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通路を抜けると、そこは草原だった。

「キョウの間だな」

草いきれを胸いっぱいに吸い込む。
冬なのに春の薫りがした。
足許に目を凝らせば蟻の行列があって、名前の知らない青い花には紋白蝶が止まっていた。

「ここだけ季節が違うね、ピカチュウ」
「チャー」

ピカチュウはあたしの肩から降りて、嬉しそうに耳をぱたぱたと動かした。
けど、穏やかな時間は一分と続かなかった。

「来たか。カンナもシバもつくづく無能だな」

金色の髪と金色の瞳。
ポケモントレーナーの中では、恐らくあたしのお父さんの次に知名度が高い人物がこちらに歩いてくる。

「チャンピオン様がこんなところで何してる?」

元四天王にして現チャンピオン、ドラゴンタイプの使い手、ワタルがそこにいた。

「調子づいた侵入者を始末してやろうと思ってね」
「穏やかじゃないな。それで侵入者ってのはどこにいるんだ?」

ワタルはシゲルおじさまの言葉には触れずに、あたしたちの五十メートル程先で足を止めて、

「俺は寛大だ。後退する選択肢は与えてやろうと思う。俺は今から一歩もここを動かない」
「つまり?」
「大人しく下がれ、ということだ。
 貴様等はこちら側のゲートに触れることはおろか、俺を超えることすらできないのだから」
「言ったな? 後でデカい口叩いたこと後悔することになるぜ」

ワタルは不敵な笑みを浮かべて、

「同じ相手から二度味わう敗北ほど、屈辱的なものは無いぞ。
 シゲル、貴様ならこの言葉の意味がよく分かるだろう」
「俺があの時のままだと思うなよ」
「こちらの台詞だ。時間は人とポケモンに平等に与えられていることを忘れるな」

同時に閃光。
シゲルおじさまの隣にガルーラが、ワタルの隣にカイリューが現れる。
あたしはワタルのカイリューが、これまでに見てきたドラゴンタイプのポケモンとは格が違っていることを、肌で感じ取った。
カエデのハクリューのように好戦的で反抗的でもなければ、
サカキのカイリューのように戦いに消極的でもない。
与えられた命令は完全に、完璧に実行する。そんな風格を漂わせていた。

「お前もシステムに心酔してるおめでたい奴らの一人なのか?」
「熟慮が欠けているな、シゲル。物事はそう単純ではない。俺は全てを知った上でここにいる」
「その人を上から見下すような物言いは治ってねえみたいだな。
 確かにお前の言う通り、俺たちの持っている情報は限られている。
 だが、つい今し方いいことを聞いたぜ。お前が"全て"を知ってるなら、お前を倒して、そいつを引きずり出す。行け、ガルーラ!」
「俺を倒す? フッ、世迷い言を。迎え撃て、カイリュー」

駆けるガルーラ。翼を動かして僅かに浮翌遊するカイリュー。
先に技を発動したのはカイリューだった。
口元の空気が揺らめいたように見えた瞬間、青い炎が吐き出され、草原を焼き払いながらガルーラに迫る。
カエデのハクリューの"龍の怒り"とは攻撃範囲が桁違いだった。

「"冷凍パンチ"」

ガルーラが両の拳を胸の前でぶつけ、地面を殴りつける。
するとガルーラを中心に草原が凍てつき、青い炎の延焼が止まった。

「やるじゃないか。"竜巻"」

カイリューが空に舞い上がり、大きなモーションで羽ばたき始める。
無風だった草原に小さな風の流れが生まれる。
やがてそれは渦を巻いて、局地的な竜巻になった。
青い炎を帯びた枝や葉が舞い上がって、猛烈な風と一緒になってガルーラを襲う。
竜巻の中でガルーラが、袋から顔を出そうとする子供を守るように蹲っているのが見えた。

「"高速移動"から"叩きつけ"ろ」

空を飛んでいたカイリューが方向を変えて、竜巻の中に飛び込んでいく。
回転して遠心力が乗った尻尾が叩きつけられる寸前、

「待ってたぜ、ワタル」

ガルーラは尻尾を捕まえて、勢いを利用して地面に叩きつけた。
そのままカイリューに馬乗りになって、膝で翼を押さえつける。

「"連続パンチ"だ」

そこからは一方的な展開だった。
一発、三発、七発、十五発。
小刻みなパンチが正確にカイリューの体を打ち抜き、仕上げに"ピヨピヨパンチ "が顎に叩き込まれる。
シゲルおじさまの勝ちだわ――あたしがそう確信した、その時だった。

「もう終わりかい?」
「躱せ!」

ガルーラが飛び退く。直後、ガルーラの頭があった空間を貫くように光の円柱が生まれる。
光が収束した時、遙か高くにある天井には、綺麗に縁取られた穿孔ができていた。
爆発も、余波も、発射に伴う音さえなかった。純粋な破壊のための光線だった。
「今のが"破壊光線"だってのか……?」

