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第二十五章 下」の最新版変更点

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 翌朝。
 僕は久方ぶりに、ヒナタやカエデのポケモンたちと共に穏やかな時間を過ごすことができた。
 淡雪が降り出しそうな寒天の下、マフラーを首に巻かれたワニノコとピッピが追いかけっこしている。
 庭に設えられた人工池では、ヒトデマンから進化したスターミーとパウワウが半身を浸している。
 そして僕の隣では、それなりに立派な体躯のハクリュウが、時折僕をチラ見しながらトレーニングに勤しんでいる。
 僕たちは初対面のはずなのに、なぜ意識されているのか解せなかった。
 
 「ピィ」
 
 吐いた息は白く凍り、立ち上っては消えていく。
 
 「ぴぃっぴぃ~」
 
 ピッピが僕の背中に駆け込んでくる。
 すぐにワニノコがやってきて、僕の顔色を窺いながら、
 
 「がうがう!」
 
 卑怯だぞ、と言いたいのだろう。
 なるほど、背後のピッピは可愛らしい舌をちろちろと見せてワニノコをからかっている。
 ハナダシティのショッピングモールにいた時とは、形勢が少々逆転しているようだ。
 「ピィカー」
 
 ほら、遊んでおいで。
 背中を押し出してやると、ピッピは元気よく駆けだした。
 
 「がうっ!」
 
 ワニノコがすぐさまそのあとを追う。
 逃げて、追いかけて、捕まえて――その終わりのない反復に飽きは来ないようだ。
 微笑ましい光景に目を細めていると、
 
 「ぱうぱうー」
 
 パウワウが僕を呼んだ。
 隣のスターミーも僕に向けてコアを点滅させている。
 お誘いはありがたいが、水、氷タイプ以外のポケモンがこの時期に水浴びするのは自殺行為に等しい。
 
 「チュウ」
 
 遠慮させてもらうよ。
 そう伝えると、パウワウは残念そうに「ぱうー……」と鳴いて、尾ひれでぱしゃぱしゃと水面を撫でた。
 ぴり、と近くの空気が震えた。
 わずかに身を逸らす。間髪いれず、僕の体左半分があったところに、群青色の尻尾が打ち下ろされた。
 見上げれば、爛々と目を光らせたハクリューが、鼻息荒く僕を睨み付けていた。
 
 「ピィカ、ピィカチュ」
 
 危ないな。
 トレーニングをするのは君の勝手だが、
 他のポケモンを巻き込んだり、エリカの綺麗な庭を荒らしたりしてはいけないよ。
 僕の意図が伝わらなかったのだろうか、二撃、三撃と、ハクリューは攻撃をやめない。
 
 「チュ」
 
 僕は窘めるのを諦めた。
 何が気にいらなくて暴れているのか知らないが、若気の至り、というやつだろう。
 雰囲気を察知したらしいワニノコがこちらに駆け寄ってきて、ハクリューの尾にしがみつく。
 
 「がうっ、がうがうっ!」
 
 ハクリューは「邪魔だ」と言わんばかりにワニノコを打ち払った。転がったワニノコに、ピッピが駆け寄る。
 まったく、どうして若いドラゴンタイプのポケモンはこうも驕慢なんだろうね。
 君はドラゴンタイプのポケモン以外は全て矮小で貧弱だと思っているんだろうが、
 いい機会だ、必ずしもそれが正しくないということを教えてあげるよ。
 
 「ウォフッ」
 
 物理攻撃が当たらないことに痺れを切らしたハクリューが、口の端に青い炎をちらつかせる。
 "龍の怒り"、か。
 僕が躱すべく軸足に力を込めた、その時だった。
 
 「ピカチュウー? どこにいるのー?」
 
 縁側から近づくヒナタとカエデの姿を見て、急遽、予定を変更する。
 荒療治になるが仕方がない。
 僕はハクリュウの顔面の真正面に飛び込み、上顎に肘と、下顎に膝を叩き込んだ。
 強制的に閉じられた口の中で、ぼん、と"龍の怒り"が爆発する。
 小さな爆風に煽られ、宙で一回転して着地、波打った毛並みを整えてから、僕は主に駆け寄った。
 二人の位置からは、ちょうど茂みが邪魔をして、ぷすぷすと黒煙を吐いて目を回すハクリューを見ることができない。
 
 「ここでみんなと一緒に遊んでたのね」
 
 ヒナタの微笑からは、昨日まで失われていた瑞々しい活力を感じることができた。
 昨夜は久方ぶりに、ぐっすりと眠ることができたのだろう。
 カエデが胸を張って言った。
 
