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「へぇー、それじゃあヒナタもポケモンマスター目指してるのか?」
「うん、まあ……一応ね」

焚火の明かりに、四つのバッジがきらきらと反射している。
内訳はグレーバッジとブルーバッジが一つずつ。

「俺と一緒だな」

タイチは嬉しそうに言って、破顔する。
その表情は幼子の無邪気なそれにそっくりで、
とても初めて見たときのイメージに合致しなかった。
外見だけで人間性を推し量ることはできないのだと、僕はしみじみ再認識する。

「あたしもポケモンマスター目指そっかな……」

と膝を抱えて独りごちるカエデ。
僕はそんな彼女の肩を叩いて、

「ピカ、ピカチュ」

早まらないほうがいい。一時の情感に流されて本当の夢を見失うつもりかい?

「そうよね。今からニビシティに向ったらヒナタやタイチと離ればなれになっちゃうもんね」

いや、そういう意味じゃなくてだな。
頭を抱える僕を余所に、ヒナタが訊いた。

「ねえ、タイチ……さん」
「タイチでいいって。変な気ぃ使うなよ」
「それじゃあタイチ、どうしてあんたは無闇にあたしたちに近づいてきたの?」


タイチは頬をぽりぽりかきながら、

「んー、お堅い言葉で言うなら情報交換のため。
 ヒナタとその従妹……カエデさん、だっけ?」

しゅば、と挙手するカエデ。

「カエデですっ! あと、さん付けはやめて。
 呼び捨てでいいから。いやむしろ呼び捨てて欲しいの」
「……あ、うん、カエデね。
 で、お前ら二人を見つけて、俺はピンと来たんだ。
 こいつらもカントー発電所の異常を解明しにきたんじゃないかって。
 実際そうなんだろ? ま、俺の場合は、あわよくばマチスからオレンジバッジ戴こうって算段もあったわけだけど」

ヒナタの視線があちこちに泳ぐ。
まさか自分はその気まんまんでした、とは言えない彼女だった。

「……タ、タイチはあの発電所のことについて何か知ってるの?
 大規模な停電が発生した理由とか、先遣隊やマチスさんを中心とした調査隊の消息とか」
「いや、なにも。俺はその大規模な停電が発生する直前にクチバに着いたんだが、
 ジム戦に備えてるあいだに停電が起こって、マチスが行っちまってさ。
 調査隊は戻ってこない、警察も及び腰、クチバシティはクチバシティで手を拱いているだけ、
 仕方ないから自分の目で確かめることにしたんだよ」

ヒナタは紅茶の湯気をふぅっと吹き飛ばして、

「どうしてクチバシティは何か手を打たないのかしら。
 他の街に支援を要請するとかしても良さそうじゃない?
 これは歴とした事件なのよ」
「馬鹿ね。歴とした事件だからこそ、クチバシティは他の街に支援を頼めないのよ」


意外にもヒナタの疑問に答えたのは、カエデだった。
彼女は派手な外見に似合わず、博識なのである。

「クチバシティは最近、政令指定都市の意見書を国に提出したばかりなの。
 こんな不祥事をおおっぴろげにして、他の街の手を借りたとなれば、
 政令指定都市移行の構想は固まる前に瓦解するわ。
 ニュースや新聞等で大袈裟に報道されなかったのもこのためよ。
 勿論、住人の不安を煽ったりしないように、という配慮もあるんだろうけどね」
「でも……そんなのただの時間稼ぎじゃない。
 いつかクチバシティに住む人たちの不満が爆発するわ」
「いや、そーでもねーんだよな、これが」

タイチはごろりと横になって言った。

「停電の後、カントー発電所の電力供給量は激減した。
 だが、何も発電所はあそこだけじゃねえ。
 そっから電力を遣り繰りして、夜間は節電すれば、
 そう不自由ない暮らしを続けることは十二分に可能なのさ。
 もっとも、ポケモンセンターみたいな公的施設は節電の度合いが酷くて、
 かなり困ってるみたいだったが……」




