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カリンはあたしを安心させるように微笑んだあと、毅然とした口調で、

「できないわ」
「あ、あなたはお父様の配下ですっ。これは重大な命令違反ですっ」
「アヤ、残念だけれど、あたくしにはとある事情でこの子をどうこうする権利がないのよ。
 ある日、一人の小さな女の子がやってきて、四天王の座を一時的に譲って欲しいと言ったの。条件付きでね。
 その子はあたくしの代わりに侵入者と戦って、負けたわ。
 あたくしはただの傍観者。後には四天王が侵入者に敗北したという結果が残るのみよ」
「そんなの、知りません。早く責務を果たすのですっ」
「黙りなさい。我儘は程々にしないと愛想を尽かされるものなのよ。
 アヤ、あなたは自分で、何故この子に負けたか分かっているのかしら?」
「それはっ……それはわたしのポケモンが弱かったからです!
 わたしがもっとレベルの高いポケモンを持っていたら、わたしは、」
「強いポケモン、弱いポケモン。そんなの人の勝手。
 本当に強いトレーナーなら好きなポケモンで勝てる様、頑張るべき。
 あたくしが尊敬している人が言っていた、大好きな言葉。
 アヤ、あなたは『レベル』というあやふやなものを過信しすぎているのよ。
 あなたの能力がそうさせているのかもしれないけど……、
 その固定概念を捨てないかぎり、あなたはいつまでもそのままね」
「うるさい、です……ひぐっ………えぐっ……やだ……こんなの……や、です………お父様が……お父様がとられちゃう……」

アヤがぺたんと尻餅をついて、声を上げて泣きはじめる。
あたしはこれまでの一切の出来事を抜きにして、アヤが可哀想になった。

「アヤ……」
「うるさい、です……話かけないで、ください……。
 あなたに同情されるくらいなら……死んだほうが、まし、ですっ……」

そう言うあいだにも、アヤの瞳からは大粒の涙がぽろぽろ零れてきて――。
ハンカチを出して、拭ってあげる。あたしはそのまま振り返らずに言った。

「少し、ふたりだけにしてもらえますか」
「かまわないわよ」

足音が離れていく。

「ひぐっ……えぐっ……みんな大嫌い、です……どっかにいっちゃえ、です……」
「ねえ、アヤ。あたしはアヤからお父さんをとったりしないわ」
「それでも……、約束は……、約束なんですっ」

勝負に勝ったほうがお父さんの娘で、負けたほうはお父さんと赤の他人。
そんな滅茶苦茶なルールを、アヤは頑なに守ろうとしている。

「バカね」

無意識のうちに、アヤを胸に抱き寄せる。

「ぁ……」
「そんな約束、知らない。誰が誰の娘かなんて、ポケモンバトルで決めることじゃないでしょ」

小さなアヤの体は、濡れた子犬みたいに震えていた。
よほどお父さんが奪われるのが怖かったのね。
あたしには最初から、そんな気なかったのに。

「………お母様」

嗚咽混じりにアヤが呟く。
甘えるように、顔を胸に押しつけてくる。
「お母様?」
「な、なんでもありません!」

ふと我に返ったのか、顔を真っ赤にするアヤ。
流石に、近づきすぎたかしら。
身構える。アヤはあたしを突き飛ばしたりせずに、ふいと顔を背けただけで、体はそのままでいてくれた。
あたしは辛抱強くアヤが話し出してくれるのを待った。

「お父様は、本当はあなたのことしか考えていないんです……お父様だけじゃありません。
 お父様の部下も、みんなみんな、あなたが本当の後継者だと思っているんです。
 わたしは出来損ないだから。失敗作だから……」
「なに、言ってるのよ。アヤが出来損ないなわけないじゃない」
「適格者、という言葉を知っていますか」
「マサキ博士から聞いたわ」
「わたしのお母様も適格者でした。
 どんなにレベルが高いポケモンでも、どんなに獰猛な性格のポケモンでも、
 お母様の前では愛玩ポケモンのように大人しくなるんです」

――適格者でした。
過去形に含みを感じながら、あたしは相槌を打つにとどめた。

「お母様の能力は、わたしに受け継がれました。
 ……でも、でも、お父様の能力はわたしに受け継がれなかったんです」
じんわり、とアヤの瞳がまた潤み始める。

「本当なら、わたしがお母様とお父様の能力を両方受け継いで、
 最強のポケモントレーナーになっていたはずなのに……ひぐっ……えぐっ……」
「アヤは十分強いわ。
 あたしより年下なのに、あたしよりずっと大人っぽいし」

今は年相応の部分を見せてくれているけどね。
燃えるような赤髪を、そっと撫でる。

「それに、お父さんの能力を受け継いだとか、
 受け継いでいないとか関係なく、アヤはお父さんの娘よ」
「それは……ひくっ……違います。
 わたしはお父様から愛されたことがないんですっ。
 お父様はいつでも遠い目をしていて、目の前にいるわたしを見てくれたことなんか一度も……ふぇ」

