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ヒグラシの鳴き声がもの寂しく響いている。
お盆の時期というだけあって、墓参りをしている人影はちらほらと見受けられた。
青年とハナコは墓石の掃除と供え物をして、墓前で手を合わせた。
ここ――マサラタウン南西部に位置する墓地に、ハナコの母親は眠っていた。
一方で、青年の両親の墓はどこにもない。
昔、青年らが住んでいた場所に建てられた慰霊碑に、二人の名前が他の開拓者の名とともに刻まれているだけ。
青年が隣を見ると、ハナコは手を合わせるのをやめて、じっと墓石を見つめていた。
青年は穏やかに問う。

「……何を考えてるの?」

わたしのお父さんの遺骨が、お母さんの遺骨とともに、この墓石の下に埋められることはない。
お父さんはとうにツガキリの原生ポケモンに捕食され、自然に還っているはず……。
そんなハナコの思考を読んだように、青年はハナコの肩を抱いた。

「僕は君に、寂しい思いをさせたりしないよ」

全てを見透かした、優しい言葉。
帰り道の途中、そういえば、と青年は明るい調子で話しだす。

「この前、マサラ近海の海洋ポケモンの分布調査のために、漁船に乗せてもらったとき、興味深い出来事があってね。
 何か海の波間に白いものが見えるな、と思ったら、パウワウの赤ん坊だったんだよ。
 この季節にマサラ近海で見られるポケモンじゃないから、びっくりしたなあ。
 君にもぜひ見せてあげたくて、慌ててカメラを取り出したんだけど、そのときにはもう、海中に潜っていたんだ」

ハナコは思う。
もしもわたしがいなければ、この人は、きっと自由に旅が出来る。
ハナコの相談に対して、彼女の親友は以前、こう言ってくれた。

――旦那が好き勝手飛び回らないようにつなぎとめておくのは、妻であるあんたの、とーぜんの権利よ。

わたしの親友は将来、きっとそうするだろう。
何のためらいもなく、彼女の未来の夫を、いっときも手放したりしないだろう。
わたしだって、そうだ。
わたしには、死んだお母さんの気持ちは分からない。
家族よりも探険を優先するお父さんを、笑顔で送り出していたお母さんの気持ちなんて分からない。
だから愛する人に、自分の傍にいて、と願うことに何のためらいもなかった……はずなのに。

「あなたは……今も旅に出たい? 未開の土地で、未知のポケモンに出会いたい?」
「えっ」
「わたしに遠慮しないで、正直に答えて」

静寂。
青年はゆっくり肯いた。

「……でも、それは、まだまだ先の話かな。
 君との生活を満喫して、子供を二人か三人くらい育て上げてからの、いわば、老後の楽しみだ」

思いやりに満ちた微笑を見て、息が詰まった。
ずっと分からなかった、お母さんの最後の言葉の意味が、今になって分かる。

――お父さんを責めないであげてね。
――ただ一緒にいるだけが、大切の証じゃないのよ。

ああ。わたしは母の選んだ道を踏襲してしまう。
苦痛の道と知りながら、彼女の轍を辿っていく。
ハナコは青年を抱きしめて言った。

「あなたの、したいようにして」
「……ハナコ」
「そうしてまた、わたしのところに戻ってきて」



適格者の監視を任せていた手駒――隠密の女――からの定時連絡を、ズバットが運んでくる。
スカウトの男は手紙に目を通し、ため息を吐いた。

「……今すぐ来てくれ、ねえ。面倒事は勘弁よ、僕」

枝葉が円形に開けた、光のさしこむ広場のようなマサラの森の一区画で、
フィールドワークに適した作業着姿の青年と、隠密の女がのんびり昼食を摂っていた。
彼女が危害を加えられた形跡は皆無。
スカウトの男は、監視対象に発見・捕らえられた挙句、昼食を分けてもらっている隠密の女に苛立ちを覚えるが、
以前、自分も似たような状況に陥っていたことを思い出し、自己嫌悪に浸った。

