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サカキの一件から、数日後。
青年の部屋を、彼の親友が尋ねてきた。

「お、いたいた」

鍵をかけていなかった青年も悪いが、いきなりドアを開ける親友も大概である。
ノックくらいしろ、と言うと、

「俺とお前の仲じゃねーか。
 つーか、今日はハナコちゃんと一緒に出かけてなかったのな」

ここのところ毎日のように、ハナコの父親の知り合いに彼の行方を聞いて回り、
さすがに休息が必要ということで、今日は家でのんびりしていたのだ。
ちなみに役に立つ情報は、今のところ得られていない。

「まあいいや。
 親父が家で、一緒に夕食食わないか、って言ってるんだけど、来るよな?」
「大木戸博士が?」
「お前が大学来なくなっちまって、寂しいんじゃねえの」

あの人に限ってそんなことはないと思うが。
卒業要件を満たし、進路を決めた青年は、これといって大学に出向く用事がなかった。
ハナコを博士のもとに連れて行って以来、博士とは顔を合わせていない。
青年は親友の誘いに快諾した。

親友の「ヤマブキで捕まえた超可愛い女の子の話」に付き合いながら、
親友の実家である大木戸邸に赴く。
一等地に建てられた、奥ゆかしい佇まいの邸宅だ。
玄関に入ると、家政婦が出迎えてくれた。

「お帰りなさい、お坊ちゃん」

青年も家政婦と挨拶を交わす。
大木戸邸に訪れるのは、これが初めてじゃない。
食卓には既に大木戸博士が着いていた。
青年と親友の着席を促して、家政婦が料理を取りに厨房に消える。
三人だけの食卓。
大木戸博士の妻、すなわち親友の母親は、この家に住んでいない。
親友曰く、親友が物心つく前に家を出て、それっきりだという。
「何が原因で」と青年が尋ねると「親父も詳しいことは話してくれねーんだ、恥ずかしいのかもな」と親友は苦笑していた。
料理が運ばれてくるのを待つ間、博士は青年に詫びてきた。

「この前は、あの子のことを君に押しつけてすまなかった。
 彼女はその後、どうしているのかな」
「まだタマムシに滞在しています。
 父親の行方を知っている人間に片端から話を聞いてて、俺も手を貸しています」
「有力な情報は?」
「今のところは、なにも……」
「そうか……しかし、やはり彼女は諦めきれなかったのだな。
 私なりに説得したつもりだったんだが……」
「今となっては一人だけの肉親のようですし、割り切るのは難しいでしょう」
「マサラに帰って元の生活に戻ることが、彼女にとって最良の道だと思うがね」

食前酒を口につけて、大木戸博士はしんみりとした口調で語る。
博士はハナコの父親――彼にとっての旧友――の死を半ば確信しているようだった。

「それに、あいつが最期を迎えた場所が分かったとして、
 どうにかできるわけでもない。とかく時間が経ちすぎている。
 足跡は完全に消えているだろう」

それまで黙っていた親友が口を挟んだ。

「自分のお父さんが最後にどこを旅したのか突き止めて、
 そこに実際に足を運ぶくらいのことはしねーと、納得できないんじゃねえの?」

青年はハナコの事情を親友に教えていないが、
今し方の会話から、だいたいのことを理解したのだろう。

「所詮……報われない執着だ」

大木戸博士が呟き、時を同じくして料理が運ばれてくる。
話題はアカデミックなものに移り、青年は料理に舌鼓を打ちながら、
大木戸博士との充実した対話を楽しんだ。親友は終始退屈そうにしていたが。

「旅に出る準備は順調に進んでいるかね」

と、博士が思い出したように尋ねてきた。

「ええ、まあ……」

クラムチャウダーをスプーンで掬いながら、青年は言葉を濁した。
ハナコの手伝いに掛かり切りで、旅に出ることが念頭から消え去っていた。

「君は境界の向こう側を見てみたいのだったね」
「はい」

旅に出るのは、見聞を広めるためだけではない。
原初のポケモンが未だ生息する、人の手が入っていない境界の向こう側――特定危険地域を見たい欲求が、青年の中で息づいている。
特定危険地域に立ち入る方法は二つ。厳しい審査をくぐり抜けて許可証を入手するか。
カントー地方の八つのジムを制覇し、パーフェクトホルダーの資格を得るか。
前者は困難で、時間もかかる。となれば、残された道は一つだった。

