「第二十四章 上」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

第二十四章 上」(2009/07/11 (土) 01:23:16) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

「ピカチュウ」 「ピカァ?」 「ううん……なんでもないの。呼んでみただけ」 もう、こんなことを何度も繰り返している。 嬉しすぎて、幸せすぎて、ふと瞬きした瞬間に、ピカチュウがいなくなってしまうような幻覚がして――。 けれど膝の上から伝わる温もりは、ピカチュウがここに存在している、確かな証拠だった。 昨日の大雨とはうって変わって、今日の空には雲一つ浮かんでいない。 澄んだ空から降り注ぐ太陽の光が、ぽかぽかして気持ちいい。 ふとした拍子に、午睡に誘われてしまいそうなほどに。 「お昼寝、する?」 ピカチュウが片耳を傾げて、こちらを見上げる。 その何気ない仕草がたまらなくい愛おしくて、あたしはピカチュウに頬をすり寄せた。 「もう……どこにも行っちゃだめなんだから……」 誰かがみたら、あまりにも幼い触れ合いだと、笑うかもしれない。 けど、今のあたしに人目を気にする感覚は無縁だった。 昨日はピカチュウとあたしの傍には、常に誰かがいた。 他の皆もあたしと同じように、ピカチュウの復帰を待ち望んでいたことは分かる。 でも、誰よりもピカチュウに会いたかったのは、このあたしなんだから。 眼を瞑って、願い事をする。 この温かい時間が永遠に続きますように。 神様に「傲慢だ」と叱られても構わない。 あたしはピカチュウさえいれば、それで―― 「よう」 霞がかった視界に、タイチの顔が浮かびあがる。 「タイ、チ?」 「やっと起きたか。長い昼寝だぜ、まったく」 辺りを見渡す。 明るいお昼過ぎの庭園は、血のような朱色に染められて、寂しげな雰囲気を漂わせていた。 「いつの間に眠ってたのかしら……そういえば、ピカチュウは……」 腕の中にあった温もりが消えている。 喪失感が胸を締め付ける。夢の内容を思い出しかけていた思考が、一度に冴えていく。 「ピカチュウは? ピカチュウはどこにいるの?」 「な、何泣きそうになってんだよ。  ここさ。お前の眼が醒めるずっと前から、ピカチュウは起きてたんだ」 ピカチュウが、タイチの背後からひょっこりと顔を出す。 「ピィ、ピィチュ」 ――僕はここにいるよ。 駆け寄ってくるピカチュウを、 「もう。どこにいっちゃったかと思ったじゃない」 捕まえて、抱きしめる。 あたしが眠っている間に、タイチとどんなお話をしてたの? 言葉が通じるなら、そう尋ねたかった。 そんなあたしを、タイチは切なげな瞳で見つめて呟いた。 「大丈夫か、ヒナタ」 「大丈夫って、何が?」 「さっきのお前、酷い顔してたぜ。  ピカチュウがいないことと、この世の終わりが同じみたいな顔してた」 「……なに、言ってるの」 夕陽が、完全に山の陰に隠れる。 タイチは気を取り直すように頭を掻いて、 「そういえば、親父がヒナタを呼んでたぜ」 不自然な調子に話題を変えた。 「シゲルおじさまが、あたしを?」 「いい加減親父をそんな風に呼ぶのやめろって。  まあとにかく、大事な話があるから、夕食が終わった後に、大広間に来て欲しいって話だったよ」 「個人的なお話、なのかしら」 「どうも違うみたいだぜ。俺は会議みたいなもんだろうと踏んでる。  時間が夕食後なのは、多分、エリカさんの帰りを待つためだろ」 「タイチは? タイチは一緒に来ないの?」 「大人以外で参加が認められたのはヒナタだけだ。  俺もカエデも、頼むフリだけはしてみたものの、一瞬で拒否られちまった」 「そう」 「ま、精々ヒナタの報告を期待して待ってるさ。  それじゃ、俺は修行してくるよ。  給仕の人に俺の分はいらないって伝言しといてくれ」 あたしとピカチュウを一瞥して、タイチは早歩きで行ってしまった。 西の空を見上げる。一番星は、まだ残照に隠れていた。 「お腹、空いたね」 ピカチュウが頷く。あたしは視線を降ろして、縁側を立ち去りかけ、 「あの人……」 その時視界に、母屋に近づく人影を認めた。 昨日マサキ博士と出会ったときのような既視感を感じる。 けれど、声をかけた方がいいのかな、そんな風に躊躇っているうちに人影は死角に消えてしまった。 時は流れて、夜。 大広間に入ると、エリカさんを筆頭に、シゲルおじさま、アヤメおばさん、キョウさん、タケシさんの五人が、既に着席していた。 元ロケット団の二人+一匹組と、エリカさんのお父さんの姿は無かった。 「遅れてすみません」 「そう硬くなるなって。気の知れた仲だろう?  あぁ、そういえばキョウはヒナタと面識がないんだったな」 シゲルおじさまが尋ねると、キョウさんはひたとこちらを見据えて、ゆっくりと会釈した。 お辞儀を返して、アヤメおばさんの隣の席に腰を下ろす。 誰も発言する気配がないことを確認してから、あたしは尋ねた。 「あのう、ピカチュウもこの場に同席するのは、ダメですか?」 「…………」 奇妙な沈黙が続いた。 あたしは不思議だった。 どうして誰も首を縦に振ってくれないのかしら。 逆に、ピカチュウが同席できない理由は、どこにあるの? やがてシゲルおじさまが乾いた唇を舐めてから口を開き、 「ヒナタ、それは……、」 エリカさんが上から言葉を被せた。 「同席を認めましょう。  ヒナタさんのピカチュウが、本件の枢機に深く関係していることは周知の事実ですわ」 「ありがとうございます」 あたしは襖の奥に呼びかけた。 「おいで、ピカチュウ」 使用人の手によって、襖が開かれる。 ピカチュウは足音を立てずにこちらに駆け寄り、 あたしが予め引いておいた隣の席にちょこんと座ると、 まるで旧友との再会を懐かしむように、居並ぶ面々を順に眺めていった。 その瞳に映っているのは、いずれも遠い過去の風景だった。 お父さんと一緒に旅し、お父さんと一緒にジムリーダーや四天王と戦った記憶……。 ピカチュウは、お父さんのことを思い出して辛くならないのかしら。 どうして過去の辛い出来事と一緒に、記憶を封印しようと思わないのかしら。 その問いかけを、今は胸に仕舞う。 最後の出席者が大広間に姿を見せたのは、それからシゲルおじさまが二本の煙草を灰にした頃だった。 「いやぁー、遅れてすまんなぁ」 「刻限はとうに過ぎているでござる」 堪忍してな、と人懐こい笑いを浮かべながら、マサキ博士がキョウさんの隣に座った。 肩への負担を軽減するためか、片腕は包帯でつり下げられている。 「怪我の具合は?」 