしながら、
ピンク色のボールのような物が、いや、ピッピが煙の中から転がり出てきた。
もうっ、折角"煙幕"を張ったのに、自分から出てきてどうするのよ……。

「あのぅ、そろそろオレ、攻撃してもいいかな……」

オオスバメを肩に止めた少年は、哀れみの入り交じった声でそう言った。
レベル、技の練度、どれをとっても格下のポケモン相手に、攻撃するのを躊躇っているのだ。

「ピッピ、もういいわ。戻って」

閃光。
あたしはピッピの入ったボールをベルトに戻し、代わりにヒトデマンのボールを手に取った。
普段、極力意識しないようにしていても、
ポケモンチェンジをする時は、どうしても隣の空のアタッチメントに注意がいってしまう。
つい半月前まで、そこには瑕だらけのモンスターボールが装着されていた。
その行方は、中にいるポケモンと一緒に、未だ杳として知れぬまま。
胸が、疼く。

「どうしたんだ? 降参かい?」
「あ……ごめんなさい。いって、ヒトデマン!」

―――――――
――――
――

「降参だよ。それにしても強いなぁ、君のヒトデマン。
 オレのオオスバメが手も足も出ないなんて」
「ううん、そんなことないわ。
 あなたのポケモンの"空を飛ぶ"、凄く素早かったじゃない」
「そうかい? ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。
 "空を飛ぶ"はコイツの十八番だったからさ。
 まぁ、君のヒトデマンの"みずでっぽう"には、あっさり打ち落とされちゃったわけだけど。
 レベルを見た感じでは、ほぼ同じくらいなのになぁ。やっぱり、育成方法の違いなんだろうね。
 ……君と戦えて良かった」

少年が手を差し出してくる。

「こちらこそ」

握り替えすと、彼はニッコリと笑って、はにかむように頬をかいてから、

「あの、もし良かったら、これ、オレの電話番号――」
「あーもー、馬鹿ヒナタったら、どんだけ時間かかってんの?
 こっちはずっと待たされてるの。さっさと行くわよ」

むんず、と腕を捕まれる。
ちょっと待って、カエデ。あたしまだあの人と話が、

「うるさい。いくらあっちからバトルに誘われたからって、ちょっとは断る意志見せたらどうなのよ、あんた」
「べ、別にいいじゃない。ポケモントレーナー同士のポケモンバトルは、
 ポケモンが得られる経験値も多いし、あたし自身も成長できるんだから」

キッと睨み付けてくるカエデ。あたしは思わず目を瞑った。
もしかしたら、カエデにはあたしの心が読めているのかもしれない。
ピカチュウがいない悲しみを、ピカチュウを奪われた後悔を、
あたしが少しでも強くなろうとすることで、
或いは強くなったと思い込むことで、塗り潰そうとしているということに――。

「関係ないわよ。
 なんであたしにはポケモンバトルの申し出がないわけ?
 なんであんたにばっかイケメントレーナーが寄り付いてくるわけ?
 どう考えたって可憐で清楚で瀟洒で妖艶で玲瓏で乙女なあたしの方が魅力的に決まってるのに」

……そうでもなかったみたいね。
あとカエデ、今あんたが並べた形容動詞、それぞれ矛盾してるから。

「気にしない気にしない。
 さっ、早いとこシオンタウンに行きましょ。
 あたし今日中にお風呂に入らないと死んじゃうかも」

よいしょ、とリュックを背負い直して、カエデが歩き出す。
あたしは少しだけ振り返って、
遠くの方にぽっかり口を開けたイワヤマトンネルの出口(ここから見たら入り口)を眺めた。

オツキミヤマ洞窟の深部を踏破したあたしにとって、
似たような構造のイワヤマトンネルを潜り抜けることは、遊歩にも等しかった。
トンネル内部には人工的な明かりが一つもなく、
オツキミヤマ洞窟同様、ポケモンのフラッシュで暗闇を払う必要があったけれど、
クチバシティを出立する直前、顔見知りの二人がフラッシュ習得済みのマルマインを貸してくれた。

二日前、どうやってイワヤマトンネルを抜けようか途方にくれていたあたしとカエデに、突然、声がかけられた。

『う、うぃーっす』
『誰……? あっ、あんたたち、あの時の!』
『ひぃぃいい。お願いです氷漬けにしないでください。
 もう不用意に声を掛けたりしません俺たちみたいな男がナンパしようだなんて
 烏滸がましいにも程がありましたよねマジすみませんでした許してください
 どうか俺たちの話を聞いてください5分、いえ5秒でいいんです、どうか、氷漬けだけは』
『あーもーうるさい。落ち着け』

