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四年後。

あたしとカエデは、ひとまわり成長したタイチのエアームドに乗せてもらって、シオンタウンを目指していた。

「それで、あたしは言ってやったわけ。
 あんたみたいなポケモン考古学の端っこをちょこっと囓っただけの浅学馬鹿と、
 この知識の蒐集家にしてミスタマムシのあたしがどうして付き合わなくちゃいけないの――って、ヒナタ、ちゃんと聞いてるの?」
「ん……ごめん、何の話してたっけ?」
「だーかーらー、最近あたしに構ってくる冴えない男の話」
「その人のこと、気になってるんでしょ」
「なっ、どこをどう聞き間違えたらそうなるわけ?」
「だって、カエデは興味ない人のことはいちいち喋らないもの」

赤面して黙り込むカエデ。
本当、分かりやすいんだから。
タイチが場を取りなすように言った。

「そういやカエデは、タマムシ大学を卒業したらどうするつもりなんだ?」
「ポケモン協会で働くわ」

即答だった。

「ハナダのジムリーダーを継ぐ気はないのか?」
「ないない。昔はその選択肢もアリかなーって思ってたんだけど、今はどうでもいいって感じ。
 ママもあたしの好きなようにしなさいって言ってくれてるし。
 やっぱり絶滅に瀕しているポケモンを救えるのは、このあたししかいないのよねー。
 ところで、タイチくんはこれからどうするつもりなの? 本州に戻ってくる気はないの?」
「俺か? 俺は……」

ちら、とこちらを振り向くタイチ。反射的に目を逸らす。嫌がらせをしているとしか思えない。
タマムシシティにカエデを迎えに行く前、逃げ場のない空で、あたしはタイチにプロポーズされた。
四年前のあの日から、あたしたちは遠距離恋愛のようなことを続けてきた。
あたしは各地を転々としながら、タイチはグレン島でカレンさんのお手伝いをしながら、一ヶ月に一度くらいの頻度で逢瀬を重ねてきた。
最初はその距離が我慢できなくて、次第に寂しさに慣れていって、
また、ずっと一緒にいたいという思いに駆られるようになって――そんな折にプロポーズされて、断れるわけがなかった。

「……俺は、親父の跡を継ごうかと思ってる」
「パーフェクトホルダーは仕事に困らないからいいわよねー。じゃあ、グレンジムは辞めちゃうんだ?」
「そうなるな」

何も知らないカエデが、満面の笑顔であたしに囁いてくる。

「良かったわね、ヒナタ。
 これでいちいち会う度に海を越えなくてすむじゃない?」
「…………」

トキワシティで一緒に住むことを明かしたら、カエデはどんな反応をするのかしら。

「どうしたの? あんた嬉しくないの?」
「う、嬉しいわよ。もちろん」
「変なヒナタ。あっ、見えてきたわよ!」

高度が下がっていくにつれて、懐かしさが込み上げてくる。
「到着だ」

エアームドから降りると、すぐ足許に、淡紫色の綺麗な花が咲いていた。
紫苑。この街の名の由来にもなった、鎮魂の花。

「ここ、少し変わっちゃったわね」

カエデがぽつりと呟いた。
確かにシオンタウンは変わった。
初めてここに来た時は、憚りなしに笑うことさえ咎められているような気がしたものだけれど……、
今では、雰囲気が少し明るくなったような気がする。

「ポケモンタワーがラジオ塔になってからだな。ここの雰囲気が変わったのは」

尖塔を見上げる。
ここからカントー地方のすみずみまで届く電波が発信されることを、三年前の誰が予想できたかしら。
タイチは煙草に火をつけながら言った。

「んじゃ、俺たちはポケモンセンターで待ってるぜ」

あたしの荷物を持って歩き始める。カエデもバッグを肩にかけ直して、

「別に、急がなくてもいいから……って、毎年同じこと言ってるわね、あたし。それじゃあ、後でね」

タイチの背中に続く。
一人取り残されたあたしは、ラジオ塔から少し離れたところにあるポケモン霊園――"魂の家"――を目指して歩き出した。
冬の空は高く澄んで、ちぎれ雲ひとつ浮かんでいなかった。
今年も、晴れてよかった……仰ぎながらそんなことを考えていると、どん、という衝撃が正面から伝わってきた。

