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春の柔らかい日差しが、空からいっぱいに降り注いでいた。
千切れた雲によってできた斑模様の光と影が、縹色の街並みを、より一層、美しいものにしている。

「傾斜を上ってきたようには感じなかったのに……。
 いつの間にかオツキミヤマのの中を登っていたのね」

目を細くして、その上に白い手を翳すヒナタ。
暗闇に慣れてしまった瞳孔が、まだ窄まっていないのだろう。
風が、彼女のチュニックブラウスとスカート、そして長い亜麻色の髪をさらっていく。
ここら一帯は高台になっていて、季節に関係せず、穏やかな風が吹いているのだ。
やはり新鮮な空気はいい。長い間洞窟にいると、息が詰まりそうになる。
ふいにヒナタは、僕を肩から降ろして言った。

「ねえピカチュウ、麓まで競争しない?」
「ピカ?」

どうして?

「理由は説明できないんだけど、なんだか無性に走りたい気分なの。
 何も賭けない普通のかけっこよ。いい?」

僕は頷く。

「それじゃあわたしのかけ声でスタートね………よーい、ドンッ!」

ヒナタは駆け出す。その無邪気な後ろ姿を、僕はゆっくりと追いかけた。
ヒナタが興奮するのも無理はない。
何故なら次の街、ハナダシティは――彼女の母であるカスミの、生まれ故郷なのだから。


「それじゃあ、みんなはここで待ってて。
 他のポケモンと喧嘩しちゃダメだからねー」

ヒナタのその言葉に、ピッピは「行かないで」と駄々をこねるように一鳴きした。

「すぐに戻ってくるから……」

さらに一鳴き。ヒナタは目頭を押さえ、甘い考えを振り払うように頭をぶんぶん振って、

「ピカチュウ、ヒトデマン。
 ピッピのお守り、お願い!」

逃げるように行ってしまった。
ここはハナダシティの、とあるショッピングモールにある、ポケモン委託施設だ。
ショッピングモールを訪れたポケモントレーナーは、
モンスターボールの紛失や、買い物中に誤ってポケモンがボールから出ることを防ぐため、
一時的にポケモンを預けることができる。
そして体長一メートル以下のポケモンだけが、預けられている間、
それなりに広いスペースで自由に過ごすことができるのだった。

もちろん、ポケモン同士の喧嘩や諍いを諫めるために、
スペース内には監視要員と思われるゴーリキーが二匹いる。
まあ、問題ないだろう――。

「ピカ………ピィ?」

僕は妙な孤独感を感じて両隣を見た。
ピッピとヒトデマンがいない。
と思ったら、二匹ともこの空間でそれぞれの居場所を見つけていた。


ヒトデマンはスペース端にある大型の水槽の底に沈んでいたし、
ピッピは初めて見る様々なポケモンたちに興味津々のようで、
特に気に入ったらしいオタチ(ヒナタの捕まえたいポケモンランキング第八位)の尻尾にしがみついていた。

僕は安心して、脱出を謀ることにする。
スペースとモールを隔てるように立っていた監視ゴーリキーに手を振って、

「ピッカ!」

――ちょっとすみません、こちらに来てもらえませんか。
鳴き声に気づいた彼は、正義感の宿った目で僕を見据え、近づいてきた。

「チュウウ」

至近距離まで近づいてから、僕は彼の背後を指差す。
彼は無警戒に振り向き――静かに硬直した。
流した電流は40mA強。このゴーリキーの肉体なら、筋肉が収縮を起こして動けなくなる程度の電流だ。
ごめんね、と心の中で謝ってから、僕は委託施設から抜け出した。


勿論、この行動には理由がある。
オツキミヤマ洞窟で遭遇した妙な男。
あいつが個人で希少ポケモンの調査(という名の乱獲)をしている可能性は低い。
十中八九組織ぐるみの計画だろう。
十数年前なら、ポケモンの売買や強奪と言えばすぐにロケット団の名が挙がったものだが、
サトシの手によって解散させられ、それから後の数年間で、かなりの数の幹部が逮捕された。
となれば、新たな組織が暗躍している、と考えた方が自然だろう。




ヒナタと共に旅に出るまで、僕はカスミを支えることばかり考えていて、
昨今の社会情勢や犯罪傾向についてほとんど知らなかった。
ここら辺で、情報を仕入れておかなくてはならない――。


