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息が詰まり、目眩がし、肌が粟立つような威圧感。
何十、何百もの視線がこちらを向いている。
「出て行け」「去ね」――混濁した複数の声が、風の唸りのように聞こえる。
鼓膜を通してではなく、直接、頭の中で。

「あいつに任せて大丈夫なのか?」
「国土交通局の人間だと言っていたが……」

背後には重機が数台、その操縦士と整備士が十数名。彼らに素性は知られていないし、あえて明かすようなこともしない。
彼らの望みは、延いてはここに道路を敷設したいと考える大手ゼネコン頭取の願望は、ここら一帯のポケモンを"完全に"駆逐すること。
事業者はシステムに面倒事を委任し、システムは俺を派遣した。それだけの話だった。
俺は言った。

「下がって。ここは任せてください」

彼らは蒼白な顔を並べてがなり立てた。

「てめえみたいな若造一人で何ができる」
「草むらじゅうのポケモンが集まってきてるぞ……早く逃げた方がいい」
「ひいい、殺されちまうっ……」

語気を強めて言う。

「下がれ」


作業員が充分な距離をおいたことを確認し、ボールをひとつ展開する。
大気が震えている。
姿こそ背の高い草むらで隠れているが、野生ポケモンの息遣いがすぐそこに聞こえるようだ。
俺は傍らの相棒に話しかけた。

「やれ、フシギバナ」

種子が散る。
まるで乱雑に、無作為に蒔かれたそれらは大地に落ちるや否や萌芽し、巨大な垣根を創り上げる。
そばに生えていた草木は養分を捧げ、生気を失う。まるで冬枯れしたかのように。
地鳴りがした。
垣根が揺れ、葉擦れの音が不気味な音楽を奏でる。
突破されるのは時間の問題だ。

「く、来るっ!!」

咆吼が響き渡った。
一頭のミルタンクが、垣根に張り巡らされた茨を突き破り、傷だらけの身体で突進してくる。
大きく張った乳房は、たくさんの子供がいることを如実に物語っている。
愛くるしい外見をきずだらけにして、人間に刃向かうのはなぜか。住処を守るため。子供の将来を守るため。
二つめのボールを展開する。

「カメックス」

甲羅の隙間から発射口が伸びる。四つ足で地面を押さえるのは、反動に耐えるためだ。

「持久戦になるかもしれない。消費は押さえろ」

指示に呼応するかのように、一条の水流が迸る。
水袋を破裂させたような音が響く。
ミルタンクは急に失速した。
八分割された肉塊が草むらを赤く染めた。

「うぉえぇえっ……ええぇぇっ……」

背後から嘔吐の音が聞こえてくる。見えてしまったのだろうか。可哀想に、と思う。
俺は振り返らずに、三つめのボールを展開する。
野生ポケモンを威嚇している余裕はない。親切心は命とりになる。経験で学んだことだった。
俺は何も考えず、無心でリザードンに命令を下した。翼竜は頭を垂れ、飛び立った。
垣根の向こうに団子状に固まっていた野生ポケモンに、熱い炎の雨が降る。
垣根は野生ポケモンを絡めたまま、炎の壁と化した。

肉の焦げる臭いがした。断末魔の叫びが方々で上がり、途絶えた。
しばらく肉料理は食べられそうにない。地獄のような光景を眺めながら、俺はそんなことを考えていた。
感情を捨て、与えられた任務を遂行する。
今この瞬間、俺はポケモンを殺戮する機械なのだから。

作業は進む。滞りなく、漏らしなく、野生ポケモンの住処を破壊する。
垣根が燃え尽き、視界が晴れる頃には、背の高い草むらは焼け野原になっていた。
炭化した"何か"が、無数に、無秩序に転がっている。
空を見上げる。リザードンは空を飛び回り、ここ一帯に近づこうとする野生ポケモンを威嚇していた。
いずれ野生ポケモンは戦意を喪失し、他の地方へ移住するだろう。
カメックスは延焼を防ぐために、残り火に向けて撒水している。
俺はフシギバナの花びらを一撫でし、焼け野原に歩み寄った。
その時だった。

