※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

――女と共に、最後のジムに来い――

変声機を通した声が、今も青年の耳朶にこびりついている。
雨が止むのを待って、翌日、青年とハナコはトキワシティに向かっていた。

「サカキ代理の男は、電話の相手について何か言ってなかったの?」とハナコ。
「分からないの一点張りだったよ」
「最後のジム、というのはトキワシティジムで間違いないわよね。
 いったい電話の相手は、どうしてそんな場所を指定したのかしら」
「俺に、突拍子もない考えがあるんだけどね」
「どんな?」
「突拍子もなさすぎるから、内緒」

ハナコが弱く青年の背中をつねる。そして、トーンダウンした声で、

「いよいよ、お父さんの居場所について、有力な情報が得られるのかしら……」
「一ヶ月足らずの間に、色々なことがあったね」
「あなたには助けられてばっかりで、わたし、やっぱり何か、ちゃんとしたお礼をしなくちゃ。
 ね……あなたは、どんなことをしてもらうのが一番嬉しい?」

君とこうやって、リザードンの背中に乗って空を飛ぶ時間が一番嬉しい。
本心を明かせばそれに尽きる。が……。

「そういうのは、本人に聞いちゃダメなんじゃないかな。……そろそろ着くよ」

リザードンが徐々に高度を落とす。
眼下の濃い緑が、薄まり、まばらになって、その合間に人の営みが見て取れた。
自然と人間の共生を標榜する街、トキワシティ。
ヤマブキやタマムシほど都会化が進んでいはいないものの、
比較的多くの人口と大学を有する、カントー地方西部の要所である。
青年はフィールドワークで何度か訪れたことがあり、
ハナコも休学以前は、ドードーに乗ってマサラタウンからトキワ大に通っていた。
関所のそばにリザードンを着陸させて、関所を通過する。
ジムに足を踏み入れると、青年とハナコは、まるで図書館のような静謐さに息を呑んだ。
天井を丸く切り取ったような天窓から陽光が取り入れられている。
ロビーに人の気配はない。

「もしかして、お休み?」

ハナコの無邪気な問いに、青年が奥の受付を指し示す。

「お休みなら入れないよ。ほら、あっちに受付の人がいる」
「でも、わたしたちの他に、誰も来てる人がいないなんて……」
「なんといっても、ここはトキワシティジムだからね。挑戦に訪れる人はめったにいないんだと思う。
 グレンジムに挑戦したときも、その日の挑戦者は、俺を入れて三人だけだった」
「そういう意味じゃなくて……あなたを電話で、この場所に呼び寄せた人がいないじゃない?」
「確かに」

言いつつ、青年は受付に向かった。

「ま、待って。あなた、もしかして挑戦するつもりなの?」
「もののついでだよ。その間に、僕を呼び寄せた人が来るかもしれない」
「急すぎるわよ!」
「今の自分がどのくらいまで通用するのか、確かめたいんだ。
 ああ、それと……ハナコには俺の戦いを観ていて欲しい」
「もう!……わかったわ」

俺がジムに挑戦しなければ、この場に呼び出した彼、あるいは彼女には会えないだろう。
青年は半ば確信しつつ、登録を済ませた。
現在挑戦中のトレーナーがいなかったために、青年はすぐに試練の間に通された。
ハナコは別の入り口から、ジムリーダー戦が行われる最後の部屋の観戦ルームに通される。
青年はトキワの爽やかな緑とは無縁の、灰色の迷宮に第一歩を踏み出した。