 「ほら、あたしの言った通り、庭にいたじゃない」
 「勝ち誇ることじゃないでしょ。あのね、ピカチュウ。
  今からちょっと聞きたいことがあるんだけどいい?」
 
 ヒナタの表情に、うっすらと不安の影が落ちる。
 僕は訝しみながらも、
 
 「ピッカァ」
 
 ヒナタの肩に飛び移った。
 いつか、ピッピを虐めていたワニノコの監督を任せたように、
 
 「チュー」
 
 目を醒ましてからも暴れるようなら再教育してあげて欲しい、とスターミーに依頼しておく。
 人工池の片隅で、彼女は眠そうにぴこぴことコアを点滅させた。
 
 部屋に着くと、片目に傷を負った白猫がヒナタの浴衣にくるまって眠っていた。
 
 「あの、ペルシアンさん?」
 
 ヒナタが怖々尋ねる。ニャースは細く目を開けると、偉そうに首を擡げて言った。
 
 「待ちくたびれたニャ。
  大事な要件があると言って呼び出した割には予定時刻を大幅にオーバーしてるのニャ」
 「ごめんなさい」
 
 しゅん、と項垂れるヒナタ。
 僕は過保護であると自覚しつつも、
 
 「ピィカ、チュウ」
 
 責めるならヒナタに見つかりにくい庭にいた僕を責めるんだな。
 あと彼女に敬語を使わせるのはやめろ。
 彼女はポケモンに対する礼儀を忘れたりはしない。
 
 「わ、分かったニャ。ヒナタちゃん、ミャーのことは呼び捨てでいいニャ。あと敬語もやめるニャ」
 「あ、えっと、はい……じゃなくて……分かったわ」
 「でも、ひとつだけお願いがあるんだニャ」
 「?」
 「ヒナタちゃんには、これから何があっても、ミャーのことを"ペルシアン"と呼んでほしいんだニャ。
  間違っても"ニャース"とは呼ばないでほしいのニャ」
 
 ヒナタは困惑した表情で言った。
 
 「え、だってペルシアンはペルシアンでしょ?」
 「ヒナタちゃんはいい子なのニャ~」
 
 ニャースは感涙した。
 その様子から察するに、ニャースを昔から知っている人間のほとんどは、
 彼がペルシアンに進化した今になっても変わらずに「ニャース」という呼称を使っているのだろう。エリカが良い例だ。
 ニャースの嗚咽が収まるのを待ってからヒナタが言った。
 
 「ペルシアンは、どんなポケモンの言葉も分かるのよね?」
 「愚問だニャ。ミャーに分からない言語は古今東西存在しないニャ。
  ミャーにかかれば新種ポケモンの言語も三日とかからずに自分のものにできるのニャ」
 「ピカチュウの言葉も?」
 「無論だニャ」
 
 ヒナタは腰のベルトからボールを外して、僕をちらと一瞥してから尋ねた。
 
 「……ゲンガーの言葉も?」
 「余裕だニャ」
 
 ヒナタが新たに手に入れたハイパーボールと、その中のポケモンについて、
 僕はこれまで存在を知りつつも、特別に意識を払わないようにしてきた。
 ヒナタは意図的に、僕の視界からハイパーボールを(あるいはハイパーボールの中のポケモンの視界から僕を)遠ざけようとしていた。
 今朝にしても、ヒナタとカエデがポケモンを庭に解放したとき、あのハイパーボールだけは展開されなかった。
 
 ヒナタは僕のもとに屈み込んで語り出した。
 
 「あたしね、ピカチュウと離れ離れになった後、シオンタウンに行ったの。
  それでね………」
 
 僕は彼女が辛そうに紡ぎ出す一言一句に耳を傾けた。
 要約すると以下の通りになる。
 ヒナタはシオンタウンのポケモンタワーで、一匹のゲンガーに襲われた。
 それを助けてくれたのは元四天王であるキクコだった。
 キクコはゲンガーがヒナタを襲った理由について、
 ヒナタと近しい人、或いはポケモンに、ゲンガーの核となる霊魂が強い恨みを持っているからだと言い、ゲンガーの記憶を読み取った。
 果たしてそこに刻まれていたのは、ピカチュウに殺されたギャラドスの断末魔だった。
 