「ガルルル……ガゥッ!!」

小さな影が、焼け焦げた肉塊の下から飛び出す。
円らな瞳。丸い爪。尖った耳。
ガルーラの子供だ。
時間は細分化されて、網膜はコマ送りのように像を結ぶ。
未発達な赤子といえど、その爪は十分な殺傷能力を有する。
可愛らしい顔は、激情に歪んでいた。親兄弟を殺され、土地を奪われたのだ。無理もない。
小さなガルーラは跳躍した。
俺は咄嗟に空のハイパーボールを探り当て、放り投げようとした。だが遅延は致命的だった。
パン、と水風船が破裂したかのような鋭い音が鳴った。
フシギバナの"蔓の鞭"が的確にガルーラの側頭を打ち抜いたのだった。
弾けた頭蓋は、局所的な血の雨をもたらした。
生温かな感触が頬に降りかかった。


―――――
―――
――

「はぁっ……はあっ……はぁっ……」

哀れな喘ぎ声が聞こえる。
暗闇の中で、拠り所もなく、悪夢の影に怯えている小さな子供のそれのような喘ぎ声が。
何度か唾を飲み込んで、荒れた唇を舌で湿らせてから、俺は身体を起こした。
フシギバナが薄目を開ける。
魘されていたことは……知らないわけがないよな。

「恥ずかしい所を見せた。でも、大丈夫だ」


ポケモンセンターの屋上は、月明かりの青白い光とは違う、暖色の薄明かりに照らされていた。
光源は高層建築物から夜通し放たれるネオンだ。星の瞬きなど確認できるわけがない。
クチバシティの風景は着実に変わりつつあった。
インフラの完備による文化的発展の余裕――と言えば聞こえはいいかもしれないが。

「悪い夢でも見たのかい?」
「お前には関係のないことだ」

背後に同業者の気配を感じる。
俺が部屋を出たときにそのまま尾行してきたのだろう。

「相も変わらず冷たいね。
 任務中の鮮やかな連携プレーが嘘のようじゃないか」

俺は黙っていた。

「任務を重ねれば君の態度も軟化すると踏んでいたんだけどね。
 ……ほうら、受け取りたまえよ」

振り返り、薄闇を突っ切ってきた物をキャッチする。

「適度なアルコールは人間関係の潤滑油たり得る。
 僕はそう信じている。レッド、祝勝会も兼ねて、一度腹を割って話し合おうじゃないか」
「これはどこで?」
「部屋の冷蔵庫に入っていた。
 後になって君の分を請求したりはしないから、存分に飲むがいい」

俺はよく冷えた缶ビールを眺め、プルタブを開けた。
酷い寝汗を掻いて水分が欲しくなっていたのだ、このプレゼントが嬉しくないと言えば嘘になる。
炭酸を喉に流し込むと、気泡が弾け、爽快感が胃袋から頭の天辺までを突き抜けた。
辛口だったのか、舌の奥で微かな苦みを感じる。
それを旨みと認識できないあたり、俺はまだ大人に成りきれていないのだろう。
失った水分を補うように煽る。
アルコール摂取でバソプレッシンが抑制され、逆に脱水症状を促進させることなど百も承知だ。

「レッド、正直に答えて欲しい」

同業者が隣に並ぶ。夜風に麗しい金髪が靡く。
そいつは欄干に腕を乗せ、物憂げに建設途中のビル群を眺めながら言った。

「君には必要以上に任務の達成を急ぐきらいがある。それはなぜだ?」
「早いにこしたことはない」
「確かに君の技量は認めるが、ここ最近の任務は単独行動での無茶が過ぎる。
 僕たちがなぜツーマンセルで行動しているか分かるかい」
「…………」
「片方がもう片方をバックアップするためだよ。
 それを君は、まるで僕にじっとしていろとでも言うかのように立ち回って……これでは僕の存在意義が失われてしまうじゃないか」

それでいい、と俺は思った。
こいつの嗜虐性を封印するには、そもそもポケモンに指示を与える機会を奪ってしまえばいい。
それに気付いて以来、俺は出来るだけ金髪を支援に徹しさせ、作戦目標は自分で達成するようにしていたのだ。
この男を相棒にすることはできない。そう何度か博士に進言したが、返ってくる言葉は常に「私情を口実にしてはならん」という無慈悲なものだった。
構成員個人に関わる噂を伝聞してはならないという規則は、事実、あってないようなものだ。
それを考えるとこの金髪と共に行動することは、
俺が「博士との繋がりなどない一般的な構成員」であることを偽証してくれる体のよい拡声機なのかもしれないが……。