そんな意気込みも虚しく30分後、
僕はショッピングモールの非常階段を、消沈しながら下っていた。

初めに訪れた書店では、
人文・思想・社会・ポケモン科学・ビジネスなど、様々なジャンルを一通りチェックしたが、
有益な情報は何一つ得られず、むしろ世界が平和に回っていることを証明されただけだった。
悪の組織というのは、最近は流行らないらしい。

二人の協力者のイニシャルがそれぞれMとKの
『激白! 元団員が語るロケット団の真実』という本や、
可愛くデフォルメされたイワークが表紙のベストセラー、
『タケシのポケモンフード節約術』という本が激しく僕の興味を引いたが、断ち切った。

次に訪れたのは家電売り場で、
僕は大量に並んだTVのディスプレイの中から、ニュース番組を探した。
しかしどこも関係のないチャンネルばかり映していたので、勝手にチャンネルを変えてニュースを見ていると、

「ママー、あのピカチュウテレビみてるよー」
「嘘おっしゃい。このモールはポケモン持ち込み禁止なのよ。
 それにポケモンがTV番組を理解できるわけ………嘘……でしょ?」

はしゃぐ子供と慄然する母親。僕は逃げ出さざるを得なかった。

直前まで見ていたニュースでは、ポケモンによる事件や事故を取り扱っていた。


年々増加傾向にある、野生ポケモンによる傷害・死亡事件――という特集について、

『不注意なトレーナーが無闇に刺激するから、彼らも自己防衛本能を働かせるんですよ!』
『あなたはいつもそうだ。いったい人間とポケモン、どちらの味方なんですか!?』

野生ポケモン擁護派、排斥派のコメンテーターが、舌鋒鋭く良い争っていた。
僕はそれを冷めた目で眺めていた。

この議論の果てに用意された中庸的な結論に、興味などなかったから。



僕が再び委託施設に潜り込むと、
ヒトデマンはやっぱり心地よさそうに水槽の底に沈んでいて、
ピッピは―――どこにも見あたらなかった。

嫌な予感がした。

耳を立てて、少し背伸びし、辺りを見渡す。
果たしてピッピは、スカイブルーの厚い皮に覆われたワニのようなポケモンと一緒になって遊んでいた。
否、遊ばれていた。
ワニのようなポケモンが、ピッピをつつく。
ピッピの体は丸く、コロコロと転がる。止まると、またつつく。
そのポケモンは、まるでピッピのことをボールか何かのようにして弄んでいたのだ。
いいようにされているピッピが楽しいはずもなく、ピッピはぎゅっと目を瞑って耐えていた。

僕は頭に血が上るのを感じた。
父性本能が芽生えた瞬間だった。

――おい、そこのワニ。


僕が静かに歩み寄ると、生意気に気配を察知したのか、そのワニポケモンは振り返った。

「ピ!」

警告のつもりで呼びかけると、
小柄な体に似合わない大きな口をぐわっと開いて、威嚇してきた。
……へえ。なかなかに立派な"乳歯"じゃないか。
僕は最終宣告した。

「チュウ……ピカ、ピーカ、チュ」

遊びを邪魔されたのが不愉快だったのか?
生憎そのピッピは僕の連れでね。お守りを任されているんだよ。
幼いながらにもその子は女の子で、君みたいな野蛮な雄の相手は務まるまい。
代わりに僕が遊び相手になってあげるよ。それで満足だろう?

ほっぺから紫電。

脅しはそれで充分だった。
そのワニポケモン――のちに、ワニノコと呼ばれるポケモンだったと判明した――が
水槽に飛びこんだことを確認してから、僕は今し方深い眠りから目覚めたらしいヒトデマンとアイコンタクトをとる。
"あとは任せた"
"ふぁ、あ……分かりました。お任せください"
あとは彼女が教育してくれるだろう。僕はふっと溜息を吐き、ピッピに向き直る。
ピッピは潤んだ瞳で僕を上目遣いで見上げ、

「ぴぃ」

と鳴いた。なるほど……これがさっき見た雑誌に載っていた"萌え"というやつか?
ヒナタ、今なら君の気持ちが理解できるよ。




それから20分くらいすると、荷物をいっぱい抱えたヒナタが戻ってきて、
僕たちは委託施設から解放された。彼女は僕と、僕の頭の上に乗って両耳を掴んでいるピッピを眺め、首を傾げた。