タイチが呟く。

「ドラゴンは強靱で打たれ強い生き物だ。小手先の攻撃は通じない」

カイリューが体の調子を確かめるように翼を動かし、腕を回す。
混乱した様子はなかった。

「そんな……確かにピヨピヨパンチが直撃していたのに……」
「多分、"神秘の護り"のせいだ」

タイチがベルトに手をかける。
シゲルおじさまは振り返りもせずに言った。

「馬鹿なことは考えるな。
 こいつはお前が加勢してどうこうできるような相手じゃない。
 タイチ、お前はエアームドを出せ。ヒナタ、聞こえてるか?」
「は、はいっ」
「タイチと一緒に次の間に行くんだ。俺はワタルを倒してから追いつく」
「でも、あたしとタイチの二人だけじゃ……」
「ピカチュウを忘れたのか?」

はっとした。ピカチュウはあたしの肩の上で小さく頷いた。
この子は過去にお父さんと一緒に、当時の四天王とチャンピオンを倒している。
本気を出せば凶悪ポケモンギャラドスを殺すことだって――。
ピカチュウに頼りたい気持ちと、そうすれば何かが変わってしまうような気持ちがぶつかりあう。
タイチが召喚したエアームドを見て、ワタルはさも可笑しそうに笑った。
閃光。現れたのは化石ポケモン、プテラだった。
「空はドラゴンの独壇場だ。墜落死が嫌なら地に這いつくばっていろ」
「あまり俺の息子をナメるなよ。……俺はカイリューの相手で忙しい。タイチ、一人で突破できるか?」
「……たかがプテラだろ。やってやるさ。乗れ、ヒナタ」

エアームドに乗り込む。
タイチの腰に腕を回すと、幽かに震えているのが分かった。

「怖いの?」
「はは、体は正直だ」
「あたしは怖くない。タイチを信じてる」
「ありがとな。お前がそう言ってくれるだけで勇気が出てくる」

腕に伝わる震えが止まった。

「行くぜ、しっかり掴まってろよ」

空に上がると、カイリューとガルーラの戦いがよく見えた。
カイリューが放つ電撃を電気を纏った右手で相殺し、
青い炎の嵐を橙の火を纏った左手で払いながら、ガルーラがワタルに肉薄する。
低空を飛んでいたカイリューが、それを阻むように立ちはだかる。
ガルーラのメガトンパンチが炸裂し、メガトンキックの準備動作に入ったところで、
間髪入れずカイリューが尻尾で軸足を薙ぎ払い、体勢を崩したガルーラを翼で打って吹き飛ばす。
壮絶な戦いが繰り広げられている地上と違って、空はとても静かだった。
プテラは天井近くの高さからこちらを見下ろろしたまま微動だにしない。
けど、それはあたしたちが不可侵領域に入るまでの話だった。

「来やがった」

翼をたたんだプテラが、重力に従うようにして垂直降下する。
あたしたちと同じ高さになったところで再び翼を広げ、一直線に向かってくる。早い。

「くっ、"鋼の翼"!」

交差した瞬間に甲高い音が響き、エアームドが体勢を崩す。
見れば、"鋼の翼"で物理防御力が上がっていたにも関わらず、プテラの一撃はエアームドの翼に深い傷を負わせていた。

「背後をとられたら終わりだ」

タイチはゲートを前にやむなくエアームドを旋回させる。
プテラも旋回していたようで、再び正面から向かい合う形になる。

「"エアカッター"」

エアームドが大きく羽ばたいて、全弾の命中率を無視した変則的な風の刃を放つ。
プテラはそれらを全て躱した上で、速度を落とさずに突進してきた。

「あんなのありかよ! エアームド、もう一度"鋼の翼"を、」
「待ってタイチ、違うわ!」

奇妙な感覚が背筋を走る。

――次にプテラは物理攻撃をフェイントにして、"超音波"を発動する――

単純な予測とは違う、フユツグのフーディンが使った"未来予知"のような予見とも違う、
そう、まるでプテラの意思が頭に流れこんできたかのような――。

「ヒナタ、掴まれっ!」

現実に帰ったとき、あたしの目は上下逆さまの風景を見ていた。
地上が近づく。落ちてるんだ、と気付くのにそう時間はかからなかった。
「目を醒ませ、エアームド!」

地上が近づく。視界の端に無防備なあたしたちを狙うプテラが見える。
落ちるのが先か、プテラに襲われるのが先か。
目を瞑った。
肩に掴まっていたピカチュウの重みが消えた。
プテラの悲鳴が響き渡った。