げしげし、とカエデがそれぞれにローキックを見舞い、男二人が静かになる。
よくよく見てみれば、そいつらは確かに10番道路で出会って5分で氷漬けにした、ナンパ男だった。

『それで、話って何?』
『あの、実はですね……』

恐縮ですが、僭越ながら、といった言葉を挟んだも長広舌を要約すると、以下の通りになる。
俺たちはシオンタウンからイワヤマトンネルを通ってここクチバシティにやって来た。
三日後には大都市ヤマブキシティに向かうつもりである。
しかし今日になって、あの10番道路で氷の彫刻と化していた自分たちを解凍してくれた恩人から、
イワヤマトンネル通過時に使用した電気ポケモンを、とある人物に貸してやって欲しい、との連絡が入った。
俺たちは喜んで指示に従った。するとそこにはあなたたちがいて――

『ごめんなさいやっぱ俺たちのポケモンなんて嫌ですよね。
 マジすみませんでした。俺たち今から知り合いにフラッシュ憶えてるポケモン持ってないか聞いて回るんで、』
『ちょっとちょっと。本当にポケモン、貸してくれるの?』
『はい』
『じゃあ貸してもらえないかしら?
 あたしたち、フラッシュを憶えていたピカ――ポケモンを逃がしちゃって、どうやってトンネルを通ろうか、悩んでたところなの。
 そのポケモンは今持ってるの? それならすっごく助かるんだけど』

『今持ってます。すぐ貸せます』
『ありがとう。それで、そのポケモンっていうのは?』

片方の男が、ベルトからボールを外して、

『マルマインです。
 シオンタウンに着いたら、そこにあるポケモンハウスってトコに預けてもらっておけば、
 いずれ俺たちが迎えに行きますんで』

受け取る。ボールを透か見てみると、
上下綺麗に紅白に分かれたマルマインが、三白眼でこちらを睨み付けてきた。
……ちょっと、怖い。
しかしカエデはあたしとは違った趣向の感想を抱いたようだ。

『えぇーマルマイン? なんかダサくない?』
『す、すみません。生憎、俺たちの手持ちの中に電気ポケモンといったらコイツくらいなんです。
 やっぱ今時ピチューとかの可愛い電気ねずみが人気なんですよね。俺たち、今すぐ知り合いあたってきますんで、』
『いいからいいから。カエデの言うことは気にしないで。
 マルマイン、貸してくれてありがとね。大切に扱うから』
『ヒナタさん……』

涙ぐむチャラ男、というのも情けない物で、それ以上どう言葉をかけていいか分からなかったあたしは、
ぶーぶー文句を言うカエデを連れて、足早にイワヤマトンネルに入ったのだった。

そして時は現在に至る。
トンネル内の野生ポケモンや、トンネル通過後に出会ったポケモントレーナーと戦って気づいたことは、
確実にあたしが強くなっている、ということだった。
それはカエデも認めるところで、嫌味を交えながらも、時にはあたしの戦い方を褒めてくれた。
でも、あたしはその成長に、素直に喜ぶことが出来なかった。

このままじゃ、いつまで経ってもピカチュウを取り戻せっこない。
確かにあたしは経験を積んで、ポケモンの限界を知り、
臨機応変なポケモンバトルが出来るようになったかもしれない。
でもそれだけじゃ、エーフィ、サンダースを従えたあの男や、
あたしよりずっと年下なのに、強力なキュウコンを意のままに操っていたアヤには絶対に勝てない。

ヒトデマンはステータスの上昇に加えて使用できる技も増えたが、
圧倒的なレベル差の前ではろくな攻撃も仕掛けられないままやられてしまうだろう。
ピッピに至っては戦力と呼べるかどうかさえままならないステータスで、
あの矮躯から繰り出す"たいあたり"等の打撃技がろくなダメージ源になるとも思えず、
仕方なしに指を振らせてみるものの、発動されるのはいつだって見当違いの技ばかりだった。

そう、例えば、煙幕とか、鳴き声とか。

あたしのピッピを見た相手トレーナーは、
屈強な山男でさえ頬を緩ませて攻撃の手を躊躇う。
あたしも諦めてピッピをボールに戻してしまう。
だからこの幼子ピッピは、一度たりとも、まともな攻撃を受けたことがないのだった。

