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丘陵地帯の北東、一際深いドリーネの底に、ツガキリ大洞穴への入り口はあった。
ぽっかりと岩場に空いた暗闇からは、獣の吐息のような、湿った風が流れてくる。
その比喩は、あながち比喩とも言い切れない。
古くからこの洞穴は幾人もの探険家の命を貪り、帰らぬ者としてきた。そこにはハナコの父親も含まれる。
皆が無言になり、隊長は一度だけ振り返って全員の顔を見渡してから、洞穴に足を踏み入れた。
探険家二人と、顔に傷のある男、青年が間髪入れずに続く。
眼鏡をかけた男と、護衛要員二人は、互いに顔を見合わせてから、あわててその後に続いた。
数十分後。

「……そ、想像以上に狭いですね」と眼鏡をかけた男が息も絶え絶えに愚痴る。
「なんじゃ、洞窟が歩きやすいように横幅も縦幅も整えられとるとでも思っとったのか?」と隊長。
「…………」顔に傷のある男は、巨体を岩肌に体を擦らせながらも、黙々と歩みを進めている。

行方を遮る、今にも崩れそうな大質量の岩を慎重に避けながら、一行はツガキリの闇の奥へ奥へと潜っていく。
腰まで浸かる水場を抜け、高低差20メートルの難所を下る。
青年は体力の消耗を感じながらも、周囲に意識を張り巡らせることを怠らなかった。

「止まってください」

青年の声に、一行が歩みを止めた。その瞬間、

「オォオオオォォオォォ!!!!!」

地獄の悪鬼の断末魔もかくやの絶叫が響き、パラパラと塵が舞い落ちる。

「……ツ、ツガキリのヌシ……!」眼鏡の男がへたりこむ。
「若いの、種別と位置は把握できとるか?」
「はい。このポケモンは……俺が知らない種族だ。……大きい。今現在も移動しています」
「ひっ!」

眼鏡をかけた男が悲鳴を上げ駆け出そうとしたのを、顔に傷がある男が捕まえる。
青年は意識を研ぎ澄ませて、続けた。

「ただ、俺たちからは逆の方向に離れていきますね。……ディグダを狩っているようです」
「ヤツが狩りに夢中になっている間に、ワシらは歩を進めるとしようかの」

濡れた足元。体に纏わりつく湿った空気。時折響く、正体不明のポケモンの鳴き声。
気の遠くなるような行程が続き、やがて一行は開けた空間に出た。
青年の指示で、全員がヘッドライトを消していた。
完璧な暗闇の中で、青年が言った。

「天井に潜んでいるポケモンの数は、ズバットと未知のポケモンを含めて……十三匹です」
「若いの、お前さんのライチュウは確か"フラッシュ"を覚えちょるな?」と隊長が尋ねた。
「ええ」
「全体攻撃に秀でたポケモンを持つ者は?」

顔に傷のある男と、護衛要員の一人が肯く。

「"フラッシュ"だ、ライチュウ」

青年が召喚したライチュウが、洞窟中腹の大空洞を照らしだし、

「オムスター、"刺キャノン"」
「カモネギ、"かまいたち"」

顔に傷のある男が召喚したオムスターが、弾丸の如き速度、形状は杭そのものの刺を放ち、
もう一人の護衛要員が召喚したカモネギが、太刀筋の見えない風の鯉口を切る。
ライチュウが標的を眩い光で照らし出した直後、
オムスターとカモネギはその一瞬で全ての原生ポケモンの位置を把握し、無力化した。
地面に落下したポケモンの内訳は、ズバットと、毒々しい色の蜘蛛型ポケモン、
トランセルに似た緑の形状、しかし岩肌のように硬い皮膚を持つポケモンだった。
隊長は手際よく新種のみをモンスターボールで捕獲する。

「大したもんじゃな」

隊長の称賛に、顔に傷のある男が、誇るでもなく応えた。

「原生っつってもこいつらは小型の雑魚だ。
 そろそろ休憩にしねえか? いい加減、眼鏡野郎がもたねえぞ」

体力の限界が近いのか、眼鏡をかけた男が死にそうな顔で首を縦に振った。
ライチュウは光量を絞って、"フラッシュ"を続け、ランプとしての役割を果たしている。
健気なライチュウにポケモンフードを与えながら、青年は隻腕の老人の、ハナコに向けた言葉を思い出していた。

――私は洞穴中腹の開けたところで待機し、君のお父さんを含めた他の調査隊のメンバー四人は先に進んだ――

俺たちが今いる空洞は、あの隻腕の老人が語っていた場所だろうか。
もし、その推測が正しければ、この空洞から進路は分岐し、一方は崩落で通行不能になっている。
そしてもう一方は――数年前、ハナコの父親を含むシステムの調査隊が進んだ道だ。



石英リーグ委員会に属し、パーフェクトホルダー名簿の情報を流していた男が死んだ。
首吊り自殺と警察は見ているが、遺書はない――ゴルバットが運んできた手紙には、そう書かれていた。