タケシさんが尋ねる。 昨日、助けを呼ぶあたしに真っ先に気付いて、マサキ博士に応急処置を施したのもタケシさんだった。 「医者の話では、不随になる可能性も……って、冗談や。そないな暗い顔されるとワイが困る」 「マサキ博士、言っても良い冗談と、そうでない冗談がありますわ」 「すまんすまん。流石に不随は嘘やけど、君の侍医には絶対に傷口を開くような行動は慎むよう、厳命されたわ。  思ってたよりも失血が酷かったみたいや。ま、こうして喋る分には問題ないから、皆、心配せんでええで」 からからと笑う。 アヤメおばさんが溜息を吐きながら言った。 「エリカさん、全員揃ったことだし、そろそろ始めてもいいんじゃないかしら」 「そうですわね。それでは、まずは現況確認から参りましょう」 「いや、待て」 シゲルおじさまはエリカさんを遮り、 「まず、なぜ俺たちがわざわざこの場に集まっているのか、その理由を明確にする必要があるんじゃないか。  特にヒナタはそれが何なのか、今夜初めて知ることになるんだ。最初に時間を割く価値はある」 あたしを見つめてそう言った。 そこにエリカさんの視線が加わり、 「その通りですわね。この場にいるほとんどの方は存じていると思いますが、  システムとは、ポケモンと人の共生社会の繁栄を目的とした、この国最大の秘密組織のことを指していますの。  システムはある時期を境にミュウスリーの創造と、それに関連した二つの研究・開発に着手。  その情報をスパイから得たサカキは、わたしたちジムリーダーに協力を要請し、急遽、管理者の捕縛計画を試みました。  しかしそれは失敗に終わり、サカキの身柄は現在、ヤマブキシティの拘置所にあります。  わたくしたちがこの場に集っている理由は、彼の意思を引き継ぎ、システムの愚かしい暴挙を阻止することですわ」 「今の話で分からないことがあれば、何でも聞いてくれ」 あたしはシゲルおじさまの言葉に甘えて尋ねた。 「ミュウスリーというのは、何のことですか?  あと、それに関係している二つの研究というのも、何のことだか……」 「答えてやってくれ、マサキ博士。  悔しいが、俺たちが共有している情報よりも、あんたの頭の中に入ってるものの方が信憑性が高いだろうからな」 マサキ博士はぼさぼさの髪を包帯でつられていない方の手で掻きつつ、 「ミュウスリーについて説明するには、ミュウツーの起源まで遡るんがワイのセオリーやねんけどな。  時間もないことやし、端折っていこか。昔々、ある研究者が、世界で一番強いポケモンを創り出す研究をしとったんや」 「ポケモンを創り出す?」 「そうや。ヒナタちゃんは俄に信じがたいかもしれんけどな、  人間がポケモンの遺伝子を操作して、まったく新しいポケモンを創り出す方法は、何十年も前から確立されてた技術なんやで。  研究者はシステムをバックボーンに、ミュウツーを創り出すことに成功した。  けどこのミュウツーは自分が勝手に創られたことに立腹してな、研究者もろとも研究所爆破して、どっか消えてもうたんや。  莫大な研究費はいっぺんに無駄になってもうて、誰がどう見ても、ミュウツー計画は頓挫したかに思えた。  それが十何年かの時間をおいて、その研究を再開するっちゅう話が持ち上がったんや。  当時の遺伝子工学で理論上最強やったミュウツーをベースにして、さらに強いミュウスリーを量産する。  それがミュウスリー計画やな」 「でも、ミュウスリーの元であるミュウツーは、暴走してしまったんですよね?  もし、ミュウスリーが暴走したら……」 「ヒナタちゃんの想像通り、ミュウスリーが暴走することは、ほぼ間違いない。  そこでワイがシステムを抜ける前に研究しとったんが、ミュウスリーを無意識下で操る方法でな」 「そんなことが可能なんですか?」 「可能やで。  ミュウスリーの頭に電極を埋め込んで、こっち側の命令を躯に反映させるんや。  微細な誤差は強化骨格に補正させてな――」 マサキ博士の無邪気な瞳が、初めて狂気を帯びたもののようにあたしの眼に映った。 「悪い悪い、話が逸れてもうたな。とにかく、それがミュウスリー計画の概要や。  ミュウスリー計画に関係してる研究のうち一つはさっき話した強化骨格、もう一つは、これから話すブレインウォッシュボールのことや。  ヒナタちゃんはシルフの発表会に出席しとったみたいやけど、BWボールの説明は聞いてたんか?」 「いえ……」 「そうか。そやったらこれ聞いたら驚くで。  BWボールには、ポケモンに技を忘れさせる機能があるねん。  身体能力の高さをウリにしとったポケモンやったら微妙やけど、  特殊能力、特にエスパー系のポケモンをそのボールで捕まえたら、効果は一目瞭然……ちゅう話や」 あたしはBWボールの仕組みを尋ねかけて、先読みしたマサキ博士に遮られた。 「実際にボールが使われたところは、一度も見たことないねん。  さっきも言った通り、ワイが携わっとったんはミュウスリー専用の強化骨格の研究開発やからな。  当然、どんな機構かも知らん。  けど、BWボールがヤマブキシティの一般ボールの生産に紛れて作られてることと、  その製造に莫大なエネルギーが必要やっちゅうことは噂に聞いとった」 莫大なエネルギー、という言葉に、あたしは違和感を覚えた。 そしてそれは顔に出てしまっていたらしく、 「なんであんなちっこいボール作るのに莫大なエネルギーいるんか分からん、っちゅう顔やな。  でもヒナタちゃん、君が考えてる以上に、ボールの製造にはどえらい金が注ぎ込まれてんねんで。  モンスターボールとハイパーボールには玩具と精密機械くらいの差がある。  マスターボールがなんで年間に数個しか製造されへんのか。その理由は、製造費と売値が全然釣り合わんからやねん。  一個作っただけで大赤字や。それでもシルフが作るのやめへんのは、マスターボールがあの会社の象徴みたいなもんやからや。  潰れへんのにももちろん理由があって、システムが裏でシルフカンパニーに仰山出資してるからや。   ちなみにヒナタちゃんが生まれる前に起こった、ロケット団による占拠事件は――」 「マサキ博士!」 アヤメおばさんの一声にマサキ博士は萎縮して、続けた。 「またまた脱線してもうたな。とにかく、BWボールの製造には、莫大なエネルギー、具体的な話したら電気が必要になる。  突然やけど、ヒナタちゃんはそういった電気の出所に、心当たりがあるはずや」 記憶はすぐに繋がった。 カントー発電所ハギノに再会し、初めてアヤと言葉を交わし、ピカチュウと離ればなれになった場所。 