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第十四章 下」(2008/12/23 (火) 00:17:50) の最新版変更点

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金髪ロングと茶髪ショートの子たちと出会ってから、二日目の朝。 あたしたちはセキチクシティの郊外にまでやってきていた。 順調に進めば今頃はポケモン協会にお邪魔しているところなんだろうけど、 そうなっていないのは、二人乗りの長距離走行に耐えきれず、 自転車のタイヤが二台ともパンクしてしまって、 結局四人で自転車を押しながらの徒歩になってしまったから。 三人以上の偶数人が集まると、 自然と二つの組が出来上がるもので、 今はあたしと茶髪ショートの子と、カエデと金髪ロングの子に分れていた。 「ちょ、カエデさんも"pixiey angel"好きなんですか!?  あたしもあそこ大好きなんですよねー。  ほら、このピアスも元彼からプレゼントしてもらったヤツでぇ~」 「う……なかなか良いセンスしてるじゃない」 ブランド談義で盛り上がっているあちらとは対照的に、 こちらの空気はどんよりしていた。 「あの」 「なに?」 「喉、渇きません?」 あたしはリュックからペットボトルを取り出した。 「はい、これ」 「いいんですか?」 「うん。好きなだけ呑んで」 「……ありがとうございます」 どうもこの茶髪の子は、あの金髪ロングの子と一緒じゃないとイマイチ調子が出ないみたい。 初めにキャピキャピ言っていたのが嘘のように大人しいんだもの。 「ごめんね」 ペットボトルを口にしたまま、茶髪ショートがキョトンとする。 「ぷはぁ……いきなりどうしたんですか?」 「最初はあんたたちがちょっかいかけてきたから、  ポケモンバトルで仕返ししたのも悪いことだと思ってなかったんだけどね。  自転車パンクさせた上に、慣れない徒歩や野宿までさせちゃって、  なんだか悪いことしたなぁって。セキチクシティについたら、必ず弁償するから」 「い、いいですよ。調子乗ってたのはウチらですし、  それに今から考えたら、もしウチらとヒナタさんたちが逆の立場だったら、  同じことしてたと思いますし」 根は良い子なんだな、と思う。ただ表面上が生意気なだけで。あたしは言った。 「あ、そのペットボトル、蓋閉めないで返して。あたしも呑むから」 セキチク近辺は乾燥地帯で、 その所為かどうかなのかは知らないけれど、とにかく喉がよく渇いた。 ペットボトルを傾けると、 高く澄んだ秋空が目に入った。 太陽も夏の焦がすような光ではなく、秋から冬にかけての、 日向ぼっこに誘うようなそれへと変わっていた。 「あの、訊いてもいいですか」 「なあに?」 「ヒナタさんやカエデさんは、なんでセキチクシティに行くんですか?」 あたしは少し悩んでから、 「ポケモンリーグに出場するために、バッジを集めて回っているの。  カエデはその付き添いみたいなもの、かな」 「凄い、ですね」 茶髪ショートは俯いて、その綺麗に染められた前髪を揺らした。 「どうして?」 「だって……そうやって夢を叶えるために旅をするの、  言葉にするのは簡単でも、実際にしようとすると難しいじゃないですか」 「そういうものかしら。  あたしはもう旅に慣れちゃったから分かんないわ」 「……あたしも、ポケモンマスターになりたいと思ってた時期があったんです。  でも、実行に移すとなると、面倒なことがたくさん見えてきて、  結局、楽な方を選んじゃいました」 あたしは前を向いたまま訊いた。 「もうその夢は、完璧に諦めちゃったの?」 「え?」 「ポケモンマスターになる夢。  今からでも遅くないんじゃない?」 「でも、あたしのポケモン、みんな弱いから……」 「そう?  あんたのカイロス、能力が未知数の相手に攻撃を躊躇う性格を直しさえすれば、かなり強いと思うけどな」 「本当ですか?」 「あたしはお世辞を言うような性分してないわ」 茶髪ショートの頬をほんのり色づかせて 「……あたし、ちょっと考えてみます」 と言い、尊敬の入り交じった眼差しであたしを見つめてきた。 「ところでヒナタさんって、今いくつバッジを持ってるんですか?」 「四つよ」 あたしはバッグを開けて、バッジを取り出して見せた。前髪に隠れた双眸が輝く。 「うわあ……モノホンのバッジなんて、初めて見ました。  レインボーバッジもある……マジで強かったんですね、ヒナタさん」 「そ、それほどでもないわよ」 あたし自身の成長は少なからずとも自覚していたけれど、 こうやって他人から褒められると、どうしてもむず痒くなってしまう。 それにレインボーバッジはゲンガーの暴走なくしては得られなかったものだから、 あたしは余計に複雑な心境だった。 「謙遜しないでくださいよー。あたし、勘違いしてました。  ヒナタさんはピンクバッジを"貰い"にセキチクに行くんですね」 「へ? 貰いに、ってどういうこと?」 「高位のジムを破った者には、  それよりも低位のジムのバッジが無条件で譲渡されるのが決まりじゃないですか」 「ちょっと待って。  