「いたっ……何すんだよぅ」
見ると、小さな男の子が尻餅をついていた。手を差し伸べると、

「自分で立てるもん」
「ご、ごめんなさい。怪我はない?」

腕や足に触れてみる。
うまくお尻から地面に落ちたようで、擦りむいた痕は無かった。

「だ、だいじょうぶだってば!」

照れた様子が可愛い。

「そう。男の子、だもんね。
 でも本当にごめんなさい。あたしが余所見してたせいでぶつかっちゃって」
「もういいよ。僕も走ってたし……あ、それ」

男の子の目が、あたしの腰に止まる。

「モンスターボールだ。お姉さんもポケモントレーナーなの?」

頷くと、男の子は顔を輝かせて、

「じゃあ、ポケモンバトルしようっ。ねえ、いいでしょ?」

あたしは困った。

「ダメ……なの……?」

つぶらな瞳が、無意識のうちにあたしの首を縦に振らせていた。

「やったぁ!」
「い、一回だけだからね」

「いいよ。その代わり、タッグバトルね。行けっ、プラスル、マイナンッ!」

二閃。現れた二匹のポケモンを見て、あたしはしばらく呼吸を忘れた。

「どうしたの、お姉さん?」
「ううん……可愛いポケモンだなあと思って」

黄色い体。長い耳。大きな頬。
その二匹のポケモンは、特徴色を除けば、あたしの大切なポケモンにとてもよく似ていて――。

「遠くに住んでるおじさんからもらったんだ。
 可愛いだけじゃなくて、強いんだよ。ほら、お姉さんも」
「そ、そうね」

感傷に浸るのをやめて、ボールをふたつ展開する。

「うわぁ……凄い……」

感嘆の声が上がった。あたしが選んだのは、ピクシーとハピナスだった。
こうして二匹を眺めていると、ピッピが月の石でピクシーに進化した時のことや、
サファリパークで助けたラッキーが、あたしに懐いてハピナスに進化した時のことを思い出す。

「もしかしてお姉さん、ものすっごく強いトレーナーだったりするの?」

恐る恐る尋ねてくる男の子に、あたしは微笑んで言った。

「まさか。さあ、始めましょ」
「うんっ。プラスル、マイナン、"電光石火"だ!」

二匹が双子のように同じ動作で走り出す。

「ハピナスは"丸くなる"、ピクシーは"小さくなる"のよ」
「プラスルはその勢いのまま"スパーク"! マイナンは"手助け"してやるんだ」

マイナンと呼ばれたポケモンが一歩前に出て、
プラスルと呼ばれたポケモンがその背中を踏み台にして跳躍する。
まるで予め打ち合わせしていたみたいに息がぴったりだった。
電気を纏ったプラスルが小さくなったピクシーを越えて、ハピナスに飛びかかる。

「受け止めるのよ、ハピナス。"指を振って"、ピクシー」
「お姉さん、知らないの? "スパーク"には相手を麻痺させる効果があるんだよ」

両手でプラスルを受け止めたハピナスが、ぷるぷると耳を震わせる。
ほんの少し我慢してね。あたしは心の中でハピナスに謝りながら、

「そうだったんだ。じゃあ……"リフレッシュ"よ」

"リフレッシュ"は状態異常を解除できる技。ハピナスの麻痺が消える。

「そんなのずるい!」
「ふふっ。ずるくなんかないわ。それより、マイナンを放っておいてもいいの?」
「あっ……」

男の子が視線を戻したとき、ちょうどピクシーの指が止まった。
ぱちんっ。ピクシーが両の手をマイナンの目の前で鋭く叩く。
"猫騙し"で混乱したマイナンを、ピクシーが抱き留める。

「プラスル、早くマイナンを助けるんだ!」

プラスルがハピナスの腕の中でもがく。あたしは言った。

「ハピナス、ピクシー、"歌って"」

繊細な旋律と、広量な旋律。
優しい二重奏が終わったとき、プラスルとマイナンは、それぞれピクシーとハピナスの腕の中で、ぐっすりと寝息を立てていた。
あたしは小さく拍手を送った。
たまに寝付きが悪いとき、この二匹の歌声に助けられていることはここだけの秘密。
「……負けちゃった」