※この世界の政令指定都市は、現実世界の政令指定都市とは別物です




「……チュウ」

僕は情報を纏めてみる。
カントー発電所の異常事態。
マチスが調査隊を組んだからには、その背後にはポケモン関係のトラブルがあると考えてまず間違いない。
だが、クチバシティが本格的に腰を上げようとしない理由に得心できなかった。
政令指定都市の構想実現のためにこの不祥事の露悪を恐れているのなら、
クチバシティの独力で解決を図るよりも、他の街から強力なトレーナーを招集してでも、
早期事態解決に臨むべきではないだろうか。
いたずらに時間をかければかけるほど、
いずれ露悪したときに『不適切な対応だった』として批評を受けるのは自明の理だというのに。

「ん……このピカチュウ……」

ふいにタイチが記憶を探るように目を細める。

「ピカチュウがどうかしたの?」
「ああ……、親父の話に出てくるピカチュウに似てるな、って思ってさ。
 外見は他のピカチュウと全く同じなんだけど、佇まいが尋常じゃないっていう……」

ヒナタ、カエデ、タイチの六つの視線に射貫かれる。
まさかタイチ、君は僕の素性を知っているのか――?
僕はどきどきする胸を押さえつつ、愛玩ポケモンらしい仕草に務めた。

左右に首を傾げて、数回瞬き、尻尾をフリフリして「チュウッ」と一鳴き。

「やーもー、カワイイー」

ぎゅむ、とカエデに抱擁される。
ぬいぐるみを扱うかの如き圧搾力に呻きつつ、僕は安堵の溜息を漏らした。


「……気のせいか。
 そうだよな、よくよく考えたらこんなとこにそのピカチュウがいるわけねえ」

タイチがガシガシ頭をかく。ヒナタがつまらなげに言った。

「あんたがどのピカチュウと勘違いしたのかには興味ないわ」

そして真面目な口調になって、

「ねぇ、そろそろ建設的な話をしない?
 タイチはここに情報交換しに来たのよね?
 でも、残念ながらあたしたち、ここに来たばかりで、
 知っていることと言えばさっき話したことぐらいなの。
 それで良ければ、あんたの持ってる情報を全部話してくれない? 確かなことじゃなくても、別に想像でもいいから――」
「まったく、あんたにはいつになったら大人の気品ってヤツが備わるのかしら……可哀想な子だわ」

カエデは馬鹿にしたような目でヒナタを一瞥し、
タイチの傍にすり寄って、

「ガサツな従妹でごめんね。
 ただで教えてくれとは言わないの。ちゃんとあたしがお礼をするから――」
「いいぜ」

見返りを求めない男、それがタイチであった。
彼は声を潜めて、カエデとヒナタにとっては驚愕の、
僕にとっては想定済みの事実を告げた。

「俺が思うに、カントー発電所はどこぞの輩に占拠されてる」


カエデが抱きしめていた僕を焚火の傍に降ろして訊いた。
彼女の口調からふざけた調子は消えていた。

「占拠……!? タイチくんには悪いけど、それはないんじゃないかしら?
 カントー発電所一カ所を占拠したところで出来ることは何もないわ。
 仮に占拠している何者かが本当にいるとして、そいつの目的は何なの?」
「クチバシティに対する脅迫やら、他人に迷惑をかける快楽が目的じゃあないと思うぜ。
 恐らくそいつらの目的は"カントー発電所の占拠"じゃなく、"カントー発電所そのもの"にある」

そのときヒナタが挙手した。

「ちょっと待って。
 タイチはさっきからカントー発電所が占拠されている前提で話してるけど、
 ちゃんとした根拠はあるんでしょうね?」
「おう。昨晩偵察の真似事してたら、哨戒してるヤツを見つけた」

胡散臭そうな顔でタイチの顔を覗き込むヒナタ。

「なんか三流スパイ映画みたいな話ね」
「本当だって。この目で確かめたんだよ」

タイチは若干赤くなって言った。外見に似合わず初心なようだ。小生意気なヤツめ。
見つめ合うタイチとヒナタの間に「よいしょ」とカエデが割って入って、

「で、その話が本当だとして、これからどうするの?」
「先遣隊もマチスの調査隊も、ここまで来たことは間違いないんだ。だが、そこで消息が途絶えたってことは――」

ヒナタが言葉の接穂を接いだ。

「今も発電所の中に閉じ込められてる、ってことよね。なら、あたしたちが助けにいかなきゃ」


――未明。
数時間の仮眠をとった僕たちは、タイチの先導で発電所から200mほど離れた地点に到着した。
無人発電所時代の名残だろうか。
重なり合った木々から木漏れ日は差しそうになく、小鳥の囀りもない。静閑な森だった。