あたしの記憶が正しければ、タマムシシティジムよりもセキチクシティジムの方が、  レベルは高かったはずなんだけど」 「あれれ、知らなかったんですか?  もう一年くらい前に、元セキチクシティジムリーダーのキョウが四天王に昇格して、  娘のアンズちゃんが後継者に決まったんです。  でも、例えポケモンが高レベルでも、経験の差は歴然で、  結果、アンズちゃんが成長するまでの間、  タマムシシティジムがセキチクシティジムよりも上位の実力を保持するよう、  ポケモン協会から通達があったらしいですよ。  だから、レインボーバッジを持っているヒナタさんは、  わざわざアンズちゃんとジム戦しなくても、ピンクバッジが貰えると思います」 「そうだったんだ……。  ジム戦しない分楽ができるからいいけど、ちょっと拍子抜けしちゃったな。  アンズちゃん、だっけ。  その子は今何歳くらいなの?」 「たしか、8歳くらいだったと思います。  髪をツインテールにしていて、とーっても可愛いんですよ」 まるで自分の娘のことを話す母親のように 顔を綻ばせる茶髪ショート。 「よく知ってるのね」 「いちおー、あたしセキチク出身なんで。  しかも家がジムの近所だから、よく見かけるんです」 初耳だった。 アンズちゃんファンのこの子には悪いけど、 その話は一先ず置いておいて、 「ね、セキチクシティって、どんなところなの?」 「田舎臭い町ですよ。よく言えば自然豊かなトコですけど、  ウチらからしたら耐えられないですね。  名所といっても、サファリパークやポケモン協会本部くらいですし」 「田舎っていうのは、あたしの生まれ育ったマサラタウンのことを言うのよ……。  セキチクシティに着いたら頼みたいことがあるんだけれど、聞いてくれる?」 「何ですか?」 「ポケモン協会本部まで、案内して欲しいの。  あたしもカエデも、セキチクの地理には暗いから」 「いいですよ。でも、どうしてポケモン協会に寄るんですか?」 「それは――」 あたしが適当な嘘を並べようとしたその時、 カエデの声が割り込んできた。 「ヒナターっ、そろそろ休憩ー!」 スターミーが宙に浮かんで、 五芒星の片側をくるくる回し、スプリンクラーのように水を撒き散らす。 カエデは 「気化熱サイコー」 と言って、うんと伸びをした。 あたしのスターミーをこんなことに使わないでよね、 と文句を投げつけてやりたかったけど、 あたし自身、その涼しさはまんざらでもなかったので何も言えなかった。 ごめんね、スターミー。 「それっ」 三閃。ミニリュウ、パウワウ、ワニノコ――カエデのポケモンが次々に現れる。 顔を見合わせる金髪ロングと茶髪ショート。 あたしは言った。 「あんたたちのポケモンも外に出してあげたら?  ボールの中でずっと過ごすのも、窮屈だと思うわ」 しばらく迷う仕草を見せてから、二閃。 焦げ気味のカイロスと、星型の模様が残ったエレキッドが現れる。 あたしもピッピを外に出してあげることにした。 サイクリングロードは視界が開けているし、 脇に入ったところで背の高い植物もないから、 もし迷子になってもすぐに見つけることが出来る。 「ぴぃっ」 閃光。 ピッピは上目遣いに天使みたいな笑顔を見せると、 すぐに、パウワウのふくよかなお腹に飛びついていった。 あたしの腕の中よりもパウワウソファを選ぶだなんて――そんなに気持ちいいのかしら。 戯れるポケモンたちを眺めていると、 それぞれの思惑が、交錯したり、擦れ違ったりしていることが分かる。 例えば、ワニノコ。 あの子はパウワウを姉のように慕っているんだけど、 最近は彼女のお腹がピッピに独占され気味なことと、 彼女がミニリュウから変なアプローチを受けていることもあってか、すこぶる機嫌が悪かった。 ピッピはそんな事情も何処吹く風といった様子で、気ままに休憩時間を満喫していた。 こんなところでも、成長を感じる。 ポケモンタワーに行くまでは、ちょっとワニノコに威嚇されただけで竦み上がっていたのにね……。 そして問題児のミニリュウ。 この子はあたしたちのポケモンの面子で唯一、 大人の女性(と言うには若すぎるかしら)のパウワウに、ことある事にちょっかいをかけていた。 寝そべるパウワウの視界に入っては、 尻尾の先端でヒレを撫でつけて見せたり、 シュ、シュッ、とシャドーバトルをして見せたりと、色々やっていた。 そんな時、パウワウは決まって目を瞑っていた。 文字通り眼中にないんだと思う。 もしかしてパウワウは、誰か好きなポケモンがいるのかしら。 そう思って前に一度、カエデに尋ねてみたら、 『いるみたい』 という答えが返ってきて、びっくりした。 なんでも、あるときボールの中を覗き見たら、パウワウは別れた恋人を想う女の子みたいに、 『ぱう~』 と切なげな溜息を吐いていたんだとか。 ポケモンと張り合うなんて間違っているかもしれないけれど、 正直な話、ちょっぴり悔しかった。いいなあ、そういうの。 「―――タ――ヒナタってば!」 顔を上げる。 怒り顔と不安顔を足して二で割ったような顔をしたカエデが立っていた。どうしたの? 「どうしたのもこうしたのもないわよ。  最近のあんた、ぼーっとしすぎ。  さっきからあの子たちが呼んでるのに、ちっとも気づかないんだから」 あたしは慌てて弁解した。 