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――――――――二年後――――――――


「ミッション・オブジェクティブは国交省議員の護衛。
 氏は先日の建設業等の開発事業支援フォーラムにて、
 公的資金投入対象の規定緩和法案提出を明言したばかりです」
 自然保護、ポケモン愛護団体の反感は必至。
 過激派の行動は予測不可能です」
「交渉は望むべくもないな」
「氏の安全を最優先、襲撃者はただちに撃破してください」
「ミッションの概要は以上か」
「はい。ですが……いえ……無事の完遂を祈っています、レッド様。
 あなたはシステムにとって掛け替えのない存在なのですから」
「………」

オペレーターとの通信を切る。
ヤマブキシティの一等地、宿舎の一室の前に到着した俺は、
前任者との交代を無言で果たし、護衛対象との簡単な顔合わせを済ませた。
第一印象は、品のある紳士。
新人議員の頃から組織の目に留まり、
今では政界に大きな影響力を持つ一人として、組織に重宝されている。

「やっと来たか!
 君の噂を聞いて、直々に指名したんだよ。
 組織の古い友人が特に君を推していたのを思い出してね。
 護衛任務における失敗は今までないそうじゃないか」
「身に余る言葉です」

議員はヒノアラシの赤子をあやしながら、

「どうだい、私専属のボディーガードになる気はないか?」

俺はやや間をおいて言った。

「個人契約は厳禁です。
 長くシステムに関わってこられたあなたなら、よくご存じでしょう」
「冗談だよ。今の言葉を報告書に書いたりはしないだろうね」
「まさか……」
「システムの人間はどうも堅苦しくて困る。
 君や私のようにユーモアがなくてはな。
 今後の予定は、秘書から聞いているのだろう?
 なら、早速役目を果たしてくれたまえ。
 期待しているよ……もっとも、君の手腕を拝まないことに越したことはないがね」

それから俺は議員と事務的な遣り取りを終え、室外に出た。
一般的な要人警護の任務は、大概がクライアントの杞憂に終わる。
というのも警護対象は立場上、日常的に何らかの脅威と隣り合わせであり、
その脅威に対する防衛姿勢の明示が目的だからである。
しかし俺が最近言い渡される任務は、交戦可能性の高いものばかりだった。
今回のそれが良い例で、警護は議員への憤懣が特に表面化しやすい期間に限られている。
法案が通ってしまえば、あるいは棄却されれば、俺は晴れて通常の警護役と交代できる。
俺は辺りに人の気配が無いことを確認して、内ポケットから一枚の写真を取り出した。
そこに写っているのは、過去の仲間たちではなく――、
内縁の妻と、純真無垢に笑う愛娘だった。

「サヤ、アヤ……」

俺とサヤが共に生きることを決心したあの日から、二年が経った。
人並みに式も挙げず、入籍もしなかった俺たちの関係の証は、サヤに宿ったひとつの命だった。
カツラ博士の尋常ではない喜びようや、カレンの婉曲な祝福、
使用人主催の記念パーティは割愛するとして、とにかくサヤは出産を果たした。
生まれた女の子を、俺はアヤと名付けた。

『どうしてわたしに似た名前にしたの?』
『サヤによく似た女の子に育つと思ったから』
『ふふっ、まだ赤ちゃんよ?それに、女の子は父親に似るって言うわ』
『サヤは自分が父親に似ていると思ったことがあるのか?』

そんな遣り取りをしたことを、朧気に覚えている。
最初にアヤを抱き上げたときの感動は、一生忘れることができないだろう。
すぐに顔をしわくちゃにして泣き出し、サヤに預けることになったが、
小さな命の温かさ、重みに、涙腺が緩んだ。
アヤが生まれてから、早くも季節が一巡りしようとしている。
アヤが生まれる前も、生まれた後も、俺はあまりグレン島の屋敷に戻れずにいる。
それでもサヤは、周囲の人間に支えてもらいながら、俺の分までアヤに愛情を注いでくれていた。

『サトシは、お仕事を頑張ればいいのよ。
 わたし一人でもちゃんとアヤを育てられるんだから。
 でも、ちゃんとお仕事の合間には帰ってくること。
 あんまり仕事に一生懸命になってたら、アヤがサトシの顔忘れちゃうかもしれないわよ?』

優しい微笑みと一緒にかけてくれた言葉は、本心ではないのだと思う。
ずっと一緒にいてほしい、とはっきり言われたことは一度もない。
サヤは聡明で物わかりのいい妻であろうとした。誰の助けも必要とない母親であろうとした。
その振る舞いに騙されたふりをし、サヤとアヤを屋敷に残して任務に就く――そんな日々が、続いていた。
「あなたがレッドですね?」