ハギノ率いる組織――システム――が、何故あの発電所を占拠していたのか、今なら推測できる。 「カントー発電所の電力がシルフカンパニーの製造ラインに回されとったことは、ほぼ間違いない。  でもなあ、ワイはどうしても納得できんのや。  隠密、秘匿が第一のシステムが、なんであんな大それた作戦を実行に移したんや?  下手したらシステムの存在が一般人に露呈する危険もあった。時間かかっても、もっと穏便な方法があったはずや。  ミュウスリーと強化骨格の完成に遅れをとって、焦っとったんやろか……今となってはこんな想像しかでけへんのが悲しいわ」 「あの」 「なんや?」 「ミュウスリーと、ミュウスリーを包む骨格の研究に密接な関係があるのは分かります。  でも、BWボールは、ミュウスリーの何に関係があるんですか?」 「ああ、それは……語弊があったな。  BWボールがミュウスリー計画にどんな風に関係すんのかは、ワイも詳しくは知らんねん。  特にBWボールの開発は他の二つと妙な距離置いてたからな。  もしかしたら、それら三つのプロジェクトの始動時期がほぼ同じやったこと以外に、関連性はないのかもしれへん。  でも、一概に偶然やとも決めつけられへん。そこが面倒なところやな」 そう言って、マサキは苦い微笑みを浮かべた。 世界最強のポケモン・ミュウツーを改良して創られたミュウスリー。 そのミュウスリーを意のままに操る電極、微細な誤差を補正、あるいは強化する外骨格。 そして一見それらのプロジェクトに直接関連のなさそうな、ポケモンを無力化する機能を持つBWボール。 マサキ博士の話を反芻しながら、あたしは隣で、まるでピカチュウが何かに耐えるように虚空を見つめていることに気付いていた。 「他には何かあるか?」 あたしは言った。 「管理者というのは、どういう人のことを指しているんですか」 この質問には、アヤメおばさんが答えた。 「管理者は、簡単に言えば、システムのトップの代名詞よ。  誰も正体を知らないから、便宜的にそう呼ばれているの。  サカキが管理者を拉致しようとしたのは、管理者がミュウスリー計画成功の先にある目的について、問い質すためだったのよ」 キョウさんが言った。 「しかしあの夜、サカキが殺めた者は影武者でござった。  真の管理者は暗夜に身を窶し、側近にさえ心を許さぬと聞く。  元々、あの場に奴が現れる目算は低かったのでござる」 「だからといってキョウたちの行動が無駄だった、なんて言っちゃあ、サカキのおっさんが浮かばれないぜ」 「シゲルの言うことはもっともだ。まあ、俺は今回、ずっと裏方だったわけだが」 タケシさんの言葉に、エリカさんが決まり悪く目を伏せる。 それを慌てた様子で取り繕うタケシさん。 冷ややかにその遣り取りを眺めながらも、口元は薄く笑っているキョウさん。 呆れた様子でシゲルおじさまと顔を見合わせているアヤメおばさん。 まるで同窓会を見ているみたいだった。けれど、その温かい雰囲気は、 「確かにサカキの本来の目的は果たせなかったかもしれない。けど、得るものはあった」 シゲルおじさまの一言で原点に帰ってしまった。 あたしとピカチュウをのぞく皆が、一様に暗い表情を宿す。 ふと、この場から逃げだしてしまいたい気持ちに駆られた。 あたしにはピカチュウさえいれば、それでいい。 お父さんのことは忘れると決めた。 今更お父さんの真実を、それも良くない話を聞いて何になるの? 何を得られるの? 何が始まるの? お父さんのことは、あたしの中ではもう、終わったことなのに――。 「ヒナタ」 肩が震えた。 「さっきの質問が、最後じゃないだろう」 目を逸らす。 シゲルおじさまの声には、あたしの退路を断つ力が籠められていた。 けれど、そこには絶対の強制力というものがなくて、結局は聞くも聞かずもあたし次第、ということだった。 沈黙の海に誰かが助け船を出してくれる気配はなく、あたしは口を開いた。 「……あの人は、どうしてシステムにいるんですか」 シゲルおじさまは答えた。 「サトシがシステムに入った理由を知るには、本人に直接訊くしかない。  だが、あいつがシステムに属してからの十数年間、何をしていたかは想像できる」 マサキ博士が接ぎ穂を接いだ。 「レッド。それがサトシくんのコードネームや。  システムで他の構成員の素性について話すんはタブーやったけど、それでもそのレッドの噂は全然違う部署のワイにまで届いてきた。  レッドは瞬く間にシステムの地位を上り詰めて、そのうち噂にも上らんくらいの高みにいってしもた。  ワイがそこそこシステムで物言える頃になっても、足許にも及ばんくらいの高みにな。  ワイがレッドの正体に確信持てた、というよりも直接会えたんは、ミュウツーが創られた孤島の再調査に行った時のことや。  レッドはワイを含めた調査隊の護衛を務めてたんや。  ワイがレッドの正体に確信が持てたんは、その時や。  サトシくんは、ワイが知っとるサトシくんとは違ってた。  けど、ワイのことは覚えといてくれとったみたいで、それからちょこちょこ連絡取り合うようになったんや。  サトシくんはシステムに入ってから二年後には、要人の護衛を任されるようになったっちゅう話や。  それも柄悪い輩と連なって保護対象囲むようなヤツやない。個人での護衛や。  システムの偉いさんには取り巻きぞろぞろ連れるん嫌う、神経質なんが多いからな。  サトシくんみたいな一人で何人分もの仕事できる人材はそらもう重宝したみたいや。  しかも任務成功率が100%っていうから笑えるやろ?今はどうか知らんけどな。  サトシくんはそれからも順調にシステムで仕事続けて、ワイも時々サトシくんのポケモンの調子みたり、特注品作作ったりしたってた。  なんでサトシくんがシステム入ったんか、そのことは訊かんかった。  サトシくんもワイになんでシステム入ったんか訊かんかった。まあ、暗黙の了解みたいなもんや。  お互いにその話題は避けとった。  ワイとサトシくんが疎遠になったんは、」 マサキ博士の唇が不自然な形に固まって――あたしは反射的に身構えた。 「サトシくんが結婚した頃からやな」 でも、受け止めきれなかった。 お父さんがあたしやお母さんを捨てて、別の女の人と結ばれていたことは分かっていた。 こんなの、なんでもない。ただの再確認じゃない。 何度そう言い聞かせても、閉ざした心の隙間から、冷たいものが入ってくる。 「マサキ博士っ!」 「事実だ、アヤメ。まやかして何になる」 「シゲルくんまで……。これ以上はヒナちゃんに酷だわ」 あたしはその冷たい何かに身を委ねながら言った。 