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「キャタピー、思いっきり糸を吐くんだ!」

幾条もの白い糸が、周辺の木々に張り巡らされていた。
行動範囲を限定させて、確実に絡め取るつもりか。よく考えている。
しかし、ヒナタの方が一枚上手だ。

「そうはさせるもんですか。ヒトデマン、高速スピンよ!」

キャタピーは大量の糸を吐き出した。
が、次の瞬間には糸は切り裂かれ、空気中で凝固し、地面にはらはらと落ちていった。
高速スピンは、拘束系の技を無効化するのだ。

「今よ、たいあたり!」

高速スピンの余勢を生かし、ヒトデマンは、無防備なキャタピーに突っ込んでいった。

「キャタピー!!」

細い悲鳴を上げて、少年はキャタピーに駆け寄った。
しきりに心配しているが、精々気絶している程度だろう。
流血、瀕死、死亡のような事態は、ハイレベルのポケモン同士が戦って、初めて起こりうるのだから――
と僕がぼんやり考えていると、ヒナタは僕の傍を離れて、少年に話しかけているところだった。

「ごめんね。ちょっと強くやりすぎたかも……」
「い、いいんだよ。僕が勝負を仕掛けて、負けたんだ。
 はいこれ、少ないけど、上げるよ」

少年はポケットをまさぐり、数枚の硬貨を取り出した。
ポケモンバトルにおける金銭の賭けは、使用するポケモンのレベルに比例する。


ヒナタは受け取るだろうか。それとも――

「要らないわ。どうしてあたしがあなたからお金をもらわなきゃならないの?」
「どうしてって、じゃあ君はこれからどうやって旅を続けていくつもりなんだい?
 お金がないと、色々と困るだろう?」

彼女は首を振り、微笑む。

「だいじょうぶよ。
 食べ物だって、泊まるところだって、なんとかなるわ。
 それに、どうしようもなくなったときだって、ポケモンセンターがあるじゃない」
「でも……」
「いいの。お金がないと困るのは、あなたも同じでしょ?」
「う、うん」

ヒナタの手が、少年の手を包み、押し返す。
こんな反応をされた経験がなかったのだろう、少年の顔は朱くなっていた。
僕はヒナタの行動が、偽善でも自己満足でもないことを知っている。
彼女の父親も――サトシも、ポケモンバトルで相手からお金を奪ったりはしなかった。

虫取り少年に別れを告げて、僕たちはまたトキワの森の探索を開始する。
ヒナタは鬱蒼と生い茂る木々の葉を見上げて言った。

「あたし、こんな場所があるなんて知らなかった。
 ううん、本とかTVで知っていたけど、実際にこうやって歩いてると、
 そういった知識と全然違うってことが分かって、その、うーん、なんて言えばいいんだろ」
「ピッ、ピカチュ」

それはね、ヒナタが心の奥底で、実は、戸惑っているからなんだよ。
マサラタウンという狭い世界でずっと過ごしてきただろう。だから、新鮮な外の世界に、ヒナタはまだ慣れていないのさ。


道中、ヒナタはトキワの森の真ん中あたりで、休憩をとった。
大樹の幹にもたれかかって、深く呼吸する。懐かしい香りが肺に満ちた。
ここは今でも、僕が"初めて"訪れたあのときのままだ――。
僕は少し散歩してみることにした。

「ピカチュウ、あんまり離れたところにいったら駄目だからねー」

彼女が眠そうに言う。僕は短く返事した。

「チュ!」


散歩の目的は二つあった。
一つ目は、本当にトキワの森を散策すること。
二つ目は、僕の力が衰えていないか計ること。

試す場所はすぐに見つかった。
若い樹木に栄養を奪われ、節々が枯れてしまった大木。
抜けるように青い晴れ空の下、そこだけが影になっていた。
本当は、僕が己の力を試すのには、開けた場所ならどこだって良かったのだけれど、
万が一のことも考えて、僕はこの場所を選んだ。