「あなたたち、いつの間に仲良くなったの?」

僕は懐かれすぎて困っていることをアピールしたかったが、
迂闊に動くとピッピが落ちてしまいかねないので、どうにもできなかった。
ヒナタは笑顔で言った。

「ピッピも楽しそうだし、ピカチュウ、しばらくおんぶしててあげてね」


ショッピングモールを出たところは広場になっていて、
ヒナタは、はずれにあるウッドベンチに腰掛け、そこで購入した物品の整理を始めた。
広場の中心には大きな噴水。
小さな子供や水ポケモンが、水を掛け合って戯れている。
オツキミヤマを抜けた時からちっとも翳ることを知らない空から振る光が、
噴水の水に反射し、きらきらと輝いていた。

「ぴぃ」

ふいに、耳が強く引っ張られる。痛い、痛いよ。
僕がピッピの様子を窺うと、彼女は短い指で噴水を指して、もう一度鳴いた。

「ピカァ……」

僕は溜息を吐いて、ヒナタを見上げる。

「うーん、やっぱりポケモンが三匹になると、食費が嵩むわね。
 新しい服、買うの我慢した方が良かったかも……ん、どうしたの、ピカチュウ?」

僕が頭上を指差すと、彼女はすぐに察してくれた。
ヒナタはちょうど最後の品となるペットボトルをリュックに詰め終えて、

「もー我儘言わないのー」

ピッピにめっ、とする。
その仕草は予想以上に可愛くて、
僕が自分が怒られているわけでもないのにどきどきしていると――
彼女の両手が、すっと僕の頭上からピッピを攫っていった。

「ちょっとだけだからね。
 あと、絶対にあたしやピカチュウから離れないって、約束できる?」
「ぴぃ!」

……ヒナタ。君の甘さには呆れを通り越して感服する。
今日は明日のジム戦のために、ポケモンセンターで作戦を練るんじゃなかったのかい?



仕方なく、ヒナタとピッピの後に続く。
しかし噴水の水飛沫がかかりそうなぐらいに近づいたあたりで、ヒナタは急に足を止めた。

「ちょっとどうしたの?
 やめて、ピッピ――あっ、暴れないでってば――」

どうしたんだろう?
僕はヒナタの背に隠れた、ピッピの様子を見ようとして、
噴水の一角を陣取るように水浴びしているポケモンを認めた。
あのワニポケモンだった。
――ははあ、これではピッピに暴れるなと言う方が無理な話だ。
僕は"少しスペースを分けてもらう"べく、穏便に交渉を開始しようとした。
その時だった。

「あ~らあらあら。
 まさかこんなところでバッタリ出会うだなんてね。
 いつ来たの? 来たなら連絡の一つでも寄越しなさいよ、ヒナタ」




「あっ、あんたは……!!」

組んでいた足を優雅に組み替え、
淡いオレンジのサングラスをほんの少しずらして、

「久しぶりに会ったのに、従姉に対して挨拶もナシ?
 あんたにはいつまで経っても大人の気品というものが備わらないようね」

その女の子は白地に嫌味を言った。
やれやれ、また面倒なことになりそうだ。

「大人の気品が備わってないですって?
 別にいいわよ。だってあたしまだ子供だもん。
 カエデみたいに外見だけ大人びても、何の意味もないわ」

涼しげな顔で受け流すヒナタ。
カエデ――ヒナタの叔母であるアヤメの一人娘――の顔が引き攣る。

「ほっ、本当は羨ましいくせに」
「羨ましくなんかないわよ」
「そのボールの中に入ってるポケモン、もしかしてヒトデマン?」
「そうだけど?」
「時代遅れ甚だしいわね。
 今の時代にヒトデポケモンなんて流行らないのよ?」
「流行でポケモンを選んでいるようじゃトレーナーとしての底が知れるわ」
「なんですってぇ~?」

僕は一歩後ずさる。
毎度の事だが、この二人の掛け合いほど見ていて息の詰まる光景はない。


視線と視線がぶつかりあう。
感情というものがヴィジュアライズされていたら、拮抗部では激しく火花が散っていることだろう。

この二人は昔から仲が悪かった。
ヒナタが幼い頃は、よくアヤメと一緒にカスミのもとを訪れたカエデと互いに泣くまで喧嘩していたものだ。
それはまるで、若い頃のカスミと、彼女の姉妹たちのようだった。

なぜ従姉同士なのに、こんなに仲が悪いのか?