「あたしが甘いのは分かってるのよ。
 でも、こんなに小さなピッピにポケモンバトルを強要するだけで、背徳感が半端ないのよね……」
「なに一人でぶつぶつ言ってんのよ。
 ほら、見て。あれがポケモンタワーじゃない?」

カエデの人差し指の先。
天界と下界を繋ぐかのように、細長い四角錐のような形の塔が建っているのが見えた。
マサラタウンにいた頃、お母さんから聞いたことがあった。
カントー最大のポケモン霊園。俗称、ポケモンタワー。
そこには病気や老衰――そして、苛烈なポケモンバトルの末に死亡したポケモンが眠っているのよ、と。


シオンタウンに近づくにつれて、淡紫色の優美な花が目立ち始める。

「綺麗……」

あたしが思わず息を漏らすと、

「紫苑よ」

カエデは事も無げにそう言った。

「しおん?」
「紫の苑と書いて、紫苑。
 このシオンタウンのシンボルカラー、紫を司るキク科の多年草よ」
「へぇ……」

前から思っていたことだけれど。

「カエデって、見かけによらず博識ね」
「見かけによらず、が余計よ。
 誰だってあたしを見たら、知的な雰囲気がそりゃもうむんむん漂ってるって一発で分かるわ」

無意味にポーズをとるカエデ。
そのスレンダーな体つきが、ちょっとだけ羨ましい。
あたしはカエデから目を逸らして言った。

「色香、の間違いでしょ」




「そうそう、君に言い忘れとったけどな。
 カントー発電所は完全に復旧したで。君の犠牲はきちんと報われたんや」

視線はディスプレイに釘づけたまま、
片手でキーボードを叩きながら、片手でコーヒーを口に運び、
その合間に唇を動かして会話しているマサキの並列処理能力に、僕は率直に感心していた。

「チュ?」

拘束されていた人間は全員無事だったんだろうな?

「もちろんや。ただまあ、君と一緒にいてた男の子は、
 腕に結構酷い火傷を負ったみたいやけどな」
「ピカ!?」

タイチのことか!?

「さあ、名前までは知らん。
 ただアヤちゃんの報告書には、君のマスターを庇って、キュウコンの炎を浴びてもうた、と書いてあった。
 運が悪ければ深達性II度、最低でも浅達性II度は免れんやろな。
 アヤちゃんのキュウコンは特別や。
 大人しく退けばよかったのになあ」

脱力した。
やはりあの三人は、僕がボールに仕舞われた後も、
僕を取り戻そうとあの少女――アヤに挑んだのだ。
罪悪感に押しつぶされそうになる。
生身の人間がキュウコンの炎を受けて、無事で済むはずがない。
僕は彼の父親に――シゲルに顔向けできなくなってしまった。


「そういや君、アヤちゃん見て、なんか感じひんかったか?」

ふいにマサキが、手を止めてこちらに注目する。
彼女を見たのは、本当に僕がボールに入れられる直前のことで、顔は分からなかった。
燃えるような赤髪に、白皙の肌、丈の短い深紅のドレスという、背面からの断片的情報だけが、
僕の中でのアヤという人物像を形作っている。

「ピカ……ピカピカチュ」

何も、感じなかったな。ただ、変わった少女だということは一目で分かったよ。
あの年齢でキュウコンの完全体を手懐けるとは、
天性の能力か、余程特殊な躾け方をしたのか、どちらかだろう。

マサキはくっくっく、と喉を鳴らして、

「両方や。彼女にはハイレベルのポケモンを自由自在に操る天賦の才がある。
 そして彼女のキュウコンは、この施設で育てられた逸品なんや。その強さは折り紙付きやで」
「ピカ、ピ」

あの男――ハギノもそんな部下を持つと大変だな。
完全なキュウコンを従えている女の子が部下だと、
プライドが邪魔をして任務に支障をきたしているんじゃないか?

「君はなんか勘違いしとるようやな」

マサキは胸ポケットから煙草を取り出し、次にオイルライターを取り出した。

「彼女は誰の部下でもないんや。
 強いていうなら、ハギノの同僚やな」

カチン、と鋭い音が鳴り、薄暗い部屋に小さな火が灯る。
彼が煙をいっぱいに吸い込み、肺を黒く汚すのを待ってから、僕は訊いた。

「ピカ、ピカチュ?」

同僚、というと、彼とアヤは対等の関係にあるという認識でいいのかな?

