※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

「君は優秀だ。研究者に必要なセンスを備えている。
 もし君が希望するなら、その旨を先科の人事に伝えよう」

タマムシ大学ポケモン進化系統学科棟のとある研究室。
今年で二十二になる一人の青年は、対面に座る白衣の男に、先端科学技術研究所への就職を勧められていた。

「先生の言葉はとてもありがたいのですが、
 やはり、身持ちを固めるのには、まだ抵抗があります」
「……そうか。残念だが、君の人生だ、進路は君が自由に選べばいい。
 ただ、院に進まず、研究職に就かず、君は今後どうするつもりなのかな?」

青年は正直に、思いの丈を告げた。

「しばらく旅に出たいと思っています。こいつらと一緒に」

青年は視線を、ベルトに備え付けられた六つのボールに注いだ。
白衣の男は懐かしそうに言った。

「私も若い頃は、各地を巡ってポケモンマスターを目指したものだ。
 しかし私の予感では、君の旅の目的は、私とは違うところにある」
「俺は……俺は、境界の向こう側を見てみたいんです。
 あの先にどんなポケモンがいるのか、何が遺されているのか、知りたいんです」
「危険は承知の上なんだろうね」
「はい」

力強く頷いた青年に、白衣の男――大木戸教授――は微笑を浮かべて、

「旅は見聞を広める良い機会だ。無事に旅を終えたそのときには、
 君は研究者として、ポケモントレーナーとして、一皮も二皮も剥けているだろう。
 ……気を付けて行ってきたまえ」
「はい。ありがとうございます」

研究室を出た青年の胸中は、自身の計画を認めてもらえた安堵と喜びに充ち満ちていた。
やはり大木戸教授は理解のある方だ。
短い間でも、あの人と一緒に研究できて良かった。
自然と、笑みが零れた。
卒業研究を終え、必要な単位は全て取得しているとは言え、卒業までにはまだ数ヶ月ある。
青年はその期間を、旅の準備に充てることに決めていた。
彼は早速、タマムシデパートに向かった。
友人には「気が早い」と笑われるかもしれないが、野宿に必要な道具や装備を揃えておきたかったからだ。
カントー地方に限れば、タマムシはヤマブキと双璧を成す近代都市と言えた。
平日の昼間だというのに、通りは人とポケモンでごった返している。
顔を上げれば、建設途中のビルがそこかしこに立っていて、
秋口の高く澄んだ青空を、真新しいガラスに反射させている……。

「やめてくださいっ!もう放っておいて!」

平穏な空気を、甲高い悲鳴が切り裂いた。
通りの脇道にそれたところで、自転車に跨がった屈強な男たちが、うら若い女性を取り囲んでいた。
通行人は見て見ぬフリ。
最近サイクリングロードで屯している、柄の悪い集団の一派だろう。
ロケット団ほどではないが、関わり合いになれば、面倒は必至だ。
が、月並みな正義感を持つ男として、青年はその場面を見過ごすことができなかった。

「あのさ、ちょっといい?」
「あん?ガキは引っ込んでろ!」

どん、と年長の男に肩で突き飛ばされる。
確かに童顔なのは認める。でも、ガキはないんじゃないか。
青年は怒りを抑えて笑顔を浮かべつつ、

「もうじき警察が来る。さっき誰かが通報してたからね。
 補導されたくなかったら、さっさとズラかった方がいいよ」
「だから失せろって言ってんだろ!
 俺たちはこの姉ちゃんと話してんだ。
 テメーみてえなガキの相手してるヒマはねえんだよ!」

青年は二度目の尻餅をついた。
仏の顔をも三度まで、という言葉を思い出した。
逆説的に解釈すれば、三度までは我慢してやれ、ということだ。

「話をするにしたって、やり方があるだろう?
 路地裏で女性に寄って集って、これじゃあどう見ても恫喝だよ。
 近くに落ち着いた良い店があるんだ。
 どうかな、そこで仕切り直すというのは、」

閃光が走り、青年と男たちの間にガルーラが出現した。
お腹の袋に入った子供を愛でる姿が愛らしいポケモン――のはずなのだが、
主の醜悪な面立ちと性格が影響したのか、
親ガルーラも子ガルーラも、鋭い眼光で青年を睨み付けている。

「五秒以内に消えな。俺は今最高に気が立ってるんだ。手加減はしねえぞ」
「で、出た!リョウさんのガルーラだ!」
「リョウさん、ただのガキ相手にガルーラはマズいっスよ!」

浮き足立つ男たち。そんなにこのガルーラは強いのだろうか?
訝しみながら、青年もボールを展開する。
現れたのは紫の体に極彩色の輝きを帯びた、スライムのようなポケモン――メタモン。
男たちは一瞬静まり返り、どっと沸き返る。
メタモンが"変身"したところで、勝ち目は薄いのが常識である。
相手のポケモンとメタモンのレベルが同等でも、メタモンの不利。
相手のポケモンのレベルを大幅に上回って、初めて勝機が見えてくる。
そして青年が推定したところ、青年のメタモンは、ガルーラよりも能力値、経験値ともに劣っていた。
年長の男が言った。

「今更ごめんなさいですむと思うなよ。
 ポケモンを出した以上は、尋常にバトルする。
 賭け金は百万、払えなかったときは半殺しだ」
「リョウさんマジ鬼畜っス」
「これくらい当然だ。俺たちの邪魔をしたんだからな。
 おい姉ちゃん、そこで俺の戦いを見てろよ。
 俺がこの小生意気なガキに、社会の仕組みを叩き込むところをな」