 「最初はピカチュウがギャラドスを殺すなんて、有り得ないと思ったわ。
  でも、お父さんのポケモンで、ポケモンリーグにも出場したことがあるピカチュウなら……」
 
 言葉が掠れて、聞き取れなくなる。
 
 「ピィ」
 
 ニャース、翻訳を任せてもいいかな。
 彼の首肯を確認してから、僕は言った。
 
 「チュウ、ピカチュウ」
 
 結論から言おうか。それは事実だ。
 僕はゲンガーの前身となるギャラドスを殺した。
 僕が殺めたギャラドスは一匹だけだから、彼のことはよく記憶している。
 サトシと共に初めて挑んだポケモンリーグの最終戦で、当代チャンピオンの切り札が彼だった。
 
 「………」
 
 ヒナタは悲痛な面持ちでペルシアンの翻訳を聞いていた。
 僕は追憶を続けた。
 
 ――『"雷"だ。止めを刺せ、ピカチュウ』――
 
 酷薄な命令。瀕死のギャラドス。
 己のポケモンを口汚く罵る当代チャンピオン。
 躊躇は無かった。僕はサトシを信じていた。
 轟音と閃光のあとで、ギャラドスは黒煙を燻らせながら崩れ落ちた。
 その記憶をそのままヒナタに伝えれば、
 僕がギャラドスを殺めた原因は、必然的に命令を下したサトシということになる。
 僕はハイパーボールの中にあるポケモンに語りかけた。
 ヒナタに真実を話すにあたって、少し、脚色することを許して欲しい。
 
 「ピィ、ピィカチュ」
 
 僕は、僕の一存で"雷"を落としたんだ。
 本来なら攻撃をやめておくべき状況で、僕は緊張と興奮のあまり、無抵抗のギャラドスを嬲った。
 
 「っ」
 
 ヒナタが唇を噛む。
 これで良かったのだ、と僕は自分を納得させた。
 再びヒナタの心に芽生えた父親を信じる気持ちを、彼女自身の手で摘ませてはいけない。
 
 「ピィ……?」
 
 失望したかい?
 不意にヒナタは僕の両手を取って、激しく横に首を振った。
 
 「違うわ。そうじゃないの。
  キクコおばあさんの話が本当だったことはショックだけど、
  それでピカチュウのことを嫌いになったりなんかしない!」
 
 ヒナタ……。
 その言葉で僕がどれだけ救われるか、君は気付いていないんだろうね。
 
 「あたし、キクコおばあさんと約束したの。
  もしピカチュウに再会したら、その時に、ゲンガーをピカチュウと会わせること。
  ゲンガーの中にいるギャラドスの霊を成仏させるには、それしかないって言われたの」
 
 ヒナタが開閉スイッチに触れる。
 指はかすかに震えていた。
 
 「だいじょうぶ、ピカチュウ?」
 「ピィカ」
 
 僕は頷いて見せた。
 閃光。果たして召喚されたゲンガーは、実に温厚そうな、柔らかい鳴き声を響かせた。
 
 「うー!」
 
 当惑を禁じ得ない。
 ゲンガーからは、僕への恨みや、憎しみといった感情が、一片も感じ取ることができなかった。
 彼の瞳に映っているのはむしろ、初対面のポケモンに対する緊張と、久方ぶりに外に出ることを許された喜びの色だった。
 ヒナタがゲンガーの耳と耳の間を撫でながら言った。
 
 「ゲンガー、もう一人のあなたを呼び出してくれる?」
 「うー……」
 
 瞑目。瞬間、この部屋に満ちていた暖気が冷気に変わった。
 再び開いた瞼の奥から、ルビーの原石のような暗い赤色の瞳が僕を鋭く睨み付ける。
 ……主格をスイッチしたのか。
 僕はニャースに、これからの会話をしばらく翻訳しないよう釘を刺してから、赤い瞳を見つめ返した。
 
 「ピィカ、チュウ」
 
 久しぶりだね。ギャラドス、いや、今はゲンガーと呼んだ方がいいのかな。
 冷たいゲンガーの思念が頭の中に流れ込んでくる。
 
 ――そんなことはどうでもいい――
 
 だろうね。
 さて、君の魂が安らかなものとなるように僕たちはこうして対峙しているわけだが、
 どうすれば君の魂を鎮めることができるんだろう?
 