ヒナタの言い出した救出作戦に、最初は異を唱えかけていたカエデだったが、

『お前がそう言ってくれて良かったよ。
 実は俺もそれは考えてたんだけどさ、一人じゃどうにもならないだろうって、諦めかけてたんだ。
 でも、お前らとパーティーを組めばなんとかなりそうだぜ』

とのタイチの言葉によって完全改心し、以後、積極的に作戦を練るようになった。
そして出来上がった作戦がこれだ。

「名付けて――裏口から突破大作戦!」
「そのままだな」
「そのままね」

シラけた反応にカエデはしかし臆することなく、作戦内容を説明に入る。

「タイチくんの話から判った哨戒に当たっている人間の数と、
 こうやって実際に見た広大な発電所の敷地を照らし合わせると、とてもじゃないけどカバーしきれていないことが分かるわ。
 ただ、流石に侵入可能な場所には、警備員が配置されているはずよ。
 そこで今回は、その中でも最も警備員が少なそうなところから強行突破します」




「侵入路の目星はついてるの?」

半信半疑で尋ねたヒナタに、

「もっちろん」

とカエデは自信満々に答えた。



パキパキパキパキ―――。
二重の旋律が響き渡り、二つの氷の彫刻が出来上がる。
ヒナタとカエデは互いに唇だけを動かして、喜びを分かち合った。

"やったわ!"
"ねっ、やっぱりあたしの言った通りじゃない"

防音壁の内側、タービンの回転する轟音が響くこの場所に、カエデの示唆した非常口はあった。
戦闘は一瞬。
二人の警備員が上げた声は、しかし轟音にかき消されて、
誰にも届かぬまま凍り付いた。よもや道中で頻用していた連携攻撃が、こんなところで役に立つとは。
タイチが唖然とした表情で氷の彫像を眺める。
昨夜、マグマラシがいなければ自分もこうなっていたのか――などと考えているに違いない。

非常口に入って扉を閉めると、耳に入ってくるあまりの音量の違いに、僕は少し混乱した。
聴力が高ければ良いことだらけ、というわけでもないのだ。


「あの警備員さん、もし本物の発電所の警備員さんだったらどうしよう……?」

今更不安がるヒナタに、タイチが言った。

「警備員のベルトにはボールがついてた。
 服装はこの発電所の警備服みたいだったが、中身は別物だぜ」
「流石タイチくん、なんて観察力なの~」

褒めちぎるカエデ。僕は心中で呟く。
――あれだけ氷の彫像を凝視してれば、そりゃ誰でも気づくだろうさ。

「カエデ、これからあたしたちはどこに向えばいいの?」
「発電所は全景を見たら途轍もない大きさに見えるけど、
 発電施設がそのほとんどを占めていて、人間が動き回れるスペースは限られているのよ。
 だからそこを虱潰しに探していけば、先遣隊の人たちやマチス、この発電所で働いていた人たちに会えると思う」
「よし、それじゃあさっさと行こうぜ。
 朝になって警備体制が完全に整わないうちに、囚われのお姫様を助け出さないとな」
「…………」

臭い台詞をいささかの躊躇もなく口にする男、それがタイチである。
ヒナタは白い目で、カエデは陶然とした目でタイチを見つめ、僕はそっと電流をタイチに足に流した。

「痛ッ!――何すんだよ、ピカチュウ?」
「ピカピーカ」

ほら、君の言葉で1分のタイムロスじゃないか。時間がない、早く行くぞ。
ヒナタが腕時計を見て言った。

「ピカチュウの言うとおりね。早く行きましょう」
「おいおい、それって俺が最初に言った台詞じゃん!」


常夜灯に照らされたリノリウムの床に、三人+一匹分の足音が響く。
通路の右手、ビューオールからは発電施設を一望することができた。

排煙が細く立ち上り、うっすらと白み始めた空に溶けていく。

発電所復旧計画には電力供給量の向上も含まれていたらしく、
先鋭的なデザインの発電施設が広大な敷地に所狭しと並んでいる。
かつて訪れた無人発電所の名残は、もう、どこにもない。


「この区画には誰もいないわ。次に行くわよ」
……ねぇ、ずっと思ってたんだけど……どうしてあたしたち、さっきから誰とも出会わないの?
 なんか拍子抜けしちゃうんだけど」