適格者、という言葉がある。
ポケモンの扱いに長けた者。
ポケモンの能力を限界以上に引き出す者。
史実における初出の適格者は、野生ポケモンの害意を失わせる能力の持ち主とされる。
カントー地方南東部、現在ではセキチクシティとシオンタウンを繋ぐ13番道路の敷設作業に『彼』は従事していた。
付近の野生ポケモンの駆逐が未完了のまま駆りだされた作業員の負傷・死亡率は、決して低くはない。
野生ポケモンが出現して犠牲者が出た場合、他の作業員は迅速に退避し、
ポケモントレーナー(当時は調教者と呼ばれていた)の到着を待つことが慣例となっていた。
しかし『彼』は、突如現れたカイロスが同僚の胴体を断ち、他の作業員に襲いかかろうとしたとき、例外的な行動に出た。
『彼』はカイロスに呼びかけた。どうか、君の住処に帰ってくれ。僕の友達を傷つけないでくれ――と。
カイロスはその場に静止した。まるで動力の切れた玩具のようだった、と当時の様子を知る作業員は証言している。
カイロスが静止してからしばらく、到着したポケモントレーナーが、炎ポケモンでカイロスを焼殺処分した。
その後、幾度かの実験を経て、『彼』が野生ポケモンを鎮静化させる能力を持つことが明らかになった。
『彼』に似た能力の持ち主は、極稀に現れた。
能力は千差万別であり、道具で代替可能なものから、科学では再現できない、唯一無二の能力も存在した。
共通するのは、それがポケモンの使役を助ける能力であること。そして、遺伝性であること……。
ある科学者は大胆にも予言した。
適格者は人類がポケモンを統べる存在となる先触れだ、と。
いずれは人類全体が、ポケモンを自由に使役するための能力を手に入れる、と。

いま、適格者の一人である彼女――トキワシティジムリーダーは、ジム最奥部の大広間で、挑戦者を出迎える。
そこは高さ数メートルに達する円錐状の岩が、何本も反り立つフィールドだった。
ゲートが開扉を終え、線の細い、子どもじみた容貌の青年が現れる。

「おめでとう。初挑戦でここに到達できるのは五人に一人」
「初挑戦でグリーンバッジを手に入れられる確率はどれくらいですか?」
「二十人に一人ってところかな」
「容赦しないんですね」
「容赦して、その数。しなければ分母が三桁になる」

青年は肩を竦め、

「あなたが俺をここに呼んだ?」

唐突な話題の切り替えに、彼女はあっさりと対応した。

「その通り。私が誰だか分かる?」
「……トキワシティジムリーダー兼ロケット団のボス」

観戦ルームでハナコが小さな声を上げた。

「聡いね。なぜ分かった?」
「ここはあなたの空間です。内緒話に最適でしょう」

事実、この空間には、本来いるはずの審判がいない。

「それだけ?」
「そうだったら面白いな、と思いました。裏ではロケット団のボス、表ではトキワの最強ジムリーダーなんて。ただ……」

青年は言葉を切って、奥の台座に腰掛ける妙齢の女性を観察する。

「もっと老獪なマダムを想像していました。今年でおいくつですか?」
「三十七。出産は二十一年前だったかな。せがれが迷惑をかけた」

いったい誰が、彼女の実年齢を言い当てられるだろう。
彼女は胸元の左腕を支えに、右腕で物憂げに肘をつき、
黒のロングスカートに包まれた足は艶美に組まれ、つま先は退屈している子供のように揺れている。
そして、この世の全てを懐疑的に、侮蔑的に見つめる三白の双眸。サカキとの共通点。

「いえ、特に気にしていません。むしろ、あなたとお話できるのは彼のおかげだ」
「時間がもったいないから戦いながら話そう。使用ポケモンは3体」

トキワシティジムリーダーにしてロケット団の首魁たる麗人は、
付き人の手を取るような優雅な仕草で、右手を差し出した。
掌を伝うようにボールが自然落下し――現れたのはベロリンガ。
腹部と膝の模様が確認できなければ、判別は困難を極めただろう。
青年が資料で見た野生のベロリンガは丸々と太っていたが、
目の前の個体は、肋が浮くほどに体型が絞られ、口端からは際限なく涎が溢れだし、黒い眼は爛々と輝いていた。
飢餓状態にあることは明らかだ。

「ポケモンフードをちゃんと食べさせていますか?」

訊きつつ、青年はライチュウを召喚した。

「人もポケモンも、渇望が育てる。――接近」

命令が響いた瞬間、ベロリンガは弾かれたように動き出した。
速い。岩から岩へ、第五の手足とも言うべき舌を使いながら、ピンクの影が躍動する。
下手に動くのは得策ではない。青年は指示を我慢する。そして、

