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「あの人たち、これからどうするのかしら……?」

ヒナタはブラインドを指で押さえ、ポケモンセンター入り口にたむろす人々を見て、言った。
僕も窓に寄り、外を眺める。大粒の雨が、街の名前の由来と同じ、鈍色の空から降り注いでいる。

「チュウ……」

僕が雨粒に気づいたのは、ニビシティにたどり着く一歩手前のことだった。
雨脚は瞬く間に強まり、やがて豪雨になった。ヒナタは僕を抱え、大急ぎでポケモンセンターに駆け込んだのだ。
ジョーイさんは微笑みとともに言った。

『ポケモンは健康そのものですね。
 ところで、今夜はここで休まれますか?』
『はい。雨が凄いから、一晩休ませてください』
『運が良かったですね。
 空き部屋、あなたたちで最後の一つだったんですよ』

ポケモンセンターは、ポケモントレーナーと認められた人にのみ、
無償で食事と部屋を提供してくれる福祉施設だ。
そこでトレーナーは、ポケモンを回復させ、疲れを癒すことが出来る。
設立当初は無償故に、ポケモンセンターに依存するトレーナーが現れるのではないか、
と憂慮されていたらしいが、ポケモントレーナーの数は常に一定に保たれており、
またポケモンセンターとは別にトレーナーを支援する非営利団体が現れたことから、
同時にセンターに多くのトレーナーが訪れ飽和した、という事例は滅多に聞かない。
しかし今夜のような例外もある。



「お月見山の入り口が土砂崩れで塞がっちゃうだなんて……。
 どうやってハナダシティに行けばいいのかしら。
 ピカチュウもヒトデマンも、"そらをとぶ"を覚えられないし、
 鳥ポケモンを貸してくれそうな知り合いも、この街にはいないし」

ヒナタはほう、と窓に息を吐きかける。
ロビーにいた街の人たちの話によれば、
お月見山の入り口付近で、小規模な崩落が発生し、
ハナダとニビの行き来ができなくなったのだそうだ。
結果、ハナダに向かうつもりだったトレーナーたちは、
ニビで足を止めることを余儀なくされ、このポケモンセンターに集中した。
センター前で雨宿りしていた人たちは、部屋が確保できなかった不幸なトレーナーなのだ。

「あーもうっ、最初の街から足止め食らっていたら、
 時間が勿体なくてしょうがないわ!」
「ピカ!」

僕はイライラしているヒナタに呼びかけた。
そしてガラステーブルに広げられた地図の一点、ニビシティジムを指し、

「チュ!」

今はとにかく、ニビシティジム攻略について考えよう。
どうやってハナダに行くかは、グレーバッジを貰ってから悩めばいいことだ。

「ピカチュウ……。そうよね、今はどうやってグレーバッジをゲットするか、よね」

ヒナタは窓際から身を離し、ソファに座った。最初から座っていた僕の身が、反発で跳ねる。


――グレーバッジを入手する。
それだけが目的なら、ヒナタはただ、試合で僕を繰り出し続ければいい。
僕はあらゆるタイプのポケモンに対処する方法を知っているし、
天敵となる岩、地面タイプには特に戦闘方法を確立させている。

ヒナタを欺きつつ戦うのは、そう難しいことではない。

また、ニビシティは特色として、岩タイプのポケモンを主に試合で用いるが、
初心者用のジムということもあり、レベルはかなり低めに設定されている。
ある程度経験を積んだポケモンなら、ましてや優位なタイプのポケモンなら、楽にグレーバッジを手に入れることができる。
そう、例えばヒナタのヒトデマンなら、みずでっぽうだけでもゴリ押しでいけるかもしれない。