カントー発電所に侵入してから20分後。
誰もが抱き始めていた疑問をついに口にしたのはカエデだった。
今まで誰も口にしなかった理由は単純で、
誰もその問いに対する答えを持ち合わせていないと知っていたから。

「ピカ……」

僕は今一度、淡い朝日に照らし出された、発電施設の稼働状況を見た。
発電施設とは通常、休み知らずに24時間稼働し続けるものだ。
だが、カントー発電所の発電施設は、一部を除いて停止しているようだった。
これでは電力供給量が激減したのも当然だ。
しかし、たったこれだけしか稼働しておらず、
施設が自動化されていると仮定しても、必要最低限の人員は必要だろう。
それらの人々は一局に集中させられているのだろうか。
そしてこの発電所を占拠し、先遣隊、マチスを拘束した後、
外部からの侵入者を排斥し続けているヤツらは、いったいどこにいるんだろう――?




区画を移動する毎に、不気味なほどの静けさは深まっていく。
僕の直感は、これが罠である可能性を告げていた。
ただ、その直感に論理的な説明をつけることができなくて、僕は「引き返す」という結論を下せなかった。

もしこの時、直感に従って引き返していたら。
或いは、もし初めからこの発電所に寄ることを反対していたら。

――僕が後悔に苛まれ、ヒナタが悲しみに暮れることもなかったんだろうな。


「確か、この先を真っ直ぐ進めば管理区画、両側の通路に進めば蓄電設備の制御区画よ。
 みんなが閉じ込められているとしたら、管理区画だと思うわ。そこが一番広いし」
「カエデ、お前記憶力すげーな……。
 よくあの細かい全体の俯瞰図を、いっぺん見ただけで憶えられるもんだ」

えへへーあたし昔から記憶力だけはいいの、と照れるカエデだったが、
ヒナタのジト目に口を塞ぎ、息を殺した。

通路の角から顔を小出しにして、通路の先を観察していたタイチが言った。

「この先はちっさなホールになってるみたいだぜ。
 三叉路って言うよりは、そのホールから三カ所に通路が延びてる、って感じだ」
「ということは……」
「待ち伏せされてる可能性が高い。こっちの考えはバレてるだろうしな。
 奇跡的に侵入に気づかれてない可能性もあるが、そいつはちょっと希望的観測が過ぎる」


「ちょっとタイチくーん、怖いこと言わないでよね……。
 ここまで誰とも出会わなかったのよ? 大丈夫に決まって、」

カエデが茶化すが、

「ここまで上手くいきすぎたからこそ、どこかで障害が用意されてるはずなんだ。
 だからカエデもヒナタも、いつでもポケモンを出せるように準備しておいた方がいい」

タイチは真剣だった。
常に数瞬先の未来を視ているような眼差し。
確かにこの少年はシゲルの息子だ。同じ眼をしている。
カエデがボールに手をかけて、

「行きましょう。管理区画は目前よ。
 ここで立ち止まっていても、仕方ないわ」

足音を殺して、通路を進んでいく。
密閉されたホールは外界の光とは無縁で薄暗く、
常夜灯の緑の明かりだけが、管理区画、蓄電施設制御区画へと通じる通路を照らしていた。
人気はない。オブジェクトさえなかった。
まるで"意図的に"撤去されたかのように。

「なぁーんだ。やっぱり誰もいなかったじゃない――」

カエデが胸を撫で下ろし、警戒を解こうとした、その時だった。

「随分時間がかかったじゃないか。待ちくたびれたよ。
 そちらの御二方には初めまして。ヒナタくん、君には久し振り、が適当かな。
 よもや私のことを忘れたわけではあるまいね?」


気配のなかったホールの中心に、今では雷ポケモン、サンダースの姿があった。
黄金色の肢体は紫電を纏い、眩しく発光している。
そしてその光が、背後の主人を照らしていた。ダークグレーのツイードスーツ。
忘れようもない。オツキミヤマで出会った、あの男だ。

