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「嘘……だってオーキド博士は病気で……こんなところにいるはず……」
「『初めまして』、ヒナタちゃん。驚かせてすまんのう」
「初めまして?……何、言ってるんですか。
 あたし、マサラタウンで、オーキド博士の研究所の近くに住んでいて、小さい頃からたくさん遊んでもらった、ヒナタです」
「ヒナタちゃんは根底から勘違いしているようじゃのう。
 ワシと君は正真正銘の初対面じゃよ」
「……あなたは、誰?」

震えた声でヒナタが尋ねた。
サトシは目を伏せ、無言で二人の遣り取りを聞いていた。
あの老人はオーキド博士であって、オーキド博士ではない。
二律背反――非現実のような現実を直視する。
外観が同じでも中身が違う。
顔は同じでも性格が違う。
ハードウェアが同じでもソフトウェアが違う。
頭の中に閃くものがあった。
信じたくないが、有り得なくはない。
オーキド博士の外見をした老人は静かに言った。

「ワシは奴のクローンじゃ。同時に、君らがシステムと呼ぶ組織の管理者でもある」

クローン技術。
その非道徳性から中止に追い込まれ、秘密裏に行った者は法的拘束力を受けることになった禁忌の業。
だが、僕は既に、常識や既成概念に囚われずに技術発展に取り組み、クローン生成技術を確立した組織を知っている。
そしてその被験体はポケモンに留まらず、人にまで及んでいた。
「オリジナルはマサラタウンにいるオーキド博士のほうじゃ。
奴は研究者としてもトレーナーとしても一流じゃった。
旧世代のシステムに見込まれ、若くしてヒエラルヒーの頂点にのし上がったほどにのう。
しかし、奴も老いには勝てんかった。
表と裏の顔を両立するのが体力的に難しくなってきたんじゃ。
セキエイとマサラタウンを往復するのは結構な労力がいるからのう……ごほっ、ごほっ……」

もう一人のオーキド博士が激しく咳込む。
腕から伸びた点滴のチューブが揺れた。

「奴は後継者を選ぶにあたり、奴の目に適う者がいないことに絶望した。
 そこで創り出されたのがワシじゃ。
 奴はワシにシステムの全てを託した。
 そして己の記憶からシステムに関わる部分を抹消し、平穏な余生を送ることにしたのじゃよ。
 約十六年も前の話じゃ」

十六年前。
同時期、サトシがシステムに消え、ヒナタがマサラタウンで産声を上げた。

「そんな……じゃあ、あなたはここでずっと……」
「ワシは納得しておる」

ヒナタの思いを察したように、もう一人オーキド博士は咳払いして言った。

「思想、信条、知識、技術――ワシは奴が持っていた全てを受け継ぎ、"自分の物"にした。
 奴の傀儡などではない。ワシは自分の意思でシステムを動かしているんじゃよ」
「システムの目的は、何なんですか?」

ヒナタの質問に答えたのは、サトシだった。

「ポケモンと人が、本当の意味で仲良く暮らせる社会を作ることだ。
現状、人はポケモンを道具として扱い、傷つけ合わせている。
博士は、その常識を変えようとしているんだ。
どうして人の娯楽のために、ポケモンが傷つき、死ななくちゃならない?
俺はポケモンリーグが終わってから、ずっとそんなことを考えていた。
博士がシステムに勧誘してきてくれたのは、その頃だ」
「お父さんは……、どうやってその常識を変えようとしているの?」
「人とポケモンの繋がりを、一度切り離すんだ。
まだ人とポケモンの生活圏が深く交わっていなかった時代を再現する。
ミュウスリーのことは、多分、もう知っているだろう。
BWボールのことも知っているはずだ。
人とポケモンの癒着は簡単に切り離せない。
強い反発を抑えるには、それを正面から圧倒できるほど強い力の群体が要る。そうでしょう、オーキド博士」

信頼に満ちたサトシの声に被せられたのは、

「サトシよ、お前はいつまでそんな夢物語を信じておるんじゃ?」

彼の十六年を無に帰す冷酷な声だった。
「博士……?」
「気付くのが遅すぎたのう。
ワシの目的は、散在する旧世代の遺産を統一することじゃ。
ここカントーのセキエイのように、ジョウト、ホウエン、シンオウ……それぞれに聖蹟があり、
それを守るための組織が存在しておる。
ミュウスリーとBWボールはそれらの制圧を可能にするじゃろう」
「……俺は、あんたに利用されてたっていうのか?」
「お前は優秀な手駒じゃった。しかしもう用済みじゃ。
稀代の適格者とそのポケモンも、統制された最強ポケモンの群体には敵わん。
 特に親子の情に絆され、骨抜きになった今となってはのう」
「ふざけるな」

