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階段を上り、無人のチャンピオンの間に辿り着く。
僕は再び"フラッシュ"を焚いた。痛みはない。
マサキに念入りに麻酔処理を施された上に、移動中、シゲルに追加で投与された薬が効いているのだろう。
タマムシシティを出発する一時間ほど前、僕はマサキ立ち会いのもと、シゲルに僕の体の真実を告げた。
彼はそれを受け止め、マサキの代わりに移動中の麻酔投与を担当することを承諾してくれた。
僕がヒナタが乗ったエアームドではなく、シゲルが乗ったカイリューに乗った理由はそこにある。

「いよいよだね、ピカチュウ」

淡い光に照らされた主を見上げる。
ジムリーダーと四天王が互いに戦力を消耗しあい、
最後に残された鍵たるヒナタはアヤを超えて、
セキエイの最奥地、殿堂入りの間に赴こうとしている。
そこにサトシと管理者がいることは間違いない。
運命ともいうべき無謬の力が、ヒナタを導いているような気がした。
低い唸り声にも似た音を響かせて、最後のゲートが開いていく。
僕はその先に僕は黒いスーツを着た男と、巨大な機械装置、そして車椅子に乗った老人の姿を見た。
空間は黄昏時の斜陽のような寂しい光で満ちていた。
照明器具の類はどこにもなく、まるで空間そのものが発光しているようだった。
「お父さんっ……!」

ヒナタが駆ける。

「そこで止まれ」

すぐさま男の冷たい声が、展翅台に蝶を射止めるかのように、ヒナタをその場に釘付けにした。
白髪交じりの銀髪。精悍な孤影。光彩を欠いた双眸。
サトシは一度の動作で三つのボールを展開した。
火炎ポケモン、リザードン。種子ポケモン、フシギバナ。甲羅ポケモン、カメックス。
懐かしい面々だった。

「ここは聖蹟だ。お前のような資格も持たないトレーナーが踏み入れて良い場所ではない」

ヒナタは思いの丈を叩きつけるように叫ぶ。

「あたし、お父さんとお話がしたいだけなの!」
「言っただろう。俺はお前に、父呼ばわりされるような筋合いはない」

酷薄な宣告。しかしヒナタは一歩も後に退かない。

「どんなにお父さんがあたしを認めてくれなくても、
 あたしにとってのお父さんは、お父さんだけなのっ!」

絶句するサトシ。
僕は心の中で語りかける。
サトシ、あなたの娘は強くなった。
欺瞞に満ちた台詞にはびくとも動じないほどにね。
あなたが本気で娘を拒絶したいのなら、それ相応の感情を込めることだ。
無論、それが出来ればの話だが。

「お父さんがあたしやお母さんを捨てたことは、もういいの。忘れるの!」

それはサトシにとって、究極の赦免に違いなかった。

「……やめろ」
「あたし、もっとお父さんのことが知りたい。
 お父さんがどんなにあたしのことを嫌っても、あたしはお父さんのことを信じてるから」
「やめろ!」

サトシの激昂に呼応するかのように、フシギバナの"蔓の鞭"がヒナタに迫る。
体は無意識に反応していた。一刹那遅れて、中程で切断された蔓が傍らに落ちる。
サトシ、たとえあなたが相手であろうと、ヒナタを傷つける者はこの僕が許さない。
サトシの瞳に、驚きと哀れみの光が宿る。

「ピカチュウ、お前……まだ……」
「ピカピ」

それ以上は禁句だよ。
僕はヒナタのためにここに来た。ヒナタの望みを叶えるために彼女に同行した。
身の振り方は自分で決める。
僕はゆっくりと四肢で地面を捉えた。
「ピカチュウ?」

心配そうに僕を見つめる主の目には、
居並ぶサトシのポケモンに対して、あまりに矮小な電気ねずみが映り込んでいた。

「ピィ、カァ、チュッ」

安心して、ヒナタ。
僕は君のお父さんを取り囲む殻を壊しに行くだけだ。
それは僕にしかできないことなんだ。
確かにヒナタは強くなった。マサラタウンを出た頃とは比べものにならないほどにね。
けど、今のヒナタがサトシに挑むのは、月に手を伸ばすのと同じくらいに無謀なことなんだよ。
ポケモンの練度も、トレーナーとしての経験も、感覚共有の扱い方も、君とサトシには天と地ほどの懸隔がある。
サトシは感情を削り取った声で言った。