思索に没頭していたところに、声をかけられる。
二十代半ばの若い女だった。四角いふちの眼鏡をかけていて、髪は品良く纏められている。
直感で、秘書の一人だと分かった。

「議員の予定はご存じですね」
「目は通した。進言したいこともいくつかあった」
「何か問題が?」

苛立ちを含んだ声。

「危険が無くなるまでは……いや、危険が少なくなるまでは、
 なるべく宿舎に留まってもらいたい。その方が護衛しやすい」
「できません」

だろうな、と思った。
根回しの怠慢は孤立を招き、孤立は破滅を招く。
都内某所の高級和食料理店で行われる今晩の会席も、
議員にとっては必要不可欠な外出だった。
それでも、リスク回避の原則を提言せずにはいられなかった。

「予定に変更はありません。
 あなたは我々の依頼通りに護衛を全うしてください」

秘書は怪訝な顔で俺を一瞥したあと、慌ただしく室内に入っていった。
右手の中で折り曲げていた写真を真っ直ぐに伸ばし、ポケットの中に戻す。

―――これで最後にするから。

誰にも聞こえない小さな声で、そう独りごちた。

夜。
ネオンの光や喧噪を避けるように、議員を乗せた車は閑静な一等地にのろのろと進む。
ポケモンを用いないことがソフィスティケートされた人間の証明であるという思想は、
最早都会の通奏低音にも等しく、上流階級の人間はこぞってポケモンの背に乗るのをやめ、
代わりに原動機を推進力とする鉄の箱に乗り始めた。
自動車が安価な買い物となり、辺境が開拓され、平らな舗装道路が遍く敷かれた暁には、
ポケモンの力に頼らず、誰もが好きな場所に陸路で赴くことができるのだろうか。
そんなことを考えているうちに、鈍い音を立てて車が停止した。
女中の慇懃な歓待を受け、車外に出る。
俺はひたすらに存在感を消し、奥の間に消える議員を見送った。
先刻交わした会話を思い出す。

『君は同席しないのかね?』
『外で待機しています。秘書の方にそう言われましたので』
『心細いな』
『これをお持ち下さい』

今、俺のベルトに装着されているボールは五つ。
議員に予め渡しておいたボールは、特別な仕掛けを施してある。
マサキ博士と親交が深かった時節に依頼して作ってもらったものだ。
手持ち無沙汰になった俺を気遣ってくれたのだろう、
声をかけてくれた女中を会釈でかわし、中庭に向かう。
鹿威しの涼しげな音と、爽やかな草いきれ。
白砂に描かれた美事な紋様。
池には形、大きさ、色合いすべてが調ったアズマオウやトサキントが悠々と泳いでいる。
縁側から聞こえる下卑た笑い声も、皓々と降り注ぐ月の影の神秘性には敵わない。
俺は壁にもたれかかり、ここで会席のお開きを待つことにする。
職務怠慢、無責任な行動だと言われるかもしれないが、
議員から距離をおき、広い視野で護衛を務めるための待機だ。

オペレーターは襲撃者は即刻撃破しろと言ったが、俺にはそんな気は毛頭無かった。
尖兵を倒して満足していては意味がない。
もっとも、着任早々、都合良く襲撃者が現れる確率はゼロに近いのだが……。

半時間ほど経った頃だろうか、芝を踏む音がして振り返ると、
到着したときに声をかけてくれた女中が立っていた。

「こんなところにお一人で……お暇ではありませんこと?」
「元々、仕事なので」
「仕事なら尚のこと、中に入られてはいかがですか」
「信頼の置ける者に任せています。
 私はバックアップのようなものですよ」
「でも……」

そこで女中は俺の顔を見、次に髪を見た。
若さと老いと、両方を見て取って困惑しているのだろう。
俺は笑って説明する。

「ただの若白髪ですよ。生まれつきや、病気によるものではありません」
「まあ。大変な苦労をなさっているのでしょうね」
「仕事柄、心労は絶えません」

女中は上品な笑みを口元に浮かべ、
当たり障りのない話題を口にし、身の上を話しながら、適度に水を向けてくる。
聞き上手を相手に話していると、話し上手になっているという錯覚に陥ることがある。
俺はお喋りに興じるふりをしながら、この話術に長けた女中がいっこうに立ち去ろうとしない理由を考えていた。