性格の不一致を筆頭に、カエデの嫉妬、ヒナタの羨望――と、昔は両方に原因があった気がするが、
現在は精神的に成長して、刺激しまいとしているヒナタに、
カエデが懲りずにちょっかいをかけている、というような状況だ。

やがてカエデは、艶のある長い黒髪を大仰に払って、

「あーあ、せっかく買い物で幸せな気分になってたのに、台無しだわ。
 帰るわよ、ワニノコ」

ワニノコが周囲の水ポケモンを威嚇しながら、
噴水の縁までのそのそ歩いてくる。ヒナタが言った。

「……それ、あんたが捕まえたの?」
「可愛いでしょ? ジョウトの友達に交換してもらったんだぁー。
 今流行りの水ポケモンの、代表的存在ね。可愛いけど強くて、とっても頼りになるんだから」

ワニノコを抱き上げて、カエデが薄い胸を張る。
その時、ヒナタの後ろにいた僕に気づいたのか、ワニノコは小刻みに震えだした。

「なっ、なに? どうしたの?
 どうしてこの子こんなに震えてるの……?」


どうやら彼には委託施設での一コマがトラウマになってしまったらしい。
可哀想に。

「水浴びしすぎて風邪でも引いたんじゃない?」
「あり得ないわ、さっきまで元気だったのよ?
 ……もうっ、わけわかんない。ヒナタの所為よ。きっとそうに違いないわ」

鋭いな。その推断はあながち間違ってない。

「無茶言わないでよ……。
 あのさぁ、カエデ。あんたこれから家に帰るのよね?」

カエデが頬を膨らませたまま頷く。ヒナタは手を合わせて言った。

「じゃああたしも一緒に同行させてもらってもいいかしら?
 ポケモンセンターで部屋を取ってから叔母さんに挨拶しに行こうと思ってたんだけど、
 ちょうどいいところであんたに会えたから」
「ママ、まだジムで挑戦者の相手してると思うけど」
「ちょっとくらい待つわ。ハナダシティジムは日が暮れる前には門を閉めるんでしょ?」
「はぁ……分かったわよ。勝手についてくれば?」

くるりと背を向けて、カエデが歩き出す。
ヒナタは「ありがと」と言い、彼女の隣に並んだ。




「ちょっとぉ、隣に並ばないでよね……ヒナタ、その抱きしめてるの、なに?」
「ピッピ」
「嘘。ピッピはものすっごく珍しくて、めちゃくちゃ可愛いことで有名なのよ。
 どうせぬぐるみか何かでしょう?」
「ぬいぐるみなんかじゃないわ。本物よ」
「ぴぃ!」
「きゃっ……。鳴いたわよ、ねぇ、今このぬいぐるみ、鳴いたわ!」
「だからぬいぐるみじゃないてっば。あんた、分かってて言ってるでしょ」
「……どこで手に入れたの?」
「オツキミヤマ。色々あって仲間になってくれたの。ねー、ピッピ?」
「ねぇ、ちょっとあたしにも抱かせなさいよ」
「いいけど」
「うわ、ちいちゃくて柔らかい………………ヒナタ、この子あたしにちょうだい」
「ダメ」
「ヤダ。もう返さないから。この子が可愛すぎるのがいけないのよ。罪なピッピね」
「罪なのはあんたでしょうが」


二人の会話は、トゲトゲしていながらも、どこか微笑ましい。
僕はちょっぴり安心した。
カエデは幼いときからずっと、マサラタウンからハナダシティに帰る日がくる度、
「ピカチュウ連れて帰るの! 帰るの!」と駄々をこねて、アヤメ叔母さんを困らせていた。
それが今日を以て、カエデのターゲットはピッピに変更されたのだ。
あれは二人が五歳くらいの時だっただろうか――。
カエデとヒナタの激しい争奪戦で、両耳が千切れそうなほど引っ張られたのは、今も苦い思い出だ。






