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「もう無茶しちゃ駄目だよ?」
「はは、分かってますって」

幾度となく繰り返した遣り取りも、きっとこれで最後だ。

「君はこれからどうするの?旅を続けるのかしら?」
「俺を待ってる人……いや、追いかけなくちゃならない人がいるんだ」
「……君に名誉の傷を"負わせた"相手?」

先生は微かに険のある目つきで俺を見つめてくる。
……なんとなく分かった。
心配してくれているんだ。
俺がまたその子のせいで、怪我をするんじゃないかって。

「はい」

でも、俺はあえて正直に答えた。

「そう……」

先生は腰に手を当てて、深い溜息をつきながら、

「……気を付けなさいね」
「止めねえの?」
「止めても聞かないでしょう、君は。
 私は精々、ここであなたの無事を祈ることしかできない」

ただし、と先生はピッと人差し指を立てて言った。

「次はその子を"君自身"が無傷で守れるように、たっぷり修行すること。
 弱っちいナイトは格好悪いぞ?」
「だってよ、マグマラシ?」

腰のボールに話しかけた俺の頭を、スパコーン、と先生が強かに叩く。

「私は君に言ってるの」
「先生は相変わらず怪我人に容赦ないっスね」
「君はもう怪我人じゃないから大丈夫」
「いや、入院期間中の話をしてるんだけど……」
「入院患者に暴力を振るうような医者はこの病院にいません」

よくもまあこの女医、いけしゃあしゃあと……。

「何か言ったかしら?」
「何も言ってません」

近くでクスクスと微笑んでいた看護婦さんたちの一人が、
腕時計を見て、先生に耳打ちする。

「回診?」

と俺が尋ねると、

「ええ。名残惜しいけど、お別れの時間みたい」

そう答える先生の笑顔は、どこか寂しげだった。
しょせん医者と患者の、無数にある別離のうちのひとつなのかもしれない。
それでも俺は、俺の腕を治すために全力を注いでくれた人たちへの、感謝の気持ちを忘れない。

「今までありがとう。先生や看護婦さんたちには、マジで感謝してる」
「ふふ、医者として冥利に尽きるわ」

冗談めかした反応に、俺は言葉を重ねる。

「俺の腕が元通りになったのは、先生たちのおかげだよ。
 これで俺はまた旅を続けて、ポケモンマスターを目指すことができるし――」

何より。

「守りたいと思うものを、自分の手で守ることができる」
「ホント、よくそんな気障なセリフを真顔で言えるね。
 でも、それがもう聞けなくなると思ったら、先生ちょっと残念かな」
「俺も先生のお叱りを受けられなくなると思ったら、ちょっと残念っスね」
「前々から疑ってたけど……君って被虐趣味?」
「ハハッ、まさか」

最後は軽口で締めて、俺は会釈した。

「じゃあ……さよなら」
「ええ。立派なポケモントレーナーになりなさいね」
「タイチくん、応援してるからねー」
「もうココに戻ってきちゃダメだよー」

先生や看護婦さんたちの言葉と、クチバ総合病院に背を向ける。
俺は当て所なく歩き出した。



小さい頃から冒険好きで、いつも何かしらの傷を体に負っていた。
それでも医者の手にかかるほどの大怪我をしたことはなくて、
子供心に、『自分は要領が良い』と驕っていたのを覚えている。
それが間違いだと思い知らされたのは、
親父に連れられてマサラタウンに赴いたある日のことだ。

……俺はただの臆病者だった。
危険に飛び込む勇気なんて初めからなかった。
安全圏で溌剌な悪ガキを気取っていただけ……。

自分への失望。たった一人の女の子を守れなかったという後悔と呵責。
強くなりたいと思った。
守れる"力"が得られなくてもいい、守ろうとする"勇気"が欲しいと願った。
両方とも足りずに、ただ逃避することしかできなかった過去の自分から、俺は成長することができたのだろうか。
その問いに肯定するかのように、右腕が微かに疼いたが、しかし……。
身を挺して大切な人を守る。聞こえはよくても、挺する体には限界がある。
勇気だけじゃ足りない。
力が伴わなければ、俺は誰かを守れる『盾』にはなれない。

「修行、かぁ……」

ふと、鼻の奥がツンとした。
胸に抱いた退院祝いの花束と磯の香りが混じりあった、不思議な匂い。
潮騒が聞こえる。いつの間にか海辺の近くまで来ていたらしい。
ちょっと寄ってくか。
軽い気持ちで砂浜を踏んだ。
海水浴シーズンにはまだちょっと早いせいか、人はまばらだった。
ポケモンと午後の散歩を楽しんでいるのがほとんどで、
歓声が聞こえて視線をやれば、
子供たちが打ち上げられたシェルダーの殻を木の棒でつついて遊んでいた。
不意に、腰に振動を感じる。
マグマラシが暴れていた。

「出たいのか?」

お前の嫌いな水場だぞ?