サトシの静かな怒りに応えるように、リザードン、フシギバナ、カメックスの三体が咆吼を上げる。
もう一人のオーキド博士は、震える指先でコンソールを叩いた。

「抵抗は無意味じゃ」

音も無く壁が開き、ミュウスリーが出現する。
漆黒の体表に白銀の鎧。
足は地面に触れずに、僅かに浮いている。
背後には長くて太い尻尾が、何かの感覚器のようにゆったりと揺らいでいる。
施設で対峙した時と寸分変わらない状況。
ただひとつ、制御されているミュウスリーの数が、五体であるという事実を抜きにすれば。
無謀だと知りつつも、ヒナタとサトシの前に躍り出る。

「よくぞここまで長生きしたものじゃのう、ピカチュウ」

もう一人のオーキド博士は僕を見据えて言った。

「お前には礼をせねばならん。
いい機会じゃ、お前の出生の秘密を教えてやろう」
「チュウッ!」

ダメだ、言うな!

「お前は、奴の被造物じゃ」

瞬間、空気が凍り付いたような気がした。
なぜ、僕だけが普遍的なピカチュウとは一線を画した身体能力を持っていたのか。
なぜ、僕だけが相性の規範法則を無視できるほどの、強力な電撃を放つことができたのか。
それらの疑問が氷解する。
すべては設計図通りだった。
オリジナルのオーキド博士は、寿命を犠牲に高性能なポケモンを創り出す術を知っていた。
僕は彼の作品として、何も知らずにサトシの最初のポケモンになった。
そもそも、どうしてサトシは僕の寿命のロジックを、十六年前の時点で知ることができたんだ?
今なら簡単にその謎が解ける。
オリジナルのオーキド博士が、管理者の職務を目の前のオーキド博士に委譲する直前、サトシに真実を告げたからだ。
設計者が創造物の欠陥を知らないはずがない。
サトシが乾いた声で言った。

「嘘だ……!」
「現実逃避は人間のもっとも愚かしい行動のひとつじゃ。
 ポケモンの創造は不可能ではない。
 むしろ、この世界に広く棲息するポケモンの原型は、全て旧世代の人類の産物じゃ……ごほっ……ごほっ……」

オーキド博士は饒舌に語った。

「ポケモンが存在せず、人類がこの星の支配者であった時代。
 人類は退廃の末、この星の環境を自然修復不可能になるまで破壊したんじゃ。
 生き残ったわずかな人類は地下に潜り、再生の希望を託して、過酷な地表の環境に耐えうる生物を創造した。
 それがポケモンじゃ。動物が環境適応能力によって進化した姿ではない。
 今日ではよく知られているポケモンに、かつては空想上の生物として扱われていたものが多いのはそのためじゃ」

その最たる例はドラゴンタイプのポケモンだろう。

「ピカチュウ?」

不意に、僕を呼ぶ声があった。ヒナタだった。
瞳に浮かぶ光は不安定に揺れていて、現実を拒絶したがっていることが読み取れた。

「ピカチュウが造られたって、どういうことなの……?」

それは――。
僕が反応するよりも早く、あまりに容赦ない一言がヒナタに浴びせられた。

「そのピカチュウの余命が、もう残り少ないということじゃ」

慟哭。
逃避。
錯乱。
その瞬間、恐らく、この場にいる誰もがヒナタの反応を予測していた。
しかしヒナタは、静かな涙を一粒零しただけで、手の甲で目を擦り、僕に微笑んで見せた。

「やっぱり、そうだったんだ」

彼女は強かった。

「エリカさんのお屋敷にいたときから、ずっと、夢を見てたの。
ピカチュウが死んじゃう夢……ピカチュウがあたしのところから、永遠にいなくなっちゃう夢……」
「ヒナタ、もういい」

サトシがヒナタを抱き寄せる。
ヒナタはサトシの胸の内で嗚咽を堪えながら、

「あたしは……ピカチュウがいなくなっても……うっ……えぐっ……、
 大丈夫、だから……だから、あたしのことは、もう、心配しないで……ひうっ……」

彼女は、自立できると言っている。
たとえそれが、その場限りの勇気や虚構によって支えられている台詞だとしても。
僕はヒナタに背を向けた。
「博士、あんたは他の聖蹟を奪って、何をするつもりなんだ?」
「古代文明の再興じゃよ。
 旧世代の遺産は現代科学に、計り知れない英知をもたらすじゃろう」

サトシはヒナタの頭を撫でながら言った。

「そして、同じ轍を踏むんだ。
 他の聖蹟を守る連中は、それが分かっているからこそ、聖蹟を守るだけで、遺産には手を出さなかった」
「扱う術を知らぬ無能だっただけじゃ」
「あんたが考えてるほど、聖蹟は簡単に奪えない」
「ワシには切り札がある」