 ――そうだな――
 
 ゲンガーは口を三日月の形に裂いて笑った。
 
 ――死んでもらおうか。お前は俺を殺した。俺がお前を殺せば、それで命の遣り取りは等価になる――
 
 いいだろう。
 僕がそう答えると、ゲンガーは訝しむように片目を眇めた。
 「ピィカ、ピィカチュー」
 
 僕の死でかつて君を殺した罪を贖えるなら、僕は抵抗せずに命を差しだそう。
 ただ、ひとつ、いや、ふたつ条件がある。
 ひとつめは、数日の猶予。
 君も知ってのとおり、ヒナタはもう一度、父親に会いに行こうとしている。
 そして僕は彼女に同行することになっている。僕を殺すのは、全てが終わってからにして欲しい。
 ふたつめは、ヒナタへの助力。
 彼女の周りには危険が多い。タイチやカエデ、彼らのポケモンが心許ないとは言わないが、
 それでも数多の戦闘経験を引き継いでいる君は、ヒナタの大きな戦力となる。
 僕が死んで君の魂が鎮まったあとで、もし君に少しでもヒナタへの忠心が生まれているなら、
 彼女が十分に強くなったと思うまで、この世に留まり、彼女を支えてあげてはくれないだろうか。
 
 ――くだらねえ――
 
 僕は首を傾げた。
 
 ――初めっから、お前に復讐する気なんかねえよ。そんな気はとうの昔に失せてやがる――
 
 何故だい、と尋ねると、ゲンガーは不愉快さを隠そうともせずに答えた。
 
 ――俺がお前に殺された時、当時の主は俺の遺骸を淡々とポケモンタワーに埋めて、ただの一度も参りにこなかった。
    だが、俺がお前を殺せば、お前の主は一生、お前が死んだ時の悲しみを忘れないだろうからな――
 
 僕の主、じゃない。僕たちの主だよ。
 
 ――黙れ――
 
 ゲンガーは顔を背けて、
 
 ――俺がまだこの体の支配権を握っていたとき、俺は生前強いられていた戦い方を披露して、この子を何度も苦しませた。
    この子がギャラドスの頃に俺を服従させていたクズとは正反対のトレーナーだってことを理解してからは、
    ……その、なんだ、少しは俺の力を貸してやってもいいと思うようになった――
 
 それじゃあ、君はこれからもヒナタのポケモンでいてくれるんだね。
 
 ――消えたくなったら勝手に消えるさ。
    もっとも、今じゃあのヘタレがこの体の支配格だ、消える時にはそいつの許可がいるがな――
 ヘタレというと、ボールから出たばかりの、温厚そうな鳴き声の持ち主の方かい?
 
 ――俺が"うーうー"なんて無様な声を上げると思うか?――
 
 いいや。
 そうか、君が消えるには彼の許可が要るのか。
 いいことを聞いたよ。後で彼に君がずっとヒナタに忠誠を誓うよう頼んでおこう。
 
 ――てめぇ、やっぱりぶっ殺す!――
 
 僕はペルシアンに「和解した」とヒナタに伝えるように頼んだ。
 
 「話し合いは終わったみたいだニャ」
 
 今にも僕に飛びかからんとしていたゲンガーの肩に、ヒナタがそっと手をかける。
 話し合いの雲行きにずっと胸を痛めていたのだろう。
 
 「ピカチュウのこと、許してくれたの?」
 
 元レベル91にして凶悪ポケモンの名を欲しいままにしたギャラドスの霊は、
 ぷるぷる震えながら強張った笑顔を作り、愛らしさの欠片もない声で「うー」と鳴いた。
 
 「……ありがとう」
 
 ヒナタがゲンガーを背後から包み込む。
 それがスイッチになったのか、ゲンガーの瞳から、赤い光が徐々に失われていった。
 「チュー」
 
 最後に、君を殺した時からずっと言いそびれていたことを言うよ。
 彼の命令だったとはいえ、君に"雷"を落として本当にすまなかった。
 君が僕を許してくれても、僕は自分が犯した罪を忘れない。
 数秒の静寂のあと、
 
 「うっうー」
 
 瞬きしたゲンガーの瞳に、既にギャラドスの面影は無かった。
 ゲンガーの鳴き声が聞こえたのだろうか、それまで部屋の外で待機していたカエデが入ってくる。
 みんなの様子を見にいかない?という彼女の提案で、僕たちは庭に戻ることになった。
 午前中、他のポケモンが思い思いに憩うのを眺めながら、僕はずっと、
 彼が支配格と主格を交代する直前に残した思念について考えていた。
 
 ――生きろ――
 
 死ぬな、ではない。彼は僕に、生きろ、と言った。
 彼は恐らく、僕の余命が残り少ないことに気付いていた。
 
 
 その日の夜。大広間での話し合いの末、セキエイ高原の探索が可決された。
 出立時刻や動員に関する細々としたことが決まったあとで、
 シゲルおじさまは、それまで蚊帳の外にいたあたしに語りかけた。
 