もう一度アヤを抱きしめる。

「そんなこと、言っちゃダメ」

アヤがお父さんと過ごした年月の重みは、絶対に軽いものじゃない。

「変、です」

アヤがぽつりと言った。

「わたしとあなたは憎み合って然るべきなんです。
 敵同士なんです。それなのに……こうしていると、安心します」
「言ったでしょ、あたしはアヤのことが嫌いじゃないって」
「わたしはあなたのことが……あんまり、嫌いじゃないです」

はにかんで、すぐに顔をあたしの胸に埋めるアヤ。
初めて血の繋がりを意識する。
お母さんは別人でも、この子はあたしの、義理の妹にあたるのよね……。
それからあたしは言葉を選んで、ゆっくり、ゲンガーのことについて説明した。
キュウコンを辱めたことを謝った。

「もういい、です。わたしもあなたにたくさん酷いことをしました。
 だから、それで特別におあいこにしてあげます」
「あたし、アヤには一生許してもらえなくても仕方ないって思ってた。
 ほんとにありがとう……ごめんね」
「な、何度も同じことを言わせないでください」

アヤが立ち上がる。
あたしは何気なくアヤのドレスについた汚れを払いながら、

「アヤは、いつもこのドレスね」

ずっと疑問になっていたことを口にした。
それがいけなかった。アヤはふっと表情を暗くして、

「これは、お母様の形見です。
 お母様が一番お気に入りだったドレスを、わたしの大きさに仕立て直してもらったんです」
「アヤ………」
「気にしないでください。
 お母様の死は、ある意味必然だったんです。
 適格者の能力はある日、突然失われます。
 お母様はいつものようにヘルガーに餌を与えようとして、錯乱したヘルガーに殺された。
 わたしはそう聞いています。その時、わたしはまだ赤ちゃんでした」

――そのヘルガーって、まさか。
あたしの思惑を察したように、アヤが頷く。
表情には大人びた諦観の色が浮かんでいた。

「さっき、あなたと戦わせたヘルガーが、わたしのお母様を殺したヘルガーです。
 だからわたしが歳をとって、ポケモンを従えられる能力が失われれば、きっと、わたしもお母様と同じ末路を辿ります」
「……どうしてアヤはヘルガーを傍においているの?」
「お父様が言ったんです。
 このヘルガーは特別だって。このヘルガーを扱えるのは、お前しかいない、って。
 それを聞いて、わたしは嬉しかったんです。
 ヘルガーを従えることで、お父様に認められたような気がして……」

どう言葉を紡げばいいのか分からない。
アヤの境遇を嘆くことも、同情することも、慰めることも、どれも間違っている気がした。
突然、アヤはくるりと背を向けて、

「行ってください。お父様はこの先にいます」
「通してくれるの?」
「わたしはカリンの代理です。
 わたしが負けたということは、あなたがこの先に進めるということです」
「アヤ………ありがとう」

階段に向かって数歩進んで、振り返る。

「あたし、アヤともっと仲良くなれると思うの。アヤは、もうあたしと会うのは嫌……?」
「……嫌じゃない、です」

俯くアヤ。踵を返しかけて、

「あの、待って下さい」
「どうしたの?」
「いえ、」

言い淀んだアヤの視線の先には、首を傾げたピカチュウがいた。

「なんでもない、です」
「そう」

腑に落ちない感触を振り払って、今度こそ先に進むことにする。
階段に一歩、足をかける。
観戦していたときと同じ姿勢で、あたしとアヤの話が終わるのを待っていたカリンが言った。

「あなた、ポケモンを殺したことがないんですってね」
「はい」
「誓いでもたてているの?」
「あたしはただ、ポケモンが死んだり、そのポケモンのトレーナーが悲しむのが嫌なんです」

ふうん、とカリンが妖しげに笑う。

「あたくし、色んな適格者を知っているけど、あなたほど無垢な子はそういないわよ」
「……そうですか」
「勘違いしないでね。別に貶しているわけじゃないのよ。
 けど、ポケモントレーナーとして成長し続ける限り、
 いつかあなたにもポケモンの生殺与奪に向き合わなくちゃならない時が来るわ。
 それは避けては通れぬ道よ。女が処女を切らずに大人になれないようにね」
「あたしの考えが甘いことは分かっているつもりです。
 でも、あたしは不器用だから、自分に嘘がつけないんです。
 あたしはポケモンを――それがたとえ敵のポケモンでも、死なせたくない」

くすっ。カリンは妖しく笑って、

「あなたのこと、好きよ」
「す、好きって……」

誤解を招くような言葉に、どきりとする。

「あなたが矛盾を抱えたままどんな風に成長するのか、とても楽しみだわ」

カリンはうっとりと目を瞑って言った。

「いつか、正式な挑戦者としてここにやってきてね。あたくしはここで待っているから」