男は鼻息を荒くしながら、先ほどから蚊帳の外になっている女性に、熱い視線を送った。
今更だが、この男たちとあの女性の関係は何なのだろうか?
疑問に思いながら、青年は言った。

「"変身"しろ、メタモン」

メタモンの体が膨張し、体色は紫から薄茶色と肌色とに変化する。
やがてメタモンはガルーラとまったく同じ外見、大きさに"変身"し、

「お、おい、なんだよこりゃあ……」
「あ、有り得えねぇ……」

完全に"変身"が終わる頃、メタモンの背丈は相手のガルーラの倍程度に達していた。
青年は声に余裕を滲ませて、

「さあ、尋常に勝負しようか。
 どっちのポケモンが先に倒れるか見物――」
「ひいぃいいぃい!」
「逃げろぉっ!」
「うわああぁぁ、殺される!」

シャコシャコ、と情けない音を響かせて、自転車の一群は小さくなっていく。
なんともまあ、骨のない。
勝ち目がないと見れば潔く退散する、勝負師の鑑と言えば鑑だが、せめて通行人の手前、
『覚えていやがれ』などの捨て台詞を吐き、戦略的撤退の体をとってもよかったものを。

「まあ、マジで突っかかってこられたら、こっちがヤバかったんだけどね」

青年は独りごち、メタモンが変身したガルーラの巨躯に触れた。
見た目の頑強さとは裏腹に、感触はマシュマロのように柔らかで、
何かにパンチしようものなら、逆にこっちが吹き飛んでいきそうな塩梅だった。
普通に戦えば多勢に無勢、青年は為す術もなくやられていただろう。

「あの……」

それまで壁際で萎縮していた女が言った。

「ありがとう、助けてくれて」
「どういたしまして。怪我はない?」
「ううん、大丈夫」
「君はどういう経緯であいつらと?」

青年の質問に、女はバツの悪そうな顔になり、

「わたしのドードーが、あの人たちの自転車にイタズラしちゃったの」
「イタズラ?」
「くちばしで、タイヤをぶすっと。
 わたしが気づいたときには、もう遅かった。
 あっという間に取り囲まれて……」
「弁償しろ、と迫られたわけ?」
「ドードーのトレーナーとして、わたしはきちんと弁償すると言ったわ。
 あの人たちも、デタラメな値段を吹っ掛けてきたりはしなかった」
「じゃあ、どうして?」
「あの人たちの中に、リーダー格の人がいたでしょ?
 ほら、仲間からリョウさんと呼ばれていた人」

真っ先に逃げ出したあいつか。

「わたし、その人にすごく気に入られちゃったみたいで、
 弁償しなくてもいいから、これからどこかに遊びに行かないか、ってしつこく誘われたのよ。
 本当にしつこかったわ」

女の声にうっすらと怒気がこもる。
なんだ、ただのナンパだったのか――事件性皆無の真相に、青年は内心、溜息をついた。
しかし女の怒りの矛先は、別のところに向けられているようで、

「……都会の人って冷たいのね。
 わたしと目があっても、すぐに逸らして、知らんぷりをするんだもの」

口ぶりからすると、これが初めての上京なのだろう。

「みんな自分のことで精一杯なんだよ。
 面倒ごとを抱えこむのはご免だと思ってる」
「でも、あなたは助けに来てくれたわ」
「俺はたまたまヒマだったからね」
「じゃあ、忙しかったら、無視してたってこと?」
「かもしれない」
「ひどい。嘘でも『助けてた』って言いなさいよ」

言葉は詰るようで、しかし口調は綻んでいた。
そこで青年は初めて、真正面から女性の顔を見つめた。
髪はウェーブがかった栗色で、後ろで一つに結わえられている。
目の切れ込みは浅く、見る者に優しげな印象を与える。
服装は地味で化粧気も薄く、垢抜けない雰囲気を漂わせていたが、素材の良さがそれを帳消しにしていた。
この街で稀少な純朴さは、白昼であろうと、誘蛾灯の役割を果たす。

「なあに、わたしの顔をジロジロ見て」
「いや、なんでも……そういえば君は、どうしてタマムシに?」

女は数秒黙りこくり、

「……観光よ」

と呟いた。観光ね。ありふれた理由だ。
青年はさして疑うこともなく、女の言葉を信じた。

「これからの予定は?」
「それが、何も考えてないの。
 わたし、こんなに大きな街に来たのは初めてだから、目が回っちゃって。
 日陰で休憩してたら、今度はドードーがイタズラしちゃうし……もう散々」

青年はごくりと生唾を飲みこんだ。
彼はもともと、女性に積極的なタイプではなかった。
が、この出会いを一期一会にしたくないという気持ちが、彼の背中を後押しした。

「あの、さ。近くに行き着けの喫茶店があるんだけど……お茶でもどうかな」
「ぷっ……。そのセリフはあまりにも時代遅れじゃない?」
「タマムシ生まれの俺が言われちゃ、形無しだな」
「でも、いいわ。
 あなたはわたしの恩人だし、それに何より、さっきからお腹がぺこぺこだから」

連れて行って、と華やぐ笑みで女は言った。