暗闇の中を、シゲルおじさまのウィンディが散らす火の粉を頼りに走り抜ける。
目から血を噴き出したニドクインや、片羽を失ったモルフォン、背中を抉られたサンドパン、
片腕が真っ黒に焼け焦げたエレブー、地面に叩きつけられた衝撃で両足がねじ曲がったゴルバット――。
あの場にいたポケモンは確かな殺意を持っていた。
だからシゲルおじさまも、ウィンディに殺意を持たせた。躊躇させなかった。
分かっているのに肌が粟立った。あたしは震えそうになる足をがむしゃらに動かすことで誤魔化した。

「……っ」

バトルフィールドに一人残ったタケシさんのことを思うと、今すぐタケシさんを助けに戻った方がいいのではないか、という考えに駆られた。
でも、シゲルおじさまにそれを申し出たところで、却下されるに決まっている。
そんな葛藤を募らせていたあたしに、すぐ隣を走っていたタイチは言った。

「ヒナタは、親父さんに会うことだけを考えてりゃいいんだ」
「えっ?」
「さっき俺の親父のウィンディにやられたポケモンのことも、タケシさんのことも、今は忘れろ」
「そんなこと、できないわ」
「ヒナタの優しさは、報われない優しさなんだよ」

最後の一言の意味が分からないまま、通路の先から差し込む純白の光に目を細める。
通路を抜けた瞬間、あたしたちは一面の銀世界に立っていた。あちこちに散らばった氷の塊に触れてみる。

「冷たい・・…」

本物だった。
四天王は自分の得意とするタイプに有利なバトルフィールドを造ることが許されている。
局地的な銀世界は、まさに氷タイプの使い手・カンナにぴったりだった。
あたしが注意深くあたりを見渡していると、カエデが言った。

「さっきみたいな待ち伏せはなさそうね。
 四天王の間に通じるのはこの入口と、次の間に繋がっている反対側の出口だけだから」
「だろうな。多分、システムの上層部は秘密の漏洩を最小限に抑えたがってる。
 だからシステムの精鋭やマチスも、セキエイの奥から離れたあんなところで待機させられてたんだ」

脳裡に、楽観的な希望が過ぎる。
四天王の間に入った時に考えられる可能性は、全部で三つ。
一つ、四天王が不在。二つ、システム寄りの四天王の妨害。三つ、反システムの四天王の援助、または見遁し。
現四天王のキョウさんがこちら側にいる以上、セキエイにいる四天王は最大でも三人。
その全員が反システム派という奇跡は起こりえなくとも、逆に、全員がシステムに協力的であることも有り得ない――。
用心しなければ足が滑りそうになる氷の上を慎重に進んでいく。攻撃は突然だった。

「ポケモンリーグへようこそ」

冷たい声と、それを掻き消すほどの轟音が鼓膜を打った。
それは丁度、シルフカンパニーで聞いた拳銃が暴発する音を、何重にも重ねたような音だった。

「ッ!」

直感的にピカチュウを抱いて伏せる。
耳が聞こえるようになって顔を上げた時、目の前にはアヤメおばさまと、殻の右半分を酷く損壊したパルシェンの背中があった。
辺りには大きな釘のようなものが広範囲に、無数に散らばっていた。
もしパルシェンがその身を盾にしてくれなかったら……想像して、ぞっとする。

「あらあら、頑丈なパルシェンを持ってるのね」

大きな氷塊の影から姿を見せた、ラプラスを従えた女の人は、
赤みがかった髪を後ろで結わえて、細いフレームの眼鏡をかけ、知的な雰囲気を漂わせていた。
アヤメおばさまは傷ついたパルシェンをボールに戻しながら、憎々しげに言った。

「お褒めの言葉ありがとう。歓待、痛み入るわ」
「気に入ってもらえたようで何よりだわ! 手荒な真似を許して頂戴ね、アヤメ。
 招かれざるトレーナーの相手をするのはこれが初めてなものだから」
「警告なしで"棘キャノン"の掃射はやり過ぎなんじゃねえかと思うがな。そんなに俺たちをこの奥に進ませたくないのか?」
「シゲルくんもお久しぶりね。けど、ブラフをかけたって無駄よ。
 ここは特別な領域。息子とそのお友達を連れて、行楽気分でやってきてもらっても困るのよ」
「お主は何故、システムに荷担するのでござる? お主に四天王の誇りはないのでござるか?」