「いや、それにもちっと誤謬があるなあ。
 この組織には一応きちんとしたヒエラルヒーがあんねんけど、彼女はどこにも属してない。
 ま、端的に言えばイレギュラーやな」

紫煙が空気に馴染み、マサキの周囲がぼんやりと白く霞んでいく。

「彼女は明確な階級が与えられていないにも関わらず、単独任務に当たれるほどの実力と権限を持ってる。
 だからワイら研究員にも、彼女には敬意を伴った対応が求められてるし、
 彼女が時折発揮する子供じみた我儘にも、言及でけんのや」
「ピカ、ピカチュ」

それで……彼女の奇矯な立場の説明は、結局、してくれないんだね?

「すまんなあ。それは君には話せへん決まりや。
 でも君ほどの論理的思考があれば、彼女が何もんか推理するのはそう難しいことちゃうと思うで。
 よう考えてみ。それじゃ、またワイは仕事に戻るわ」

マサキは立ち上がり、ガラスケースの電子ロックを解除し、窓を開け放して去っていった。
自由に体を動かせ、ということなのだろうか。
僕は推理することも、マサキの意図に従うことも放棄して、
視線だけを動かして窓から差し込む、四角に切り取られた青白い光を見た。
綺麗な月光だ。――ヒナタ、君は今どうしているんだい?
この月光を浴びて眠っているのかな。それともまだ目を開けて、この光の源を見上げているのかな。



「夕方までには戻るから。 
 晩ご飯、あたしの分まで食べちゃダメだからね」
「あんたってば本当に馬鹿ね。
 ちっさい子供じゃあるまいし、ちゃんと待っててあげるわよ」

シャワーの水音と一緒に、エコーの効いたカエデの声が聞こえてくる。
以前宿泊したポケモンセンターで、
あたしがショップで旅に必要な物を買いそろえている間に、
夕食の一部をつまみ食いしていたのは誰だったのかしら。
あたしは少し悪戯してやることにした。

「ねえカエデ、知ってる?
 このシオンタウンって土地柄、幽霊が出やすいんですって」
「え……?」
「それでね、傷ついたポケモンの怨念が集まるこのポケモンセンターには、特に幽霊が引き寄せられるらしいの。
 まさか真っ昼間から幽霊が出るとも思えないけど、
 一応注意しといた方がいいかもね。
 特に夕方になって陽が落ちてきたら、そういった霊の力が強まって――」
「うっ、うるさい! ヒナタなんて嫌いよ!
 早くポケモンタワーでも何でも行ってきなさいよ。
 あたしは幽霊なんかちっとも怖くないから! ぜんっぜん、ホントのホントに怖くないんだから!」

ふふ、怖がってる怖がってる。
あたしはひとしきり笑いを噛み殺してから、
身軽な格好でポケモンセンターを出た。
夏なのに、空気はどこか"しん"と冷えて乾いている。
右を見ても左を見ても、視界には必ず紫苑の花があった。
道行く人々は皆一様に寡黙で、まるで街全体がポケモンの死を悼んでいるようだった。

これが、シオンタウンなんだ。――ポケモンの死の蒐集場。

タワーは自由に開放されていて、入園に煩雑な手続きは要らなかった。
足を踏み入れて、自然と、言葉を失う。

「………」

見渡す限りの、墓、墓、墓――。
これら全てにポケモンが眠っているんだ。
大きな石のお墓には、そのまま大きな岩ポケモンが眠っているのだろうか。
あの黒ずんだ木製のお墓には、年老いて死んだ草ポケモンが眠っているのだろうか。

宛もなく練り歩く。

蔀窓から差し込む濁った陽光と微風が、霊園に満ちていた。
あたしの想像していたポケモンタワーと、この目で見たポケモンタワーの景観には大きな隔たりがあった。
散在している人々は、皆一様に穏やかな表情をしている。
また合同墓地ということもあってか、僧侶のような格好をした人も、あちらこちらに見て取れた。

幽霊や怨霊の類なんてどこにもいない。
優しい感じのする霊園。

階段を上り、二階へ。

すれ違った僧侶らしき人が会釈していったが、咄嗟のことで、あたしは会釈を返せなかった。
いや、それは嘘だ。あたしはちょっぴり、罪悪感を感じていたのだ。
あたしがここに来た理由は、ポケモンの慰霊ではなく、
気持ちの整理のための、静かな時間が欲しかったから。

そんな自己中心的な考えが、ここにお参りにくる人たちに、快く受け入れられるはずがない。

俯きながら、ピカチュウのこと、お父さんのことを考えた。
カントー発電所からクチバシティに戻る道すがら、
タイチが教えてくれたの情報は、これまでのピカチュウに対する見方を180度転換する物だった。

