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微睡みの中で、たまに思い出すことがある。
ゆるく波打った短い髪。優しげな目元。子守唄を歌う唇……。

「誰のこと、考えてるの?」

下着と服を身につけながら、女の子が拗ねたように言った。
数時間前に繁華街で出会って、お酒を飲んで、休憩の名目で安宿に転がり込んだ。
タマムシ大学、かの有名な大木戸博士の息子、ポケモントレーナー、etc……。
肩書きで食いつかせ、軽妙なトークで心に隙を作る。いつもの手順だった。
青年の親友は天井を見つめながら、正直に答える。

「母さんのこと」
「お、お母さんのことを考えてたの……!?」

引いてる引いてる。
彼は内心でほくそ笑み、思いつくがままに話す。

「俺さ、母さんがいないんだよ。俺が物心付く前に家を出ていったらしくてさ。
 んでもって、親父が用意した若い使用人が母親代わりだったんだけど、
 やっぱ、ダチの母親と比べると微妙に違うんだよな。
 愛情は感じないでもなかったんだけど、なんつーか、
 自分か子供の命かの二者択一の状況で、迷いなく子供を選べるくらいの深さを求めてたんだよ、俺は」
「………」
「女って感情の切り替えが上手じゃん。
 そういう機能って、母親になってから、子供と別れるときも正常に働くのかな。
 そりゃあ、親父と不仲になったことは仕方ないし、俺がとやかく言う気はねえさ。
 でも、たまに俺に会いに来るくらいの思いやりは、あっても良いと思うんだよ」
「あ、あのね。あたし、もう帰らなきゃ」

女が手帳の紙を一枚裂いて、ペンを走らせる。

「あたしたち、また会える……よね? ここ、置いとくから」
「ん、そのうち連絡する」

連絡先が書かれたメモ書きをサイドテーブルに置いて、彼女は部屋を出て行った。
青年の親友はタマムシの夜景を見つめながら、「ふぅ」と溜息をついた。
話したいことは話して、面倒なことは聞き流す。そんな女ばかりだ。
タマムシやヤマブキの街で、例外――ハナコのような――と出会うことは難しい。
メモ用紙を灰皿に乗せて、マッチを擦って、灰皿にくべる。

「一期一会、ってな」

休憩時間はまだ残っている。彼は朧気な母親の記憶を辿ろうとした。
彼女はよく、紫の花を花瓶に生けていた。

――これはママが一番好きなお花。しおん、って言うのよ……。

調べようと思えばいくらでも調べることはできる。
会おうと思えばいくらでも会うことはできる。
それをしないのは、俺が拒絶を恐れているからだ。
メモ用紙が完全に燃え尽きたあとも、青年の親友は、灰皿をぼんやりと見つめ続けていた。



「それじゃあ、カツラさんは奥さんの出産に立ち会うために、
 ジム戦を切り上げて病院に行っちゃったのね」

舗装の不十分な幅広の道に、二人分の長い影法師が伸びている。
青年はハナコと連れ立って、マサラタウンの街道を歩いていた。
町役場、雑貨屋、漁港を巡り、最後の案内先として、ハナコは彼女が子供時代にかよっていたスクールを選んだ。

「……バッジをゲットできたのに、あんまり嬉しそうじゃないわね?」

とハナコは青年の顔を覗き込む。

「まさか。すごく嬉しいよ。嬉しくないわけがない」
「でも、ゴールドバッジの時ほど、嬉しそうに見えないわ」
「それは、ジムリーダーと最後までポケモンバトルが出来なかったというのもあるし、あとは……」

強いポケモントレーナーとバトルをすれば、またあのポケモンと同調するような感覚が降りてくるのではないか。
そんな期待を抱いていたのに、機会が失われてしまったからだ。

「なんでもない」

真面目に話したところで、妄想たくましいと笑われるにきまっている。
と、目前に目的地が見えてきた。
年季の入った木造の建屋――スクールだ。その正門から出てきた子供たちが、青年とハナコの反対方向に駆けていく。

「ちょうど下校時間だったみたい」

正門付近には、子供たちを見送る若い女の教師がいた。

「また明日ね〜。宿題忘れちゃダメよ〜」

彼女の顔は、こちらからは夕日の逆光で見えなかったが、
あちらからは遠目にも、こちらの人相が分かったようだ。

「あっ!! おーい! ハーナーコー!」

大きな声で叫び、子供のようにぴょんぴょんと跳ねている。
呼ばれたハナコも、声で相手の正体がわかったらしい。
顔をほころばせて駆けていき、二人は手を取り合った。

「も〜、ハナコったらタマムシに行ったっきり、全然帰ってこないんだからぁ〜! 心配してたんだよ?」
「実は、昨日から帰ってたんだけど、荷物の整理で忙しくって……」
「薄情者ぉ! あたしのことを後回しにするなんて許さん! なんてね。あたしはハナコと会えただけで満足よん」