「お前は殺しすぎる」

俺は婉曲な言葉遣いを放棄して言った。
実働部隊の一部の人間に、人とポケモンを殺すライセンスが与えられているのは、手段と目的を混同するためではない。
俺の言わんとしていることを察したのだろうか。
金髪は微笑を消し、無感動な声で言った。

「なぜ僕がポケモンに過剰攻撃してしまうのか、その理由を、まだ教えていなかったね。
 少し話が長くなるが、僕は物心つく前に、両親を無くしたんだ」

独白の始まりに呼応するように、風が止む。

「あれは気持ちの良い春の日だった。僕たち家族はピクニックと称して草むらに出かけた。
 父親は夢半ばでポケモンマスターになることを諦めた、中堅トレーナーだった。
 野生ポケモンに囲まれても、楽に対処できる自信があるようだった。母親も父親の腕を信じているようだった。
 僕はといえば、びくびくと怯えていた。レジャーシートを広げてお昼ご飯を食べているときも落ち着かなかったし、
 道路から草むらの奥に入ろうと父親が提案したときも、最後までぐずっていた。今から思えば、幼いなりに危険を察知していたのかもしれない。
 草むらを進むと、見晴らしの良い草原に出た。
 すっかり行楽気分の母親と怯えている僕に、父親は旅をしていた頃のことを思い出したのか、遠目に見えるポケモンについて熱心に語っていたよ。
 そのままポケモン観察ツアーが続いていれば良かったんだがね、そうはいかなかった。
 父親が草原に場違いな岩の塊を見つけてしまったのさ。
 サイホーンだと彼は言った。断定した、と言ったほうが正しいね。
 彼はポケモンバトルを見せてやると言った。家族サービスのつもりだったんだろう」

そこで金髪は間をおき、缶ビールに口を付けた。

「結果は、最初に言ったとおりだ。岩の正体はサイホーンではなく、サイドンだった。それも相当に成熟した個体だ。
 恐らくはそこら一帯の主だったんだろう。運が悪かったのさ。
 父親のシャワーズは一瞬で弾けて、彼自身も吹き飛ばされて死んだ。
 止めに入った母親も同じ運命を辿った。
 僕は悲鳴をあげることも忘れて、ただ呆然と二人が死ぬところを見ていた。
 おかげでサイドンのセーフティフィールドを犯さずに済んだ。あそこで少しでも動いていたら、僕は今ここにいない」

さらに一口。

「野生ポケモンの住処に取り残された僕を救ってくれたのは、通りがかりのトレーナーだった。
 病院に運ばれた当時は、まともに口が利けなくて――所謂失語症だね――心的外傷性ストレス障害だと診断された。
 医者は両親が死ぬところを間近で見たショックが原因だと考えているようだった。
 でもその時の僕は、もっと根本的なことに恐れをなしていたんだ。
 ――ポケモンによってもたらされる死そのものにね」

タナトフォビア。死恐怖症。
知識としては知っていた。が、自分がそれに罹患していると語る人物を見たのは、この金髪が初めてだった。
「ポケモンに対してヒトはあまりに無力だ。
 柔らかい皮膚、脆い内骨格に、押せば潰れる臓器。
 雌雄は、どうしようもないほどに決してしまっている。
 あの日を境に、僕はヒトが、ポケモンに淘汰される側、弱い生き物なのだと知った。
 両親の死は、僕にそれまで以上に死を意識させた。
 それから僕は長いことポケモンに関わろうとしなかった。
 同年代の子供たちがまるでお遊びのようなポケモンバトルに興じているときも、一人ふさぎ込んでいた」

饒舌に語る金髪が引きこもりに近い少年時代を過ごしていたことを、俺はうまく想像できなかった。

「転機は僕が16になったときのことだ。
 周囲に強く勧められて、仕方なくトレーナー免許をとった僕は、
 初めてのポケモンにと叔父からもらったサンドを持て余していた。
 ポケモンを見るたびに、両親のことが、死への恐怖が頭をかすめた。
 サンドと一緒にいることに耐えきれなくなった僕は、ある夜、街と道路の境にサンドを逃がしに行った。
 後ろめたさは無かった。こうした方がサンドにとっても幸せだろうと考えた。
 叔父に返すことも考えたけど、彼は厄介払いが目的でサンドを寄越したみたいだったからね。
 けど運悪く、僕は性質の悪いトレーナーに絡まれてしまった」