「マズイね」

スカウトの男は言った。

「彼には自殺する理由がない。そして死体が残ってる。これが何を意味するか分かる?」
「見せしめ、ですか?」
「そう。本部がわざわざ僕に知らせてくれたのは、僕が、殺された彼との窓口になっていたからだ」
「マサラタウンからどこかに場所を変えて、身を隠しましょう」

隠密の女が、スカウトの男の手を取った。

「……そうだね、しばらくは君の希望どおり、七島でモラトリアムを楽しもうか。
 でも、その前に僕の安否を本部に教えてあげなくちゃ」

スカウトの男が手紙をしたため、ゴルバットの足に括りつける。
ゴルバットはマサラタウンの青空に飛び立った。
ふいに、強い風が吹いた。潮風とは違う、町のほうから吹き寄せる風。
その風に乗って、数枚の"葉っぱ"が天に上り、ゴルバットの両翼をもいだ。

「書き直しが必要だ」

理知的で、落ち着いた、低い声が聞こえた。
フシギバナを従えた白衣の男が歩いてくる。
すぐ傍に翼を失ったゴルバットが墜落し、血をまき散らしながら狂ったように暴れているが、
白衣の男は表情ひとつ変えずに、まるで散歩をするように歩みを続ける。
スカウトの男は後ろ手で隠密の女に「離脱準備」のサインを出しながら、白衣の男に語りかけた。

「これはこれは、お初にお目にかかります、大木戸博士。まさかそのゴルバットは、あなたのフシギバナが?」
「無垢とは無知という名の罪業だ。
 君は知らず知らずのうちに最悪の選択をしたのだよ」
「大木戸博士?」
「君の組織は既に機能していない」
「いったい、何の話か、僕にはさっぱり――」
「セキチクの本部、ニビ、タマムシの支部は昨日壊滅した。
 状況はヤマブキ支部の抵抗勢力の掃討と、各地の残党狩りに移行している」

残党たるスカウトの男は、焦りながらも頭を回転させる。
彼が所属する組織の本部、支部の場所は、今しがた挙げられたとおり。
壊滅した、という言葉が嘘だとしても、場所が割れているのは事実。
そして最悪、大木戸博士の言葉が全て真実だとしたら。
同時に大規模な作戦行動を起こせる実動課を持つのは、システムをおいて他にない。
寒風が吹きすさび、肌が粟立つ。

「……失礼」

大木戸博士は懐から金属製の何かを取り出し、耳に当てた。

「結構。……ああ、こちらは既に接触している。……後援は不要だ」

大木戸博士は金属製の何かを仕舞い、スカウトの男に向き直った。

「朗報がある。たった今、君の組織のヤマブキ支部が陥落した」

スカウトの男の意識は、自身の組織が完全に壊滅したことよりも、大木戸博士が持つ小型端末に向いていた。

「……それは一体?」
「初めて見るかね。衛星を介して通話できる情報通信端末だよ」
「衛、星?」
「上空約800キロメートルに位置する準静止衛星だ。
 先史時代に人類が打ち上げたもので、石英のコンピュータからのみ制御できる。
 ポケモンリーグ覇者……単独で兵器たりうる彼らの位置が、常に記録される仕組みについて考えたことはあるかね」
「…………」

スカウトの男は、大木戸博士が何を言っているのか全く理解できなかった。

「ふむ。石英リーグ統括委員会に潜り込み、君に情報を流していた男は、そこまでは掴んでいなかったか。
 座長以下の情報参照レベルを4に設定していたのは不幸中の幸いだったと言える……」

直感で理解した。大木戸博士は、システムの上位メンバだ。
ここで大木戸博士を始末すれば、システムは骨子の一つを失うだろう。
だが、自らが帰属する組織が消えたいま、そんな行動に、何の意味があるだろう。
そもそも、大木戸博士を始末する、という選択に現実味がない。
博士がポケモンの研究者として大成する以前、ポケモンマスターを目指していた、というのはあまりに有名な話だ。
そして、博士が石英にまつわる機密を教えてくれているのは、この情報が漏れないことを確信しているから。

「……三十六計逃げるに如かず、ってね。逃げるよ」

スカウトの男は振り返る。
そこで彼は言葉を失った。
主任、と叫ぼうとしたに違いない。隠密の女は前傾し、手を伸ばした体勢で氷結していた。
まるで生きた彫像だ。
どれほど強力な"冷凍ビーム"を浴びればこうなるのか、想像もつかない。

「ま、いつかはこんな時が来るとは思ってたけどさ。本当にあっけないよね、君……」

氷像となった彼女は答えない。その背後、マサラタウンの透き通った海に、純白のジュゴンが垣間見える。
大木戸博士は静かにジュゴンをボールに格納した。
スカウトの男は力なく笑った。

「僕の組織は壊滅。あなたは研究者としてだけでなく、トレーナーとしても一流。
 やりあっても死ぬだけだ」
「…………」
「でもね……この子のことは割と気に入ってたんです。柄じゃありませんが、弔い合戦と洒落込みますよ」