「いいんです」 「ヒナちゃん……」 「続きを訊かせて下さい」 「ヒナタちゃんがこう言うてる以上、他のもんが水差すのは野暮やで。  ……サトシくんは稀代のポケモントレーナーや。その遺伝子の価値は高い。  当然その遺伝子を宿すんは、適格者が相応しい」 「適格者?」 キョウさんが尋ねた。 「ああ、そういや説明してへんかったな。  適格者は、君らみたいなポケモンを操る才に長けたモンの総称や。  そして、そん中でも選りすぐりの適格者が、サトシくんの伴侶になったんや。  突然やけど、ヒナタちゃんにはここにいるはずの人間で、サカキとマチス以外に欠けてるモンが誰か分かるか?」 ここにいる人たちで、あたしやマサキ博士を例外としたときに浮かびあがる共通点。 それは、今現在、もしくは過去にジムリーダーという肩書きを持っているということ。 それさえ分かれば、後は消去法で済んだ。 「ナツメさんと、カツラさん、ですか?」 「ワイは聡い子が好きや。正解やで、ヒナタちゃん」 マサキ博士はにこにこと笑いながら、 「今この場には、二人のジムリーダーが欠けてる。  結果は同じでも、その理由は別々や。  そこらへんはワイよりシゲルくんの方が詳しいんちゃうか?」 話を振られたシゲルおじさまは少し顔を顰めて言った。 「もう随分前の話になるが、ナツメはシステムの情報を探ろうとしていたサカキに協力して、精神に異常をきたしたんだ」 「えっ――」 熱に浮かされたようにぼうっとしていた頭に、電流が走る。 今の言葉で、謎が解けた。 あの夜、 ――『僕の母を精神的に殺したのは、裏社会の暗渠を這い回る鼠のような男だ』―― フユツグは憎悪を込めた声でそう言った。 その男こそが、サカキだった。 なんて、皮肉なのかしら。 ナツメさんはシステムを白日の下に晒すためにサカキに協力していた。 能力を酷使した結果、ナツメさんは精神を病んだ。 フユツグはお母さんがそんな風になった原因を憎んだ。 そして、その原因――ナツメさんを唆した男――を探るために、システムに身を投じた。 「ナツメは当時、ただ一言の弱音も吐かず、精力的に尽くしたそうだ。  勿論サカキにも、それに甘えようとする気持ちはあっただろうさ。  だが、ナツメの脳が負荷に耐えきれなくなるまで能力を酷使させようなんて考えはなかったはずだ。  だから、ナツメの心が壊れた責任は、誰にもないんだ」 「責任の所在については今はどうでもええやろ」 マサキ博士は興味なさげに言った。 「もう一人のジムリーダー……カツラがここにいない理由が肝心なんや」 「カツラの爺さんは十中八九、システムの人間だ。サカキはそう言ってた。  あの人はポケモントレーナーであると同時に、ポケモン遺伝子工学の権威だからな。  それは確信に近い推測で、別に確たる証拠を掴んだわけじゃない。  けど、サカキはリスクを犯さなかった。俺たちは黙ってそれに従った」 「ええ判断やったな」 「てことは……」 マサキ博士は微笑を浮かべて、 「カツラはシステムの人間や。それも、ミュウスリー計画の要とも言えるほどシステムに貢献してる。  表ではジムリーダー続けながら、たいしたもんやで、ほんまに。  カツラとシステムの関係は深い。  なんせカツラはミュウスリーの前身、ミュウツーを創る研究にも一枚咬んでたくらいやからなあ。  さてと、そろそろ話戻そか。  サトシくんの伴侶に選ばれた適格者はな、実を言うと、カツラの娘さんなんや。  カツラには二人の娘さんがおって、選ばれたのは妹の、サヤっていう子や。  彼女の能力は、適格者の中でも特に希少価値の高い能力でな、どんなけレベル高いポケモンでも、触れただけで服従させることができたんや。  二人が結婚してから一年か二年ほどして、アヤちゃんが生まれた。  でもな、」 「それ以上は蛇足ですわ。マサキ博士」 エリカさんの厳しい言葉に、饒舌な語り口が止まる。 気付けば、誰もがあたしに視線を注いでいた。 マサキ博士が決まり悪げに目を伏せる。 気遣いなんて、いらないのに。 たとえその続き――お父さんと、サヤという女の人と、二人の娘であるアヤの話――を聞かされても、あたしはきっと、平気なのに。 そんなあたしの気持ちは汲まれずに、話は少し前に遡る。 「マサキの話で確証を得られたが、サトシはシステム要人の護衛を務めてる。  これはサカキの読んでいた通りだ。  サトシはあの晩、偽物の管理者を護衛していた。  だが、サカキのスピアーに偽物が殺されそうになったとき、サトシはあえてそれを止めようとしなかった。  そうだな?」 「相違ない」 キョウさんがシゲルおじさまに頷き返した。 「ということは、サトシは護衛対象の管理者が偽物だと知らされてたことになる。  つまり、サトシは本物の管理者が誰だか知っている可能性が高い。  もしかすると、今このときも、本物の管理者の護衛に就いているかもしれない」 管理者の近くには、お父さんがいる。 お父さんの近くには、管理者がいる。 もし管理者の居場所が分かって、そこに行くことになれば、必然的にあたしはお父さんと再会することになる。 その意味について、あたしはゆっくりと考えた。 これだけのメンバーがこの場に集っている理由を説明し終えた大人は、あたしが俯いている間に、現況確認に話題を変えた。 エリカさんを除くジムリーダーはそれぞれ代理を立てている。 代理が認められる期間は最長で二ヶ月。それを過ぎれば監理能力を問われて、面倒なことになる。 また、サカキが釈放される見込みはなく、生きて刑期を終えられる可能性もない。 ただ、もし自分が国家権力に屈することになった場合のためにサカキは手を打っていて、 サカキ直属の手下が逮捕されたり、ロケット団消滅後の足跡を辿れるような情報媒体が警察の手に渡ったりはしていない。