戦意の無いポケモントレーナーに勝負をしかけるのは禁止されているが、
明確な罰則が無く、それが改訂される予定も今のところないため、強引なポケモンバトルは野放しになっている。
法秩序が乱れることを怖れる官僚共もそうだが、それを容認する世論にも一因があることは否めない。

「相手は手馴れているようだった。
 それに対して僕は、ポケモンバトルはおろかまともにポケモンとコミュニケーションしたこともなかった。
 それでも不戦敗で金を渡したくなかった僕は、しかたなしにサンドを出した」

金髪はもう一口煽ろうとし、缶が空になったことに気付いて物足りなさそうに唇を噛んだ。

「ポケモンバトルが始まって、気付いたことがあった。
 オコリザルの攻撃がどのタイミングで、どんな軌道を描くのか、なんとなく分かる。
 僕がどんな風に相手の攻撃を躱すかサンドに伝えると、ちょうどうまい具合にオコリザルの攻撃は外れた。
 それに対してサンドの拙い攻撃は、徐々にオコリザルにダメージを与えていった。
 興奮したよ。僕はいつの間にか両親を殺めたサイドンをオコリザルに重ねていた。
 やめてくれと懇願する声も聞こえなかった。サンドの短い爪は、オコリザルをなます切りにして、失血死しさせた。
 我に返った僕は、サンドをボールに戻して、闇夜に乗じて逃げ出した」

微笑が浮かぶ。

「怖くなったからじゃない。それまで感じていたポケモンに対する恐怖や、死への不安が無くなっていることに気付いたからさ」

「以来、僕は積極的にポケモンの大会に参加するようになった。
 サンドを鍛え、自分もポケモントレーナーとしての知識を蓄えた。
 相手ポケモンの挙動が分かるのは、未来予知の一種かと考えたこともあったけれど、どうも違うようだった。
 端的に言えば目の良さだね――視力云々の話じゃない――僕は危険と安全を視覚化できるんだ。
 相手ポケモンの運動情報、即ち間接の動き、呼吸、筋肉の収縮等を目で読み取って、
 次の一瞬、どのように自分のポケモンを立ち回せれば、安全地帯から反撃できるか分かる。
 限定的な危険察知能力と言い換えてもいいかもしれない。
 僕はその能力を生かして、公式の試合で快勝を積み重ねていった。叔父も喜んでくれた。
 でも、僕は成長を実感するのと同時に、ポケモンや死に対する恐怖が再び膨らみつつあることに気付いていた。
 それを解消する方法を、僕は一つしか知らなかった」

金髪はまるで他人事のように続ける。

「僕は定期的に野生ポケモンの住処に出かけ、三匹のポケモンを時間をかけて殺した。
 けれど何度か繰り返すうちに、三匹では我慢できなくなっていった。殺すポケモンの数が増えた。
 薬物と同じだよ。終いには野生ポケモンに飽きたらず、公式の試合でも、事故に見せかけて相手ポケモンを死なせるようになった。
 ポケモン協会からトレーナー免許を剥奪されるのに、一ヶ月もかからなかった。
 ポケモンを取り上げられ、叔父に謹慎を言い渡された。習慣を奪われて、僕はおかしくなっていった。
 部屋の隅や物陰に死の片鱗が見えた。目を瞑ると両親がボロ雑巾のように殺される光景が浮かんだ」
「異常だな」

率直な感想を、

「もっともな意見だよ」

金髪は受け流す。

「そのとおり、僕は異常だ。でも、これは病気なんだ。
 他の生物――ポケモンが死ぬところを見なければ、僕は僕自身を保てない。
 自殺しようにも、死が怖くてできない。システムが僕の前に現れなければ、僕は完全に発狂していただろうね」

「つまり任務のあれは、タナトフォビアを抑制するための手段だったと、そう言いたいのか」
「ああ。まさかレッド、君は僕がポケモンを殺して愉悦に浸るような人間だと思っていたのではあるまいね。
 僕は適格者として、恩人たるシステムに奉仕している。任務遂行中の殺傷行為は、あくまでも副次的な目的に過ぎない」