だが、その二つの選択肢は、両方とも閉ざされていた。
ヒナタは僕の頭を撫でながら、

「ピカチュウは電気タイプだから、相性は最悪だわ。
 だから今度のジム戦には、出来るだけ出したくないの……」

彼女は与えられた情報から、僕を過小評価している。
一般的に、電気タイプのポケモンは岩タイプや地面タイプに勝てない、と定義されているからだ。

「相性的にいえばヒトデマンが最高なんだけど、あの調子だもんね。
 ボールの中から出てきてくれさえすれば、仲直りできると思うんだけどなあ……」

また、心に傷を負ったヒトデマン(便宜上雌)は、
あれ以来ボールから出ようとせず、今現在もガラステーブルの端に転がっている。
能力的な素質はあるものの、少し性格に難があるようだ。仲直りには何か、切欠が必要になるだろう。


少しだけ悩んでから、僕は、一芝居うつ決意をした。


「チュウ、チュウ!」
「どうしたの、ピカチュウ?」

僕は自分を指さして、

「ピカ、ピカチュ!」

電気袋から紫電を走らせた。
そしてシャドーボクシングの真似事をして、ヒナタにアピールした。
ヒナタは最初は不思議そうに目をぱちぱちさせていたが、やがて僕の意図を解したようだった。

「だっ、駄目よ。ピカチュウは電気タイプのポケモンなのよ?
 岩ポケモン相手には、どうにもならないんだから!」
「チュウッ!」

僕はなおもアピールを続ける。
それをヒナタが制する。そんなことが10回くらい繰り返されて、
やがてヒナタは、根負けした。僕も戦闘したわけでもないのにかなり疲弊していた。

「……ピ、ピカチュ」
「はぁ……ピカチュウが覚えている技で、岩タイプに効果のあるの、"たいあたり"くらいなのよ?
 本当にそれだけでジムリーダーのポケモンに勝てるっていうの?」
「ピカ」

だいじょうぶだよ。
ちなみに訂正しておくと、君が"たいあたり"と勘違いしているそれはただの当て身なのだけれど。
ヒナタは迷っているようだった。
ヒトデマンは絶好の水タイプだが、心を開いてくれそうにない。
これから新たにポケモンを捕まえるにも、時間がない。


僕は相性最悪の電気タイプだが……戦意はある。
導き出される妥協案は一つだ。ヒナタは不安そうに言った。

「ピカチュウ………、あなたに出てもらっても、いいかしら?」

僕は自信満々を装って頷いた。


翌日。
僕は本当に久しぶりにモンスターボールの中に入れられて、ヒナタのベルトに収まった。
ジムを受ける申請をするためだ。
トキワと違い、初心者が多く訪れるこのジムでは、きちんとした受験者管理が行われている。
受付の女性は、ヒナタの申請書と、モンスターボール二つを見て、にっこり微笑んだ。

「このヒトデマンならきっと勝てるわ。自信を持ってね」
「は、はい」

対照的に、ヒナタの笑顔は引き攣っていた。
この受付嬢は、ただ単に、ヒナタが岩タイプに相性のいいヒトデマンを連れてきたと思っているのだ。
実際に戦うのが隣の電気ねずみであることには、露程にも気づかず。