整然と浮遊した五体のミュウスリーを一瞥し、

「刃向かう者は排除するまでじゃ」

排除――それは殺害と同義の言葉だった。

「博士、あんたはもう博士じゃない。ただの耄碌した爺だ」
「ほう。それで、お前にいったい何が出来るというんじゃ?」
「あんたを止める」
「やれやれ、お前はいつまで経っても子供のままじゃのう、サトシよ。
 お前ほどのトレーナーなら、戦力差は一目瞭然のはずじゃ。
 お前はたった一体のミュウスリーさえ倒すことはできんよ」
「ミュウスリーは不完全だ。
俺はミュウツーと戦ったことがあるから、それが分かる。
それに、俺は別にあんたの手駒を倒さなくてもいいんだ」

もう一人のオーキド博士が訝しげに眉間に皺を寄せる。
恐らく彼は盲信しているのだ。
いくらサトシが自分に敵意を抱こうと、旧世代の遺産を破壊するような暴挙に出るわけがない、と。

「何を言っているのか分からんが、まあ良い。……露払いじゃ、行け」

コンソールが叩かれる。
五体のミュウスリーのアイシールドに、十の紅の光が灯る。
サトシは三匹に指示を出そうとし、驚愕の表情を浮かべて僕を見た。
どうやら僕の意思は伝わったようだ。
感覚共有に、言葉は要らない。

「ピカチュウ……お前……」
「ピカピ」

何も言わずに、僕の考え通りに動いて欲しい。
これが最善手なんだ。あなたなら分かってくれるだろう。
サトシはゆっくりと頷いた。システムにいた十六年で、彼は感情を殺す術を体得していた。
そう、この作戦は完遂されるその時まで、ヒナタに気取られてはならない。
体を奮い立たせる。
一次解放。二次解放。
世界が静止したような感覚が僕を包む。
体が熱い。喉が熱い。目の奥が熱い。
もし僕を動かすエンジンがあるとするなら、それは今、まさに燃え尽きかけているんだろう。
「自殺行為じゃな。自ら薄命を散らすとは」

もう一人の博士の声が聞こえた。

――だから、どうした。

僕は駆ける。
五体のミュウスリーが繰り出してくる多角的な攻撃を躱し、
一部を体に受け、転倒し、その度に受け身をとりながら、セキエイのコンピュータを目指す。
僕が彼らに勝っているもの、それは速度だ。
完全なミュウツーなら、"サイコキネシス"でその優位を無にすることができた。
だが、不完全なミュウスリーは身体能力や単純なPK能力でしか戦うことができない。

「ピカチュウ、走れ!」

時折僕のすぐ傍を、三匹の援護射撃が走り抜けていく。
そこでもう一人のオーキド博士は、僕たちの目的がミュウスリーの破壊でないことに気付いたようだった。

「この愚か者めが! 止めろ、早くあのピカチュウを止めるんじゃ!」

だが、遅い。
ミュウスリーが博士の命令に反応したとき、僕は既に巨大なコンピュータを駆け上り終えていた。
遠雷の音が聞こえた。
破壊する以上は、徹底的に。
修復の余地を残してはならない。
この技を使うのはいつ以来だろう。
電気系最強の技――"雷"。
気象の力を借りるが故に、命中率の悪さは折り紙付きだが、その問題は僕自身が避雷針となることで解決できる。
五体のミュースリーはコンピュータを傷つけるのを恐れているのか、僕の周囲を旋回して好機を窺っていた。

『君の体の絶縁体は、もうボロボロや』

マサキの忠告が脳裡を過ぎった。
きっと、僕の体は"雷"の負荷に耐えきれない。
でも、僕は意義の無い死より、意義の有る死を選びたかった。
さあ、サトシ。あの厚い天井に、"雷"の通り道を開けてくれ――。
眼下に、背中の大輪を開いたフシギバナと、
二門のキャノンの照準を定めたカメックスと、
最大限に火炎袋を膨らませたリザードンが見えた。
僕は彼らが持つ最強の技が放たれる時を待った。
しかし、運命はあまりに無情だった。

「お前たちの思い通りにはいかん!」

気配を察知したミュウスリーが、三匹に光弾を連射する。
相殺しなければ、サトシとヒナタが死んでしまう。彼らの判断は正しかった。
そしてそれは同時に、僕の"雷"が無駄に終わってしまうことを意味していた。

「ピカチュウ!」

ヒナタ?
サトシの影から現れたヒナタの足許には、この壮絶なフィールドに似合わない、妖精ポケモンが寄り添っていた。
彼女は僕が知る唯一の、"奇跡"を起こすことができるポケモンだった。
そしてヒナタの行動は、これから僕が何をしようとしているのか、きちんと理解していることを示していた。
ヒナタはサトシの能力を受け継いでいる。僕は、そんな単純なことさえ忘れていた。