ストライクを駆って対象を切り裂いていたときの、金髪の目を思い出す。
あれは「致し方なく」といった類のものだっただろうか。
確かに高次なポケモンバトルで傷ついたポケモンは、受ける傷も生半可なものではないため、
一息に殺されてしまったほうが後々苦しまずにすむ、といった考え方もできる。
だが、それだけでは金髪を肯定する材料に到底なりえない。
本来なら牢獄に繋がれておくべき異常者を、その能力に目をつけて解き放つ……。
使えるポケモントレーナーを多く擁しておきたいシステムの意向は分かるが、
それによって発生するリスクに対して、考えが甘すぎるのではないかという気がした。

「さて」

自分語りは終わりだと言わんばかりに声の調子を変え、

「次は君の番だよ、レッド。
 君にも僕に隠している、いや胸に秘めていることがあるんじゃないのかい」
「そんなものはない。
 第一、俺たちが互いに深く干渉しあうことは上から、」
「どうでもいいじゃないか、そんな決まりは。
 僕は君の正体に薄々気がついている」

楽しそうに喉を鳴らす。

「流石にあれだけ君のポケモンや、戦い方を間近で見ていればね。
 あえて誰だとは言わないが……いやはや、システムの腕の広さにはいつも驚かされる。
 話をもとに戻そう。君には僕に対して、何か語ることがないのかい?」
「………」
「そうだな、じゃあ君をここまで登り詰めさせた能力は何なんだ?
 僕はもう明かしたし、僕と君はもはや戦友だ。教えてくれたっていいだろう」

俺はいつになく饒舌な金髪に対し、妙な薄ら寒さを感じていた。
一方的に情報を明かし、見返りを求める。思考回路がまるで子供だ。
しかしこの幼さは、サヤとは違う種類の危険を孕んでいる。
「そんなものはない、と言っている」
「相手が誰であれ手の内を見せることはしない、か。
 では君の過去について、というのはどうだろう。
 そうだな、僕が聞きたいエピソードは、やはり君の初めてのポケモンだね。
 僕はサンドを叔父から譲り受けたという淡泊極まりない出会いだったが、君の場合はどうだったんだい?」

最近、俺の過去に興味を示す輩が増えた気がする。
俺が黙っていると、痺れを切らしたらしい金髪は怒ったように息を吐いて、

「じゃあ、妥協して、君のオフについて尋ねよう。
 君は任務が無い時間、何をしているんだい?」

サヤと仲直り(と呼ぶべきなのだろう)して以来、
グレン島の屋敷に通う習慣は復活していた。
しかも十日に一度という約束が、臨時の呼び出しも含めるとほぼ一週間に一度という頻度になっている。
だが、それを金髪に話すつもりは毛頭なかった。

「いい加減にしろ」

踵を返す。着いてくる気配は無かった。
ただ、

「いいさ。そうやっていつまでも僕を邪険に扱うつもりなら――」

背中にかけられた言葉が、

「――いつか後悔することになるよ」

耳朶の奥にこびり付き、夜明けごろまで神経を昂ぶらせていた。



ヘルガーが放つ炎の色は、ヒ素の炎色反応に酷似している。
見た目に熱さを感じさせない、まるで光のあやのような薄紫色の輝き。
しかしそれを一度浴びれば、単なる火傷で済まされない。
大気は毒となって傷口を撫で、耐え難い苦痛を負傷者にもたらす。
だから俺はサヤとの練習試合で、絶対に手加減はしない。

「"風起こし"」
「"火炎放射"!」

風切羽で力強く空気を叩き、空気の塊をいくつも地上に送り出すピジョット。
開いた口蓋から舌を垂らし、炎の剣と呼ぶに相応しい火線を繰り出すヘルガー。
技自体のレベルでは、勝っているのは明らかに後者だ。
しかし位置関係と属性が、その関係を覆す。

「どうして当たらないのよっ」

歯がみするサヤ。
気流の乱れに、ヘルガーの炎を消すほどの力は無い。
しかし燃焼する直前の可燃性液体燃料の軌道を、わずかに逸らすくらいのことはできる。

「技は使いようだ」
「それなら……ヘルガー、"火の粉"!」

一般的なポケモンの火の粉を市販の打ち上げ花火とするなら、ヘルガーのそれは職人による本格派打ち上げ花火に等しい。
藍色の空が、一瞬で満点の星空に変わる。不思議なことに、星はどれも薄紫の一等星だ。
ピジョットの"風起こし"で乱れた気流に火の粉が乗り、まるで流れ星のように目に映った。
サヤの考えていることを、朧気に理解する。