「"叩きつけ"ろ、ベロリンガ」
「ライチュウ、"影分身"」

ライチュウが残像を残して跳躍し、ベロリンガの舌が、ライチュウが立っていた地面を抉る。
舌の長さは、ゆうに2.5メートルを超えていた。

「そのまま"電磁波"だ」
「遅い。捕らえられないよ」

横っ飛びの体勢でライチュウが電磁波を照射するが、ベロリンガは既に岩陰に隠れていた。
状況は振り出しに戻る。

「君の両親は開拓者で、両方野生ポケモンに殺されている。――"丸くなれ"」

ベロリンガが身体を丸め、勢いをつけて岩肌を転がり降りる。

「そこまで調べられているんですね――もう一度"影分身"だ」
「君の両親が死ぬ以前より、開拓者の死は当然のものとして扱われてきた――"巻きつけ"」

急制動をかけたベロリンガが、ライチュウの左後ろ脚を、正確に舌で絡めとる。
影分身が封じられる。

「分かっています。過去の犠牲によって現代の繁栄がある――"アイアンテール"で舌を切れ」
「なのに、人が増えた現代で、人の使い捨てが忌避される、という矛盾――"捨て身タックル"」

ライチュウの硬質化した尻尾が唸りを上げて、ベロリンガの舌に迫る。
が、懐に飛び込むようなベロリンガのタックルが先に決まり、アイアンテールは、ベロリンガの舌を浅く傷つけるに終わる。

「過去の開拓者たちと、現代の調査隊の違いは何?――離すな、ベロリンガ」
「たくさんありますが、本質は必要性ですか?――"電気ショック"」

ライチュウが電気ショックを放つ。
感電したベロリンガの身体が激しく痙攣するが、舌はライチュウの足を締め付けたままだ。

「そう。人は今の生活圏で十分。これ以上の探索に大義名分はない――仕切り直せ」

ベロリンガが舌を解き、ライチュウから距離を取る。
ベロリンガの唾液には麻痺性の毒がある。
一定時間以上、舌に触れられたライチュウの足は、もうじき動かなくなるだろう。
青年は思い切ってライチュウをボールに戻し、モルフォンを召喚した。

「余計と分かっていても、人は探索をやめられない。知的好奇心がある限り――"超音波"だ、モルフォン」
「探索には優れた人命と物資が入り用。――場所が割れる、速攻をかけろ」

モルフォンが天井近くまで飛翔し、"超音波"を放つ。
超音波はアクティブ・ソナーの役割を果たし、岩陰に隠れていたベロリンガの位置を特定する。
ベロリンガは身をさらけだし、舌をアンカーに、身体を引っ張り上げるようにして、最も高い岩を駆け上がった。

「それらを使い潰せる組織に心当たりがありますか?――"サイケ光線"」
「その組織に名前はない。けれど存在を知る人間には"システム"と呼ばれる――ああ、舌の切れ込みが敗着か」

ベロリンガが数度目に岩肌に舌先を打ち込み、身を引っ張りあげたそのとき、
ライチュウのアイアンテールが負わせていた切り傷が広がり、舌がちぎれた。
滑落するベロリンガにサイケ光線が直撃し、その身が地面にたたきつけられる前に、ボールに格納される。
岩肌に残された、舌の先端を見つめながら青年が訊いた。

「舌は治るんですか?」
「また生える。少々時間がかかるけど」

リーダーは無表情で2つ目のボールを投げる。現れたのはスピアーだった。

「話を続けよう。君のガールフレンドの父親は、数年前からシステムの一員だった――"ミサイル針"」
「どうやってその情報を?――高度を下げるんだ、モルフォン」

スピアーがおしりを突き上げるようにして、上空のモルフォン目掛けて針を射出する。
一発でも羽に当たれば、飛行能力は大きく削がれてしまう。
モルフォンは障害物――円錐状の岩――に隠れるために、高度を下げざるを得ない。

「システムとロケット団は、君の予想通りの従属関係。――"高速移動"、"追い打ち"」
「彼がシステムの調査隊に参加した理由は?――避けながら"眠り粉"」

モルフォンは岩の間を縫うように飛びながら鱗粉を撒き散らす。が、スピアーはものともせずに突っ込んでくる。
青年は舌打ちを堪えた。相手の躊躇に期待した自分が悪い。
空中での運動性能はスピアーに軍配が上がる。
モルフォンはスピアーに追いつかれ、"追い打ち"が決まった。あと一撃もらえば、モルフォンは戦闘不能になる。