 『ヒナタ、酷なことを強いてるのを承知で頼む。
  セキエイ高原の探索に、同行してくれないか』
 『はい』
 
 あたしのきっぱりとした返事に、シゲルおじさまを含めた一同はとても驚いていた。
 ただ一人、マサキ博士だけを除いて。
 
 「ピカチュウに聞いてたんじゃないか。
  あの人、ポケモンと話せるんだろ?」
 
 バクフーンの背中の炎に手を翳して暖を取りながらタイチが言った。
 
 「そういやピカチュウはどこにいるんだ?」
 「ついさっき、部屋を出て行ったきり見てないわ。
  多分、マサキ博士がいる庵にいるんじゃないかしら」
 
 同じくカエデも炎に手をかざしつつ、
 
 「どうしてそんなことが分かるのよ?」
 「だって、昨日の夜もそこに行ってたみたいだから」
 「何のために行ってるかヒナタは知ってるわけ?」
 「そこまでは……」
 
 世間話程度だと思いつつも、ほんの幽かな胸騒ぎを覚える。
 「ところで、俺たちの件、ちゃんと親父たちに進言しといてくれたんだろうな?」
 「ちゃんと言ったわ」
 「反対、されなかった?」
 
 あたしがセキエイ高原にタイチとカエデの同行も認めるように頼んだとき、最初、大人たちは断固としてそれを反対した。
 
 『動員数は最小限に絞ってある。あいつらを連れていくことはできない』
 『足手まといになるのは見えているのでござる』
 『心配しなくても、ヒナちゃんのことはあたしたちが守るわ』
 
 あたしは我を通すために、卑怯な手を使った。
 
 「二人を連れていかないなら、あたしも行きません、って言ったら渋々折れてくれたわ」
 
 けど、本当にこれで良かったのかしら、と思う自分がいることも確かだった。
 もし本当にポケモンリーグがシステムの本拠地だった場合、配備されているのは精鋭中の精鋭で、
 ランカークラスのトレーナーとも対等に渡り合えるレベルだろう、とシゲルおじさまは言っていた。
 そして何よりも懸念すべきは、システム側に属している可能性がある現四天王の連中だ、とも。
-システムのトレーナーは、ポケモンを[ピーーー]ことを厭わない。
+システムのトレーナーは、ポケモンを殺すことを厭わない。
 一度ポケモンバトルが始まれば、確実にどちらかのポケモンが重傷を負うか、息絶える。
 そんな危険極まりないところに、カエデとタイチを連れて行ってもいいのかしら。
 
 「まーた一人で考え込んでる」
 「悪い癖だよな、まったく」
 
 タイチとカエデが顔を見合わせて笑う。
 そしてあたしの思考を何もかも見透かしていたかのように、
 
 「俺も、カエデも、ヒナタの力になりたいから同行するんだ。
  確かにセキエイ高原やポケモンリーグなんてところは、
  ランカーでもなければ、パーフェクトホルダーでさえない俺たちが行くようなところじゃない。
  危険だってことも重々承知してる。でも、俺たちが一緒にいかなけりゃ、その分、ヒナタの危険が増すことになるんだぜ」
 「タイチ……」
 「はいはい、あたしの前では甘い空気禁止。
  ヒナタはこう考えればいいのよ。
  あたしはママが心配だから同行する。タイチくんは、お父さんが心配だから同行する。
  これだとあんたが変な罪悪感感じる必要ないでしょ?
  ま、実際はバカヒナタのことが心配だから着いていってあげるんだけどねー」
 本当にありがとう、と言おうとした矢先に、
 
 「次にヒナタは大袈裟にお礼を言う」
 
 なんてタイチが言ったものだから、あたしは咄嗟に言葉を呑込んで咽せた。
 
 「おいおい、何咽せてんだよ」
 「図星だったんじゃない? 今のヒナタ超受けるわ」
 
 カエデは一頻りあたしを笑ってから、お風呂に入ってくる、と言って立ち上がった。
 ちなみにあたしは大広間の会議が長引く可能性を考えて、早めにお風呂を済ませていた。
 結局は昨日よりも早く終わって、意味は無かったんだけど……。
 
 「お風呂から出た後は、そのまま部屋に戻ってるから。
  ヒナタもあたしがいないのをいいことに、いつまでもタイチくんの部屋でイチャイチャしたらダメよ?」
 「カ、カエデ……!」
 