『火傷、だいじょうぶ?』
『だいじょーぶだいじょーぶ。こんくらい唾つけときゃ治るぜ』

そう言いながらも痛みに顔を歪めるタイチは、強がっていることがバレバレで、
あたしはなんだかワケも分からず泣きたくなる。

『………タイチ、あのね』

タイチは慌てて言った。

『そ、そうだっ。お前のピカチュウのことについて、
 俺が知ってることを、全部教えといてやるよ』
『どうして、タイチがあたしのピカチュウのことを知ってるの?』
『あのおっさんが言ったろ。お前のピカチュウは、かつて親父さんの相棒だったピカチュウだって』

あたしは頷く。

『お前の親父さん……サトシはポケモンリーグで永世を冠された伝説のトレーナーだ。
 その相棒を務めてたとすれば、あのピカチュウが実際はどれだけ強かったか、ヒナタ、お前も想像できるだろ?
 お前は生まれてから今まで、ずっと知らされてこなかったのかもしれねえけど、
 俺は親父から思い出話として、何度もあのピカチュウの話を聞かされたよ。
 正直、耳にタコができるくらいにな』
『シゲルおじさまが……。じゃあトキワシティでおじさまに会った時、
 おじさまはあたしのピカチュウがお父さんのピカチュウだったって、気づいていたのかしら……』
『おいおい、お前俺の親父のこと、シゲルおじさまなんて言ってるのかよ』

タイチは心底嫌そうな顔をしてから、まあいいか、と溜息を吐き、

『曰く、あのピカチュウは普通のピカチュウじゃないんだとよ。
 お前の親父さんがポケモントレーナーを志した時から一緒にいるポケモンで、
 その電撃は強力無比で、大概のポケモンが一撃でダウンする。
 スピードも段違いで、通常移動がハイレベルのポケモンの"電光石火"使用時と同等の俊敏さらしい。
 そんなピカチュウが"電光石火"を使ったが最後、親父のウィンディの"神速"でも追いつけないって話だ。
 レベルも100近いっていうし、相手からしたら化けモンだな』
『ピ、ピカチュウのことをそんな風に言わないで!』
『ごめん。何もピカチュウのことを貶すつもりで言ったんじゃねえんだ。
 ただ、お前のピカチュウがとんでもなく強いポケモンなんだってことを言いたかっただけで……。
 お前、あのおっさんのサンダースの攻撃からピカチュウに護ってもらっただろ?
 ピカチュウが本気だすとこ見たの、あれが初めてだったけどさ……尋常じゃなかったぜ』

あたしはつい数時間前の記憶を思い出そうとしたが、
キュウコンが繰り出した炎の渦が視界を埋め尽くしただけだった。
震えだしそうになる体を、両腕で押さえる。

『これまでの旅の途中、ピカチュウはずっと弱いフリをしてきたのか?』
『うん……多分、そうだと思う。
 あの子をポケモンバトルを出したことは何回もあるけど、
 それなりに良い勝負になって、最後は勝利を収める、って感じだったし。
 でも……』
『でも?』
『違和感を感じることは、何度かあったの。
 ニビシティジムで、イワークの"たいあたり"を食らったはずなのに、
 ポケモンセンターで診てもらったら無傷だったり、
 オツキミヤマの洞窟で、あの男と出会ったときも、
 ピカチュウがフラッシュを消して、真っ暗になっている間に、男のエーフィが倒れていたり……』

『お前のピカチュウの演技にも、時たまボロが出てたってことか』
『そうね。その時、あたしがピカチュウの正体に気づいていたら……』

あたしは、どうしていたのかしら?
ピカチュウが本当は凄く強くて、誰にも負けないポケモンなんだと気づいていたら、
あたしはそれ以後、どんな風にピカチュウに接していたんだろう?

『あたし、ピカチュウにばっかり頼って、
 ポケモントレーナーとして成長できないまま、旅を続けていたかも知れないわ』

あたしは項垂れた。きっと、いや確実に、そうなっていただろう。
心のどこかで保険となるピカチュウの存在があって、目先のポケモンバトルを等閑にしていたに違いない。
そんなあたしを気遣ってか、タイチはわざとらしくやれやれと言って、

『それにしても、謎が山積みだな。
 まずあのおっさんとアヤっていう女の子の正体がわかんねーし、
 カントー発電所を乗っ取って、ピカチュウを攫った理由もわかんねーし』
『あと、もう話したと思うけど、あの男はオツキミヤマで、調査が目的とかなんとか言って、
 ピッピを捕まえていたわ。その理由も、結局、分かってない』
『おし、謎リストに一つ付け加えとこう――痛ッ』