「ごめん、無視してたわけじゃないの。それで……何か用?」 金髪ロングはあたしの腰辺りを指差して、 「ヒナタさんのそれ、ハイパーボールですよねー? 中のポケモン、見せてもらえません?」 「え……あの……それは……」 「出し惜しみしないで見せてくださいよぉー。  ほら、あんたも頼みなって」 茶髪ショートが押し出されたが、 すぐに戻っていった。 「あ、あたしはいいよ」 「馬鹿。見たいって言い出したのあんたじゃん。  ったくもー、しょうがないなー」 金髪ロングが前に出てきて、お辞儀する。 「ヒナタさん、お願いします。  ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでいいから、見せてください」 演技だというのは分かっていた。 けど、それを断るだけの建前とその演技が、咄嗟に用意できなかった。 「…………」 沈黙が流れる。 気まずい雰囲気に助け船を出してくれたのはカエデだった。 「あっ。もしかしてヒナタ、またあの子のこと謹慎処分にしてるの?」 反射的に頷く。 「なーんだ。それならそう言いなさいよ」 カエデは二人に向き直って、 「実はね、ヒナタのハイパーボールに入っているのはシャドーポケモンのゲンガーなんだけど、  これがまたすっごくエロくてー、四六時中ニタニタして、  隙あらばあたしやヒナタを厭らしい視線で舐め回してくるのよ。  一言で言い表すなら女の敵ね」 「うわ……最悪」 「ちょっと……ううん、かなりガッカリです」 「でしょー?  それで、ゲンガーが変態的行動をとった場合には、罰としてボールで謹慎させることにしているの。  ね、ヒナタ?」 「え、ええ。ボールから一度でも出したら、  あんたたちに襲いかかるかもしれないわ」 金髪ロングと茶髪ショートの顔が青ざめる。 二人が逃げるようにして離れていった後、 カエデは突然、あたしの背後に回り込み、何を思ったのか胸をわしづかみにしてきた。 「ちょっ、なに!?やめて! 離してっ!」 「白状する?」 「なっ、なな、なんの、こと?」 「うーうーのこと」 「うーうーって、なに、よっ?」 「ゲンガーのことに決まってるじゃない。あんた、あたしに何か隠してるでしょ?」 「変なあだ名、つけないで、よねっ……はぁ、それに隠し事なんて――」 「嘘つきにはお仕置きよ」 「きゃっ……ん……分かった、話すから! 話すから手を離してっ!」 「分かればいいの」 鬼だわ。この従姉、鬼よ。 あたしは息を整えながら、 「はぁっ……いつから……はぁ……気づいてたの」 「タマムシシティ出る前からよ。  ヒナタったら、レインボーバッジゲットしたのにどこか浮かない顔してたし、  あたしにジム戦の流れを説明してくれた時も、  ピッピやヒトデマンのことを話す時は普通なのに、  ゲンガーのことを話す時は歯切れが悪かったし」 隠し通せていると思ってたのに。 結局、全部見透かされていたのね……。 「そして極めつけは、あんたがジム戦の後、  ゲンガーをボールの外に全然出さなくなったこと。  ヒナタは元々あの子をポケモンバトルに使わないようにしてたみたいだけど、  それでも、休憩の時には外に出して上げてたでしょ?  そこでピンと来たのよ」 前髪をふぁさ、と掻き上げて、 「あんたとゲンガーの間に、何かあったってね!」 フッと笑ってみせる名探偵カエデ。 言い訳しても白々しいだけ、ね。 あたしは全て明かすことにした。 九日前の夜――タマムシジムの庭園で、先代頭首と交わした言葉の一部始終を。 どこまで行くのかしら。 そう思い始めたあたりで、先代頭首は歩みを止めた。 そこは大きな柳の下だった。 風が吹くと、さわさわと涼しい音がした。 「枝垂れ柳だ。綺麗なものだろう。  まだほんの小さい時から、ワシが手塩にかけて育てているんだ」 節くれ立った手が、柳の枝先に触れる。 「この他にも、ここにはワシが育てている植物がたくさんあってな。  それらは庭師に触れさせず、ワシ自身の手で世話をするようにしている。  何故だか分かるかな」 下手に発言してはいけない気がして、 あたしは黙って、先代頭首の続きの言葉に耳を傾けた。 「そうしないと、彼らに愛想を尽かされてしまうからだ。  ここに植えたのはあなたに違いないが、世話を他人に任せるとは何事だ、とね。  お嬢さんのような年頃の者には理解できないかもしれないが、植物にも心がある。  水をやれば喜び、葉を虫食まれれば怒り、放置されれば哀しみ、日差しを浴びれば楽しげに体を揺らす。  しかし彼らは寡黙だ。  ワシが彼らの機微を理解するまでには三十余年の時が必要だった」 先代頭首はあたしに向き直って、 「彼らは動かぬ表情の下に、実に様々な事情を隠している。  元気な花を咲かせているように見えて、茎の根本が害虫に侵されていたり、  たくさんの葉を茂らせているように見えて、そのうちの一部が病気によって枯れていたり、とな」 「君の目には、この柳が元気なように見えるかね?」 膨れるようにしな垂れた枝葉は、夜でも鮮やかな淡緑だと分かる。 あたしは「はい」と頷いた。 「ワシの目にはそうは映らない。  事実、この柳はある病気を患っていてね。  