 流石に怒ろうとした時、既にカエデは鼻歌を響かせて部屋から遠ざかっていた。
 
 「もうっ」
 「やれやれだな」
 
 タイチは全然困った風に聞こえない調子でそんなことを言う。
 あたしはバクフーンの揺らめく炎越しにタイチを見つめた。タイチもあたしを見つめていた。
 気恥ずかしさに耐えて、視線を交錯させつづける。
 
 「夢じゃないんだよな」
 「何が?」
 「昨日の夜のこと」
 
 あたしの中に、小さな悪戯心が生まれた。
 
 「夢かもしれないわよ」
 
 するとタイチはちっとも動じずに、
 
 「夢なら、もう一度現実にしてやるまでさ。俺はヒナタのことが、」
 「ゆ、夢じゃないわ。昨日の夜のことは、現実よ」
 「良かった。なんか俺、お前の返事聞いてから直後の記憶が曖昧でさ。ちょっと不安だったんだ」
 「ふうん、そうだったの……」
 
 記憶が曖昧な原因がピカチュウであることを、あたしは秘密にしておこうと決めていた。
 あの子だって、何も悪気があってタイチを失神させたわけじゃない。
 「なあ、今からそっち行ってもいいか」
 「えっ」
 
 タイチは返事も聞かずにバクフーンをまわりこむと、あたしのすぐ傍に腰を下ろした。
 
 「……カエデが言ってたこと、もう忘れたの?」
 「今は二人きりなんだぜ」
 「昨日の今日ですぐに調子に乗るんだから」
 
 でも、あたしがすぐに調子に乗るタイチを好きになったのも事実だった。
 今、ここにはあたしとタイチの二人きり。
 カエデはお風呂、ピカチュウはマサキ博士のところにいて、昨日のような邪魔は入らない。
 エリカさんのお屋敷は広くて、誰がどこで、何をしているか把握している人は誰一人としていない。
 
 「ヒナタ、ほんの少し、目を瞑っててくれないか」
 「……うん」
 
 未知の感覚に、体が震えた。
 瞼を閉じる。暗闇の中で、あたしはタイチを待った。
 時間の流れがいつもより遅くなる。
 けど、いつまでたってもあたしの望む感触はやってこなくて、
 
 「いつまで目を瞑ってたらいいのよっ」
 
 耐えきれずに、瞼を開いた。
 するとタイチは身を引いて、「悪い、また今度な」と言った。
 
 「……どうして?」
 
 不可解なタイチの行動に、得体の知れない不安が胸に押し寄せる。
 あたしが緊張しすぎていたから?
 それとも、今更になってあたしに魅力を感じなくなったから?
 想像は悪い方に膨らむばかりで、自信を喪失しそうになったその時、
 
 「こういうのはやっぱ、ヒナタの親父さんの一件が片付いてからにしよう」
  ああ、片付いて、は言い方が悪いな。一段落ついてから、だな」
 「だから、どうして?」
 「今こういうことをするのは、なんつーか、卑怯な気がするんだ。
  ヒナタは昨日、俺に好きって言ってくれたけど、
  あれは、流された感じもちょっとはあるだろ?
  この一件が終わって、ヒナタが本当に落ち着いた時に、改めてヒナタの気持ちを聞かせて欲しい」
 
 心からあたしを大切にしようとししてくれているタイチの優しさが嬉しいのと、
 タイチに好きと言ったのは、その場の勢いに流されたからじゃないと説明したいけどできないもどかしさで、
 
 「……ばか」
 
 あたしは常套句を口にしていた。
 
 「な、なんでバカって言われなくちゃならねえんだよ」
 「……ばか」
 「お前な」
 
 呆れるタイチを置いて、部屋の外に出る。
 後ろ手に障子を閉める直前に、
 
 「おやすみなさい」
 「あ、ああ。おやすみ」
 
 暗く冷たい廊下を歩くにつれて火照っていた体が冷めていく。
 部屋には、誰もいなかった。
 ひんやりとした布団に潜り込む。
 眠気はなかなか襲ってこなかった。
 明日セキエイ高原に発つことや、お父さんにもう一度会うことを意識しはじめると、目は冴えるばかりだった。
 ピカチュウの温もりを探しても、手に触れるのは冷たい布団の感触だけ。
 その時に感じた寂しさが、隙になったのかもしれない。
 その夜、やっと眠れたあたしが見たのは、これまでにもう何度もあたしを苦しめてきた悪夢だった。