メモ帳にさらさらっとペンを走らせるジェスチャーをして、
自分が火傷を負っていたことを思い出したタイチは、大袈裟に腕を抑えて呻いた。



タイチが挙げた、現時点で不明な点以外ににも、あたし個人にとって不明なことはいくつかあった。
けれど、それはだいたい、自分自身で答えが出せるようなものだったから、口にしなかった。

――ねぇ、ママ。どうしてママやシゲルおじさまは、あたしに、ピカチュウの正体を教えてくれなかったの?
――どうしてお父さんの相棒だったピカチュウが、お父さんが旅立ったときに、一緒に着いていかなかったの?

浮かび上がった疑問のうち、前者の答えは既に出ている。
旅立つあたしを心配したママが、ピカチュウに弱いフリをして同行するように頼んだのだろう。
シゲルおじさまとママは旧知の仲だから、
ママがシゲルおじさまに、あたしがトキワにきても何も言わないでくれ、と頼んだと考えても全然おかしくない。

そして、後者は……今は分からないけれど、
いずれお父さんに会えた時に、聞けると思う。
タイチはシゲルおじさまから思い出話をたくさん聞かされたというけれど、
あたしのママはあまり過去のことを語ろうとしなかった。
あたしが聞いたときも、『ヒナタのお父さんはね、最強のポケモンマスターなのよ』と言うばかりで、
当時のお父さんの性格や二人の馴初め、あたしが生まれてからお父さんが旅立つまでの経緯には、
いつも言葉を濁して、教えてくれなかった。

何かの事情がある、ということは前々から感じていたことだった。
そして恐らくそこに、ピカチュウがママの許に残った理由も、関係しているんだ、とも思う。

クチバシティに戻ったあたしは、ママやシゲルおじさまに、
ピカチュウが何者かに奪われてしまったことを、連絡しなかった。
本当ならあのサンダースやキュウコンを一捻りできるほどのピカチュウが、
人質の代わりにあっさりその身を差し出したのは、あたしの向こう見ずな行動に全ての責任がある。

だから、あたしはあたし自身の力で、ピカチュウを取り戻す。
ピカチュウは、特にママが大切にしていたポケモンだった。
ママは平等にポケモンを愛していたけれど、ピカチュウに対してだけは、特別な感情を抱いているみたいだった。

ピカチュウが得体の知れない組織に拐かされたと知ったら――。
ママ、悲しむだろうな。


さらに階段を上り、高層へ。
遠くから見て感じたとおり、四角錐の形をした塔は、
上に上れば上るほど、床の面積が狭まっていくようだった。

蔀窓から差し込む陽光が強まっていくのに対比して、人影がまばらになっていく。
お墓の設置数自体が少ないことも関係しているのかもしれないけれど――。
どのお墓も風化して苔生しているところから見るに、上層に行けば行くほど、
トレーナーだった人々も寿命が尽き、或いは忘れ去ってしまったかで、
もう永遠に慰霊されることのないポケモンのお墓が、増えているからかもしれない。

あたしが生まれるより前は、
このポケモンタワーは幽霊ポケモンが蔓延っていることで有名だったらしいけど……。
幽霊ポケモンなんて、どこにもいないじゃない。
こんなことなら、カエデも連れてくれば良かった。

さらに階段を上り、最高層へ。
なんとなくここまで上ってきてしまったけれど、そこには数えるほどの墓石しかなくて、
勿論、そのいずれにも、知っているポケモンの名前は無かった。
あたしは踵を返して、元来た道を帰ろうとした。
その時だった。
大きな天窓がつくる日溜まりに、何か、影が差しているような気がして――。

「誰……!?」

天窓を見上げる。何もない。
気のせいか、と息を吐いて、あたしは視線を日溜まりに落とした。

しかし、目には違和感が残ったままだ。
瞬きして、指で目を擦って、あたしはもう一度天窓と、そこから差し込む陽光を眺めた。
すると、遮蔽物のない陽光の中に、一カ所だけ、光量が弱い部分があることに気づいた。
まるで、そこに何者かが身を潜めているかのように。

「フェ、フェ、フェ。いい観察眼さね」
「誰なの?」

人間? それとも幽霊?
あたしはもう一度ぎゅっと目を瞑ってから、見開いた。

「嘘……さっきまで誰もいなかったのに……」

真っ白な日溜まりの真ん中に、車椅子に乗ったお婆さんがいた。
ただ、こうやってその姿を捉えることが出来た今も、
その存在はどこか希薄で、本当に実体があるのか、分からない。
このお婆さん、もしかして、本物の幽霊なのかな。

「私は幽霊なんかじゃない、辛うじて生を繋いでいるただの老婆さ」
「……!!」

まさかこの人、あたしの考えが読めるの?