そこでスクールの女教師は、ぐっと青年を睨めつけ、

「で、コイツは誰? タマムシから引っ付いてきたナンパ男?」
「ち、違うってば。この人は……ええと……やっぱり、それで合ってるのかしら?」

ハナコがいたずらっぽく笑んで、青年を上目遣いに振り返る。

「ちょ、ちょっと待った! 俺はそんなんじゃ、」
「やっぱりそうだったのね! これまで純なハナコを誑かそうとした男は数知れず。
 しかぁし! このあたしがそやつらの毒牙を、片っ端からへし折ってきてやったのだ!
 あんたもあたしの教鞭のサビにしてやるから覚悟しな!」
「さ、サビ……?」

女教師がどこからともなく取り出した教鞭をぴしりとしならせる。

「はい、ストップ」

そこでハナコが、女教師を後ろから優しく羽交い締めにした。

「この人は、タマムシであたしが困ってるところを助けてくれたの。つまり、あたしの恩人なの」
「なぁ〜んだ、そうだったのかぁ……。
 後先になりましたが、あたし、小さいころからハナコの親友をやってます。
 どうぞお見知り置きを……って、そんな話信じられるかぁ!」

再び女教師が暴れだす。
ハナコ以上に表情が目まぐるしく変化する人物だ。
彼女はハナコに負けず劣らずの、そして別ベクトルの美女だった。
ノースリーブのサマーニットを盛り上げる豊満なバスト、タイトなミニスカートから伸びる足に、つい青年の視線が引き寄せられる。
それを認めたハナコの表情が険しくなっていることに気づかず、ハナコの親友はこう宣言した。

「決めた! 今夜はあんたたち二人に、タマムシでのこと、じーっくり聞かせてもらうわ!」

数時間後。
マサラタウンの寂れた居酒屋の一角で、ハナコの親友はぐでんぐでんに酔っ払っていた。
両腕でしっかりと一升瓶を抱きしめ、譫言のように「ハナコはあたしが守るんだからぁ……」と呟いている。
彼女が自力で歩けるわけもなく、結局ハナコのドードーの背中に乗せて、帰路を歩むことになった。

「うぅ、飲み過ぎで気持ち悪い」と青年が呻く。
「大丈夫? あたし、止めるに止められなくって……」

居酒屋で散々、ハナコの友人に絡まれた青年は、
必然的に彼女が愛してやまない純米酒に、彼女が潰れるまで付き合わされた。
ハナコを心配させまいと、青年は居酒屋での会話を振り返る。

「二人は、幼なじみだったんだね」
「ええ。歳はわたしの方がふたつ下で、あたしにとっては、お姉さんみたいな存在」
「過保護なところがあるみたいだけど」
「昔からそうなの」

ドードーの首に手を回し、寝息を立てている彼女は、
ハナコが現在休学中のトキワ大学を卒業後、生まれ故郷――マサラタウン――のスクールの教師になったらしい。
豪放な性格からは想像できないが、大が付くほどの子供好きで、マサラの発展に寄与したいが故の進路選択だと言う。

「タマ大の研究者の卵だからって何よぅ……エリートトレーナーだからって何よぅ……、
 あたしはじぇったいに……認めましぇんからねぇえぇ……」
「家についたわ」
「ふぇ? やだやだやーだー! 今日はハナコと一緒に寝るのぉ!」

ハナコが家の人に、暴れるハナコの親友を引き渡す。
とてもスクール生徒の保護者には見せられない醜態である。
彼女の両親は「いつも悪いねぇ」とハナコに頭を下げていた。
それから青年とハナコは、ハナコの家に向かって歩き出した。
青年はそっとハナコの横顔を盗み見る。
アルコールのせいだろうか、ほんのり桜色に色づいた肌が艶かしい。

彼女の自宅は、住宅地の西部に位置する、比較的大きな一軒家だった。
彼女の母親は病でこの世を去り、父親は旅に出たまま行方不明。
無明の家は、辛い現実の象徴だと言えた。

「送ってくれてありがとう」
「こちらこそ、今日はマサラタウンを案内してくれてありがとう。
 楽しかったよ。ハナコが生まれ育った場所が知れて、ハナコの友達にも会えて」
「あの、ね。あなたをうちに泊めてあげたいところなんだけど、
 もし、誰かに知られたら、その……小さな町だから……」

婚前の女が男を自宅に連れ込んだことをご近所に知られれば、
どんなにもっともな理由があろうとも、下衆の勘繰りが生まれるものだ。

「民宿はすぐ傍だし気にしないで。
 明日の朝、あの丘で待ち合わせよう」
「ええ、わかったわ」
「それじゃ」

青年がハナコに背中を向けようと、半身を翻したそのとき、
青年の左頬に何かが触れた気がして、すぐに離れた。

「わ、わたしも酔っちゃったみたい。おやすみなさい」

夜闇にも明らかなほどに、顔を赤くしたハナコが、玄関までのアプローチを駆けていく。
青年は頬に残った感触に触れながら、五分ほど、一人きりでその場に立ち尽くしていた。