「君が今持っているバッジは、確か……」
「レインボーバッジとピンクバッジです」

青年は大学一年の夏にタマムシジム、二年の夏にセキチクジムに挑み、制覇している。
保持しているバッジよりも序列が下のバッジは、ジムに赴くだけでもらえるので、
実質的に青年は五つのバッジを所持していることになる。
セキチクジムを制覇してからは研究に集中していたため、ジムへの挑戦は控えていた。
余談だが、一緒に受けた親友は、二回ともあえなくジムトレーナーに敗れている。
親友が青年の肩を叩いた。

「残るバッジは三つだな」
「ああ。今度も一緒に受けるか?」

青年の誘いに、親友はぶんぶんと首を横に振って、

「前にも言ったろ。俺はお前ほどポケモンの扱いがうまくねーんだよ」

かつてポケモンマスターを目指していたこともある博士が苦笑する。

「不甲斐ない。私の血を引いているとは思えんな」
「隔世遺伝に期待してくれ」
「ところで」

博士は青年に向き直り、

「ヤマブキ、グレン、トキワを巡るのであれば、陸路では時間がかかるだろう。
 私のリザードンを貸してあげよう。自由に使いなさい」
「ほ、本当ですか!?」

青年は思わず身を乗り出した。
一方、リザードンを使って毎週末ヤマブキにナンパに繰り出していた親友は、

「お、親父、ちょっと待ってくれ。リザードンは……」
「お前が下らないことにあれを使っているのは知っている」

テーブルに突っ伏す親友。
大木戸博士の慧眼は息子の素行をしっかり見抜いていた。

「空を飛べば、どの町にもあっという間だ。
 ただし、リザードンをジムの攻略に使ってはいけないよ」

冗談交じりの言葉に、青年は深く頭を下げた。
食事を終え、大木戸邸を辞去した後。
親友は「腹ごなしに見送る」と言って、青年の傍らを歩いている。

「あのさ……」
「リザードンなら、しばらく返さないぞ」
「ちげーよ!リザ―ドンは元々親父のものなんだから、俺がとやかく言う権利はねえ。
 俺が言いたいのは、もしもの話……ハナコちゃんの親父さんが最後に旅した場所が分かったとして……、
 お前はどうするつもりなんだ?」
「どうするって……俺は何も……」
「ハナコちゃんの親父さんが消えたのは、たぶん……いや、ほぼ確実に未踏エリアだ。
 そんでもって、ハナコちゃんは許可証が取れるほどのトレーナーじゃない。
 探検家に親父さんの探索を頼もうにも、まともに取り合ってくれる人間なんているわけがない」
「……だから?」
「馬鹿なことを考えるのはやめとけよ。親友のよしみで忠告してやる」

親友の言った「馬鹿なこと」が何かは、別の言葉に言い換えるまでもなかった。

「星の数ほどの女の子を見てきた俺だ、あの子が良い子だってことは分かる。
 でもな、自分の願いを叶えるために、お前を犠牲にするようなら……」
「考えすぎだよ。
 あの子は俺にそんな頼み事はしないし、俺もお前が思ってるほどお人好しじゃない」
「絶対とは言い切れないだろ。
 第一、俺はお前が境界の先を旅することにも賛成できねーんだよ。
 危険が大きすぎる。未踏エリアの奥地なんて行ってみろ。
 縄張りを人間に荒らされた原生ポケモンの怖さは、お前がいちばん――」
「…………」
「……悪ぃ」

気まずい空気は解消されないまま、青年は親友と別れた。

それから一週間後――青年はハナコとともに、ヤマブキシティを訪れていた。
タマムシとは趣を異にする都市の偉容に、ハナコが息を呑む。
人類居住区は野生ポケモンの脅威に備え、強固な警戒網が周囲に張り巡らされている。
国内で三指に入る人口密集地のヤマブキでは、飛行型野生ポケモンに対しても厳重な哨戒体制が敷かれているため、トレーナーが飛行ポケモンの背に乗ったまま、直接内地に着陸することは出来ない。
そんなわけで青年は関所の前でリザードンを着陸させ、ゲートをくぐった。