「ピカチュウ」 「ピカァ?」 「ううん……なんでもないの。呼んでみただけ」 もう、こんなことを何度も繰り返している。 嬉しすぎて、幸せすぎて、ふと瞬きした瞬間に、ピカチュウがいなくなってしまうような幻覚がして――。 けれど膝の上から伝わる温もりは、ピカチュウがここに存在している、確かな証拠だった。 昨日の大雨とはうって変わって、今日の空には雲一つ浮かんでいない。 澄んだ空から降り注ぐ太陽の光が、ぽかぽかして気持ちいい。 ふとした拍子に、午睡に誘われてしまいそうなほどに。 「お昼寝、する?」 ピカチュウが片耳を傾げて、こちらを見上げる。 その何気ない仕草がたまらなくい愛おしくて、あたしはピカチュウに頬をすり寄せた。 「もう……どこにも行っちゃだめなんだから……」 誰かがみたら、あまりにも幼い触れ合いだと、笑うかもしれない。 けど、今のあたしに人目を気にする感覚は無縁だった。 昨日はピカチュウとあたしの傍には、常に誰かがいた。 他の皆もあたしと同じように、ピカチュウの復帰を待ち望んでいたことは分かる。 でも、誰よりもピカチュウに会いたかったのは、このあたしなんだから。 眼を瞑って、願い事をする。 この温かい時間が永遠に続きますように。 神様に「傲慢だ」と叱られても構わない。 あたしはピカチュウさえいれば、それで―― 「よう」 霞がかった視界に、タイチの顔が浮かびあがる。 「タイ、チ?」 「やっと起きたか。長い昼寝だぜ、まったく」 辺りを見渡す。 明るいお昼過ぎの庭園は、血のような朱色に染められて、寂しげな雰囲気を漂わせていた。 「いつの間に眠ってたのかしら……そういえば、ピカチュウは……」 腕の中にあった温もりが消えている。 喪失感が胸を締め付ける。夢の内容を思い出しかけていた思考が、一度に冴えていく。 「ピカチュウは? ピカチュウはどこにいるの?」 「な、何泣きそうになってんだよ。  ここさ。お前の眼が醒めるずっと前から、ピカチュウは起きてたんだ」 ピカチュウが、タイチの背後からひょっこりと顔を出す。 「ピィ、ピィチュ」 ――僕はここにいるよ。 駆け寄ってくるピカチュウを、 「もう。どこにいっちゃったかと思ったじゃない」 捕まえて、抱きしめる。 あたしが眠っている間に、タイチとどんなお話をしてたの? 言葉が通じるなら、そう尋ねたかった。 そんなあたしを、タイチは切なげな瞳で見つめて呟いた。 「大丈夫か、ヒナタ」 「大丈夫って、何が?」 「さっきのお前、酷い顔してたぜ。  ピカチュウがいないことと、この世の終わりが同じみたいな顔してた」 「……なに、言ってるの」 夕陽が、完全に山の陰に隠れる。 タイチは気を取り直すように頭を掻いて、 「そういえば、親父がヒナタを呼んでたぜ」 不自然な調子に話題を変えた。 「シゲルおじさまが、あたしを?」 「いい加減親父をそんな風に呼ぶのやめろって。  まあとにかく、大事な話があるから、夕食が終わった後に、大広間に来て欲しいって話だったよ」 「個人的なお話、なのかしら」 「どうも違うみたいだぜ。俺は会議みたいなもんだろうと踏んでる。  時間が夕食後なのは、多分、エリカさんの帰りを待つためだろ」 「タイチは? タイチは一緒に来ないの?」 「大人以外で参加が認められたのはヒナタだけだ。  俺もカエデも、頼むフリだけはしてみたものの、一瞬で拒否られちまった」 「そう」 「ま、精々ヒナタの報告を期待して待ってるさ。  それじゃ、俺は修行してくるよ。  給仕の人に俺の分はいらないって伝言しといてくれ」 あたしとピカチュウを一瞥して、タイチは早歩きで行ってしまった。 西の空を見上げる。一番星は、まだ残照に隠れていた。 「お腹、空いたね」 ピカチュウが頷く。あたしは視線を降ろして、縁側を立ち去りかけ、 「あの人……」 その時視界に、母屋に近づく人影を認めた。 昨日マサキ博士と出会ったときのような既視感を感じる。 けれど、声をかけた方がいいのかな、そんな風に躊躇っているうちに人影は死角に消えてしまった。 時は流れて、夜。 大広間に入ると、エリカさんを筆頭に、シゲルおじさま、アヤメおばさん、キョウさん、タケシさんの五人が、既に着席していた。 元ロケット団の二人+一匹組と、エリカさんのお父さんの姿は無かった。 「遅れてすみません」 「そう硬くなるなって。気の知れた仲だろう?  あぁ、そういえばキョウはヒナタと面識がないんだったな」 シゲルおじさまが尋ねると、キョウさんはひたとこちらを見据えて、ゆっくりと会釈した。 お辞儀を返して、アヤメおばさんの隣の席に腰を下ろす。 誰も発言する気配がないことを確認してから、あたしは尋ねた。 「あのう、ピカチュウもこの場に同席するのは、ダメですか?」 「…………」 奇妙な沈黙が続いた。 あたしは不思議だった。 どうして誰も首を縦に振ってくれないのかしら。 逆に、ピカチュウが同席できない理由は、どこにあるの? やがてシゲルおじさまが乾いた唇を舐めてから口を開き、 「ヒナタ、それは……、」 エリカさんが上から言葉を被せた。 「同席を認めましょう。  ヒナタさんのピカチュウが、本件の枢機に深く関係していることは周知の事実ですわ」 「ありがとうございます」 あたしは襖の奥に呼びかけた。 「おいで、ピカチュウ」 使用人の手によって、襖が開かれる。 ピカチュウは足音を立てずにこちらに駆け寄り、 あたしが予め引いておいた隣の席にちょこんと座ると、 まるで旧友との再会を懐かしむように、居並ぶ面々を順に眺めていった。 その瞳に映っているのは、いずれも遠い過去の風景だった。 お父さんと一緒に旅し、お父さんと一緒にジムリーダーや四天王と戦った記憶……。 ピカチュウは、お父さんのことを思い出して辛くならないのかしら。 どうして過去の辛い出来事と一緒に、記憶を封印しようと思わないのかしら。 その問いかけを、今は胸に仕舞う。 最後の出席者が大広間に姿を見せたのは、それからシゲルおじさまが二本の煙草を灰にした頃だった。 「いやぁー、遅れてすまんなぁ」 「刻限はとうに過ぎているでござる」 堪忍してな、と人懐こい笑いを浮かべながら、マサキ博士がキョウさんの隣に座った。 肩への負担を軽減するためか、片腕は包帯でつり下げられている。 「怪我の具合は?」 タケシさんが尋ねる。 昨日、助けを呼ぶあたしに真っ先に気付いて、マサキ博士に応急処置を施したのもタケシさんだった。 「医者の話では、不随になる可能性も……って、冗談や。そないな暗い顔されるとワイが困る」 「マサキ博士、言っても良い冗談と、そうでない冗談がありますわ」 「すまんすまん。流石に不随は嘘やけど、君の侍医には絶対に傷口を開くような行動は慎むよう、厳命されたわ。  思ってたよりも失血が酷かったみたいや。ま、こうして喋る分には問題ないから、皆、心配せんでええで」 からからと笑う。 アヤメおばさんが溜息を吐きながら言った。 「エリカさん、全員揃ったことだし、そろそろ始めてもいいんじゃないかしら」 「そうですわね。それでは、まずは現況確認から参りましょう」 「いや、待て」 シゲルおじさまはエリカさんを遮り、 「まず、なぜ俺たちがわざわざこの場に集まっているのか、その理由を明確にする必要があるんじゃないか。  特にヒナタはそれが何なのか、今夜初めて知ることになるんだ。最初に時間を割く価値はある」 あたしを見つめてそう言った。 そこにエリカさんの視線が加わり、 「その通りですわね。