「せめて、安らかに眠ってくれ」

弔いの言葉はまだ早い。
リザードン、フシギバナ、カメックスの三体が滑らかな挙止で陣を完成させる。
それを傍目に目を瞑った。
禁忌を破ることに畏れはなかった。
一次解放。
自制心を忘却し、思考回路を切り替える。
光速を越える速度は存在しない。
僕を中心に放射された紫電が、そのまま僕の"感覚器"となる。
その空間を侵した物体は遍く僕の意識下におかれる。
感覚強化に付随して電光石火のリミッターも解除される。
超高速戦闘において第一に恐れなければならないのは自滅。
障害物との衝突。直線的な軌道を読まれてのカウンター。
認識が追いついていなければ、いくら身が軽かろうと意味がない。
解放による感覚強化はその問題を解決してくれる。
僕は本当の意味での疾さを手に入れる。

「ピィッ」

目に映る景色が止まって見える。
耳は一刹那古い遅い音を聞いている。
誰も僕に追いつけない。圧倒的な疾走感に酔い、優越感に耽溺する。
二次解放。
無意識的に蓄電し意識的に放電する。
その思考を反転させて――。
意識的に蓄電し無意識的に放電する。
念頭におくのは慢性的な不足感。
そうするだけで無尽蔵にも思える電気が頬袋に蓄積されていく。
後はそれを心ゆくまで浪費すればいい。
そう、たとえ電撃を放つ相手が、かつて志を共にした旧知のポケモンだとしても。
"葉っぱカッター"の雨が降り注ぐ。まるで槍衾だ。
それらを最小限の動作で躱し切り、サイドステップ、ウォータージェットに匹敵する威力で迫る"ハイドロポンプ"の掃射を跳躍する。
目前に迫るは翼竜の爪。"アイアンテール"を発動する。
一撃、二撃、三撃。空中での攻防。
その合間に見えた"火炎放射"の予備動作を僕は見逃さない。
身を仰け反らせたところに"電磁波"を照射、硬直した彼の頭を踏み台に、カメックスへと肉薄する。
彼我の距離は十メートルといったところ。
"ハイドロポンプ"の乱射を躱しながら、背後から無数に迫る"葉っぱカッター"を必要な分だけ電撃で相殺する。
充填――完了。

「ピィ~~カァ~~チュウ~~~ッ!!!」

激しい目眩に襲われる。
蹌踉めく体を奮い立たせ、飛来する"寄生木の種"を弾き飛ばす。
"十万ボルト"の手応えはあった。これで一匹。
小さな庭を造る勢いで成長する"寄生木の種"を見遣り、
"電光石火"を発動、音も無く僕の周りを囲みはじめていた粉塵を突破する。
"眠り粉"か"痺れ粉"かどうかはどうでもいい。
激しい爆音が鼓膜を叩いた。
フシギバナとリザードンのタッグが得意とする粉塵爆発。忘れようもない。
翼竜の羽音が頭上に迫る。僕はフシギバナのほうへ駆けた。
背中の大輪が開く。"電光石火"。僕のすぐ右脇を量子砲が通り抜けていく。
最早僕たちには、特定の技におけるチャージの概念がない。
幾本もの"蔓の鞭"を躱した先に、フシギバナの巨体がある。
最大出力で"フラッシュ"。
一時の目眩ましが最大の好機となる。
僕は行き場を失った"蔓の鞭"を手繰り寄せ、渾身の力で引っ張った。
横倒しになるフシギバナ。これで二匹。
距離を取る。今まで草タイプのフシギバナを意識して炎を控えていたらしいリザードンが、吹っ切れたように火球を連射する。
一つ一つが即死級。その間隙を縫って"電光石火"を二重掛けし、跳躍。
炎の嵐を突破してリザードンの首にしがみつく。