「あ、あんたは……!」
「誰なのよ、こいつ!? ヒナタの知り合いなの?」
「あいつ、どっから沸いてでてきやがった?
 さっきまで誰もいなかったってのに」

ヒナタは片手で二人を制し、

「お願い、少しこの人と話をさせて」
「賢明な判断だ。このサンダースは気性が荒くてね。
 わたしの機微を敏感に察知し、その対象に容赦なく攻撃を加える」

僕は後ずさるカエデと入れ替わるように、ヒナタの前に立った。
男の唇が、にやり、と歪められる。
ヒナタは努めて冷静に訊いた。

「この発電所を乗っ取ったのは、あなたの仲間なの?」
「乗っ取った、とは人聞きの悪いことを言うね。
 穏便な交渉の末に、一定期間、利用させてもらうことの許可を得たのだよ。本当の話だ」
「嘘よ。ここに調査にきた人を拘束したのもあなたたちなんでしょう?」
「それも君は誤解しているな。彼らには同意の上で、ここに滞在してもらっているのだ」
「どういうこと……?」

困惑したヒナタの表情を見て、男は一層楽しそうに笑顔の皺を深め、


「それは後々彼らに説明してもらえばいい。
 ……さて、私は任務を果たさせてもらうとしよう」
 ヒナタくん、取引をしようじゃないか。
 君のポケモンを一匹、私に譲ってほしい」

ヒナタは吐き捨てようとした言葉を、寸でのところで飲み込んだ。
彼女には分かったのだ。この取引に応じない場合のペナルティの内容が。

「嫌だ、と言ったら?」
「君たちが安全無事に帰れる保証はなくなり、
 同時にこの発電所にいる人間の命の保証もなくなる。当然だろう?」
「………ッ」
「レディが舌打ちとは、誉められた仕草ではないな。
 まあ考えてみてほしい。
 逆にいえばわたしは、たった一匹のポケモンを引き換えに、
 君たちと発電所に留めていた人々を安全に帰す、というチケットを提示しているんだ」

ヒナタを唇をかみしめて、

「そんなにピッピが欲しいの?
 たったその取引をさせるためだけに、カントー発電所を占拠して、調査隊の人たちを拘束したの?」

今までのこの男の表情を笑顔とするのなら。
そこから更に破顔したこの表情を、僕はなんと表現すればいいのだろう?

「クックック……実に面白いな。君は少々、自分を過大評価しすぎではないのかね?
 君個人のためだけに、この発電所を占拠したと? 馬鹿を言ってもらっては困る。
 この取引は、あくまで二次的なものだ。
 それとこれ以上君の勘違いを笑うのも可哀想なので訂正しておくがね、
 わたしが欲しいのはピッピではなく――君の足許にいるピカチュウだよ」


フォン、と空を裂く音がした。
一刹那後に、三度の反射音。
二刹那後に、二度の反射音。
三刹那後に、四度の反射音。

僕は眼を瞑る。神経を研ぎ澄ます。

真正面から二つ。
左方仰角53度から二つ。
右方仰角20度から地を這うように一つ。

充電―――電圧調整―――解放。


一秒に満たない時間が過ぎたあと、僕とヒナタの周囲には、
長い針のような物体が、五つ、炭化して転がっていた。

後悔なんてなかった。
こうしなければヒナタが怪我を負っていたかもしれないのだから。

「……ピカ、チュウ…………??」

ヒナタは何が起こったのか理解できていないようだ。
しかし距離を置いていたカエデとタイチには、全て露見してしまっただろう。

「素晴らしい。実に素晴らしいよ。
 私のサンダースの"ミサイル針"を微動だにせず相殺するとは」

喜々とした男の声に、吐き気がする。
カエデが言った。こんなに震えた彼女の声を、僕は初めて聞いた気がする。


「ヒナタ……そのピカチュウ、ほんとにあんたのピカチュウなの……?」

タイチは僕の正体を完全に見破ったのだろう、
切れ長の瞳をいっぱいに見開いてこちらを注視している。
僕はそれとは別にもうひとつの視線を感じた。
……ヒナタだった。
彼女は僕と炭化した"ミサイル針"を交互に眺めて、

「どういうこと……? ねぇ、どういうことなの、ピカチュウ?」
「私が代わりに説明しよう。
 簡潔明瞭に言うとね、そのピカチュウは君の父上のポケモンなんだ」
「そんなこと知ってるわ」
「まあ黙って聞きたまえ。
 それでは、そのピカチュウが、かつて君の父上の相棒を務めていたことは知っているかね?
 どうだい、初耳だろう?」