キョウさんの質問に、カンナはくすっと妖艶な笑みを浮かべて、

「馬鹿な質問ね、キョウ。今のあなた、とっても滑稽よ。
 四天王に選出されるトレーナーは元々システムに属しているのが通例なのよ。
 ある日突然、あの老婆が行方不明になって、一時的に後釜に据えられたのがあなた。
 ジムリーダーとしてのキャリアが長いあなたを差し置いて、
 システムに忠誠を誓っている上位ランカーの坊やを抜擢するのも不自然でしょ?」
「なるほど……つまり拙者以外の四天王はシステムの傀儡ということでござるか。
 ポケモンの最高機関も地に落ちたでござるな」
「何を期待していたのかしら。
 あなたたちが勝手に神聖視していただけで、システムとポケモンリーグの関係は初めからこうだったわ」
「お喋りは終いにしようぜ」

シゲルおじさまが吐き捨てるように言った。

「カンナ。あんたが立ち塞がるなら、俺たちはあんたを倒して先に進むまでだ。
 あんたは頭がいい、奇襲が失敗した時点で勝ち目が無いことは分ってるはずだぜ」
「そうね……確かにあなたの言う通りだわ。いいわよ、通っても」

そう言ってカンナは指を鳴らした。一拍遅れて、重々しい音と共に向かいのゲートが開き始める。

「やけにあっさり通してくれるんだな。何を企んでる?」
「あははっ、何も企んでいないわよ。
 実を言うと、わたしはもうあまり四天王の地位に興味が無いの。
 事実、今期のポケモンリーグが終われば引退するつもりでいるのよ。
 わたしがシステムに身を投じたのは、ただ純粋に、四天王の座に就きたかったから。
 システムの高尚な考えや、セキエイを守ることなんてどうだって良かった。
 システムに忠義を尽くして、いたずらに自分のポケモンを傷つけるなんてまっぴら御免なのよ。
 ……けど、こうしてあなたたちと対峙しているからには、形だけでも責務を果たさなくちゃいけないわね」

そこでカンナはアヤメおばさんを指さして、

「気が変わったわ。アヤメ、あなたはここに残りなさい。
 同じ水・氷タイプの使い手として、ポケモンバトルをするのよ。
 それで他の侵入者さんたちは通してあげる。どうかしら?」
「……喜んで受けて立つわ」

全員でカンナにかかる選択肢を選べば、カンナはポケモンが最後の一匹になるまで抵抗して、
その結果、あたしたちは貴重な時間と、限りあるポケモンの体力の浪費を強いられる。
そう考えると、カンナの提案は幸運で、アヤメおばさんが承諾したことは賢明なことなのかもしれなかった。
でも、もし四天王であるカンナと、ジムリーダーであるアヤメおばさんの間に、大きな力の差があるとしたら――。

「ハンデをあげてもいいわよ。アヤメ、もう一人誰か選びなさいな」
「あまりハナダシティジムリーダーをナメないで欲しいわ。わたし一人で十分よ」
「本当にいいのか?」

というシゲルおじさまの問いかけに、アヤメおばさまは頷いて、キングドラを場に出した。
そして、あたし、カエデの順に微笑みかけて、小さく親指を立てて見せた。
それでも、あたしの後ろめたさは拭えなかった。隣では、カエデが幽かに肩を震わせていた。
シゲルおじさまが抑揚のない声で言った。

「行こう」

次の四天王の間に通じるゲートに着くまでの間、ラプラスは微動だにしなかった。
ただ、カンナのすぐ隣を通り過ぎた時、カンナの視線があたし――というよりもあたしの肩に乗ったピカチュウ――に向けられていたのが気になった。
その一瞬だけは、知的で怜悧な色の瞳に、燃えるような敵意と恐怖の色が浮かんでいた。
ピカチュウはカンナには目もくれずに、アヤメおばさんを目に焼き付けるように、じっと見つめていた。
アヤメおばさんを除く全員がゲートをくぐると、再び重々しい音と共にゲートが閉まり始めた。
通路に差し込む純白の光が、だんだん細くなっていく。
あたしと一緒に最後尾を歩いていたカエデがひたりと足を止めたのは、ゲートの隙間が人ひとり通れるかどうかにまで狭まった時のことだった。