「快適な旅路だったわね。大木戸博士にお礼を言わなくちゃ」
「俺はちょっと怖かったよ。道中、何もなくて良かった」

もし飛行形の野生ポケモンの群れにかちあっていたら、上手く逃げ切れていただろうか。
リザードンは博士のポケモンということだけあって老練しているが、俺は飛行ポケモンを駆ることに関してはずぶの素人だ。
飛行中は常に墜落の二文字が、青年の脳裏にちらついていた。

「心配性ね。それよりも、宿を取りにいきましょう?」

青年をからかいながら、ハナコが先に歩き出した。
ヤマブキは内縁部に沿うようにして田園が広がっている。
稲穂の黄金色から視線を上げれば、発電所の尖塔から煙が立ち上っているのが見えた。
開拓地を思わせる風景は、中心部に歩を進め、農業区から商業区に入った途端に様変わりする。
タマムシの一歩先を行く鉄筋高層建築と、
御所や議事堂など伝統を継ぐ建物が混在しているが、不思議と違和感はない。
街路の人通りは盛んで、ポケモンを連れた衛士の姿が頻繁に見受けられた。
ポケモン関連のトラブルが後を絶たないためだろう。
野生ポケモンの対策に精通し、ポケモンを手懐ける術を獲得した人類は、
次なる課題――捕獲したポケモンをどう扱うか――に直面している。
トレーナー免許を持つのが当たり前の時代が来る前に、人とポケモンの共同生活を見据えた法や環境の整備が急がれる。
ポケモンセンター創設はその先触れと言えるだろう。
話が逸れたが、二人がヤマブキにやってきた理由はふたつある。
ハナコの父親に関する情報開示申請の結果を確認するためと、
ヤマブキシティジムを攻略し、ゴールドバッジを入手するためだ。
宿の予約をした二人は、早速二手に分かれることになった。

「これを窓口で見せれば、問題なくハナコのお父さんの記録を確認できるはずだ」

青年は申請受理書をハナコに渡した。
先日、タマムシで伝書ポッポから受け取ったものだ。

「地理院の場所は覚えてるよね?」
「大丈夫よ。わたし、あなたが思ってるほど子供じゃないんだから」

ハナコは頬を膨らませて、

「わたしの心配より、自分の心配をして。
 ジム戦……わたしは受けたことがないから分からないけど、
 ヤマブキジムともなれば、かなり厳しい試験なんでしょ?」
「相手にするのは格闘タイプのポケモンばかりだから、インファイトに持ち込まれなければなんとかなると思う」

当時は格闘道場がヤマブキシティジムの看板を背負っていた。
ポケモンのESP・PK研究が暗礁に乗り上げ、エスパータイプのポケモンが軽視されていた時代である。
夕方に宿で落ち合うことにして、青年は道場へ向かった。
が、ヤマブキには数えるほどしか来たことがない上に、元来の方向音痴であることも相まって、青年は立ち往生してしまった。街に入ってすぐのところにあった案内板の地図は思い出せるのだが、自分がどの位置にいるのか分からない。
その点、親友は第二の故郷のようにヤマブキの地理を知悉しているのだから、大したものだ。ハナコに偉そうなことを言っちゃったな、と頭をかいていると、「まいご?」と誰かが声をかけてきた。
ポケモンを抱いた小さな女の子が、青年を見つめていた。
いや、その表現には誤りがある。
ポケモンに見えたのはスリープのぬいぐるみで、
彼女の目は長い前髪に覆われて、視線の先が分からなかった。

「うん、そうだよ。迷子になっちゃったんだ」

こんな小さな子に、俺はこの街の人間じゃないから、と言い訳しても仕方ない。
それにしても、この子の保護者はどこにいるのだろう。
年は五、六歳程度。ヤマブキのメインストリートを一人で歩くには二回りも早い年頃だ。

「ジムにいきたいの?」
「あ、ああ。よく分かったね……」

大方、青年の腰についたボールを見て、見当をつけたのだろう。
ポケモンのぬいぐるみを持っていることからして、ジムの存在も知っているに違いない。

「あんないしてあげようか」
「きみ、ジムの場所を知ってるの?」

女の子はこくりと頷き、スリープのぬいぐるみに唇を近づける。
何かささやきかけているようだったが、内容までは聞き取れない。
女の子は次に、耳をぬいぐるみの口に近づけ、しきりに頷いていたが、

「このこがおしてくれるって」
「良かった。それじゃあ、案内を頼もうかな」

青年は女の子に微笑み返した。
女の子がぬいぐるみと話せることも、ぬいぐるみがジムまでの道筋を知っていることも、ありえないと分かっている。
けれど女の子の好意を無下にすることができなかった。
時間には余裕があるし、もしもたどり着けなかったら、他の誰かに聞けばいいことだ。

「ついてきて」

臙脂色のワンピースを翻して、女の子がととと、と歩き出す。
青年は広い歩幅で悠々と追いつき、彼女に問いかけた。

「お嬢ちゃん、お名前は?」
「なつめ」
「ナツメ、か。いい名前だね」

青年も名乗ったが、女の子は「ふぅん」と気のない風に頷き、ぬいぐるみの声なき声を聞いている。

「こっち」

青年を誘導するのが面倒に感じたのか、ナツメと名乗る女の子は青年の手を取った。
が、傍から見ているには、いささかアンバランスな組み合わせだったのだろう。

「君、ちょっと止まりたまえ」

正面から歩いてきた衛士が、青年を鋭く呼び止めた。

「その子とはどういう関係なんだね?」

ヤマブキは決して治安の良い街とは言えない。
それは後世になっても解決されることのない問題なのだが、
年端も行かぬ少女を連れ歩く男に対する目線は、いつの時代も厳しかった。
ついさっき知り合い、ジムへの案内をお願いしている、と正直に話したところで、逆に怪しまれるだろう。返答に窮していると、ナツメが答えた。

「このひとは、わたしのおにいちゃん」
「兄妹なのか?」

衛士の眼光は鋭利なままだ。

「何か身分を証明するものは……」

そのとき、そよ風がナツメの長い前髪を揺らした。
露わになった双眸が、衛士の目をひたと見据えた。

「――じゃましないで」
「……………」

衛士は何も言わずに、青年とナツメに進路を譲った。

「いこ、おにいちゃん」

青年は衛士の物わかりの良さに驚愕しつつも、ナツメに手を引かれていく。

「助かったよ」

前髪で表情は窺えないが、ナツメはなんとなく嬉しそうだ。

「そのぬいぐるみを大切にしているんだね」
「うん。すりーぷはともだち」
「ナツメちゃんはスリープと一緒に散歩してたのかい?」
「いえでしたの」
「家出!?どうして……」
「おかあさんがおこるから。へんなことをいうなって」

ナツメの言葉は要領を得ないが、青年は彼女を然るべきところに送り届けなければならないと感じた。次に交番を見かけたら彼女を預けよう、そう決心した矢先に、

「ついた」

青年はジムの前に立っていた。
古式蒼然とした木造家屋に看板が掲げられ、そこにはヤマブキシティジムという横文字が墨痕鮮やかにしたためられている。

「あ、ありがとう」

本当に着くとは思っていなかった。
目を丸くする青年に、ナツメは抱いていたスリープのぬいぐるみを近づける。

「おれいはすりーぷにいってあげて」
「ありがとう、スリープ」

ナツメは口元をほころばせ、スリープの口に耳元を近づけた。
そして「うん、うん」と頷くと、

「おにいちゃんのみらいも、みてあげる」

と言い出した。未来を見る?占いのようなものだろうか。
所詮は児戯、と一笑に付すことは出来なかった。
事実、ナツメは青年を正しくヤマブキシティジムまで導いてくれたのだ。

「しゃがんで」

言われるがまま、青年は屈む。
ナツメは紅葉のような手を伸ばし、青年の額に触れた。
まるで女王に叙勲を授かる騎士みたいだな、と思ったそのとき、冷たい女声が響いた。

「――ツガキリ大洞穴には近づくな」
「えっ」

青年が顔を上げると、そこにはナツメの紅に輝く瞳があった。
しかし次の瞬間には、長い前髪が彼女の瞳を覆い隠していた。

「わたし、かえるね。
 おかあさんが、すごくしんぱいしてるから」
「そ、そうだね。そうしたほうがいい」
「きをつけてね、おにいちゃん」

青年はナツメになにかお礼をするつもりだったのだが、
ナツメは胸の前で小さく手を振り、ととと、と雑踏に消えてしまった。

「ナツメちゃん……」

……あの声は錯覚だったのだろうか。
胸騒ぎを覚えたが、青年の意識は目前のヤマブキシティジムに奪われた。
軽く深呼吸をしてから、青年は古びた門扉を叩いた。