ワシが不審に思って対処していなければ、手遅れになっていた。  嘘のような話かもしれぬが、確かにワシには、この柳の訴えが聞こえるのだ」 それと同じでな、と先代頭首は扇子であたしの腰元を指して、 「君のゲンガーの暴走を見ていたとき、  ワシは彼の、声にならない悲鳴を聞いていた。  そして同時に理解したのだ。  彼は暴走すべくして暴走したのではない。  普段はお嬢さんに忠実で心穏やかなポケモンだが、  何かが引き金となって、彼を一時的に、残酷な性格に変えてしまったのだ、と」 先代頭首の言葉には説得力があった。 あたしは訊いた。 「引き金というと……ラフレシアと向かいあったことですか?」 「違うな。彼にとっての禁忌は、ポケモンバトルそのもの。  倒すか、倒されるか。その状況になった途端、彼は豹変するのだ。  彼はそうなったが最後、完膚無きまでに相手を叩き潰すまで、攻撃をやめないだろう。  君の命令も彼には届かない。  "豹変した彼"は最早、君のポケモンですらない」 「そんな――」 「動揺するのも無理はないが、事実だ。  お嬢さんはいつ頃、そのゲンガーを捕まえたのかな」 「正確にいうと、この子はあたしが捕まえたポケモンじゃないんです。  夏の終わりに、ポケモンタワーで出会って……」 言葉に詰まる。 先代頭首はエリカさんそっくりに目を瞑って、 「深い事情があると見える。  それなら、無理に語り明かさずともよい」 「すみません」 咳払いの後、 「ゲンガーの暴走について、考えられる要因は二つある。  一つは、彼を形作る複数の霊体の中に、生前、非常に凶暴であったポケモンの霊が混じっている可能性。  もう一つは、同じくそれらの霊体の中に、生前、相手を徹底的に戦闘不能にするよう、厳しく躾られたポケモンの霊体がいる可能性。  心当たりはあるかい?」 あたしはキクコお婆さんの言葉を思い出した。 ゲンガーの核となる霊は、凶悪ポケモン、ギャラドス。 そのギャラドスが生前、トレーナーにどう躾されていたかどうかは知らないけれど、 レベルが90近くもあったというのが本当なら、相当勝ちに拘った躾がされていたのではないかしら。 例えば、そう――起き上がろうと必死な相手に執拗な追い打ちをかけたり、 瀕死ながらも戦意を失っていない相手に、止めの一撃を加えたり。 ゲンガーとラフレシアの戦いが脳裏に再生される。 寒くないのに、体が震えた。 あたしの表情を覗き見た先代頭首は、顎をさすりながら、 「やはりそうか。しかしそれならそれで不可解な部分がある。  生前の性格を受け継ぐのはある意味当然の結果として、  何故、平常時は穏やかな性格で、"豹変"することで、その凶悪な性格に切り替わるのか。  そしてその豹変の切欠が、何故ポケモンバトルなのか」 それは、ゲンガーの前世であるギャラドスが、 ポケモンバトルの最中に殺されてしまったことに関係しているのかもしれません。 そう言おうとして、俯いた。 ――ギャラドスを殺したポケモンが、ピカチュウであることを思い出してしまったから。 先代頭首はあたしが沈んでいることを察してくれたのかもしれない。 ほう、と息を吐いて、 「しかし、そのゲンガーを初めて戦わせたのがここで、本当に良かった。  行き過ぎた暴力は時に、加害者にその気がなくとも、被害者を死に至らしめることがある」 「一般のポケモンバトルに出していたら、と思うと、ぞっとします」 「もう承知していることだとは思うが、そのゲンガーは今後一切、ポケモンバトルに出してはならぬ。  彼が前世の束縛から解かれるか、お嬢さんが少なくともゴールドバッジを手に入れるまでは、  戦力外として数えるのだ」 「はい」 深く頷く。先代頭首は微笑んで、 「いい子だ。今更だが、君の戦いは見事だったぞ。  特に次鋒同士の戦いは、十数年以上前のあの一戦をエリカに想起させたことだろう。  ――相性だけが全てではない。  あの時のエリカの悔しそうな顔は、今でも鮮明に思い出せる」 「あの一戦、というと?」 「古い話故に、名前はもう定かでないが、一人の少年がレインボーバッジを求めてやってきたのだ。  ちょうど、今のお嬢さんと同じように。  エリカも、当時はまだ14歳。プライドが高く、加減を知らぬ年頃だ。ジム戦では常に全力だった。  バトルフィールドも現在より、かなり草タイプのポケモンに有利なよう設定されていた。  こんなことを言うと親ばかのように聞こえるだろうが、エリカは幼少からポケモンバトルに特別秀でていてね。  あの子はほとんど負け知らずだったのだ。  その少年が門を叩いた時も、エリカは勝負が始まる前から勝利を確信していた。  少年は強力な炎タイプのポケモンを連れていたが、充分に躾られていなかった。  そして他のポケモンはいずれも、草タイプに対して五分五分、もしくは弱点となる相性だった。  それが分かった時点で、傍目で見ていたワシも、辛酸を舐めることになるのは少年の方だろう、と確信していた。  ところが蓋を開けてみれば、敗北したのはエリカの方だった。  しかも少年のパーティーには水ポケモンもいてね。これがエリカのプライドを酷く傷つけたのだろう。  以来、エリカはその少年ばかりを意識するようになってしまった」 先代頭首とは名乗っていても、やっぱりエリカさんのお父さんね……。 エリカさんのことになった途端に饒舌になるんだもの。 「その少年は、今はどうしているんですか?」 当時のエリカさんに勝つほど強いなら、 今は有名なトレーナーとして活躍していると考えるのが普通よね。 「さあ、どうしているのだろうな。  ワシはポケモンの世界から引退して久しい。  エリカはジム戦以後も、その少年と幾度か交流を持っていたようだが……詳しくは知らぬ。  まったく、年頃の娘とはどうしてああも秘密主義なのか」