「ヘルガー、そこよ! 火炎放射!」

サヤはピジョットの位置とは僅かにそれたところを指さしする。
火線は当然のごとくピジョットを逸れ、しかし再び軌道を変えて、一直線にピジョットへ向かった。

「やった!今度こそわたしの……って、あれ?」

快哉を叫びかけ、口を噤むサヤ。
ピジョットは元いた場所から離脱し、難を逃れていた。

「火の粉を無作為に撒いて、風の流れを読む。
 アプローチは完璧だった。でもサヤはピジョットの素早さを甘く見積もりすぎだ」
今回は鳥ポケモンとの戦闘を経験させるための試合だった。決着をつけるのが目的ではない。
俺はピジョットをボールに戻した。サヤも不承不承といった風にヘルガーの攻撃姿勢を抑えた。
具体的には頭を撫でた。奇妙な光景だ、と思う。この感覚に慣れは来ない。
Sランクレベルのリーグトレーナーのポケモンと比肩しうるヘルガーを、まるで赤子のように隷従させる。
心の繋がりも、時間の共有も、性格も関係無く、ただ触れただけで対象のポケモンを奴隷にする。

「サヤは、生まれたときからポケモンを自由に操ることができたのか?」
「いきなりどうしたの?」

ピジョットを仕留められなかったことが悔しかったのだろう。
ふくれっ面のサヤは近場の小石を蹴り飛ばしながら言う。

「言い方を変える。サヤが自分の能力に気付いたのはいつなんだ?」
「だ、だから、どうしてそんなことが気になるのよ?」
「大事なことだからな。能力には先天性と後天性のものがある。俺はサヤが、どちらのタイプか知りたいだけだ」
「ふぅん。……じゃあ、教えてあげる。わたしのは後天性よ」
「そうか」

良かった。つい笑みが漏れてしまう。
しかしそれは曲解され、サヤの顰蹙を買ってしまったようだ、

「なに笑ってるのよ!分かった、サトシはわたしの発現が遅かったことを馬鹿にしてるんでしょう?」
「か、勘違いだ。確かに先天性の適格者は、早くから頭角を現すが、その分早熟しやすい傾向にある。
 でも後天性の適格者は、時間と共に能力が強まる可能性が高い。つまり、伸びしろがある」
「本当!?」

ぱぁっと顔を輝かせるサヤ。気分の落差に振り回されるのには、もう慣れた。

「でも待って、わたしの能力って、これ以上どう進化するのかしら?
 わたし、今でも十分ヘルガーを操れていると思うんだけど」
「さあ、そればかりは俺に聞かれてもな……」
返答に窮していると、聡いサヤは自分で答えを見つけたようだ。

「分かったわ!きっと、頭を撫でなくてもポケモンを操れるようになるのよ。
 それかアレね、一度にたくさんのポケモンを操れるようになる、とか……ねえ、サトシもそう思うわよね?」
「夢は見すぎない方がいいぞ」

消極的な意見を口にしてみたものの、可能性としては実際に起こりえる現象だ。
末恐ろしいな。

「サヤが後天性だということは分かった。それで、発現した時期はいつなんだ?」
「……………」

笑顔が消える。
どうやらサヤに、能力の発現時期を尋ねるのはタブーのようだ。
刺々しい雰囲気をまとったサヤは言った。

「サトシ、発現した時期も、大事なことなの?」
「いや、そういうわけじゃない。これはただの興味だから、答えたくないなら、答えなくていい」
「そ」

サヤはぷい、と背を向けて屋敷に歩き出す。

「サヤ……」
「休憩」

ドレスの構造上、大きく開いた白磁の背中を眺めながら、思索に沈む。
後天性の適格者が、能力を発現させるトリガーは種々様々だが、
ひとつ共通して言えることは、感情の大きなうねりが関係しているということだ。
サヤが能力を発現したきっかけは、彼女にとってあまり幸せな思い出ではないのかもしれない。