「――実家は育て屋を営んでいて――」
「――去年、子供が生まれたばかりで――」
「――まあ――男の子、それとも女の子ですか――」


時は過ぎていく。
屋敷に不審者の出入りは無い。今も高級料理店の従業員は接待に勤しみ、
今夜予約を入れていた財界政界の選り抜きは、各々の駆け引きに興じているはずだった。
いつしか下卑た笑い声は消えていた。
深閑な原生林の奥地に迷い込んだような、不気味な静けさが漂い始めていた。
帯を直すためだろうか、女中は喋りながら、自然に両の手を後ろに回す。

「失礼」

しかしその手が前に戻らないうちに、俺は女中に体を重ね、手首を押さえた。

「え、」
「ボールは開くな。
 できるだけ手荒な真似は避けたい」
「どう、して……」

そっとボールを奪い取り、距離を置く。
女中は信じられない、というような顔をして、後ずさった。
俺は確保したボールを内ポケットに収納し、フシギバナを召還する。
女中はとっさに背を向け、脱兎の如く駆けだした。
白砂の紋様が乱す足首に、決して人の力では断ち切れない木の根が絡みつく。
彼女の呼吸が落ち着くのを待ってから、俺は尋ねた。

「監視役か」
「…………」
「仲間は何人いる?」
「…………」

ふるふると首を横に振る。決意は固いようだった。

「"寄生木の種"」

倒れ伏した女中の四肢を、さらに草の蔦で拘束する。
「フシギバナ、念のため、出入り口になりそうなところを完全に封鎖しておいてくれ」

空を見上げる。
月を背にした小さな影が、円弧を描くように飛んでいる。
ピジョットの夜目はいかなる脱走者も見逃さない。
そして一度補足したが最後、フシギバナの蔦は必ず脱走者を拘束する。
俺は靴を脱いで縁側に上がる。
皆、眠っていた。意匠を凝らした活け作りに顔を突っ込んでいる者。
畳の上に大の字に仰向けになって、安らかな寝息を立てている者。
盆を引っ繰り返している女中を見て、全員が全員、計画に荷担していたわけではないことを知る。
人の可聴域を超えた睡眠発作誘導音波。
屋敷の中にいた人間は、ほぼ全員が深い眠りについていると見ていいだろう。
この事態を引き起こしたポケモンが、並外れた"歌唱力"を持つことは疑うまでもない。
奥の間に到着する。
――果たして議員は、顔を赤くして愉快げに独酌していた。

「君も呑むかね。彼女らを肴に楽しんでいたところだ」
「遠慮しておきます。無事で何よりです、議員」
「君の……ウーフィーが助けてくれてね」
「エーフィです」

訂正せずにはいられなかった。

「ああ!そうそう、エーフィだ。
 いやはや、いきなり目の前が真っ暗になったときはびっくりしたよ。
 次にこの子に起こされたときは、もっとびっくりしたがね!」

議員は豪快に笑う。かなり酔いが回っているようだ。
エーフィが議員の膝からおり、俺の足許にすり寄ってくる。
額の結晶は眩い光を湛えている。首の下を撫でてやると、愛らしい鳴き声を上げた。

「満点だ、エーフィ。さて………」

俺はそこで初めて、三人の女中と一匹のプクリン、二匹のプリンに向き直る。
暗殺未遂犯は既に、目に見えない力によって磔にされていた。
サイコキネシスを扱えず、また繊細なPKを編むのが苦手なこのエーフィは、
半径7m圏内120kgf・m/s以下の力で動こうとする物体を単純に『静止』させることで潜在能力を最大限発揮する。

「一人だけ緩めろ」

エーフィの"念力"から解放され、
年配の女中――指揮を執っていたのだろうか――が壁に背を擦りながら、尻餅をつく。
こちらを睨め付ける目に浮かぶ感情は、動揺が過半を占めていた。
プクリンたちの"歌う"でターゲットを含む屋敷内の全員を眠らせた思い込んでいたところに、
意外な罠、護衛に特化したエスパーポケモンに無力化されたのだから無理もない。
あとは、憎悪と絶望が少々。