時間が経ち、名前を呼ばれたヒナタは、ジムに足を踏み入れた。
内装の基調色はグレー。
初心者専用のジムということもあり、構造は単純になっている。

「思っていたよりも、迷わなくてすみそうだわ。
 トキワジムと違って、見通しがすごくいいもの」

通路はいくつも分岐している。ヒナタは迷った末、ジムリーダーへの直行を迂回する道を選んだ。


彼女の心には、シゲルの言葉が思い出されているのだろう。
トキワシティ出立の朝、朝食の場で、シゲルはヒナタにジム戦のアドバイスをしていた。

『ジムリーダーは大抵、ジムの一番奥でじっと構えている。
 かくいう俺もそうだ。
 ジムに配置された雇いのトレーナーが、挑戦者を篩にかけて、
 残ったヤツだけがバッジを賭けた勝負をジムリーダーに挑めるのさ』
『もしポケモンが怪我をしたときは、途中で治療できないんですか?』
『できるさ。回復薬等の持ち込みは自由だ。
 だが、怪我をしたポケモンを治療するといっても、所詮は応急処置だぜ?
 気休めにしかならないし、どうせまた次のバトルが控えている。
 休憩、応急処置を挟みつつ進めば攻略できるほど、ジムは甘くない』
『そう………ですよね』
『おっと、きつい言い方になっちまったな。すまん。
 何もジムリーダーに辿り着くまでに、全てのトレーナーと戦わなければならないルールなんてないんだよ。
 ポケモンの調子が悪い時や、レベルに自信が無い時は、配置されたトレーナーを避ければいい』
『でもおじさま、どうすればトレーナーを避けてジムリーダーにところに行けるんですか?
 道を誤ってトレーナーに出会ったら、戦闘は避けられないんでしょう?』
『そうだな。残念ながら、トレーナーを完全に避ける方法はない。
 でも、諺にも"急がば回れ"っていう至言があるだろ?
 あれが、お前が次に向かうジム、ニビシティジムでも通用すると思うぜ』




ヒナタは慎重に歩を進めていく。
遠回りに見えるこの道筋には、まるでトレーナーから忘れ去られたように人気がなかった。

「おじさまの言うとおりね。
 この分なら、配置されたトレーナーと一度も戦わずに、ジムリーダーに会えるかも」

さて、それはどうかな――と僕はボールの中で思った。
ヒナタの言葉は客観的な想像ではなく、
状況を楽観的、肯定的に想像することによって生まれたものだ。
だから……ほら、そんな想像は脆くも崩れただろう?

「ようこそ、ニビシティジムへ」
「こ、こんにち、わ」

グレーのTシャツに短パンを履いた青年が現れる。
ヒナタの声は裏返っていた。彼は、そんなヒナタに微笑みかけ、

「見たところ初挑戦のようだが、このルートを選んだ君は、実に運が良いよ。
 この先はジムリーダーの他に、ポケモントレーナーはいないからね。
 要は俺は、君の最初の篩にして、最後の篩なんだ」

腰のボールに手をかける。
その挙止に無駄はなく、僕は彼が、ジムを一歩出ればかなりの実力者であることを見抜いた。

「それじゃあ、始めようか」
「……はい」

ヒナタの手が、ヒトデマンのボールを通り過ぎて、僕の方に伸びる。
同時に閃光が走り――。
僕は、イシツブテと対峙した。


「ピカチュウ、お願い!」
「ピッ、ピカ!」

僕は横目で、ヒナタを伺う。
緊張で足が竦んでしまっていた。
ただ、瞳には不安を上回る、僕への信頼で満ちていた。

青年はイシツブテにかける声を飲み込み、僕を観察した。
ピカチュウ。ニビシティジムに挑むには、あまりにも不利なタイプのポケモンだ。
反応は失笑か嘆息が当然。しかし彼は目を細め、

「イシツブテ、距離を詰めろ」

ヒナタも僕に指示を飛ばす。

「ピカチュウ、距離をおいて様子を見るのよ。
 素早さではあなたの方が上だわ!」

声は依然震えていたが、
圧倒的不利なことを受け入れた上で、ヒナタは決意を固めたようだった。

「ピカ!」

僕はイシツブテに距離を詰められないよう、立ち回った。
なかなか追いつけず、イシツブテの移動に隙が生まれ始める――。
ふいに、相手トレーナーが言った。

「イシツブテ、丸くなれ!」

僕には次の指示が分かる。ヒナタには次の指示が読めない。


それはトレーナーとして、経験値が足りない故の対処の遅れだった。

「"転がる"で一気に距離を詰めるんだ!」

両手を体と一体化し、ボールのようになったイシツブテは、
一気にこちらに転がってきた。床はニビシティジム特有の、荒野のような地形だ。
イシツブテが急加速するのに、摩擦力は十分だった。

僕はイシツブテから正面から相対する。動かないのではない、動けないのだ。
ヒナタはまだ、僕が自分で判断を下せるレベルでないと思い込んでいるから。
トレーナーが叫ぶ。