この場にいるほとんどの方は存じていると思いますが、  システムとは、ポケモンと人の共生社会の繁栄を目的とした、この国最大の秘密組織のことを指していますの。  システムはある時期を境にミュウスリーの創造と、それに関連した二つの研究・開発に着手。  その情報をスパイから得たサカキは、わたしたちジムリーダーに協力を要請し、急遽、管理者の捕縛計画を試みました。  しかしそれは失敗に終わり、サカキの身柄は現在、ヤマブキシティの拘置所にあります。  わたくしたちがこの場に集っている理由は、彼の意思を引き継ぎ、システムの愚かしい暴挙を阻止することですわ」 「今の話で分からないことがあれば、何でも聞いてくれ」 あたしはシゲルおじさまの言葉に甘えて尋ねた。 「ミュウスリーというのは、何のことですか?  あと、それに関係している二つの研究というのも、何のことだか……」 「答えてやってくれ、マサキ博士。  悔しいが、俺たちが共有している情報よりも、あんたの頭の中に入ってるものの方が信憑性が高いだろうからな」 マサキ博士はぼさぼさの髪を包帯でつられていない方の手で掻きつつ、 「ミュウスリーについて説明するには、ミュウツーの起源まで遡るんがワイのセオリーやねんけどな。  時間もないことやし、端折っていこか。昔々、ある研究者が、世界で一番強いポケモンを創り出す研究をしとったんや」 「ポケモンを創り出す?」 「そうや。ヒナタちゃんは俄に信じがたいかもしれんけどな、  人間がポケモンの遺伝子を操作して、まったく新しいポケモンを創り出す方法は、何十年も前から確立されてた技術なんやで。  研究者はシステムをバックボーンに、ミュウツーを創り出すことに成功した。  けどこのミュウツーは自分が勝手に創られたことに立腹してな、研究者もろとも研究所爆破して、どっか消えてもうたんや。  莫大な研究費はいっぺんに無駄になってもうて、誰がどう見ても、ミュウツー計画は頓挫したかに思えた。  それが十何年かの時間をおいて、その研究を再開するっちゅう話が持ち上がったんや。  当時の遺伝子工学で理論上最強やったミュウツーをベースにして、さらに強いミュウスリーを量産する。  それがミュウスリー計画やな」 「でも、ミュウスリーの元であるミュウツーは、暴走してしまったんですよね?  もし、ミュウスリーが暴走したら……」 「ヒナタちゃんの想像通り、ミュウスリーが暴走することは、ほぼ間違いない。  そこでワイがシステムを抜ける前に研究しとったんが、ミュウスリーを無意識下で操る方法でな」 「そんなことが可能なんですか?」 「可能やで。  ミュウスリーの頭に電極を埋め込んで、こっち側の命令を躯に反映させるんや。  微細な誤差は強化骨格に補正させてな――」 マサキ博士の無邪気な瞳が、初めて狂気を帯びたもののようにあたしの眼に映った。 「悪い悪い、話が逸れてもうたな。とにかく、それがミュウスリー計画の概要や。  ミュウスリー計画に関係してる研究のうち一つはさっき話した強化骨格、もう一つは、これから話すブレインウォッシュボールのことや。  ヒナタちゃんはシルフの発表会に出席しとったみたいやけど、BWボールの説明は聞いてたんか?」 「いえ……」 「そうか。そやったらこれ聞いたら驚くで。  BWボールには、ポケモンに技を忘れさせる機能があるねん。  身体能力の高さをウリにしとったポケモンやったら微妙やけど、  特殊能力、特にエスパー系のポケモンをそのボールで捕まえたら、効果は一目瞭然……ちゅう話や」 あたしはBWボールの仕組みを尋ねかけて、先読みしたマサキ博士に遮られた。 「実際にボールが使われたところは、一度も見たことないねん。  さっきも言った通り、ワイが携わっとったんはミュウスリー専用の強化骨格の研究開発やからな。  当然、どんな機構かも知らん。  けど、BWボールがヤマブキシティの一般ボールの生産に紛れて作られてることと、  その製造に莫大なエネルギーが必要やっちゅうことは噂に聞いとった」 莫大なエネルギー、という言葉に、あたしは違和感を覚えた。 そしてそれは顔に出てしまっていたらしく、 「なんであんなちっこいボール作るのに莫大なエネルギーいるんか分からん、っちゅう顔やな。  でもヒナタちゃん、君が考えてる以上に、ボールの製造にはどえらい金が注ぎ込まれてんねんで。  モンスターボールとハイパーボールには玩具と精密機械くらいの差がある。  マスターボールがなんで年間に数個しか製造されへんのか。その理由は、製造費と売値が全然釣り合わんからやねん。  一個作っただけで大赤字や。それでもシルフが作るのやめへんのは、マスターボールがあの会社の象徴みたいなもんやからや。  潰れへんのにももちろん理由があって、システムが裏でシルフカンパニーに仰山出資してるからや。   ちなみにヒナタちゃんが生まれる前に起こった、ロケット団による占拠事件は――」 「マサキ博士!」 アヤメおばさんの一声にマサキ博士は萎縮して、続けた。 「またまた脱線してもうたな。とにかく、BWボールの製造には、莫大なエネルギー、具体的な話したら電気が必要になる。  突然やけど、ヒナタちゃんはそういった電気の出所に、心当たりがあるはずや」 記憶はすぐに繋がった。 カントー発電所ハギノに再会し、初めてアヤと言葉を交わし、ピカチュウと離ればなれになった場所。 ハギノ率いる組織――システム――が、何故あの発電所を占拠していたのか、今なら推測できる。 「カントー発電所の電力がシルフカンパニーの製造ラインに回されとったことは、ほぼ間違いない。  でもなあ、ワイはどうしても納得できんのや。  隠密、秘匿が第一のシステムが、なんであんな大それた作戦を実行に移したんや?  下手したらシステムの存在が一般人に露呈する危険もあった。時間かかっても、もっと穏便な方法があったはずや。  ミュウスリーと強化骨格の完成に遅れをとって、焦っとったんやろか……今となってはこんな想像しかでけへんのが悲しいわ」 「あの」 「なんや?」 「ミュウスリーと、ミュウスリーを包む骨格の研究に密接な関係があるのは分かります。  でも、BWボールは、ミュウスリーの何に関係があるんですか?」 「ああ、それは……語弊があったな。  BWボールがミュウスリー計画にどんな風に関係すんのかは、ワイも詳しくは知らんねん。  特にBWボールの開発は他の二つと妙な距離置いてたからな。  もしかしたら、それら三つのプロジェクトの始動時期がほぼ同じやったこと以外に、関連性はないのかもしれへん。  でも、一概に偶然やとも決めつけられへん。そこが面倒なところやな」 そう言って、マサキは苦い微笑みを浮かべた。 