「このテロを先導したのはお前か」
「…………」
「仲間は他に何人いる。中庭の一人をいれて、四人か?」
「…………」

眼球がせわしなく動く。

「助けを期待しても、誰も来ないぞ」

示し合わせたように、屋外で大きな音がした。目を瞑る。
中庭で拘束した女中が――どうにかして隠し持っていたボールを展開し脱出したのだろう――鳥ポケモンの背に乗り、
飛翔しようとしたところを、ピジョットは的確に撃墜したようだった。
共有した視界には、土埃に塗れた女中の姿がある。捲れ上がった裾から覗く足は、不自然な方向に折れ曲がっていた。
どこかでその様子を見守っていたらしい二人の警備員が、駐車場出入り口に駆けだしていく。
フシギバナは泰然とそれを待ち受け、ボールを展開される前に、二人を蔓で宙づりにした。
暴言を吐き散らしていることから聴覚障害ではなさそうで、きちんと耳が聞こえるのなら、
なぜプクリンやプリンの"合唱"の中で眠らなかったのか説明がつかず、
また一斉に昏睡した客を起こしてまわった様子もないことから、
計画の失敗を察知して逃亡を図ったテロリストの一員、と考えるのが妥当だろう。

「六人、か」
「っ………」
議員は愉快げに口を挟む。

「皆成り代わり、というわけじゃないんだろう。
 一度きりの機会をふいにしたな。この店の信用は地に落ちた。
 もう誰も利用せんよ。私を含めてな」
「黙れ!」

激高しかけた女中の口に、人差し指をあて、
腕時計を確認する。もう5分もない。

「落ち着いて、よく聞くんだ。
 俺の役目はあくまで議員の護衛で、お前たちの処遇を決めるのは別の人間だ。
 ただ、その別人はお前たちが想像しているような正規の人間じゃない。
 お前たちは警察で取り調べを受けるわけでも、
 弁護士と一緒に裁判を戦うわけでも、
 刑務所で罪を償うわけでもなく、直接裁かれる。
 悪いことは言わない。
 他の仲間の所在や、お前たちの組織の規模……。
 聞かれたことには正直に、洗いざらい吐くことだ」

年配の女中は毒気を抜かれたような顔になる。

「あなたは……いったい……」
「運が良ければ、お前たちはいつか解放される。
 ただ、……ポケモンとは二度と会えなくなる覚悟をしておいた方がいい」

俺の言わんとしていることを察したのか、
壁に磔にされている若い女中の一人が、涙をこぼす。
エーフィに目配せし、全員の"念力"を解かせる。
プリンが喉を震わせる。幼少の頃から一緒だったのだろうか。
眠気を誘わない純粋な歌声は、後悔に噎ぶ彼女を宥める、子守歌のようだった。
「随分と優しい捕り物だったじゃないか。
 これが君なりのやり方なのかね?」
「同情ではありません。
 彼女らにとっても、組織にとっても最善の結果となるよう、忠告したまでです」

微酔いの議員と俺を乗せて、車は宿舎への帰路を走る。
高級料理店では今も会席が続いている。
プクリンたちの"歌う"が発動されてから20分後、組織支部から派遣された掃除屋により
痕跡が完全に払拭された上で、一般人の覚醒誘導及び見当識回復操作が行われ、事件はもみ消された。
テロに参加した六人と彼らのポケモンの未来には暗澹たる雲が広がっている。
自白の強要、もしくは記憶の接収により、
今回の暗殺を計画した勢力は数日中に特定され、組織実働部隊の餌食となるだろう。
ポケモンは組織の研究部署で治験の犠牲となるだろう。

「小手先の脅迫では意味が無い。
 だからといって、捨て駒の実力行使に走るのは愚の骨頂だ」
「…………」
「彼らにはリスクの計算が出来ないのかね……?
 テロが明るみになった際の世論の傾きや、
 駒が官憲ではなく、君の組織に捕らえられたときの情報漏洩がどれほど致命的か」
「…………」
「何とか言ったらどうなんだね。
 それとも君は個人的に、彼女らに共感しているのか。
 野生ポケモンの住処を守ろう――そんな、
 愛護団体の反吐が出るような売り文句に心動かされる人種なのかね?」
「……いえ」
「だろうな。理念と義務が合致してこそ、だ。
 君は素晴らしい働きを見せてくれた。
 報酬には色をつけておくとしよう――」

議員の長舌も上の空に、いつか聞いたエコロジストの街頭演説を思い出す。
ありふれた扇情文句の中に「子供のあなたを育んだ自然を守ろう」というのがあった。
マサラタウン周辺の草むらと、トキワの森が瞼の裏に浮かんだ。
今は主要都市を結ぶ舗装道路の敷設に苦心している業者も、
余裕が生まれれば、優先順位の低い辺境の開拓に着手するだろう。
キャタピーの糸が織りなす自然の芸術。
青空を渡るポッポやオニスズメの囀り。
巣穴から仲良く顔を出すピカチュウの家族……。
何もかもを鮮明に思い出せる自分に、嫌気がさした。