金髪ロングと茶髪ショートの子たちと出会ってから、二日目の朝。 あたしたちはセキチクシティの郊外にまでやってきていた。 順調に進めば今頃はポケモン協会にお邪魔しているところなんだろうけど、 そうなっていないのは、二人乗りの長距離走行に耐えきれず、 自転車のタイヤが二台ともパンクしてしまって、 結局四人で自転車を押しながらの徒歩になってしまったから。 三人以上の偶数人が集まると、 自然と二つの組が出来上がるもので、 今はあたしと茶髪ショートの子と、カエデと金髪ロングの子に分れていた。 「ちょ、カエデさんも"pixiey angel"好きなんですか!?  あたしもあそこ大好きなんですよねー。  ほら、このピアスも元彼からプレゼントしてもらったヤツでぇ~」 「う……なかなか良いセンスしてるじゃない」 ブランド談義で盛り上がっているあちらとは対照的に、 こちらの空気はどんよりしていた。 「あの」 「なに?」 「喉、渇きません?」 あたしはリュックからペットボトルを取り出した。 「はい、これ」 「いいんですか?」 「うん。好きなだけ呑んで」 「……ありがとうございます」 どうもこの茶髪の子は、あの金髪ロングの子と一緒じゃないとイマイチ調子が出ないみたい。 初めにキャピキャピ言っていたのが嘘のように大人しいんだもの。 「ごめんね」 ペットボトルを口にしたまま、茶髪ショートがキョトンとする。 「ぷはぁ……いきなりどうしたんですか?」 「最初はあんたたちがちょっかいかけてきたから、  ポケモンバトルで仕返ししたのも悪いことだと思ってなかったんだけどね。  自転車パンクさせた上に、慣れない徒歩や野宿までさせちゃって、  なんだか悪いことしたなぁって。セキチクシティについたら、必ず弁償するから」 「い、いいですよ。調子乗ってたのはウチらですし、  それに今から考えたら、もしウチらとヒナタさんたちが逆の立場だったら、  同じことしてたと思いますし」 根は良い子なんだな、と思う。ただ表面上が生意気なだけで。あたしは言った。 「あ、そのペットボトル、蓋閉めないで返して。あたしも呑むから」 セキチク近辺は乾燥地帯で、 その所為かどうかなのかは知らないけれど、とにかく喉がよく渇いた。 ペットボトルを傾けると、 高く澄んだ秋空が目に入った。 太陽も夏の焦がすような光ではなく、秋から冬にかけての、 日向ぼっこに誘うようなそれへと変わっていた。 「あの、訊いてもいいですか」 「なあに?」 「ヒナタさんやカエデさんは、なんでセキチクシティに行くんですか?」 あたしは少し悩んでから、 「ポケモンリーグに出場するために、バッジを集めて回っているの。  カエデはその付き添いみたいなもの、かな」 「凄い、ですね」 茶髪ショートは俯いて、その綺麗に染められた前髪を揺らした。 「どうして?」 「だって……そうやって夢を叶えるために旅をするの、  言葉にするのは簡単でも、実際にしようとすると難しいじゃないですか」 「そういうものかしら。  あたしはもう旅に慣れちゃったから分かんないわ」 「……あたしも、ポケモンマスターになりたいと思ってた時期があったんです。  でも、実行に移すとなると、面倒なことがたくさん見えてきて、  結局、楽な方を選んじゃいました」 あたしは前を向いたまま訊いた。 「もうその夢は、完璧に諦めちゃったの?」 「え?」 「ポケモンマスターになる夢。  今からでも遅くないんじゃない?」 「でも、あたしのポケモン、みんな弱いから……」 「そう?  あんたのカイロス、能力が未知数の相手に攻撃を躊躇う性格を直しさえすれば、かなり強いと思うけどな」 「本当ですか?」 「あたしはお世辞を言うような性分してないわ」 茶髪ショートの頬をほんのり色づかせて 「……あたし、ちょっと考えてみます」 と言い、尊敬の入り交じった眼差しであたしを見つめてきた。 「ところでヒナタさんって、今いくつバッジを持ってるんですか?」 「四つよ」 あたしはバッグを開けて、バッジを取り出して見せた。前髪に隠れた双眸が輝く。 「うわあ……モノホンのバッジなんて、初めて見ました。  レインボーバッジもある……マジで強かったんですね、ヒナタさん」 「そ、それほどでもないわよ」 あたし自身の成長は少なからずとも自覚していたけれど、 こうやって他人から褒められると、どうしてもむず痒くなってしまう。 それにレインボーバッジはゲンガーの暴走なくしては得られなかったものだから、 あたしは余計に複雑な心境だった。 「謙遜しないでくださいよー。あたし、勘違いしてました。  ヒナタさんはピンクバッジを"貰い"にセキチクに行くんですね」 「へ? 貰いに、ってどういうこと?」 