世界最強のポケモン・ミュウツーを改良して創られたミュウスリー。 そのミュウスリーを意のままに操る電極、微細な誤差を補正、あるいは強化する外骨格。 そして一見それらのプロジェクトに直接関連のなさそうな、ポケモンを無力化する機能を持つBWボール。 マサキ博士の話を反芻しながら、あたしは隣で、まるでピカチュウが何かに耐えるように虚空を見つめていることに気付いていた。 「他には何かあるか?」 あたしは言った。 「管理者というのは、どういう人のことを指しているんですか」 この質問には、アヤメおばさんが答えた。 「管理者は、簡単に言えば、システムのトップの代名詞よ。  誰も正体を知らないから、便宜的にそう呼ばれているの。  サカキが管理者を拉致しようとしたのは、管理者がミュウスリー計画成功の先にある目的について、問い質すためだったのよ」 キョウさんが言った。 「しかしあの夜、サカキが殺めた者は影武者でござった。  真の管理者は暗夜に身を窶し、側近にさえ心を許さぬと聞く。  元々、あの場に奴が現れる目算は低かったのでござる」 「だからといってキョウたちの行動が無駄だった、なんて言っちゃあ、サカキのおっさんが浮かばれないぜ」 「シゲルの言うことはもっともだ。まあ、俺は今回、ずっと裏方だったわけだが」 タケシさんの言葉に、エリカさんが決まり悪く目を伏せる。 それを慌てた様子で取り繕うタケシさん。 冷ややかにその遣り取りを眺めながらも、口元は薄く笑っているキョウさん。 呆れた様子でシゲルおじさまと顔を見合わせているアヤメおばさん。 まるで同窓会を見ているみたいだった。けれど、その温かい雰囲気は、 「確かにサカキの本来の目的は果たせなかったかもしれない。けど、得るものはあった」 シゲルおじさまの一言で原点に帰ってしまった。 あたしとピカチュウをのぞく皆が、一様に暗い表情を宿す。 ふと、この場から逃げだしてしまいたい気持ちに駆られた。 あたしにはピカチュウさえいれば、それでいい。 お父さんのことは忘れると決めた。 今更お父さんの真実を、それも良くない話を聞いて何になるの? 何を得られるの? 何が始まるの? お父さんのことは、あたしの中ではもう、終わったことなのに――。 「ヒナタ」 肩が震えた。 「さっきの質問が、最後じゃないだろう」 目を逸らす。 シゲルおじさまの声には、あたしの退路を断つ力が籠められていた。 けれど、そこには絶対の強制力というものがなくて、結局は聞くも聞かずもあたし次第、ということだった。 沈黙の海に誰かが助け船を出してくれる気配はなく、あたしは口を開いた。 「……あの人は、どうしてシステムにいるんですか」 シゲルおじさまは答えた。 「サトシがシステムに入った理由を知るには、本人に直接訊くしかない。  だが、あいつがシステムに属してからの十数年間、何をしていたかは想像できる」 マサキ博士が接ぎ穂を接いだ。 「レッド。それがサトシくんのコードネームや。  システムで他の構成員の素性について話すんはタブーやったけど、それでもそのレッドの噂は全然違う部署のワイにまで届いてきた。  レッドは瞬く間にシステムの地位を上り詰めて、そのうち噂にも上らんくらいの高みにいってしもた。  ワイがそこそこシステムで物言える頃になっても、足許にも及ばんくらいの高みにな。  ワイがレッドの正体に確信持てた、というよりも直接会えたんは、ミュウツーが創られた孤島の再調査に行った時のことや。  レッドはワイを含めた調査隊の護衛を務めてたんや。  ワイがレッドの正体に確信が持てたんは、その時や。  サトシくんは、ワイが知っとるサトシくんとは違ってた。  けど、ワイのことは覚えといてくれとったみたいで、それからちょこちょこ連絡取り合うようになったんや。  サトシくんはシステムに入ってから二年後には、要人の護衛を任されるようになったっちゅう話や。  それも柄悪い輩と連なって保護対象囲むようなヤツやない。個人での護衛や。  システムの偉いさんには取り巻きぞろぞろ連れるん嫌う、神経質なんが多いからな。  サトシくんみたいな一人で何人分もの仕事できる人材はそらもう重宝したみたいや。  しかも任務成功率が100%っていうから笑えるやろ?今はどうか知らんけどな。  サトシくんはそれからも順調にシステムで仕事続けて、ワイも時々サトシくんのポケモンの調子みたり、特注品作作ったりしたってた。  なんでサトシくんがシステム入ったんか、そのことは訊かんかった。  サトシくんもワイになんでシステム入ったんか訊かんかった。まあ、暗黙の了解みたいなもんや。  お互いにその話題は避けとった。  ワイとサトシくんが疎遠になったんは、」 マサキ博士の唇が不自然な形に固まって――あたしは反射的に身構えた。 「サトシくんが結婚した頃からやな」 でも、受け止めきれなかった。 お父さんがあたしやお母さんを捨てて、別の女の人と結ばれていたことは分かっていた。 こんなの、なんでもない。ただの再確認じゃない。 何度そう言い聞かせても、閉ざした心の隙間から、冷たいものが入ってくる。 「マサキ博士っ!」 「事実だ、アヤメ。まやかして何になる」 「シゲルくんまで……。これ以上はヒナちゃんに酷だわ」 あたしはその冷たい何かに身を委ねながら言った。 「いいんです」 「ヒナちゃん……」 「続きを訊かせて下さい」 「ヒナタちゃんがこう言うてる以上、他のもんが水差すのは野暮やで。  ……サトシくんは稀代のポケモントレーナーや。その遺伝子の価値は高い。  当然その遺伝子を宿すんは、適格者が相応しい」 「適格者?」 キョウさんが尋ねた。 「ああ、そういや説明してへんかったな。  適格者は、君らみたいなポケモンを操る才に長けたモンの総称や。  そして、そん中でも選りすぐりの適格者が、サトシくんの伴侶になったんや。  突然やけど、ヒナタちゃんにはここにいるはずの人間で、サカキとマチス以外に欠けてるモンが誰か分かるか?」 ここにいる人たちで、あたしやマサキ博士を例外としたときに浮かびあがる共通点。 それは、今現在、もしくは過去にジムリーダーという肩書きを持っているということ。 それさえ分かれば、後は消去法で済んだ。 「ナツメさんと、カツラさん、ですか?」 「ワイは聡い子が好きや。正解やで、ヒナタちゃん」 マサキ博士はにこにこと笑いながら、 「今この場には、二人のジムリーダーが欠けてる。  結果は同じでも、その理由は別々や。  そこらへんはワイよりシゲルくんの方が詳しいんちゃうか?」 話を振られたシゲルおじさまは少し顔を顰めて言った。 