男の子は眠ったプラスルとマイナンの頬をつつきながら、しょんぼりと呟いた。

「いい勝負だったわ」

男の子は俯いたまま、一言も喋らない。
まさか、悔し泣きしてるの?
……もう、このままじゃ、立ち去るに立ち去れないじゃない。
あたしが覗き込もうとしたその時、男の子は急に顔を上げた。
純真無垢な笑顔が咲いていた。

「ねえ、もう一回勝負して?」
「だ、ダメよ」
「お願い。もう一回だけ!」

困った子ね……。
諦めさせようと頑張っていると、男の子はふと黙り込んで、

「あのね……僕、お姉さんのこと、どこかで見たことがあるような気がするんだ」

あたしが一番怖れていたことを言い出した。
思い出しちゃだめ。思い出しちゃだめ。念を送ってみる。

「あともう少しで思い出せそうなんだけど……うーん……」

ああ、誰か助けて。そんなあたしの心の悲鳴が通じたのか、

「こんなところにいたの?」

男の子のお母さんらしき人がやってくる。
その人は逃げようとする男の子の手をむんずと掴み、あたしに微笑みかけて言った。

「この子、ポケモンバトルをしようなんて馬鹿なこと言ってませんでした?」
目が笑っていない。男の子は震えてあたしを見上げている。仕方がないわね。あたしは男の子の味方についてあげることにした。
「いえ、そんなことは一言も」
「そう。この子ったらトレーナー免許も取ってないのにポケモンバトルに興味津々で困ってるのよ。
 迷惑をかけて本当にごめんなさいね。ほら、行くわよ」

男の子が引きずられていく。
あたしがなんとなく見送っていると……、
抵抗を諦めた男の子は、掴まれているほうとは逆の手をいっぱいに振りながら叫んだ。

「ばいばーい。また遊んでね、胸の大きなお姉さーん」

あ、殴られた。せっかく庇ってあげたのに……。
溜息をついて、歩き出す。
霊園に近づくにつれて、紫苑の数が増えていく。
淡紫色の道の先に、あたしは赤髪の少女を認めた。
向こうもあたしに気付いたようで、子犬みたいに駆け寄ってくる。

「ヒナタお姉様っ!」
「アヤ」

抱きしめる。アヤの髪からはかすかに線香の匂いがした。

「その呼び方は恥ずかしいって言ってるじゃない」
「これが一番しっくりくるんです。わたし、絶対にやめませんから。お姉様に拒否権はないのです」
「いつからこんなに我儘な子になったのかしら」

本当にアヤは変わったと思う。
システムの監視から逃れて自由になったアヤは、瞬く間に八つのバッジを制覇して、上位のリーグランカーに名を連ねた。
あたしとの関係も、お父さんを取り合っていたあの頃が嘘のように親密になって、いつの間にか本当の姉妹のようにお互いを意識するようになった。

「また背、伸びた?」
「伸びてません。わたしの成長はもう止まりました。
 いえ、でも、もしかしたらまだ成長するところはあるかもしれないですけど、とにかく……ああもうっ、
 お姉様はすぐにそうやってわたしのことを子供扱いするから困りますっ」
「アヤは今年で何歳になるの?」
「十七、です」
「やっぱり子供じゃない」
「ち、違います。体はまだ子供でも、心はとっくに大人ですっ!」

アヤがあたしの胸から離れて、憤然とした表情をつくる。
あたしはそれが本気のものでないことを知りながら、

「冗談。あたしはアヤのことを子供扱いしてないわ」
「本当にですか?」

頷く。

「ふふっ、許してあげます」

すぐに屈託のない笑顔が浮かぶ。
コロコロと変わる表情は見ていて面白い。
あたしはアヤの背後に視線を遣って言った。

「アヤはもう、済ませたの?」

表情にほんの少し影が差して、すぐに微笑がそれを追い払った。

「はい。あんまりお姉様が遅いから、迎えに来てあげたんですよ」
「そうだったの。ありがとう、アヤ」
「わたしはここで待ってます。ゆっくりしてきてくださいね、ヒナタお姉様」