派手なブランド物の衣服やアクセサリーで身をかためたカエデの外見とは対照的に、
彼女の住んでいる家の内装は、驚くほど質素だ。
それには彼女ら親子の趣味と、彼女の母親、アヤメの仕事に対するやる気のなさが、深く関係している。

「ヒナタはあたしと同じコーヒー。ピカチュウはジュースでいい?」
「ピカ!」
「相変わらずピカチュウは素直でいい子ねー。
 ヒナタ、あんたも礼くらい言ったらどうなの?」
「今言おうと思ってたのよ! いちいちうるさいわね!」

キッチンから、コポコポとコーヒーを煎れる音が聞こえてくる。
ヒナタは退屈したのか、立ち上がって、近くにあった本棚を流し見しはじめた。

「ガーディの生息地とその考察……あの子、こんな本読むんだ」

抜き取って、ぱらぱらと捲る。

「ちょっとー、勝手に漁んないでよね」
「いいじゃない、別に減るものじゃないし。
 それよりカエデって、こんな難しい本読むんだ。感心しちゃった」
「別に内容に興味があるから買ったわけじゃないわ。
 学校で参考に読めって言われたのと、その本の著者が、その、シゲルだったから……」

恥ずかしそうに口籠もるカエデ。ヒナタと僕は、同時に目を見合わせる。


「あんた、シゲルおじさま……じゃなくて、シゲルのファンだったの?」

ヒナタは慎重に言い直す。そういえば、カエデはヒナタの父親が誰であるかを知っていたが、
かつてヒナタの父親がシゲルとライバル関係にあり、その名残で、シゲルがヒナタと深い親交を築いていることは知らなかった。

「なによ、文句ある?
 若い頃は優秀なポケモントレーナー兼ポケモン研究者で、
 現在はトキワシティジムリーダー、結婚してからも格好良さは全然衰えなくて、
 むしろ渋みが増して魅力的になったっていうか……」

うっとりとした顔で、カエデはシゲルの情報を列挙していく。
僕は彼女に、シゲルが若かりし頃、応援団として侍らせていた女の子たちの姿を重ねた。
ぴったりだった。
そしてヒナタに、まさかつい最近シゲルの自宅で夕食をご馳走になり一晩泊めて貰った挙げ句
ポケモントレーナーとしての助言を貰いお小遣いまで戴いたことを告白できるはずもなく、

「そう、だったんだ。あは、あはは……」

カエデが訝しがるようにヒナタの顔を見る。
しかし彼女がヒナタの挙動不審を疑う前に、ドアのチャイムが鳴った。

アヤメがジムリーダーの仕事を終えて、帰ってきたのだ。


「帰ったらいきなりヒナちゃんがいるんだもの、びっくりしたわ。
 ほんとはもっと夕食を豪華に出来たんだけど、今日は我慢してね。
 明日はおばさん、腕によりをかけて作るから」
「気を遣って貰わなくていいんです。
 あたし、昔からおばさんの料理なら何でも大好物ですから」
「あらあら、嬉しいこと言ってくれるわね。
 ヒナちゃん、ちょっと見ない間に本当に大きくなって、綺麗になったわ。
 ふふ、男の子たちが放っておかないでしょう?
 そうだわ、明日はヒナちゃんのために洋服を買ってあげるわ――」
「だめよ。ママったらヒナタにばっかり甘いんだから。
 それに、明日もジムの仕事があるんでしょ」

カラン、とわざとらしく食器で音を立てて、母親を睨み付けるカエデ。

アヤメがジムから帰ってきた後、
挨拶をしてポケモンセンターに行こうとしたヒナタは、アヤメに引き留められ、
夕食をご馳走になり、なし崩し的に泊まることになった。

『あの、あたしポケモンセンターで泊まります。
 何日滞在するかも分からないし……』

そう辞退しかけたヒナタに、

『いつまでも泊まっていきなさいな。
 わたしにとっては娘が一人増えたみたいなものだから、遠慮しなくていいのよ』

アヤメは微笑んでそう言った。
彼女は、若い頃の我儘で高飛車な性格に比べると、驚くほど温和で心優しい性格になっていた。
人は子供を持つと性格が変わると言うが、まさにアヤメの場合には、それがうまく作用したのだろう。