「…………」

カタカタ。

「分かったよ」

ボールを展開すると、マグマラシはぶるぶるっと体を震わせて、白砂の上を駆け回り始めた。
俺の入院中、最低限の自由しか与えられない育て屋での生活に、よほど鬱憤を溜め込んでいたんだろう。
当然の規則として、院内でポケモンを展開するのは御法度だった。

「おいおい、あんまりはしゃぎすぎんなよ。水かかっても知らねーぞ」

マグマラシは背中から噴き上げる炎の勢いをますます強くして、ハッハッと気炎を吐く。
……まっ、しばらくは好きなようにさせてやるか。
近場の露店でハンバーガーとミックスオレを購入して、
道路と砂浜を隔てる石造りの階段に腰掛ける。
口に運んだファーストフードは、久々の味、ってほどでもない。
病院食に飽き飽きして脱走したのは、一度や二度じゃないからな。
もちろんその度にこっぴどく叱られたけど。
気持ちのいいポカポカ陽気に、長袖のシャツは少し暑いくらいだ。
でも、海の開放感に任せて上半身裸になるという選択肢は閉ざされている。
腕まくりもダメ。
引き攣れた皮膚は人目を引いて、見た者に嫌な思いをさせちまう。
時間が経てば傷跡は目立たなくなっていく――と先生は言っていたけど、
広汎に渡る深い火傷の痕は、俺が爺さんになっても完全に消えることはないんじゃないかと思う。
気の滅入るような事実から目を逸らしたくて、水平線の彼方を眺めた。
セルリアンブルーの蒼穹と、エメラルドグリーンの海原。
その境界は曖昧に融け合っている。寄せては返す波の音が眠気を誘った。

「……ん?」

ふと、景色が揺らいだ気がした。
目を擦って焦点を合わせる。
波打ち際の近くに誰かが立っていた。
さっき見たときは、誰もいなかったような……。
眩しい白のサマードレスにウェーブがかった赤い髪。
儚い印象を受ける後ろ姿だった。
別の表現をするなら、いいところのお嬢様といった感じだ。
傍らに佇む馬型のポケモンは、燃え盛る鬣から、ポニータかギャロップだと見当をつけた。腰を上げる。
トレーナーがトレーナーを見つけたら……やることは一つだろ?

「戻ってこい、マグマラシ!」

砂浜を転げ回っていた相棒が、すぐに足許に寄ってくる。
俺たちが近づくと、砂を踏みしめる音が聞こえたのか、声をかける前に相手が振り向いた。

「……………」

あんたポケモントレーナーだよな、バトルしようぜ――。
用意していたセリフが、喉の奥で潰えた。
目眩がするほど綺麗な人だった。
歳は恐らく二十代前半。
なのに涼しげな目元には、成熟した大人のみが持つはずの、何事にも動じない落ち着きが讃えられている。
どれくらいの時間、立ち尽くしていたんだろう。

「そうか」

唐突に、沈黙を守っていた唇が開いた。
俺とマグマラシに視線を向けて、

「君はポケモントレーナーで、わたしとポケモンバトルがしたいのだな」

楽しげな声の響きと優しい微笑みに、思わず心が蕩けそうになる。
我に返った俺は、ぶんぶんと首を縦に振った。
そうだ。俺はこの人に、ポケモンバトルを申し込みに来たんだ。
ポケモンリーグを目指していない一般のトレーナーが相手なら、
病み上がりの俺とバトルの感覚を忘れかけているマグマラシにとって丁度いいと思ったから……。

「俺の名前はタイチ。マサラタウンのタイチだ」
「わたしの名はカレン。グレン島のカレンだ」

簡潔に自己紹介を済ませると、カレンさんはギャロップの胴体をすりすりと撫でながら言った。

「わたしの手持ちはこの仔だけだ。一本勝負で良いだろうか?」

女性には珍しい凛々しい口調は、カレンさんの唇を通すと自然に聞こえる。
俺はマグマラシを指さして、

「あ、ああ。俺もこいつだけだから」

カレンさんは目を細めて頷くと、踵を返して距離を取った。
俺もそれに倣う。背を向けたところで笑う。
この勝負、もらったぜ。
ギャロップの体は綺麗すぎるんだ。
体に残った傷跡はそのポケモンの戦歴を物語る、とは親父の弁で、
それに従うなら、目の前のギャロップはポケモンバトルの経験がほとんど無いと言っても過言じゃあ――。

「フフッ」

上品に喉を鳴らすカレンさん。いったい何がおかしいんだ?

「いや、なんでもないさ。自信に満ちた良い顔をしていると思ってね。
 それでは早速始めよう。
 合図は……今から五度目に波が打ち寄せたときでいいかな」

間延びした空気の中、波頭は砂浜に押し寄せ、砕けては引くを繰り返す。
負けるはずがない。勝つ自信はある。なのに――この胸騒ぎは何なんだ?
やがて五度目の波が、ポケモンバトルの開始を告げ……。
カレンさんはぞっとするような低い声音で命じた。



「蹴散らせ、ギャロップ。"突進"しろ」