「そう驚くんじゃないよ。こう永く生きておると、人間の考えはだいたい解るようになる。
 残留思念や複合霊体と意思疎通することに比べれば、人間の思考なんぞ単純そのものだからねぇ」

お婆さんは不気味にフェ、フェ、フェと笑ってから、手招きした。
ゆっくりと動かされる手は、骨張っていて、生気がない。
あたしが立ちすくんでいると、お婆さんは言った。

「こっちにおいで。なに、とって食ったりはしないよ」

顔は白い蓬髪に覆われていて、辛うじて唇が動いたのが見えただけだった。
実はこのお婆さんは怨霊か何かで、
こんな最上階まで独りでのこのこやってきたあたしを獲物に定め、
人間の姿になってあたしを油断させて、魂を取るつもりなのかもしれない――。
一瞬にしてそんな馬鹿げたストーリーが思い浮かんだけれど、
浮かんだ時同様に、沈むのも一瞬で、
あたしは辺りの静けさを乱さぬよう、日溜まりに足を踏み入れた。

「名前は?」
「え?」
「お嬢さんの名前じゃ」

少し迷ってから、

「マサラタウンの、ヒナタです」
「……ほう。道理で懐かしい感じがすると思ったわい。これも因果かねぇ。
 どれ、こっちにもっと顔を寄せておくれ」

あたしは言われたとおり車椅子の前に立って、手に膝をつき、お婆さんに顔を寄せる。

突然、お婆さんが顔を上げた。

「きゃっ―――!!」

叫びそうになる口を、両手で塞ぐ。

「おやおや、驚かせてしまったようだねぇ。
 なに、死神に命を刈取られるのを今か今かと待つ身だ、
 躯のあちこちにガタが来てしまって困るわい」

彼女の両眼は、ミルク色に濁っていた。
重い目の病気なのだろうか、それとも、既にこの目には光が見えていないのか。
またしても心を読まれたのか、お婆さんは目を閉じて言った。

「私が盲いてからもう十年が経ったがね、
 不便なことなぞ、何一つありゃしない」

――やっぱり、見えていないんだ。

「私みたいな老婆の感覚器が一つ衰えたからといって、周りは大袈裟に騒ぎすぎるのさ。
 私には、目や耳の代わりを果たしてくれる子たちがたくさんいるというのにねぇ」

子供……お婆さんの息子や娘が、介護をしてくれているということかしら?
そう思った矢先、あたしは膝掛けに隠れるようにして車椅子の肘掛け部分に並んだ、ハイパーボールに気づいた。

「お婆さんも、ポケモントレーナーだったんですね。
 ハイパーボールがこんなにたくさん……どんなポケモンが入っているか、教えてもらえませんか?」
「みんな、ゴーストタイプのポケモンさ。
 若い頃はこの子たちと一緒に、ポケモンマスターを目指したもんじゃった」

それからお婆さんは、青年時代の思い出を語って聞かせてくれた。
時折口をもぐもぐさせて語りが止まったり、
話の内容が飛んだりもしたけど、懐古している時のお婆さんはとても嬉しそうで、
あたしは相槌を打ちながら、いつまでもこの見知らぬお婆さんの語りに耳を傾けていたいと思った。

「ヒナタちゃんの相槌に乗せられて、ついつい、語りすぎてしまったねぇ」

あたしは陽の傾きと、その橙色で、いつのまにか日が暮れかけていることを知った。
――もう、こんな時間。
カエデが心配しているかもしれない。そろそろ辞去しよう。
そう思って立ち上がった私は、しかし、お婆さんの声にそれを思いとどまった。

「ヒナタちゃんは、何故ゴーストタイプのポケモンが生まれるか、不思議に思ったことがあるかいね?」
「いいえ……ありません」
「ならこれを機に知っておくといい。
 ゴーストタイプのポケモンは、生前のポケモンの負の感情が収斂して生まれるのさ。
 現世への未練、悔悛、幽世への恐懼、逃避が、負の感情の源じゃ」

あたしは暮れ泥む外界を一瞥してから、言葉を返すことにした。

「でも、それならどうしてあたしたち人間や、
 ポケモンに分類されない動物の霊は、存在しないんですか?」
「存在しとるよ。ただ、ゴーストポケモンに比べて、その個体数があまりに少ないために、
 存在しない、と定義されておるだけなんじゃ」