夕食が終わると、順番でお風呂に入ることになり、
真っ先にカエデが

「あたし今日は汗かいたから」

と言って、浴室に向かった。
いくらアヤメがサボり性で、定時にジムを閉めて帰ってくるとはいえ、
もう少し母親のことを労ってあげてもいいんじゃないかと思う。

ヒナタと僕がお風呂の順番を待ってTVを見ていると、
僕たちの座っているソファの向かい側のソファに、アヤメが座った。
かちゃ、と陶器の触れあう音。

「はいヒナちゃん、熱いから気をつけてね」
「ありがとうございます。……いい匂い。アールグレイですか」
「あら、詳しいのね。
 わたしは大の紅茶好きなのに、カエデはちっとも興味がないの」

アヤメは僕の分の紅茶まで用意してくれていた。
小さなカップに、透き通った赤銅色の液体が満ちている。
口につけると、適度な甘みと馥郁たる香りが、ここ最近の疲れを癒してくれた。美味しい。

「電話でカスミから、あなたがポケモントレーナーになったと聞いたときは、驚いた反面、嬉しく思ったわ。
 やっぱり血は争えないのね。ハナダに来たのも、やっぱり、ブルーバッジのため?」

ヒナタはこくりと頷いた。

「はい。ニビシティでグレーバッジは手に入れました。
 おばさん、あたし、いつかは誰にも負けないような、ポケモンマスターになりたいんです。
 今はまだ、全然未熟ですけど……」

ヒナタはその夢の裏にある、サトシの行方を見つける、という目的を話さなかった。アヤメは言った。

「わたしは別に、ヒナちゃんが未熟だとは思わないわ。
 何もポケモンの強さだけが、ポケモンマスターの資格じゃないの。
 あなたのポケモンはあなたによく懐いているかしら?」
「……・多分、懐いてくれていると思います」

言葉には小さな淀みがあった。

「多分?」
「あの、実は――」

ヒナタはゆっくりと言葉を選びながら、
ポケモンバトルにおける自分の判断ミスで、僕やヒトデマンに怪我をさせてしまったことを話した。
僕は呆れた。なんだ……ヒナタ、君はそんなことを心配していたのか?

「ふふっ、ヒナちゃんったら、そんなことを心配していたの?」

アヤメが僕の心情を代弁してくれた。

「ポケモンはポケモン同士のバトルで傷ついたからといって、トレーナーを責めたりしないわ。
 あなたが全力で相手に挑んで、その結果怪我をしたのなら、その傷はポケモンにとっての勲章になるの」
「本当ですか?」
「ピッカ」

本当さ、ヒナタ。
僕は君を守るためなら、どんな傷を負ったってかまわない。
そしてそれは、ヒトデマンや、まだ幼いかもしれないけど、ピッピにしても同じことが言えると思う。

「ピカチュウ……」


「あらあら、なんだか説教臭くなっちゃたわ。ごめんなさいね。
 話を元に戻しましょ。ヒナちゃんはブルーバッジが欲しい。
 ということは、ハナダシティジムのジムリーダーに勝負を挑んで勝たなくちゃいけないわけだけど……
 ここのジムリーダーが誰かは知ってる?」
「アヤメおばさま、ですよね」

アヤメは中空にぼんやりと視線を浮かべて、深い溜息を吐きながら、

「そう、このわたし。
 わたしが結婚する前はカスミ以外の姉妹三人でのんびりやっていたのに、
 わたしが結婚して子供ができた途端、二人とも仕事ほっぽり出して旅行三昧よ。
 夫はハナダ洞窟の調査やらなんやらで、ほとんど出張しているし。
 ごめんなさい、いつの間にか愚痴っちゃってたわ。疲れてるのかしら」
「い、いえ。肩、お揉みしましょうか?」
「いいの。ありがとう。実はブルーバッジのことで、ヒナちゃんに提案があるの」

にわかに、アヤメののんびりした口調が真剣みが帯びる。
ヒナタが身を乗り出し、僕は耳を欹てた。

「これはカスミと相談したことで、いずれヒナちゃんが
 ハナダジムに来るときのために考えていたことなんだけど――」

そして彼女は、とんでもないことを言い切った。


「ヒナちゃんには、ジム戦なしでブルーバッジを上げるわ」



第六章 上 終わり