「高位のジムを破った者には、  それよりも低位のジムのバッジが無条件で譲渡されるのが決まりじゃないですか」 「ちょっと待って。  あたしの記憶が正しければ、タマムシシティジムよりもセキチクシティジムの方が、  レベルは高かったはずなんだけど」 「あれれ、知らなかったんですか?  もう一年くらい前に、元セキチクシティジムリーダーのキョウが四天王に昇格して、  娘のアンズちゃんが後継者に決まったんです。  でも、例えポケモンが高レベルでも、経験の差は歴然で、  結果、アンズちゃんが成長するまでの間、  タマムシシティジムがセキチクシティジムよりも上位の実力を保持するよう、  ポケモン協会から通達があったらしいですよ。  だから、レインボーバッジを持っているヒナタさんは、  わざわざアンズちゃんとジム戦しなくても、ピンクバッジが貰えると思います」 「そうだったんだ……。  ジム戦しない分楽ができるからいいけど、ちょっと拍子抜けしちゃったな。  アンズちゃん、だっけ。  その子は今何歳くらいなの?」 「たしか、8歳くらいだったと思います。  髪をツインテールにしていて、とーっても可愛いんですよ」 まるで自分の娘のことを話す母親のように 顔を綻ばせる茶髪ショート。 「よく知ってるのね」 「いちおー、あたしセキチク出身なんで。  しかも家がジムの近所だから、よく見かけるんです」 初耳だった。 アンズちゃんファンのこの子には悪いけど、 その話は一先ず置いておいて、 「ね、セキチクシティって、どんなところなの?」 「田舎臭い町ですよ。よく言えば自然豊かなトコですけど、  ウチらからしたら耐えられないですね。  名所といっても、サファリパークやポケモン協会本部くらいですし」 「田舎っていうのは、あたしの生まれ育ったマサラタウンのことを言うのよ……。  セキチクシティに着いたら頼みたいことがあるんだけれど、聞いてくれる?」 「何ですか?」 「ポケモン協会本部まで、案内して欲しいの。  あたしもカエデも、セキチクの地理には暗いから」 「いいですよ。でも、どうしてポケモン協会に寄るんですか?」 「それは――」 あたしが適当な嘘を並べようとしたその時、 カエデの声が割り込んできた。 「ヒナターっ、そろそろ休憩ー!」 スターミーが宙に浮かんで、 五芒星の片側をくるくる回し、スプリンクラーのように水を撒き散らす。 カエデは 「気化熱サイコー」 と言って、うんと伸びをした。 あたしのスターミーをこんなことに使わないでよね、 と文句を投げつけてやりたかったけど、 あたし自身、その涼しさはまんざらでもなかったので何も言えなかった。 ごめんね、スターミー。 「それっ」 三閃。ミニリュウ、パウワウ、ワニノコ――カエデのポケモンが次々に現れる。 顔を見合わせる金髪ロングと茶髪ショート。 あたしは言った。 「あんたたちのポケモンも外に出してあげたら?  ボールの中でずっと過ごすのも、窮屈だと思うわ」 しばらく迷う仕草を見せてから、二閃。 焦げ気味のカイロスと、星型の模様が残ったエレキッドが現れる。 あたしもピッピを外に出してあげることにした。 サイクリングロードは視界が開けているし、 脇に入ったところで背の高い植物もないから、 もし迷子になってもすぐに見つけることが出来る。 「ぴぃっ」 閃光。 ピッピは上目遣いに天使みたいな笑顔を見せると、 すぐに、パウワウのふくよかなお腹に飛びついていった。 あたしの腕の中よりもパウワウソファを選ぶだなんて――そんなに気持ちいいのかしら。 戯れるポケモンたちを眺めていると、 それぞれの思惑が、交錯したり、擦れ違ったりしていることが分かる。 例えば、ワニノコ。 あの子はパウワウを姉のように慕っているんだけど、 最近は彼女のお腹がピッピに独占され気味なことと、 彼女がミニリュウから変なアプローチを受けていることもあってか、すこぶる機嫌が悪かった。 ピッピはそんな事情も何処吹く風といった様子で、気ままに休憩時間を満喫していた。 こんなところでも、成長を感じる。 ポケモンタワーに行くまでは、ちょっとワニノコに威嚇されただけで竦み上がっていたのにね……。 そして問題児のミニリュウ。 この子はあたしたちのポケモンの面子で唯一、 大人の女性(と言うには若すぎるかしら)のパウワウに、ことある事にちょっかいをかけていた。 寝そべるパウワウの視界に入っては、 尻尾の先端でヒレを撫でつけて見せたり、 シュ、シュッ、とシャドーバトルをして見せたりと、色々やっていた。 そんな時、パウワウは決まって目を瞑っていた。 文字通り眼中にないんだと思う。 もしかしてパウワウは、誰か好きなポケモンがいるのかしら。 そう思って前に一度、カエデに尋ねてみたら、 『いるみたい』 という答えが返ってきて、びっくりした。 なんでも、あるときボールの中を覗き見たら、パウワウは別れた恋人を想う女の子みたいに、 『ぱう~』 と切なげな溜息を吐いていたんだとか。 ポケモンと張り合うなんて間違っているかもしれないけれど、 正直な話、ちょっぴり悔しかった。いいなあ、そういうの。 「―――タ――ヒナタってば!」 顔を上げる。 怒り顔と不安顔を足して二で割ったような顔をしたカエデが立っていた。