「ヒナタ、ごめん」

……遅いわよ。いつ言い出すのかと思ってはらはらしてたんだから。

「あたし、ヒナタのためにここまで着いてきたのに……あたし……やっぱりママのことが心配で……」

あたしは横に首を振った。
「いいのよ。あたしも、誰も、カエデを責めたりしないわ」
「ごめん。本当にごめんっ」
「さあ、早く行って」

あたしの一言で、カエデは弾かれたように踵を返して駆けだした。

「カエデ、何やってんだ!」

制止しかけたタイチの前に立ち塞がる。

「行かせてあげて。アヤメおばさんはカエデにとって、掛け替えのないお母さんなのよ」

カエデが擦り抜けた瞬間、ゲートが完全に閉じたことを示す大きな音がした。
シゲルおじさまが言った。

「……すんだことだ。先に進むぞ」

暗闇でシゲルおじさまの表情は伺えなかった。
再びウィンディの火の粉を灯り代わりに通路を歩いていくと、
今度は赤茶けた地面に巨大な岩がいくつも転がった、二ビシティジムの造りによく似たフィールドに出た。
一番大きな岩の頂上で、上半身裸で、精悍な顔つきをした男の人が、あぐらをかいていた。
格闘タイプの使い手、シバ。写真で何度か見たことがあったけど、実物を見るのはカンナと同じでこれが初めてだった。
シバはまるで普通の階段を降りるように岩肌の突起を足伝いにして、あたしたちと同じ高さまで降りてくると、

「そこで止まれ」
「修行の邪魔をして悪いな、シバ。俺たちはこの先に進みたいだけだ。見遁してくれ」
「四天王の間を通ることが出来るのは、四天王を倒した者だけだ」
「どうしてもそのルールを曲げることはできないのか?」
「諄い。戦うか、退くか。好きな方を選べ」

閃光。格闘ポケモンの代表格、四本の腕を持ったカイリキーが現れる。
一切の無駄がない引き締まった体は、まるで石から切り出した彫刻みたいだった。
「四対一だぜ。結果は見えてる」
「俺は全力を尽くそう」
「面倒なことになっちまったな」

溜息を吐いたシゲルおじさまに、キョウさんが言った。

「拙者がシバの注意を引くでござる……主等は行け」

閃光。
横に長いサーモンピンクの体と、それを上下から挟み込むような白い甲羅、
フォレトスと呼ばれたポケモンは虫タイプとは思えない外観をしていた。

「シバ。お主はシステムに疑いの心を持ったことはないのでござるか?」
「一度もない。俺は過去に、システムに救われた。
 以来、俺はシステムに絶対の忠誠を誓っている。システムに楯突く者は潰す。たとえそれが同じ四天王のお前でもだ」
「暗愚な男よ。システムの本質を知らずに、何が忠誠でござるか」
「御託はいい。言葉で理解できないなら、拳で理解させてやる。
 行け、カイリキー。お前の怪力を思い知らせろ!」

カイリキーの腰に巻かれていたベルトが地面に落ちる。

「マズいな。シバの奴、本気だ」

シゲルおじさまはピジョットを召喚して、跨りながら言った。

「タイチ。お前もエアームドに乗れ。勿論ヒナタも一緒にな」
「あ、ああ」

意味が分からない、というような表情を見せながらも、タイチが言われたとおりにエアームドを召喚する。
どうしてシゲルおじさまは飛行ポケモンに乗るように指示したのかしら?
カイリキーが四つの腕を目一杯振りかざす。
そして四つの拳が同時に地面に打ち下ろされた瞬間、あたしの疑問は氷解した。
カイリキーの拳を起点に地割れが発生して、さっきまであたしたちが立っていた硬い地面がバラバラと崩れていく。
足場が消える寸前にエアームドが飛び立っていなければ、今頃あたしとタイチはあの亀裂の中に飲み込まれていた。
何かの拍子にピカチュウが落ちないように、肩の上から腕の中に移動させる。
「すごい……ポケモンでこんなことができるなんて……!」

タイチが亀裂を見下ろしながら言った。

「思い出した。カイリキーのベルトは、自分の強すぎる力を抑えるためのものなんだ。
 普通のカイリキーがいったんベルトを外せば、体力が無くなるまで暴走するって話を聞いたことがある。
 でも見てみろよ、シバのカイリキーは、ベルトを外した状態でも理性を保ってる。化けモンだぜ」
「そういえば、キョウさんは?」

空にキョウさんの姿は見あたらない。
ピジョットに乗ったシゲルおじさまが言った。

「心配しなくていい。"電磁浮遊"で浮いてる」

見下ろせば、フォレトスは地面が崩れてからも同じ位置に浮遊していた。
キョウさんはその上に立っていて無事だった。
ふと、こちらを見上げていたシバと目があったような気がして、あたしは怖くなって目を逸らした。
「空に逃げたか。だが、ここは通さん」