「いつまで寝てんだっ! 飛べ!」

体が押しつけられるような感覚の後に、視界が水平に戻る。

「やった! よくやったな、エアームド! あれ、でもプテラはどこにいったんだ?」
「ほら、あそこ……」

あたしは羽を切り裂かれて墜落したプテラを指さした。

「ピカチュウが助けてくれたのよ」

ふと肩を見れば、そこには何事もなかったかのように瞬きをするピカチュウがいた。
落下途中にあたしの肩を離れて、接近したプテラを撃退、もう一度あたしの肩に掴まるなんて離れ業を、ピカチュウはやってのけた。
尻尾に残ったプテラの血の痕が、それを証明していた。
ゲートの前に降り立つと、タイチはすぐにバクフーンを出して言った。

「"火炎車"」

一度目で罅が入り、二度目で罅が亀裂になり、三度目で穴が空く。
まさかプテラが敗れるわけがない。そんなワタルの思い込みを突けたのは、そこまでだった。

「ガキの分際でよくも俺のポケモンを……」

破壊光線。
ワタルの命令に、ガルーラに止めをさしかけていたカイリューがすぐさま反応する。
光の粒子が集まっていくのを呆然と眺めながら、あたしもタイチも一歩も動けなかった。
どこに逃げたところで、あの強力無比な"破壊光線"を防いだり躱したりすることができるとは思えない。
こんな時、もっとあたしに経験があれば、あの"破壊光線"を防ぐ術が思いつけたのかしら。
いよいよ体勢を整えたカイリューを見ながら、あたしはそんなことを考えた。眩い白光の束が放たれる。
果たして"破壊光線"はあたしたちを反れ、壁を消滅させながら一番初めに穴を空けた天井に向かった。

「てめえの相手は俺だって言ってんだろ、余所見してんじゃねえよ」

ボロボロのガルーラが立ち上がり、喉に爪を突き立てるようにしてカイリューを仰け反らせていた。

「邪魔をするな。この死に損ないが」

"破壊光線"を放射し終えたカイリューが、ガルーラを掴んで空に飛び上がり、加速をつけて地面に叩きつける。
そこはシゲルおじさまのすぐそばだった。

「親父っ!」
「シゲルおじさまっ!」

砂煙の向こう側から、掠れた声がした。

「俺のことは構うな。タイチ、お前は死ぬ気でヒナタを守れ。
 そんでもってヒナタ、お前は何に代えてもサトシに会うんだ」

砂煙から現れたウィンディが、今にもこちらに飛び立とうとしていたカイリューに飛びかかる。

「サトシは道を踏み外した。それは確かだ。
 だが、お前ならあいつの目を醒ましてやることができる。
 いいか、これはヒナタ、お前にしかできないことなんだ。システムのことは二の次でいい」

絡み合ったカイリューとウィンディから、朱色の何かが散る。
火の粉に見えたそれは、よく見れば血飛沫だった。
「………」

タイチが無言で背を向ける。あたしはその前に回り込んで、

「シゲルおじさまを放っておいてもいいの!? このままじゃシゲルおじさまは、」

葛藤に悶えるタイチの瞳を見て、口を噤んだ。

「俺はヒナタを守るためにここまで着いて来たんだ。
 親父を守るためじゃない。それに……これは、親父が望んだことなんだぜ」
「馬鹿っ!」
「な、なんだと!」
「あたし、そんなの嫌よ。タイチが残らないなら、あたしがここに残ってシゲルおじさまに加勢するわ」
「わけ分かんないこと言うな! お前が残ってどうすんだよ!」
「じゃあタイチが残って!」
「バカなこと言ってんじゃねえ、俺はヒナタと一緒に――むぐっ」

初めてのキスは、無意識だった。
唇を数秒押しつけて離す。
言葉で説明すればたったそれだけのことが、あたしをこんなにも幸福な気持ちにさせてくれる。
この先に進む勇気を与えてくれる。

「ど、どどど、どうしてよりによって今なんだよっ」
「あ、ああ、あたしにも分かんないわよっ」

本当は分かっていた。
タイチはシゲルおじさまを助けたくて、
それなのにあたしを優先しようとしてくれて、
その優しさが嬉しくて、同時に許せなくて――。

「お願い、シゲルおじさまを助けに行ってあげて。あたしにはピカチュウがいるから」

だから、一人でも大丈夫。

「………すぐに追いつくからな」

タイチは俯いて、自分に言い聞かせるように言った。

「親父と速攻でワタルをぶっ潰して、ヒナタに追いつく」
「……うん」

ゲートに空いた穴を通り抜ける。振り返ると、タイチはエアームドに跨って飛び立っていくところだった。

「ピィ、ピカチュ」

ピカチュウが少し先に進んだところであたしを呼んだ。
後ろの間から聞こえる音がだんだん小さくなって、やがて、聞こえるのはあたしとピカチュウの足音だけになる。
夜目が利かないあたしのために、ピカチュウは"フラッシュ"を使ってくれた。

「オツキミ山洞窟を思い出すね、ピカチュウ」

懐かしくて優しい光。
でも、心なしかフラッシュの光量はオツキミ山の時よりも乏しく感じられた。
ピカチュウの小さな後ろ姿に、なぜか、夏の蛍を連想する。