どうしたの? 「どうしたのもこうしたのもないわよ。  最近のあんた、ぼーっとしすぎ。  さっきからあの子たちが呼んでるのに、ちっとも気づかないんだから」 あたしは慌てて弁解した。 「ごめん、無視してたわけじゃないの。それで……何か用?」 金髪ロングはあたしの腰辺りを指差して、 「ヒナタさんのそれ、ハイパーボールですよねー? 中のポケモン、見せてもらえません?」 「え……あの……それは……」 「出し惜しみしないで見せてくださいよぉー。  ほら、あんたも頼みなって」 茶髪ショートが押し出されたが、 すぐに戻っていった。 「あ、あたしはいいよ」 「馬鹿。見たいって言い出したのあんたじゃん。  ったくもー、しょうがないなー」 金髪ロングが前に出てきて、お辞儀する。 「ヒナタさん、お願いします。  ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでいいから、見せてください」 演技だというのは分かっていた。 けど、それを断るだけの建前とその演技が、咄嗟に用意できなかった。 「…………」 沈黙が流れる。 気まずい雰囲気に助け船を出してくれたのはカエデだった。 「あっ。もしかしてヒナタ、またあの子のこと謹慎処分にしてるの?」 反射的に頷く。 「なーんだ。それならそう言いなさいよ」 カエデは二人に向き直って、 「実はね、ヒナタのハイパーボールに入っているのはシャドーポケモンのゲンガーなんだけど、  これがまたすっごくエロくてー、四六時中ニタニタして、  隙あらばあたしやヒナタを厭らしい視線で舐め回してくるのよ。  一言で言い表すなら女の敵ね」 「うわ……最悪」 「ちょっと……ううん、かなりガッカリです」 「でしょー?  それで、ゲンガーが変態的行動をとった場合には、罰としてボールで謹慎させることにしているの。  ね、ヒナタ?」 「え、ええ。ボールから一度でも出したら、  あんたたちに襲いかかるかもしれないわ」 金髪ロングと茶髪ショートの顔が青ざめる。 二人が逃げるようにして離れていった後、 カエデは突然、あたしの背後に回り込み、何を思ったのか胸をわしづかみにしてきた。 「ちょっ、なに!?やめて! 離してっ!」 「白状する?」 「なっ、なな、なんの、こと?」 「うーうーのこと」 「うーうーって、なに、よっ?」 「ゲンガーのことに決まってるじゃない。あんた、あたしに何か隠してるでしょ?」 「変なあだ名、つけないで、よねっ……はぁ、それに隠し事なんて――」 「嘘つきにはお仕置きよ」 「きゃっ……ん……分かった、話すから! 話すから手を離してっ!」 「分かればいいの」 鬼だわ。この従姉、鬼よ。 あたしは息を整えながら、 「はぁっ……いつから……はぁ……気づいてたの」 「タマムシシティ出る前からよ。  ヒナタったら、レインボーバッジゲットしたのにどこか浮かない顔してたし、  あたしにジム戦の流れを説明してくれた時も、  ピッピやヒトデマンのことを話す時は普通なのに、  ゲンガーのことを話す時は歯切れが悪かったし」 隠し通せていると思ってたのに。 結局、全部見透かされていたのね……。 「そして極めつけは、あんたがジム戦の後、  ゲンガーをボールの外に全然出さなくなったこと。  ヒナタは元々あの子をポケモンバトルに使わないようにしてたみたいだけど、  それでも、休憩の時には外に出して上げてたでしょ?  そこでピンと来たのよ」 前髪をふぁさ、と掻き上げて、 「あんたとゲンガーの間に、何かあったってね!」 フッと笑ってみせる名探偵カエデ。 言い訳しても白々しいだけ、ね。 あたしは全て明かすことにした。 九日前の夜――タマムシジムの庭園で、先代頭首と交わした言葉の一部始終を。 どこまで行くのかしら。 そう思い始めたあたりで、先代頭首は歩みを止めた。 そこは大きな柳の下だった。 風が吹くと、さわさわと涼しい音がした。 「枝垂れ柳だ。綺麗なものだろう。  まだほんの小さい時から、ワシが手塩にかけて育てているんだ」 節くれ立った手が、柳の枝先に触れる。 「この他にも、ここにはワシが育てている植物がたくさんあってな。  それらは庭師に触れさせず、ワシ自身の手で世話をするようにしている。  何故だか分かるかな」 下手に発言してはいけない気がして、 あたしは黙って、先代頭首の続きの言葉に耳を傾けた。 「そうしないと、彼らに愛想を尽かされてしまうからだ。  ここに植えたのはあなたに違いないが、世話を他人に任せるとは何事だ、とね。  お嬢さんのような年頃の者には理解できないかもしれないが、植物にも心がある。  水をやれば喜び、葉を虫食まれれば怒り、放置されれば哀しみ、日差しを浴びれば楽しげに体を揺らす。  しかし彼らは寡黙だ。  ワシが彼らの機微を理解するまでには三十余年の時が必要だった」 先代頭首はあたしに向き直って、 「彼らは動かぬ表情の下に、実に様々な事情を隠している。  元気な花を咲かせているように見えて、茎の根本が害虫に侵されていたり、  たくさんの葉を茂らせているように見えて、そのうちの一部が病気によって枯れていたり、とな」 「君の目には、この柳が元気なように見えるかね?」 