絶句するヒナタ。
彼女が思考の段階を踏む前に、僕は彼女のベルトから、
瑕だらけのモンスターボールをもぎとった。
束の間――視線が交錯する。

"今まで隠していてごめん"
"君と過ごしたこれまでの16年間は本当に楽しかった"
"僕のことは忘れていい。君はこれまで通りポケモンリーグを目指せ"

視線に乗せようとした感情は、しかし溢れて零れ落ち――
僕は俯いたまま、男にモンスターボールを放り投げた。



「このピカチュウは主人より余程物分かりが良くて助かるな」

男は受け取ったボールをしげしげと眺めて、

「それにしても、こんな薄汚れた"モンスターボール"が、
 このピカチュウの納まるボールとは……驚嘆に値する」
「今すぐそれを返しなさい!
 ピカチュウもどうしちゃったの? なんであんな男の言うことを聞くのよっ!」

悲痛な叫び声が空気を震わせる。

「あんな男のとこに行っちゃダメ! 戻って! 戻ってよ!」

きっとヒナタは今、泣き出しそうになるのを必死に堪えているんだろうな。
あの子は小さい時からそうだった。
たとえ"無理"だと判っていても、精一杯の虚勢を張って、目にいっぱいの涙をためて――。
でも、今度ばかりは振り返れないよ、ヒナタ。
今ここで一度でも君の顔を見れば、やっとの思いで固めた決意が挫けてしまうからね。

「ピカ、ピカチュ」

君は僕がいなくても、冒険を続けることができるはずだよ。
本当はもう少し一緒に旅をしたかったけど――ここまでだ。さよなら、ヒナタ。

跳躍。着地。
依然、紫電を纏って攻撃姿勢をとっているサンダースに、僕は視線で告げた。

"彼女らに再び手を出せば殺す"

と。


凋萎したサンダースと僕を眺めて、男は満足げに喉を鳴らした。

「行くぞ、ピカチュウ」

そして、彼とともに僕が踵を返そうとした瞬間―――。
六閃。
ポケモンたちの発する光で、ホールの薄暗さが払拭される。

「これはこれは。交渉は成立したはずではなかったのかな。
 私は義理堅い人間でね、一度交わした約束は必ず守る。
 ピカチュウを手に入れた以上、君たちとこの発電所の人間は、無事に帰すつもりだ。
 さあ、ポケモンを仕舞いたまえ」

カエデの声がした。そこに懼れの震えはなく、確かな芯が通っている。

「嫌です。そのピカチュウが以前誰のポケモンだったかなんて関係ありません。
 今はヒナタのポケモンなんです。ピカチュウを返してください」

続いて、タイチの声。相変わらず軽い調子だが、声音には本気の重みがあった。

「あんたに何の目論見があってピカチュウを欲しがってるのか知らねーけどさ、
 たとえピカチュウが認めても、ヒナタが嫌がってんだよ。ピカチュウを返しな」
「カエデ、タイチ……」

そして最後に――。

「ピカチュウを、返して。このまま連れていくつもりなら、……あたしたち、容赦しないから」

力強いアルト。ヒナタは泣いてなどいなかった。
その事実に僕はただ驚き、何故か自分が泣きそうになっていることに戸惑う。


君は本当に成長したな、ヒナタ。
でもね――この世には、どうにもならないことがたくさんある。
君はそれを今から受け入れなきゃならない。

「やれやれ。アヤ、君の出番だ。
 撤退準備が整うまで、彼女らを足止めしろ。
 ……殺すなよ。あくまで足止めなんだ」
「――はい」

澄み切ったソプラノ。
その直後、僕は優しい熱気を感じて、顔をあげた。
白皙の肌。燃えるような赤髪。それに合わせたような深紅の色をした、丈の短いパーティドレス。
小柄な体は第二次性徴を終えたばかりのように見え、
しかしその人形のように細い腕は、キュウコンの背中を優しく愛撫していた。
完全な九尾だった。
紅い瞳はまるでルビーのように妖しい光を放っている。
僕は悟った。
ヒナタたちが束になってかかったところで、この少女に勝ち目はない、と。

「ピカピ――」

逃げろ――そう伝える前に、閃光が僕を包む。

「ピカチュウ、君はボールの中で休んでいるといい」

浮遊感。暗転する視界。
薄れゆく意識の片隅で――僕はヒナタの悲鳴を聞いた。


第七章 下 終わり