「その勢いのまま、"たいあたり"しろ!」
「避けて、ピカチュウッ!!」

遅いよ、ヒナタ。
僕は辛うじて直撃を避け、左に倒れ込んだ――演出をした。
危ないところだった。イシツブテの固い体でのたいあたりは、当たればかなり痛い。

「君のピカチュウ、いい反応をするね」
「えっ、あっ、ありがとうございます!」

戦闘中に褒められて、ぺこりとお辞儀をするヒナタ。
しかしその間にも、第二撃の準備は進んでいた。
弧を描くようにして僕を囲い、隙を探っている。

「このままじゃイシツブテに攻撃できないわ……。
 ピカチュウ、今は耐えて。イシツブテが止まるまで、躱すのよ!」

僕は耳をぴくんと立てて、ヒナタの言葉に耳を傾けるフリをした。


イシツブテの進行方向が急転換する。
ほう。青年の言葉を借りるわけではないが、このイシツブテも良い反応をするじゃないか。

「今度は避けきれるかな? 偶然は二度も起らないよ」

確かに都合の良い偶然は二度も起らない。
――ただし、人やポケモンは学習する。
ポケモンマスターの娘であるヒナタが、同じ轍を踏むわけがない。
彼女の指示は早かった。

「ピカチュウ!
 躱した後に、イシツブテに追撃するのよ!
 イシツブテは壁への激突を避けるために減速するわ。そこを狙うの!」

そう、先ほどの

――イシツブテが止まるまで躱して――

という指示は、策がないと見せかけ、
もう一度同じ攻撃を誘うためのものだったのだ。
しかしヒナタも無茶を言う。
もし僕のレベルが本当に低かったら、反応が間に合わずイシツブテに跳ねられているところだ。
まあ、それだけ信頼されている、と言い換えることもできるのだけど。

僕は静止したまま、イシツブテを視界に据えた。
距離はみるみるうちに詰まっていく。
イシツブテに土煙が従う。
岩の塊が目前に迫る。

そして、体が岩のおうとつに触れる直前、僕は左に転がった。


そして即座に跳ね起き――。
目標を失ったイシツブテに飛びかかる。
減速したイシツブテは緩慢に振り返り。
固い岩の両腕を突き出す。

出力を最小に絞って放電。
小さな火花が舞う。

イシツブテが両腕で右目を覆う。
そして平面な胴体が露わになり―――。
僕はそこに、力をセーブして当て身をした。

「ピカァ………」

衝撃の後、ジーン、とした痺れが右半身を襲う。
イシツブテはというと、転がっていた余勢も相俟って、壁に激突して気絶していた。
前触れなく、拍手が響いた。

「お見事。君のピカチュウは俺が想像していたよりもずっと強かったようだ。
 勿論、君の判断も素晴らしかった。君はジムリーダーに挑戦するに、相応しいトレーナーだと思う」

青年は、通路を閉ざしていた体を壁際にずらした。
ヒナタは喜びと驚きが入り交じった表情で、

「一戦しかしていないのに、あたしを通してくれるんですか?」
「実力を計るのに、戦いの数は関係ないんだ。
 俺は一戦で重畳だと判断した。それだけのことだよ」


ヒナタの、緊張に強張っていた顔が、みるみるうちに笑顔になる。
僕はヒナタの肩に飛び乗った。まだ少し右半身が痺れているが、支障はない。

「ピー……」

余韻に浸るのもいいけれど、いよいよ次はジムリーダーとの戦いだよ?

「ありがとうございました!」

ヒナタが礼を言うと、青年は朗らかに笑った。

「ジムリーダーはこの先だ。当然だが、彼は俺よりも強い。心して行きなさい」

ヒナタははい、と頷いて、彼の横を通り過ぎ、通路に進んだ。
いよいよヒナタにとって、初めての試練が訪れる。
僕は彼女の肩の上から、ヒトデマンの入ったボールを見つめた。

さて……、あまり気が進まないが、僕の演技力が試される時だ。



第四章 上 終わり