「いつまでそこに突っ立てるつもりなのよ! お茶冷めちゃうでしょー!」

顔を上げる。夕日を浴びたサヤの姿は、ドレスの色も相まって、深紅に染め抜かれていた。
まるで■■のように。嫌なイメージを振り払う。

「先に休憩していてくれ。俺はこのフィールドを補修しておく」
「10分以内に来なかったら、酷い目にあわすわよ」

口調は物騒だが、顔は笑っている。そのちぐはぐなサヤの感情表現に、いつしか温かい心の震えを感じている自分がいる。
「闇討ちしたいなら、ポケモンは仕舞っておくべきだ」

遠隔指示しているならともかく、ポケモンを傍に置いているなら、
それは俺にとって、「自分はここであなたを狙っていますよ」という広告塔を立てているに等しい。

「その気はない」

木立の影から現れた女は、別段発見されたことを悔しがる風でもなく目を細め

「ただ、サヤの様子を見ていただけだ」
「会ってやったらどうなんだ。手紙よりも、よっぽどサヤは喜ぶと思うが」
「会ったらきっと、別れられなくなる。そうしたらこの家に縛られ、カツラを認めることになる」

強情なところは姉妹共通のようだ。

「私は、甘かったんだろう」

カレンは自嘲する。

「以前、お前は言ったな。理想論だけでは何もなしえないと。
 組織の歯車として動きながら、組織の腐った部分を直視しながら、目的を実現してみせると。
 それに比べて、私は無力で、臆病だった。
 組織の体質を変えるために、内部に飛び込む勇気もなければ、実力もなかった。
 サヤを組織から少しでも遠ざけようと、足掻いているだけだった」
「…………」
「サヤは、お前を必要としている。お前と話すサヤの顔を見れば分かる」
「約束は守る。こうしてここに戻った以上、二度と自分から遠ざけようとしたりはしない」
「私の信頼など、いくら裏切ってくれても構わん。しかし、サヤの信頼だけは裏切るな」
「結局は同じことじゃないか」
「…………そうとも言える」

視線を逸らすカレン。

「それで、もし俺が次にサヤを悲しませたときは、また襲いにやってくるのか?」
「今は無理だ。お前は強い」

カレンはあっさりそれを認めた。

「そもそも、サヤを御せるお前に、私が勝てるはずが無かったのだ。
 サヤがあの能力を目覚めさせてから、私は一度もサヤに勝ったことがなかったのだからな」
「まああれは……反則だな」

サヤの能力は、RPGで例えるなら、旅に出たばかりの新米冒険者が魔王を手下にしてしまうようなものだ。
強力なポケモンを易々と従える幼いサヤに、同じく幼少のカレンは相当悔しい思いをしたのではないか。

「劣等感はあった。しかしその能力のせいで、組織に監視されるのだ。羨むのは間違っている」

サヤは我儘な引きこもりのお嬢様という印象が強いが、
組織の厳重な監視下に置かれていたということも、彼女が外の世界を知らない一因だろう。
夕陽が山の端に沈む。空の藍色が濃紺に移り変わっていく。
にわかに吹き始めた風が、カレンの長い赤髪を膨らませた。

「いいか。私は、お前よりも強くなる」
「………」
「冗談ではないぞ。私が強くなるといったら、本当に強くなるのだ。
 お前と戦って、まだまだ上には上があると気付かされた」

あれをまともな戦いと呼んでいいのだろうか。
ただ激情に身をまかせ、それでいて冷静にポケモンを嗾けてきただけのように思えるが。
そんな俺の考えを余所に、カレンは木立に歩き出す。

「本当にサヤには会わないのか」
「ああ」
「家を出て、今はどうやって生活しているんだ?」
「これでも私はパーフェクトホルダーだ。生活の糧には困らん。
 もっとも、グリーンバッジはジムリーダーと直接対決したわけではないのだがな」

サカキ不在の頃か。当時は雇いのトレーナーから、リーダーの代理が立てられていたと聞いたことがある。
木立の影に隠れていたギャロップに跨り、指示を出す直前、カレンは振り返った。

「サトシ」

初めて呼ばれた名の響きは、サヤのそれと同じだった。

「あの子を、サヤを守ってあげてほしい」

返事をする間もなく、颯爽と去っていく。
何から?
その問いかけを、俺は口の中で噛み殺した。