「強制、という言葉を期待している? なら残念。彼は望んでシステムに身を捧げた――"ダブルニードル"」

両腕の突撃槍が繰り出される。
内心の動揺とは裏腹に、青年の指示は冷静だった。

「"テレポート"だ」
「背後に"ミサイル針"」

モルフォンが転移し、スピアーのダブルニードルをかわす。
スピアーは振り返らず、おしりを後背に反らし、ミサイル針を射出した。
一見、何もない空間に放たれた針は、その弾道に出現したモルフォンの羽をズタズタに引き裂いた。
青年が感嘆の息を吐いた。

「……どうして分かったんですか?」
「あの状況を脱するには"テレポート"しかない。事前の"超音波"で障害物の把握もできていたはず」
「転移先の特定は?」
「逃げるなら敵の死角――どんなポケモンでも本能的にそこを選ぶ」

あの時の青年に、転移先として岩陰を指示する程の思考の余裕はなかった。
目前にスピアーの針が迫れば、モルフォンが咄嗟のテレポート先としてスピアーの後背を選ぶのは分かっていたのに……。
青年は三匹目のポケモンとして、オコリザルを召喚する。
リーダーもそれに応じて、スピアーを仕舞い、サイドンを繰り出した。
一言で表すなら、鋼の鎧をまとった恐竜。
長い尻尾を左右にしならせ、角の調子を確かめるように、手近な岩石にこすり付けている。

「参ったな。レベル差がありすぎませんか?」
「それは君の主観だね。サイドンは適切な練度だよ」
「脱線しました。彼がシステムに身を捧げた理由は?――"けたぐり"」
「もう話したよ――"踏みつけ"ろ」

オコリザルが左右にステップを踏んで、突如、サイドンに肉薄する。
オコリザルの足払いを、サイドンはジャンプで躱し、
着地と同時にオコリザルを踏みつけようとしたが、既に着地点からオコリザルは消えていた。

「つまりはシステムが持つ人材と金?――身を隠せ、オコリザル」
「そう。ある意味で、システムは探検家の最高のパトロン。――もういいかな、"怪力"」

サイドンの重機を思わせる腕が振るわれ、周辺の岩があっさり破砕される。
まるで、子供が発泡スチロールを砕いているみたいな光景だった。

「システムから彼へのスカウトはどんな経緯で?」

バラバラになった岩の隙間から、オコリザルの姿が露見した。

「詳細は不明。彼の探検家としての実績が評価されたのは確か。
 それと、君が今、尋ねるべきはそれじゃない――"乱れ突き"」

青年は観戦ルームのハナコを意識して、すぐに思考を切り替えた。
物事には優先順位がある。

「彼は生きているんですか?――地面に"メガトンパンチ"」

オコリザルが渾身の力で、大地に拳を打ち下ろす。
サイドンが砕いた砂礫が跳ね上がり、砂のベールを作り出す。
サイドンの乱れ突きがそれを切り裂くが、オコリザルを貫くことは叶わない。

「可能性は限りなく低い――全周を一掃しろ」
「システムの調査隊の一員として、彼が最後に探検した場所は?――"穴を掘れ"」

サイドンが尻尾を使い、極大のムチとして辺りを薙ぎ払った。
が、オコリザルはその寸前に、地中に身を隠した。
静寂。ぱらぱら、とサイドンの尻尾にまとわりついていた砂が地面に落ちる音が響く。