「もう随分前の話になるが、ナツメはシステムの情報を探ろうとしていたサカキに協力して、精神に異常をきたしたんだ」 「えっ――」 熱に浮かされたようにぼうっとしていた頭に、電流が走る。 今の言葉で、謎が解けた。 あの夜、 ――『僕の母を精神的に殺したのは、裏社会の暗渠を這い回る鼠のような男だ』―― フユツグは憎悪を込めた声でそう言った。 その男こそが、サカキだった。 なんて、皮肉なのかしら。 ナツメさんはシステムを白日の下に晒すためにサカキに協力していた。 能力を酷使した結果、ナツメさんは精神を病んだ。 フユツグはお母さんがそんな風になった原因を憎んだ。 そして、その原因――ナツメさんを唆した男――を探るために、システムに身を投じた。 「ナツメは当時、ただ一言の弱音も吐かず、精力的に尽くしたそうだ。  勿論サカキにも、それに甘えようとする気持ちはあっただろうさ。  だが、ナツメの脳が負荷に耐えきれなくなるまで能力を酷使させようなんて考えはなかったはずだ。  だから、ナツメの心が壊れた責任は、誰にもないんだ」 「責任の所在については今はどうでもええやろ」 マサキ博士は興味なさげに言った。 「もう一人のジムリーダー……カツラがここにいない理由が肝心なんや」 「カツラの爺さんは十中八九、システムの人間だ。サカキはそう言ってた。  あの人はポケモントレーナーであると同時に、ポケモン遺伝子工学の権威だからな。  それは確信に近い推測で、別に確たる証拠を掴んだわけじゃない。  けど、サカキはリスクを犯さなかった。俺たちは黙ってそれに従った」 「ええ判断やったな」 「てことは……」 マサキ博士は微笑を浮かべて、 「カツラはシステムの人間や。それも、ミュウスリー計画の要とも言えるほどシステムに貢献してる。  表ではジムリーダー続けながら、たいしたもんやで、ほんまに。  カツラとシステムの関係は深い。  なんせカツラはミュウスリーの前身、ミュウツーを創る研究にも一枚咬んでたくらいやからなあ。  さてと、そろそろ話戻そか。  サトシくんの伴侶に選ばれた適格者はな、実を言うと、カツラの娘さんなんや。  カツラには二人の娘さんがおって、選ばれたのは妹の、サヤっていう子や。  彼女の能力は、適格者の中でも特に希少価値の高い能力でな、どんなけレベル高いポケモンでも、触れただけで服従させることができたんや。  二人が結婚してから一年か二年ほどして、アヤちゃんが生まれた。  でもな、」 「それ以上は蛇足ですわ。マサキ博士」 エリカさんの厳しい言葉に、饒舌な語り口が止まる。 気付けば、誰もがあたしに視線を注いでいた。 マサキ博士が決まり悪げに目を伏せる。 気遣いなんて、いらないのに。 たとえその続き――お父さんと、サヤという女の人と、二人の娘であるアヤの話――を聞かされても、あたしはきっと、平気なのに。 そんなあたしの気持ちは汲まれずに、話は少し前に遡る。 「マサキの話で確証を得られたが、サトシはシステム要人の護衛を務めてる。  これはサカキの読んでいた通りだ。  サトシはあの晩、偽物の管理者を護衛していた。  だが、サカキのスピアーに偽物が殺されそうになったとき、サトシはあえてそれを止めようとしなかった。  そうだな?」 「相違ない」 キョウさんがシゲルおじさまに頷き返した。 「ということは、サトシは護衛対象の管理者が偽物だと知らされてたことになる。  つまり、サトシは本物の管理者が誰だか知っている可能性が高い。  もしかすると、今このときも、本物の管理者の護衛に就いているかもしれない」 管理者の近くには、お父さんがいる。 お父さんの近くには、管理者がいる。 もし管理者の居場所が分かって、そこに行くことになれば、必然的にあたしはお父さんと再会することになる。 その意味について、あたしはゆっくりと考えた。 これだけのメンバーがこの場に集っている理由を説明し終えた大人は、あたしが俯いている間に、現況確認に話題を変えた。 エリカさんを除くジムリーダーはそれぞれ代理を立てている。 代理が認められる期間は最長で二ヶ月。それを過ぎれば監理能力を問われて、面倒なことになる。 また、サカキが釈放される見込みはなく、生きて刑期を終えられる可能性もない。 ただ、もし自分が国家権力に屈することになった場合のためにサカキは手を打っていて、 サカキ直属の手下が逮捕されたり、ロケット団消滅後の足跡を辿れるような情報媒体が警察の手に渡ったりはしていない。 システムに潜んでいたサカキのスパイとは連絡が取れなくなっていたが、 それについてはマサキ博士が摘発されたことを証言、悪い予測が現実のものになる。 シルフカンパニーの屋上から飛び去ったお父さんの行方は、大まかな方角しか分かっておらず、 本物の管理者の居場所については、想像すらできない状況である。 それらの報告が卓上で消化された後で、シゲルおじさまが言った。 「マサキ博士以外の面子は知っての通りだが、  俺はサカキに頼まれて、少し前までグレン島に出張してたんだ。  さっきも言った通り、グレン島じゃあ遺伝子工学の研究が盛んだ。  海辺には巨大な研究所が堂々と並んでて、体面上、所長は冴えないオッサンになってるが、実質的な権力を握っているのはカツラだ。  そこで秘密裏にミュウスリーの量産が行われていると判断するのに、材料は十分すぎた。  若い頃の俺なら単身で飛び込んでいったんだろうが……」 シゲルおじさまはやれやれ、と溜息を吐いて、 「今の俺――いや、俺たちか――には面倒な肩書きが多すぎる。  綿密な襲撃計画は何度か練られたものの、結局はサカキが蹴ってご破算になった。  理由は二つ。  一つは、敵中に飛び込むのはリスクが高すぎる。  もう一つは、下手に騒ぎを起こして、万が一にもミュウスリーを覚醒させるようなことになれば、取り返しのつかないことになる。  そんなわけで俺に命じられたのは、慎重かつ穏便な調査任務だった。  正直に言っちまえば、俺はもしミュウスリーの量産が確認できたときは、研究所ごとミュウスリーを"処分"するつもりだったんだ。  サカキには内緒でさ」 何気なく使われた"処分"という言葉には、普段の気さくなシゲルおじさまからは想像もできないような無機質な響きがあった。 たとえ創り出されたミュウスリーに罪がなくても、きっとシゲルおじさまは、躊躇いなくミュウスリーを殺 す。 何故なら、ミュウスリーは存在してはいけないポケモンだから。ミュウスリーは人類の繁栄を脅かすポケモンだから。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: