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青年はモンスターボールに手をかけた。
閃光が走り、彼のオコリザルが現れる。

「ハナコの匂いを辿れるか?」

オコリザルは大きな鼻をくんくんとひくつかせ、両手を万歳の形にした。
親友が不安げに言った。

「お手上げって意味か?」
「大丈夫って意味だ」

以前、ハナコと公園で手持ちのポケモンを見せ合ったときに、オコリザルはハナコの匂いを覚えている。

「俺はオコリザルの後をついていくけど、こいつの鼻も絶対に信用できるわけじゃない。
 二手に分かれよう」
「オーケー。見つかっても見つからなくても、またゲームコーナー前で集合だ」

オコリザルが「早く早く」というように手招きする。
青年と親友は、別方向に走り出した。
オコリザルは大通りから路地裏に入った。
オコリザルの嗅覚は、ごみや汚泥の悪臭の中から、ハナコの匂いを選り分けることができる。
ハナコは入り組んだ路地裏を、まるで街の活気から遠ざかるように移動しているようだった。
一瞬、気配を感じて視線をやると、小さなベトベターが暗渠から顔を覗かせていた。
見上げた空は四角く切り取られ、換気ダクトの送風音が物寂しく響いている。
こんな場所にハナコは何の用があって――いや、違う。こんな場所に、いったい誰がハナコを連れてきた?
角を曲がったところで、迷路は行き止まりだった。
ハナコと、見覚えのある人間がいくらかと、黒ずくめの男がそこにいた。
ハナコは後ろから羽交い締めにされ、口を塞がれていた。

「てめえらはそこで見てろ」
「へっ、へい!」

黒ずくめの男に声をかけられ、見覚えのある男たち――ハナコに絡んでいた暴走族――が深く頭を下げる。
確か暴走族リーダーの男は、リョウという名前だったか。
そのリーダーまでもが恐縮しているところを見ると、あの男の立場は、相当に上らしい。
その男が、青年に目を向けた。
青年は反射的に、ボールを二つ展開する。
モルフォンとライチュウは、青年の表情を読み取り、直ちに臨戦態勢を取った。
本能的に、この男はやばい、と感じた。
黒のカーゴスラックスに、黒の革ジャケット。
オールバックの髪型のせいで、猛禽類じみた三白眼が露わになっている。

「タマムシ大学に通う未来のエリート様が、正義感に駆られて悪党退治か……。
 度胸は認めてやるが、手を出す相手を間違えたな」

黒ずくめの男は無造作にベルトからボールを落とした。
アーボックとマタドガス――薄暗い路地裏に、巨大な影が差す。
青年は高鳴る動悸を隠して、虚勢を張った。

「お前は誰だ?どうしてハナコをさらった?」
「俺はロケット団のサカキ……この不出来共のケツ持ちをやっている。
 女をさらったのは、言うまでもねえ、お前を人気のない場所におびき出すためだ」
「ロケット団……!?」
「てめえにはここで、制裁を受けてもらう。
 なに、手足の一本や二本不自由になったところで、将来ホワイトカラーのお前には関係ねえだろう?」

青年が抗弁する間もなく、アーボックが尻尾をしならせた。
雑多に積まれた廃材が砕け散り、破片が青年のほうに飛んでくる。
しかし青年は微動だにせず、オコリザルが破片をいなすのに任せた。

「ほぉ……いい反応だ」

サカキと名乗った男が、にやりと笑う。
青年は確信していた。ここは私刑場だ。
これまで何人もの人間が、彼らに痛めつけられてきたに違いない。
助けを呼んでも、悲鳴を振り絞っても、誰にも届くことのないこの場所で。
青年が一歩あとじさる。

「逃げ道はねえぞ」
「俺は逃げない。その子を返してもらう」

ハナコが捕まっている時点で、逃走の選択肢は消えている。
青年の親友が自力でここを見つけ出す確率は、ゼロに近い。
つまり――自分で切り抜けるしかない。
青年の目つきが変わったのを見て取り、サカキも口角を吊り上げた。

「やる気になったな?
 てめえがそこそこ出来るってのは、こいつらから聞いてる。
 ただの私刑じゃつまらねえ。精々俺を愉しませろ。……"煙幕"」

マタドガスが黒煙を吐き出し、青年とサカキの間に煙の壁を作り出す。
青年は煙幕から距離を取ろうとして、「逃げ道はない」というサカキの言葉の意味を思い知った。
目で見て分かるほどの濃いスモッグが、青年の背後、路地裏の壁の配管から漏れ出していた。
煙幕の向こう、サカキがいる場所の配管から、マタドガスがスモッグを送り込み、
青年の背後に出てくる仕組みになっているのだろう。
時間が経てば、スモッグに背後から飲み込まれる。
隙が生じるのを覚悟で、モルフォンにスモッグを吹き飛ばしてもらうべきか?
いや、ここは相手の作戦を逆手に取って――。
マタドガスが煙幕が張り終わった途端、煙幕越しにアーボックの"毒針"が飛来する。
寸前まで視認できない攻撃を、オコリザルとライチュウが辛うじていなしていたが、

「――ッ」

青年に直撃しかけた一本を、オコリザルが左手のひらで受け止めた。
ものの数分で、オコリザルは神経毒に冒されるだろう。だが仕掛けは施せた。

「ごめん、オコリザル。
 ライチュウ、モルフォンの"風起こし"と一緒に"電光石火"だ。速攻をかける」

モルフォンが羽ばたき、前方の煙幕を吹き飛ばす。
煙が晴れた瞬間にライチュウが飛び出し、毒針を撒いていたアーボックに吶喊する。
そのままアーボックもろとも地面に倒れ込んだところで、

「"電気ショック"だ」

ライチュウが零距離で電流を流し込んだ。これでアーボックはしばらく身動きが取れないはずだ。
そして、吹き飛ばした煙幕に含ませていたモルフォンの"眠り粉"で、マタドガス、暴走族、ハナコが次々と倒れていく。
想定外だったのは、サカキが顔の下半分を覆うガスマスクを着用していたことだ。

「起きろ」

サカキはマタドガスを踏みつけ、乱暴にアンプルを突き立てた。
マタドガスが意識を取り戻す――眠気覚ましか。
青年が舌打ちしたそのとき、アーボックがライチュウを払いのけた。
あれほど電流を流し込んだにも関わらず、アーボックは完全な麻痺状態になっていなかったようだ。

「自家中毒対策だ」

眠り粉と煙幕が完全に晴れたところで、サカキがマスクを外した。
青年の隣で、オコリザルが片膝をついた。

「くそ、毒の回りが早すぎる……」
「そのサルはもう使い物にならねえ。
 アーボックとライチュウの体力は五分、マタドガスとモルフォンはほぼ無傷。
 くっくっく、良い勝負じゃねえか」

サカキの言葉は過大評価だ。
先手を打ったのはサカキだが、戦力は三対二と、青年が有利だった。
それが今では二対二に持ち込まれた……。全てのポケモンを場に出すべきなのか?
いや、ダメだ。サカキがそれに応じてポケモンを追加召還すれば、いよいよ俺の勝ち目は薄まる。
青年が唇を噛んだそのとき、

「……やめ、て……」

眠り粉を吸って倒れていたはずのハナコが、壁によりかかるようにして、立ち上がっていた。

「馬鹿な……!」
「ハナコ……!?」

青年とサカキの疑問は、彼女の口元と、右手親指の付け根から流れる血によって氷解した。
恐らくハナコは意識を失う寸前に、思い切り親指の付け根を噛み、その激痛によって意識を保ったのだ。
ハナコがボールを展開する。
現れたプクリンは、路地裏の惨状を前にして、ぷるぷると震えていた。

「それ以上……乱暴したら……この子に歌わせるから」

確かに反響しやすい路地裏でプクリンが歌えば、路地裏にいる全員が眠りに落ちるだろう。
だが、その脅しは無意味だ。
サカキのアーボックの敏捷性を考えれば、プクリンは歌声を披露する間もなく、喉を潰される。
しかしハナコが意識を取り戻したことで、サカキに虚が生まれたのは確かだった。
青年が語りかけた。

「サカキ……俺やハナコは、あんたに、こんな目に遭わされることをした覚えはない」
「てめえはこいつらのシマを襲撃した。理由はそれだけで十分だろうが」

サカキが獲物を追い詰めるように目を細め、さらにボールを展開する。
ニドランと呼ぶには大きすぎる雌雄のつがいが、路地裏の塵を巻き上げた。
ハナコは臆さなかった。

「あなたは……騙されてるのよ……」
「なんだと?」
「最初にわたしに声をかけてきたのは、この人たち……」

ハナコが、熟睡している暴走族に視線を落とす。

「その人は、わたしが絡まれてるのを見つけて、助けてくれた……ただ、それだけなのに……」

ハナコの膝から、力が抜ける。意識を保つので必死なのだろう。
青年は今すぐ駆け寄りたかったが、サカキの強大なポケモンが邪魔をしていた。
今の話を汲んで、暴走族に確認するか、私刑を続行するかは、サカキ次第だ。
濃密な数秒の時間が流れ、サカキはゆっくりと、いびきをかいている暴走族のリーダーに近寄っていった。

「おい、リョウ」
「………」
「起きろ。今すぐにだ」

サカキの強烈なヤクザキックが、無防備な暴走族リーダーの側頭に決まった。

「ぎゃっ!」

激痛でゴロゴロと転げ回るリーダーの上に跨がり、胸ぐらを掴みあげるサカキ。
まさに鬼の形相だった。

「てめえ、この俺様をてめえの鬱憤晴らしに使ったな?」
「……へ?な、なんでバレ……あっ」

その一言が決め手になった。
容赦ない鉄拳がリーダーの頬を打ち抜き、リーダーは再び静かになった。
それからサカキは他の暴走族も、順に蹴りで起こしていった。

「あ、あの……サカキさん……俺たちはリョウさんに従っただけで……」
「リョウを担いで消えろ。仕置きを覚悟しておけよ」
「は、はいぃっ!」

暴走族たちがリーダーを担ぎ挙げ、這うようにして路地裏を去って行く。
サカキは思い出したように、青年とハナコに目を向けた。

「お前らも行け。今回のことは全て忘れるんだな」
「ちょっと……待ちなさいよ……」

青年が激情を抑えた矢先に、ハナコが突っかかった。
やめろ、ハナコ。気持ちは分かるが、無事に帰れる機会を、ふいにしちゃダメだ。

「これだけのことをしておいて……謝罪のひとつも……ないのかしら……」
「……なに?」
「お母さんから習わなかったの……悪いことしたら……相手に謝りなさいって……」

息も絶え絶えなハナコの挑発に、サカキが反応する。

「おい女、俺が誰だか分かって言ってるのか?」
「……あんたがロケット団だろうと、何だろうと、関係ない……わたしたちに、謝って……」

サカキの眉根に、深い皺が刻まれる。
やがてサカキは、懐に手を入れ――ナイフの代わりに、一枚の名刺を取り出した。
かがみ込み、それをハナコの手に忍ばせる。

「ロケットゲームコーナーのポスター裏に、隠し階段のスイッチがある」

青年が割って入った。

「急に何の話だ?」
「黙って聞け。その階段は、ロケット団の地下施設に通じてる。
 団員に会ったら、この名刺を見せろ。一度だけなら手を貸してやる」
「そんな、手を貸してやるって……」
「堅気な方法で上手く行かないこともあるだろうがよ」

サカキはポケモンをボールに仕舞うと、

「……悪かったな」

悠然とした足取りで路地裏を去って行った。