「分からない。けれど、彼と同じ調査隊に所属していた探検家で、生きている人間を知っている」

リーダーはその人物の名前を告げた。
それは青年やハナコが、既に会っている人物だった。そして、

「地面に逃げたのは失着。サイドン、"地割れ"だ」

サイドンが大きく四股を踏んだ。
彼を中心に、同心円上に大地に亀裂が走る。青年が叫んだ。

「オコリザル、上がれ!」

地面が盛り上がり、オコリザルが飛び出す。
あのまま地中に身をひそめていれば、場所が悪ければ圧死していただろう。
それはリーダーにとっても想定の範囲内であり、

「"角ドリル"」

出てきたところを、角の一撃で終わらせる予定だった。
しかしオコリザルの出現位置――サイドンの直下――が、彼女の想定を覆した。

「"けたぐり"」

角ドリルの予備動作に入っていたサイドンの足を、オコリザルのローキックが崩す。

「"地球投げ"」

よろめくサイドンの腕をオコリザルが捕まえる。
そして素早く体を反転、背中をサイドンの腹に押し当てるようにして、前傾する。
サイドンはオコリザルの小さな背中を滑るように移動し、地面に叩きつけられた。
一連の動作の所要時間は2秒に満たない。
サイドンは動かなかった。
今しがた受けた技のダメージは、ポケモンの自重に比例するものだ。
リーダーは訊いた。

「いまのバトルについて、2つ質問。
 私がサイドンに位置を変えさせる可能性は考えなかった?」
「オコリザルとサイドン、二匹の練度の違いがあなたに、
 サイドンは狩る側、オコリザルは狩られる側だと認識させていた。違いますか?」
「その通り。『後退』の意識が希薄になっていた。柔軟性に欠けていたね。
 それじゃあ、もうひとつ。本命はこっち……どうやってオコリザルを、サイドンの真下に行かせた?」
「完全な賭けですよ」
「確信していたように見えたけど」
「俺の考えと、オコリザルの考えがたまたまシンクロしていた。それだけの話です」
「そう」

リーダーは台座から腰を上げて、荒れ果てたフィールドの上を歩き出す。
公式試合の最中におけるトレーナーのフィールド立ち入りは重大な違反行為だ。
青年もリーダーにわずかに遅れて、フィールドに足を踏み入れた。二人の距離は近い。
ハナコは観戦ルームの中から、唖然とその模様を見つめていた。

「君はもう、公式試合に参加しない方がいい」

と、倒れ伏したサイドンを見下ろしながらリーダーが言った。
青年は大健闘したオコリザルを撫でながら答える。

「どうしてですか?」
「どうしても」

リーダーが青年に、ぴたりと視線を合わせる。
彼女の瞳は、朽木の虚のように暗かった。

「……分かりました」
「物分かりがいいね」
「色々と理由を並べられるよりも、何倍も説得力がありましたから。親切心からの言葉でしょう?
 それに、俺はリーグを目指して、バッジを集めていたわけじゃない」
「老婆心、の方が正しいかな」
「俺にとっては、どっちも同じだ」
「それから、今度はロケット団のボスとして、君に誘いがあるんだけど……」
「お断りします」

リーダーは口角を数ミリ上げて、ジャケットのポケットから煙草を取り出した。
火を付ける前に、ふと思い出したように上を向いて、

「観戦ルームの通用口を開けてやれ」

ガチャ、と音がして、普段は厳重にロックされている、観戦ルームとバトルフィールドを繋ぐ非常用のドアが開いた。
ハナコが青年とリーダーの元へ走り寄ってくる。ハナコはリーダーを見て言った。

「トキワシティのジムリーダーが、ロケット団のボスって、どういうことなの?」
「どういうことも何も、そういうこと」

リーダーは煙を吐きながら応える。

「せがれの代わりは果たしたつもり。まだ何か聞きたいことがある?」

彼女の言葉はハナコではなく、青年に向けられていた。

「あなたが試合に出した三匹は何軍ですか?」と青年。
「サイドンが三軍。そんな質問に意味がある?
 間違いなく言えることは、ポケモンの練度だけで判断するなら、君に勝機はなかった。
 ああ、忘れないうちに、これ」

リーダーが青年にグリーンバッジを手渡した。
ハナコにはそのやりとりが、まったく理解できない。

「まだ、ふたりともポケモンが残って――」
「私は時間とエネルギーのロスが嫌い。説明は彼に任せる」

リーダーは青年を一瞥して、ハナコに向き直った。

「……どうしてこの男は、君に尽くしてると思う?」
「えっ」
「なくしたものに意固地になるか、今あるものを繋ぎ止めるか、よく考えること」

言って、リーダーは歩き去った。
フィールドには、青年とハナコと、口紅のついた煙草の吸い殻だけが残された。