「ピ……」

もうお終いにしよう、リザードン。
弱点となる部位に電撃を流し込む。
リザードンの目が焦点を失う。失速。反転。
墜落する直前に彼の体を離れ、着地する。三匹目。

「ピカピ……」

僕は元主に向き直った。そして同時に、解放していた能力を閉じた。
それが全てを台無しにするとも知らずに。

「今だ」

飛び退く。間に合わないことは分かっていた。
高圧水流が右肩に当たり、血が視界を赤く濡らした。
逃げようとした先には炎の壁。
後退もままならずに、太い蔓によって雁字搦めにされる。彼らは倒されたふりをしていたわけだ。
僕が倒したと錯覚するほどに絶妙の演技で戦線から離脱し、僕が警戒を解いた瞬間、戦線に復帰する。
ああ――なぜきちんとそれぞれにとどめを刺しておかなかったんだろう。
後悔して、自嘲する。
いや――たとえ今は袂を分かった者同士でも、かつては共にポケモンリーグを目指した仲間を殺すことなんてできない。
そんな覚悟は持つことができない。傷の痛みはなかった。ただ、熱かった。
きっと蔓が僕の全身を砕く時も、痛みは感じないだろう。

「ピカチュウッ! お願い、逃げてっ!」

誰かの叫びが聞こえる。
ごめんね。薄れ行く意識の中で、僕はその誰かに詫びた。
不意に蔓の縄が解かれて、僕は仰向けに地面に降ろされた。
殺風景な天井が目に映る。三つの重たい足音が聞こえた。
リザードン、フシギバナ、カメックス。
それぞれが幼少期の面影を取り戻した表情で、僕を見下ろしている。

「ピ……カ……?」

何を躊躇っているんだい?
ぽたり。
瞼の上に、一粒の雫が落ちた。
ぽたり、ぽたり。
二粒。三粒。……君たちは、泣いているのか。
「何をやっている?」

サトシの震えた声が響く。

「殺せ。俺の命令が分からないのか」

ほら、君たちの主が怒っているよ。
しかし三匹は頭を垂れて、まるで僕を守るかのように、そこを動こうとしなかった。
三匹の輪が崩れる。リザードンとカメックスを押しのけるようにして、サトシがそこに立っていた。
がちり。
無機質な音と共に、撃鉄が起こされる。
銃身の先には僕がいた。

「ピカピ……」

引き金にかけられた指が戦慄く。

「ピカチュウ……」

衝撃が僕を襲った。
懐かしい声がした。
懐かしい匂いがした。
懐かしい横顔が見えた。
懐かしい息苦しさがあった。
僕は、サトシに抱擁されていた。

「俺は……っ……俺はなんてことを………ごめん、ピカチュウ……ごめん……」

サトシの頬を涙が伝う。気付けば、僕の目頭にも熱いものが滲んでいた。
「俺は……、お前を失うのが怖くて……それで……」
「……ピカチュ」

いいんだ。僕は全て知っている。
なぜ君がバッジを全て集めた頃から圧倒的な戦いを好むようになったのか。
なぜ君が僕をマサラタウンに残して消えたのか。
ヒナタと一緒に冒険するうちに、僕はある一つの仮説を立てたんだ。
たぶん君は僕の体が、電撃の負荷に耐えきれず、自己治癒能力を失いつつあることを、あの時既に知っていた。
だから君は相手への過剰攻撃を承知で、短期決戦を軸に据えた命令を出すようになった。
次第に、僕をポケモンバトルに出さなくなった。
君の淡泊な態度を見て、僕は君が変わってしまったと嘆いていたけれど、それは間違いだった。
君は僕に、ポケモンバトルをする度に僕が寿命をすり減らしていることを、隠そうとしてくれていたんだろう。
君がマサラタウンを去った日、僕は君に捨てられたとばかり思っていた。
しかし実際それは、僕に少しでも長く生きて欲しいという君の思い遣りだった。
電撃を使いさえしなければ、僕は普通のピカチュウと同じように、平穏に生き、安らかに死の眠りにつくことができる。
事実、それから僕はポケモンバトルから離れ、カスミやヒナタと一緒に静かな十六年を過ごすことができた。