お婆さんはまたしてもフェ、フェ、フェと笑って、

「この世界で最も哀れな生き物は何か、と聞かれたら、私は迷いなくポケモン、と答えるねぇ。
 人間に及ばずとも高度な知能を持ちながら、
 その特異な体質のためにポケモンという枠で一括りにされ、人間のいいように扱われて、死んでいく。
 彼らには自由意志がないんじゃよ。たとえどんなに嫌でも、捕獲されてしまったが最後、
 人間に隷従し、時には鑑賞用として飼い慣らされ、時には戦闘用として鞭打たれて、寿命を全うするしかないんじゃ。
 大半のポケモンは、それを理解していながらも、
 トレーナーの愛情を受けて、自らの生に満足して死んでいく。
 じゃが、心ないトレーナーに捨てられたり、酷い扱いを受けたりして死んだポケモンは、
 果たして心安らかに眠ることができるじゃろうか?」

返事が、出来なかった。
お婆さんの言った言葉の意味を、噛み砕くのに必死だったから。
お婆さんは車椅子に座っていて、あたしは立っているのに、
何故か、教師に諭される生徒のように、見下ろされている感じがした。

「答えは、否、じゃ。
 彼らの魂は成仏することなく、現世を彷徨うことになる。
 実際のところ、人間も動物も、死後はそのほとんどが綺麗に成仏するのさ。
 人間は生前に得た知識から、それまでの生涯を肯定し、正当化する。
 動物は本能に従って生きているが故に、そもそも未練、後悔というものがない。
 しかし、その点に置いて、ポケモンには救いがないんじゃ」

人間に捕獲されて飾り立てられ、
美しさが衰えたら、消耗品のように捨てられて。
或いは望んでもいない戦闘に駆り出され、
傷つけたくないのに傷つけ、傷つけられたくないのに傷つけられて。

人間なら、辛いことを忘れて無理矢理納得できるかもしれない。
動物なら、疑問を持たずに受け入れることができるかもしれない。
でも、ポケモンはそのどちらでもなく、
未練を抱え、解消する術を持たないまま、死んでいくしかないんだ……。

「……そんなこと、今まで考えもしませんでした」
「ヒナタちゃんが気に病むことはないんじゃよ。
 この世のほとんどのポケモントレーナーが、
 その真実に気づかないままポケモンを育て、寿命を全うさせているんだからねぇ。
 ただ、私はヒナタちゃんに知っておいてもらいたかったのさ。
 人と人との輪を無限に広げて、理解しあうことが出来る人間と違って、
 ポケモンにとっての理解者は、トレーナーただ一人であることをね」
「はい。あたし、今持っているポケモンのこと、大切にします。
 勿論、今までも大切にしてきたけど――。
 お婆さんの話を聞いたら、あたし、もっとポケモンに愛情注がなきゃって、思ったから」
「フェ、フェ、フェ。流石はあの坊やの娘だ」

えっ――? あたしは伏せていた視線を上げた。
お婆さんは車椅子と一緒に、消えていた。。ただ、声だけが霊園に残響していた。

「ここでわたしに会ったことは、秘密にしておいておくれ。
 夜のポケモンタワーは危険じゃ。気をつけて帰ることさね」
「待ってくださいっ、あの、あなたの名前は、」
「キクコさ。もっとも、今となってはその名を憶えているものは少ないがねぇ」

フェ、フェ、フェの笑い声が響き終えると、辺りは急にひっそりと静かになった。
蔀窓から覗く景色は、夜。
天窓を光源としている最上層は、薄い闇で覆われていた。

「え……あたし、さっきまで……」

さっきまで、暮れ泥む夕陽を見ていたはずなのに。
鳥肌が立ち、あたしは何か考えるよりも先に、駆け出していた。

『――夜のポケモンタワーは危険じゃ』

おばあさんの言葉が、耳にこびり付いて離れない。
キクコと名乗ったあのお婆さんは、いったい、何者だったのかしら?
あたしの心を読んだり、ポケモンの死について説いたり……、
彼女は自分のことを幽霊ではないと言ったが、今考えてみれば、一体、どこにそんな保証がある?
階段を下りる途中に振り返ると、
充ち満ちた影の一部が、身をくねらせるようにして動いた気がした。
あたしはそれから三層下に下りたところで一人の僧侶に出会うまで、生きた心地がしなかった。


第10章 上終わり