あたしはアヤに見送られるように、霊園に足を踏み入れた。
立ち並ぶ墓石の間を抜けていく。
どんなにシオンタウンが変わっても、霊園の厳かで静謐な空気は変わらない。
ここはポケモンの死を悼み、慰め、弔う場所。
しばらく歩いて、あたしは墓石の前に佇んだ一人の男を認めた。

「……お父さん」
「ヒナタか。遅かったな。アヤとは会ったか」
「入り口の前で会ったわ。そこで待ってるって」
「そうか」

あたしはまだ真新しい色の墓石を眺めながら言った。

「白髪、増えたね。お父さん、まだまだ若いのに」
「苦労が絶えないんだ。使えない連中が多くてな」
四年前のあの日、セキエイの最奥地で、もう一人のオーキド博士の野望は未然に食い止められた。
旧世代の遺産……セキエイのコンピュータは完全に壊れて、制御を失ったミュウスリーは、糸の切れた人形みたいに動かなくなった。
もう一人のオーキド博士は、"雷"が落ちた瞬間にコンピュータの間近にいたせいで亡くなった。
お父さんはその後、セキエイに保管されていた百体近くのミュウスリーを全て処分した。
遺産が失われてしまった以上、セキエイという聖蹟を守る必要はなくなる。
でも、だからといってシステムという巨大組織が解体できるはずもなく、
結局お父さんが管理者の座に就き、システムの体制を再編することで収拾がついた。

「ねえ、お父さん」
「どうした?」
「お母さんに会う気、ない?」
「……もう少し、時間をくれないか」
「去年も、一昨年も、その前の年も同じこと言ってる」
「……………」

お父さんが弱ったように頭を掻く気配がする。

「お母さん、とっくにお父さんのこと許してるのに」

それは本当だった。
お父さんは、システムにいる間も、ずっとマサラタウンにいるあたしとお母さんのことを見守ってくれていた。
お母さんやあたしとお父さんの関係がマスコミに取り沙汰されなかったのは、
お父さんがシステムを通じて圧力をかけていたからだった。
お父さんの遺伝子を引き継ぐあたしがシステムの人間に狙われなかったのは、
お父さんが自分を犠牲にして、それを固く禁じていたからだった。
「ヒナタ、それでもだな、」
「実はもう呼んであるの。多分、夕方には来ると思うわ」
「……………」

無言でリザードンが入ったボールに手をかけたお父さんに、

「逃げちゃダメだからね」

と釘を刺す。

「……やれやれ。大変な娘を持ったもんだ」
「だってこうでもしないと、いつまで経っても、お父さんとお母さん、仲直りできないでしょ」

否定せずに、苦笑するお父さん。
あたしは改めて墓石に向き直った。
元々静かな霊園の空気が、一段と静かになったような気がした。

「久しぶり、ピカチュウ」

今日はピカチュウの命日だった。

「実は、ピカチュウに報告があるの」

ポーチを開けて、意匠が凝らされたガラスケースを香炉に乗せる。
中には紫と白で塗り分けられ、上半分に大きく"M"の文字が刻まれた、マスターボ―ルが入っている。

「あのね、あたし――この前の春のポケモンリーグで、優勝したの」

ピクシー、ゲンガー、スターミー、ハピナスの四匹で臨んだ、三度目のポケモンリーグ。
最後はみんなボロボロで、途中、挫けそうになったことも一度や二度じゃなかったけど……。
心の中にいるピカチュウがあたしを支えてくれた。あたしを勇気付けてくれた。
「あたしがここまでやってこれたのは、ピカチュウが見守ってくれていたおかげよ」

あれから四年経った今でも、あたしはポケモンの死に臆病でいる。
ポケモンバトルで無慈悲な自分に成りきれないでいる。
でも、あたしは『それでいい』ということを証明できた。
ただ一度もポケモンに死を与えたり、与えられたりせずに、ポケモンリーグを制覇することができた。
四年前のあの日。
ピカチュウはあたしに身をもって、命の尊さ、強さ、儚さを教えてくれた。
それは、言葉で表わすことのできない宝物。
だから――。

「ありがとう、ピカチュウ」

吐いた息が白く凍って、風に運ばれていく。
ふと、幽かな空気の震えを感じて空を見上げた。
それは、まるであたしの言葉に応えるかのような、優しい晴天の霹靂だった。