「ああ、やっと来た」と青年。
「……!」

隠密の女は慌てておにぎりを隠すが、時既に遅し。
後で罰が必要だ、と思いながらスカウトの男は言った。

「まさかあなたの方から接触してくださるとは。
 もう少し考える時間を与えて、それから改めて伺おうと思ってたんですが――」
「聞きたいことができたんだ」

青年が笑顔で近づいてくる。
スカウトの男は、その笑顔に言いようのない空恐ろしさを覚えた。
青年は言った。

「君は俺の妻に、何か吹き込まなかったかな?」
「な、なんのことですか?」

本当に心当たりがない。
それが表情に出ていたのか、青年の笑顔の迫力が和らいだ。
そして、

「……君の組織の勧誘を受けたい」
「そ……それは良かった!」

反応とは裏腹に、スカウトの男は狼狽していた。
いったいどういうことだ?
この適格者を誘引するのは、半ば絶望視していたというのに……。

「妻の許しが出てね。君たちにとっては幸運なことに」
「な、なるほど」
「ただしこれだけは伝えておきたい。
 俺が君たちの組織の調査隊に同行するのは、これが最初で最後だ」
「せっかく奥さんのお許しが出たのに、なんでです?
 あなたはこの町に退屈してるはずだ。この町で出来ることなんてたかが知れてるでしょう。
 うちの組織に属していれば、あなたは調査隊護衛の名目で、様々な未踏地域に足を踏み入れることができるんですよ?」
「退屈していなかった、といえば嘘になる。
 いろいろと自分にできることを、全力でやってきたつもりだけど、それは、本当に俺がやりたいことじゃなかった。
 これまで自分も、妻も、上手くごまかせていたつもりだったんだけど、日に日にほころびが大きくなっていたみたいだ」
「それなら、」
「俺はもうこの町の人間で、妻を愛している。
 いつまでも夢に囚われて、大切な人を悲しませたくない」
「それで、最初で最後、ですか」

青年は遠方を見やっていた目を、スカウトの男に戻し、

「もう一つ。
 君たちの組織の調査隊は、ツガキリ大洞穴のどの深さまで探索する予定なんだろう?
 浅いところで引き返すなら、考えなおさせてもらうよ。
 妻の父親がツガキリの探索途中で失踪した原因を探ることは、
 自分自身の探険欲を満たすのと同等の、君たちに協力する動機でもあるんだ」
「……調査隊を編成して動かすだけでも、大変な手間と金がかかってます。
 行けるとこまで行ってもらいますよ。新種の二匹や三匹じゃ割にあわない」
「それを聞いて安心したよ」

隠密の女の失態で気分がささくれだっていたスカウトの男は、反感を承知で言った。

「僕はあなたがうちの組織に協力してくれさえすりゃ、万々歳ですよ」
「そうだね。君たちの組織は俺を利用する。俺は君たちの組織を利用する」
「詳細な話は、また日を改めましょう。
 あなたはお役所仕事の途中だ。――行くぞ」

スカウトの男に声をかけられた隠密の女が、飛び跳ねて追従する。
セキチクシティにおいて、古くから暗躍する隠密衆がある。
かの一族はポケモンを使った諜報・暗殺に長け、今もなおその技術は血統に継がれている。
スカウトの男は以前、その中から、芽のありそうな若い娘を引き抜いた……つもりだった。
マサラの森を、町の方角に歩きながら、スカウトの男は零した。

「君ね、それでもセキチクの隠密衆の一人?
 次に対象に気づかれたらクビだよ、クビ。何のために僕が君を雇ってると思ってる」
「も、申し訳ありません。ですが、」
「口答えは聞きたくない。でも、どうして彼に気づかれたのかは気になる。説明して」
「わたしは普段どおり、距離をおいて彼を監視していました。
 しかし、私が定時連絡をしようとした折に、彼がまっすぐ、わたしのほうに向かってきたんです」
「君のサワムラーの脚があれば、瞬時に離脱できたでしょ」
「気づいたときには、壁で全周を囲われてました」

壁――ヤドランの"リフレクター"か。

「突破する間もなく、彼がやってきて……」
「それで僕を呼び出す手紙を書かされた挙句、僕みたく彼からおにぎりの施しを受けたわけだ。一族の名が泣くね」
「……くすん」

いじめるのはこれくらいでいいだろう。
スカウトの男は言った。

「ちなみに、そのときの彼我は?」
「120メートルです」

ぞわり、と冷たい感覚が、スカウトの男の背筋を伝う。
話を聞く限り、こいつがあの適格者に気づかれたきっかけは、定時連絡用のズバットの召喚だ。
マサラ付近の森に、野生のズバットはいない。

「最低で120か。ハハ」

石英リーグ委員会にコネがあり、カントー地方パーフェクトホルダーの名簿を眺めていたら、
たまたま公式試合歴がゼロの妙な男が目に止まった。
次にトキワシティジムでのバトル映像が消去されていることに気づき、
直感で、音声を除く映像記録のみを復元、その試合運びにただならぬモノを感じ、接触を試みた。
すると、どうだ。感知系の最高クラスときた。
システムよりも早く、この適格者を見出せたのは、本当に僥倖だった。
協力するのは最初で最後、とあの適格者はナメたことを言っていたが、成果報告次第では何度だって協力してもらう。
……いや、待て……何かオレは見落として……。

「…………」
「主任、どうされました?」
「なんでもない」

スカウトの男は違和感を思考から振り払い、有能な適格者の勧誘成功を祝して鼻歌を歌った。