「ピカチュウ……俺を……許してくれ……っ……俺は、お前が苦しむのが見たくなかったんだ……」

僕がカントー発電所で捕らえられたのは、きっと、君の指示だったんだろう。
あのままヒナタと冒険を続けていれば、あのまま何も知らずに電撃を使い続けていれば、
遅かれ早かれ、僕には惨い死が待っていた。
強化骨格開発施設でのミュウスリーとの一戦は、せめて僕が苦しまず、戦いの中で一瞬のうちに死ぬことを望んだ、君の采配だった。
気付いた切欠はアヤだった。
彼女は僕の正体を知り、自分のものにしようと画策した。
僕の主であるヒナタに嫉妬し、ある種の執着を抱いていた。
しかしシルフカンパニーで彼女に再会したとき、その執着は消えていた。
おそらく君がアヤに、僕が先の無いポケモンであることを教えたからだ。
つい先刻だって、アヤはヒナタにその真実を告げようとし、結局、口を噤んでいた。
「お父さん、ピカチュウは? ピカチュウは大丈夫なのっ!?」

聞き慣れた足音が近づいてくる。

「ああ。生きてる」

僕はサトシの抱擁から離れて、ヒナタに自分の足で立てるところを見せようとした。
が、肩からの失血が酷いせいか、能力を解放した代償のせいか、足許が覚束ない。
倒れかけたところを、フシギバナの蔓に救われた。
ヒナタの腕が僕を包み込む。

「よかったっ……もうっ……どうしてピカチュウはいっつも………ひくっ……勝手に、行っちゃうのよ……!」
「ピィ……カ……」
泣かないで、ヒナタ。僕のことはいい。
君には僕の介抱よりも大切なことがあるだろう。
ヒナタが、ふと顔を上げる。
サトシはシステムの仮面を剥がし、少年の頃の面影を取り戻していた。
優しい愛情に満ちた瞳が、娘を、ヒナタを見つめていた。

「おとう、さん」
「ヒナタ」
「お父さんっ!」

ヒナタが駆け寄り、サトシが抱き留める。
僕はそれに挟まれる形で、止めどなく涙を流す父娘を見上げた。
幸せだった。僕はきっと、この時、この瞬間の幸福のために生きてきたのだ。
「すまなかった。本当にすまなかった。
 俺は一時もお前のことを忘れたことなんかなかった。
 傍にはいてやれなかったが、ずっとお前と、お前の母さんのことを見守っていた。
 今さらこんなことを言っても、信じてもらえないかもしれないが……」
「ううん。信じる。あたし、お父さんのこと信じる。
 でも、教えて。どうしてお父さんは、あたしたちをマサラタウンに置いて出ていったの。
 システムのせいなの?
 あたしは、お父さんがシステムで働いていても、そんなこと、どうだってよかったのに……ひくっ……うぅ……」
「俺は、お前とお前のお母さんを巻き込みたくなかったんだ。
 お前たちを平凡な幸せから遠ざけたくなかった。
 特にヒナタ、お前には、お前の好きなように人生を歩んで欲しかった」

適格者の遺伝子。
サトシの子供がシステムからどんな扱いを受けるか、また、どのように人生を限定されるか。
それはアヤを見れば明らかだ。
サトシは過去の因縁を断ち切ることで、それを防ごうとした。

「俺は、父親失格だな。お前を突き放そうとするあまり、今までお前に、あんなに酷いことを……」
「いいの。もういいの。お父さんが今こうしてあたしを抱きしめてくれているだけで、全部、忘れられるから」
「許して、くれるのか?」
「うんっ、うんっ……」

ぎゅ、と抱擁に力がこもる。
「ピィッ」

苦しいよ、二人とも。
僕は二人の間から顔を出した。
そして車椅子に乗った老人の素顔を見た。
背筋に悪寒が走り抜けた。幸福の温もりが反転する。
……これは、何の冗談だ?

「情に絆されたようじゃのう、サトシ」
「えっ?」

ヒナタは驚愕の表情で顔を上げた。
無理もない。そこには病床に伏せているはずの"オーキド博士"がいた。
管理者の三文字が脳裡に揺曳する。