閃光。
現れたイワークは、タケシさんのイワークには及ばないものの、それでもゲートを塞ぐには十分な大きさの体を持っていた。

「親父、どうする?」
「待て」

シゲルおじさまはじっとフォレトスとカイリキーの戦いを見つめている。
あたしもそれに倣った。シバとキョウさんは、今では互いに離れた岩の頂上から指示を出していた。
シバの戦い方は、一言で表わすなら圧倒的な暴力だった。
カイリキーが地面を剥がして、それをフォレトスに投げつけながら突進する。
フォレトスは飛来する岩石の壁を"ミラーショット "で破壊し、破片を"高速スピン"で払いながら後退する。
やがてつかず離れずだったカイリキーとフォレトスの距離が詰まり、カイリキーが豪腕を打ち下ろす。
フォレトスはそれを"守る"で受けながら、"毒菱"を撒き散らして距離を取った。
同時に、キョウさんが空を見上げた。それが合図だったのかもしれない。

「よし」

シゲルおじさまがピジョットを方向転換させる。

「何が『よし』なんだよ! まさかこれから突っ込むってのか?」
「ああ」
「冗談だろ!?」
「いいかタイチ。俺が合図したら、エアームドに"エアカッター"を撃たせろ」
「"エアカッター"じゃ、あのイワークは動かせないだろ!」
「つべこべ言うな。俺が信じられないのか?」
「ちっ。分かったよ」

口ではそう言いながらも、タイチはきっと誰よりもシゲルおじさまを信頼している。
エアームドとピジョットが、滑らかな曲線を描いて低空飛行に移る。
目前に蜷局を巻いたイワークが迫る。

「しっかり目に焼き付けとけ。フォレトスの"電磁砲"は滅多に見られるもんじゃない」

シゲルおじさまがそう言った直後、一条の光線がエアームドとピジョットの間を駆け抜けた。
「グオォォ」
イワークの体の一部が爆発し、蜷局が崩れて、ゲートの上半分が露出する。"電磁砲 "の威力は絶大だった。

「今だ。ピジョット、"風起こし"」
「エアームド、"エアカッター"だ」

目に見えない風の刃が、"電磁砲"の余波で脆くなっていたゲートを吹き飛ばす。

「このまま突っ切るぞ」

振り返る余裕なんて無かった。超低空飛行でゲートの中を進んでいく。
背後からは猛り狂ったイワークの咆吼が追ってくる。
通路の先に新しい光が見え始めた頃、シゲルおじさまは突然ピジョットから飛び降りた。
一瞬遅れて、タイチが乱暴にエアームドを着地させる。

「親父!?」
「シゲルおじさまっ!?」

二閃。暗闇の中に一瞬、アルパインブルーの人型ポケモンと、岩石を丸く切り取ったような形のポケモンが見えた。

「"捨て身タックル"」

衝撃音が通路に反響する。
シゲルおじさまのポケモンがイワークを受け止めたのだと気付くのに、あたしは数秒の時間を要した。
さらに近づいて、シゲルおじさまの目と鼻の先でイワークを抑えているポケモンがゴローニャであることに気付く。
「ヒナタ、スターミーを出してくれ。"水鉄砲"を撃つんだ」
「で、でも……ここから撃てばゴローニャにも水鉄砲が……」
「早くするんだ。時間がない」

ゴローニャはじりじりと後退しはじめていた。
あたしはスターミーを呼び出して、目を背けながら命令した。

「スターミー、"水鉄砲"を撃って」
「"水鉄砲"だ」

シゲルおじさまが召喚したもう一匹のポケモン、ゴルダックと、
あたしのスターミーの"水鉄砲"が、ゴローニャとイワークを水浸しにする。

「ゴローニャ、すまない。……ゴルダック、"凍える風"」

全てが終わった時、そこにはイワークとゴローニャが閉じ込められた巨大な氷の塊ができていた。

「これで、良かったんですか」
「こうするしかなかった。先の四天王の間に誰かがいて、背後のイワークと挟撃されたら一溜まりもないからな」

シゲルおじさまはピジョットとゴルダックをボールに仕舞って歩き出す。
氷の塊に視線を遣ってから、前を向くと、タイチと目が合った。
あたしが何を考えているのか分かっているくせに、

「いつの間にか三人になっちまったな」

関係のないことを言ってくれる。

「そうね。シゲルおじさまは頼もしいけど、タイチはちょっと心細いわ」
「冗談だと分ってても傷つくんだが」
「………」
「マジで俺じゃ心細いのか?」
「ふふっ、嘘に決まってるじゃない」

意識して口角を上げる。
タイチはあたしに合わせて屈託のない笑顔を浮かべてくれた。

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最終更新:2009年08月11日 23:58