「あたしがなんとかするから……、ピカチュウは、そのまま雷を呼び寄せてっ!」

頷く。ヒナタはピッピに何かを囁いた。
僕は唇の動きで、彼女の言葉の意味を知った。
――"指を振る"攻撃。
ピッピの小さな指が、左右に揺れはじめる。
ミュウスリーの熾烈な攻撃が、じりじりと三匹の防御を押していくのが見える。
これが最初で最後のチャンスだ。
誰かは僕を笑うかもしれない。
ピッピの"指を振る"に全てを賭けて、死が前提の"雷"を発動することなど馬鹿げていると。
けれど、僕は彼女を信じていた。彼女は偶然を必然にする。奇跡を運命に変えられる。

「ぴぃっ」

指が止まった。瞬間、ピッピの正面に光の粒子が集まり、一条の"破壊光線"が空を走った。
それは一匹のミュウスリーの胸を貫き、その先にある天井に穿孔を開けた。
ありがとう、ピッピ。
僅かに覗いた空には、予想通り、蒼鉛色の暗雲が立ちこめていた。体を濡らす雨が心地よい。

「ピカチュウっ……あたし、ピカチュウと一緒に冒険できて、幸せだった!」

どこか遠くで、ヒナタの声が聞こえる。

「あたし、ピカチュウのこと、絶対に忘れないっ……!
 だから……だから、お願い、ピカチュウっ! "雷"を落としてっ!!」

雲の合間に紫電が蠢く。
僕は目を瞑った。眼窩を走馬燈が流れていく。
サトシに出会ったこと。
――そう、全てはあの時から始まったんだ。
タケシやカスミが仲間になったこと。
――彼らがいたから、僕たちは冒険を続けることができた。
ロケット団をあしらううちに、腐れ縁になったこと。
――いつのまにか、襲撃がないと寂しく思うようになっていた。
ジムリーダーや四天王のポケモンと戦ったこと。
――僕は今でも全ての戦いを、鮮明に思い出すことができる。
ポケモンリーグを制覇したときのこと。
――あの時のサトシの喜びようは凄かったっけ。
カスミと共にマサラタウンに置いて行かれたこと。
――あの日の僕は彼女を慰めるので精一杯だった。
ヒナタが生まれたときのこと。
――赤ちゃんの彼女は玉のように可愛らしかった。
カスミとともにヒナタの成長を見守ったこと。
――本当に幸せで、穏やかな十六年間だった。
成長したヒナタと一緒に、再びマサラタウンを旅立ったこと。
――久々の外界は、年相応の変化を遂げていた。
カエデやタイチという仲間がヒナタに出来たこと。
――ヒナタを大切に思うあまり、保護者精神を発揮してしまった場面もあった。
発電所でシステムに拐かされたこと。
――まさかその後でマサキと再会するとは思わなかった。
ロケット団の三人組に救われたこと。
――腐れ縁の大切さを思い知った。
サカキの命に従いシルフカンパニーに赴いたこと。
――ヒナタとの再会は悲しいものだった。
マサキに余命の限界を宣告されたこと。
――あの時安楽死を選んでいたら、今の僕はいない。
エリカ邸にて、ヒナタと本当の意味で再会を果たしたこと。
――彼女の心はサトシの虚言で不安定になっていた。
周囲の支えによってヒナタが立ち直れたこと。
――お父さんに会いたい、その気持ちがもう一度彼女を動かす力になった。
ポケモンバトルの末、ヒナタとアヤが和解できたこと。
――彼女たちなら、この先、親密になることは難しくないはずだ。
ヒナタとサトシが十六年の月日を経て、父娘の関係を取り戻したこと。
――もう誰にも、二人の繋がりを断つことはできないだろう。
そして今、僕は、ヒナタとサトシが生き別れることになった元凶と対峙している。

さあ、そろそろ終わりにしよう。

降り注ぐ閃光が瞼を透かして、走馬燈を白で塗り潰していく。
"雷"は僕の体を貫き、同時にセキエイのコンピュータを完全に破壊するだろう。
ミュウスリーの制御も失われるはずだ。
それを確認できないのが心残りだが……、あとはサトシに任せるとしよう。
白い光が眼窩を埋め尽くす。
消えゆく意識の中、僕は思った。
いつか、輝かしい過去を切り取って、昔はよかった、と懐古したのは、とても寂しいことだった。
僕の生涯は、生を受けたその時から、死の間際にいるこの時まで、みんなあわせてひとつの宝物だったんだから。