僕は耳を立てて、周囲を確認する。
この枯れた大木を住処にしているポケモンはいないようだし、
辺りに人を含む生き物の気配もなかった。

さあ、始めよう。

電気袋に意識を集中させる。
神経の一本一本が、緊張するのを感じる。
電圧が高まり、制御できなかった分の電気が、空気中に漏れる。

その音は、まるで小鳥の囀りのよう。

体内の脂肪を主とした絶縁体はきちんと機能しているようで、
電気袋がエネルギーを蓄積していくあいだも、僕は自身の電気で感電したりはしなかった。

そして、充電が完了する。

うまくいくだろうか。
何しろ久方ぶりだ。
狙いがはずれるかもしれない。
放出する電力の制御ができなくなっているかもしれない。
けど、それがなんだ。
時間はある。ブランクは埋めていけばいい。

「ピーカー、チュウ~~~~!!!!!」

僕は、電圧を解放した。


閃光。
轟音。
空気の振動が収まったとき、大木はその幹に大穴を開けていた。
縁はほのかに赤く燃え、黒い煙がくゆっている。

「ピカー……」

数年ぶりとなる10万ボルトの調子は、及第点、といったところだろうか。
技の使用に当たって支障がなかったのは喜ぶべきことだが、
狙いが15cmほど左に反れてしまっていたし、出力を絞り切れなかった。

「……チュウ、チュウ」

とりあえず、大木に謝っておく。
放っておいても凋萎していたに違いないが、僕が生命を絶ってしまったことには違いないから。

僕はヒナタのもとに戻ることにした。
そろそろ"うたた寝"から目覚めて、僕を捜しているかもしれない――。

「ピカ?」

その時、僕の耳が妙な空気の乱れを捉えた。
嫌な予感がした、次の瞬間、

「いやぁあ――――!!!!」

叫び声が、トキワの森に響き渡った。


「ピッ!」

リハビリ、テストといった考えが吹き飛ぶ。
僕は耳が良い。あの声はヒナタのものだ。
彼女のアルトは毎日聞いていたから間違えようもない。

四肢の筋肉に力を込めた。
耐えきれるかどうかなんて、どうでもよかった。
駆け出す。
一刹那の加速。
景色がスローモーションになったみたいに、僕の両脇を過ぎていく。
"電光石火"は、僕を一瞬で彼女の元に導いてくれた。

そして僕は、ヒナタに悲鳴を上げさせているポケモンを見た。


スピア―だった。
ジジジジ、と羽音を立てながらヒナタを中心に旋回している。
大きな両腕の針を交差さえ、お尻の棘をつきだして、攻撃姿勢になっている。
どうしてこんなことに?
彼女は震えながら、僕に言った。

「ピカチュウ!? 来ちゃ駄目、逃げるのよ!
 ヒトデマンがやられちゃったの……、ピカチュウじゃ無理なの」

電気袋に充電し始めていた僕は、愕然とした。
ヒナタは僕が、レベルが低く、弱いポケモンだと思っている。

――ヒナタの前で、本当の力を発揮してはならない。

それはカスミとの約束だった。
でも、今の状況でもその約束に拘っていていてもいいのだろうか。
すぐ近くにはヒトデマンが倒れていて、胸の結晶を静かに明滅させていた。
瀕死か――すぐにでも治療が必要だ。
思考が冷える。

要は。
ヒナタに僕の能力を見せずに、
スピア―を速やかに排除すれば良い。


そうさ、こんな序盤で、カスミとの約束を反故にするわけにはいかないんだ。

「ピカチュ!」

ヒナタ安心して。今すぐ助けるからね。

僕は走り出した。

彼女が短く叫ぶ。

「お願い、逃げて!」

僕は無視する。
走る。電光石火は使わない。
スピア―が僕に気づく。
そして姿勢を反転し……。
複眼が僕を捉える。
セーフティ・シールドを犯した僕が、新たな攻撃目標に成り代わる。
スピア―は、両方の針をいっぱいに引き絞り、

しかし、その行動はあまりにも遅かった。

「チュウッ!」

跳躍し、反りあがったお尻の棘に足をかけ、再び跳躍する。
突き出された両手の針は空を切り、
僕はスピアーの複眼に、片手を押し当てた。

バチッ、と鋭い音が響く。スピア―はその巨躯を、まるで火の粉から逃れるように、飛び退かせた。
当然だ。僕は全身を帯電させていたのだから。


『森の奥に帰れ』

短い接触の間に、僕は視線でそう伝えた。
ここに現れた理由が何であるにせよ、ヒナタを危険に晒したのに変わりはない。
スピア―は弱々しく羽音を響かせて、去っていった。
それを見送っていると、

「ピカチュウ、怪我してない? 攻撃されなかった!?」

抱きしめられる。

「チュウウ」

君の抱擁の方が苦しいよ、ヒナタ。

「あんなにおっきなスピア―、初めて見たわ。
 でもそれよりもすごいのはピカチュウね。
 ちっとも怖がらずに、正面からスピア―に"たいあたり"して……」

そう、全てはスピア―の羽を背にした、死角での出来事。

「でも」

と、ヒナタは思い出したように言った。僕を抱きしめる力が一層強まる。

「これからは、あたしの言うことをちゃんと聞いてね。
 さっきは運が良かったからスピア―を追い払えたけど、次も上手くいくとは限らないんだから」
「チュウ?」


「ほ、本当はあたし一人でも少しくらいは時間稼ぎできたのよ?
 その間にピカチュウに、近くのトレーナーに助けを呼んでもらって……ね?」
「……チュウ?」

本当にあの状況下で、そんな冷静な判断が下せたのだろうか。甚だ疑問である。

「なによ、疑ってるの?」

ヒナタの目が若干つり上がる。

「ピカピカ」

僕は大急ぎで首を横に振った。
ああ、似ている。若い頃のカスミに。
カスミとサトシが喧嘩をしているとき、僕がサトシの傍にいると、

「何よピカチュウ、あんたもサトシの味方するわけぇ~?」

という実に理不尽な理由で、電気袋を弄くり回されたものだった。
僕はヒナタの、白く細い、作り物のように綺麗な指を眺める。ヒナタはカスミの娘だ。
この指が僕の大切な電気袋を弄くり回さないという保証は、どこにもないのである。
どこにもないのだが、

「わたしはポケモンマスターを目指しているのよ。
 こんなことくらいで、いちいち怖がったりしていられないの」
「ピ……………………チュウッ」

僕は笑いをこらえきれなかった。

「こらぁっ、今笑ったでしょ、ピカチュウ!?」



僕は彼女の腕を抜けて、駆け出した。
ただし、彼女の視界から外れない速度で。

トキワの森を抜けた時、僕は彼女に捕まった。

「捕まえたっ。これはお仕置きよー」

人差し指と親指で、電気袋をぷにぷにされる。痛かったけど、それは、幸福な痛みだった。
ひとしきり弄くり回されたあと。
僕は頬をさすりさすり、トキワの森を振り返った。

あのスピア―は、何故開けた道に姿を現したのだろう。
何故、彼女に対して好戦的だったのだろう。

謎は解き明かされないまま、森に残したままだ。
そういえば、謎の他にも、森に残してきたものがあるような気がする。

答えはすぐに見つかった。
僕は俯きながら、ヒナタのスカートを引っ張った。

「ピカ、ピカチュ」

両手を広げ、次に地面にばったり倒れ、すぐに飛び起きて、ヒナタのベルトを指さす。
ヒナタの顔が、蒼白になる。ジェスチャーは上手く通じたようだ。ヒナタは罪悪感に満ちた声で言った。

「あはは……あの子のこと、すっかり忘れてた」



僕たちはヒトデマンを置き去りにしていた。


第二章 終わり