膨れるようにしな垂れた枝葉は、夜でも鮮やかな淡緑だと分かる。 あたしは「はい」と頷いた。 「ワシの目にはそうは映らない。  事実、この柳はある病気を患っていてね。  ワシが不審に思って対処していなければ、手遅れになっていた。  嘘のような話かもしれぬが、確かにワシには、この柳の訴えが聞こえるのだ」 それと同じでな、と先代頭首は扇子であたしの腰元を指して、 「君のゲンガーの暴走を見ていたとき、  ワシは彼の、声にならない悲鳴を聞いていた。  そして同時に理解したのだ。  彼は暴走すべくして暴走したのではない。  普段はお嬢さんに忠実で心穏やかなポケモンだが、  何かが引き金となって、彼を一時的に、残酷な性格に変えてしまったのだ、と」 先代頭首の言葉には説得力があった。 あたしは訊いた。 「引き金というと……ラフレシアと向かいあったことですか?」 「違うな。彼にとっての禁忌は、ポケモンバトルそのもの。  倒すか、倒されるか。その状況になった途端、彼は豹変するのだ。  彼はそうなったが最後、完膚無きまでに相手を叩き潰すまで、攻撃をやめないだろう。  君の命令も彼には届かない。  "豹変した彼"は最早、君のポケモンですらない」 「そんな――」 「動揺するのも無理はないが、事実だ。  お嬢さんはいつ頃、そのゲンガーを捕まえたのかな」 「正確にいうと、この子はあたしが捕まえたポケモンじゃないんです。  夏の終わりに、ポケモンタワーで出会って……」 言葉に詰まる。 先代頭首はエリカさんそっくりに目を瞑って、 「深い事情があると見える。  それなら、無理に語り明かさずともよい」 「すみません」 咳払いの後、 「ゲンガーの暴走について、考えられる要因は二つある。  一つは、彼を形作る複数の霊体の中に、生前、非常に凶暴であったポケモンの霊が混じっている可能性。  もう一つは、同じくそれらの霊体の中に、生前、相手を徹底的に戦闘不能にするよう、厳しく躾られたポケモンの霊体がいる可能性。  心当たりはあるかい?」 あたしはキクコお婆さんの言葉を思い出した。 ゲンガーの核となる霊は、凶悪ポケモン、ギャラドス。 そのギャラドスが生前、トレーナーにどう躾されていたかどうかは知らないけれど、 レベルが90近くもあったというのが本当なら、相当勝ちに拘った躾がされていたのではないかしら。 例えば、そう――起き上がろうと必死な相手に執拗な追い打ちをかけたり、 瀕死ながらも戦意を失っていない相手に、止めの一撃を加えたり。 ゲンガーとラフレシアの戦いが脳裏に再生される。 寒くないのに、体が震えた。 あたしの表情を覗き見た先代頭首は、顎をさすりながら、 「やはりそうか。しかしそれならそれで不可解な部分がある。  生前の性格を受け継ぐのはある意味当然の結果として、  何故、平常時は穏やかな性格で、"豹変"することで、その凶悪な性格に切り替わるのか。  そしてその豹変の切欠が、何故ポケモンバトルなのか」 それは、ゲンガーの前世であるギャラドスが、 ポケモンバトルの最中に殺されてしまったことに関係しているのかもしれません。 そう言おうとして、俯いた。 ――ギャラドスを殺したポケモンが、ピカチュウであることを思い出してしまったから。 先代頭首はあたしが沈んでいることを察してくれたのかもしれない。 ほう、と息を吐いて、 「しかし、そのゲンガーを初めて戦わせたのがここで、本当に良かった。  行き過ぎた暴力は時に、加害者にその気がなくとも、被害者を死に至らしめることがある」 「一般のポケモンバトルに出していたら、と思うと、ぞっとします」 「もう承知していることだとは思うが、そのゲンガーは今後一切、ポケモンバトルに出してはならぬ。  彼が前世の束縛から解かれるか、お嬢さんが少なくともゴールドバッジを手に入れるまでは、  戦力外として数えるのだ」 「はい」 深く頷く。先代頭首は微笑んで、 「いい子だ。今更だが、君の戦いは見事だったぞ。  特に次鋒同士の戦いは、十数年以上前のあの一戦をエリカに想起させたことだろう。  ――相性だけが全てではない。  あの時のエリカの悔しそうな顔は、今でも鮮明に思い出せる」 「あの一戦、というと?」 「古い話故に、名前はもう定かでないが、一人の少年がレインボーバッジを求めてやってきたのだ。  ちょうど、今のお嬢さんと同じように。  エリカも、当時はまだ14歳。プライドが高く、加減を知らぬ年頃だ。ジム戦では常に全力だった。  バトルフィールドも現在より、かなり草タイプのポケモンに有利なよう設定されていた。  こんなことを言うと親ばかのように聞こえるだろうが、エリカは幼少からポケモンバトルに特別秀でていてね。  あの子はほとんど負け知らずだったのだ。  その少年が門を叩いた時も、エリカは勝負が始まる前から勝利を確信していた。  少年は強力な炎タイプのポケモンを連れていたが、充分に躾られていなかった。  そして他のポケモンはいずれも、草タイプに対して五分五分、もしくは弱点となる相性だった。  それが分かった時点で、傍目で見ていたワシも、辛酸を舐めることになるのは少年の方だろう、と確信していた。  ところが蓋を開けてみれば、敗北したのはエリカの方だった。  しかも少年のパーティーには水ポケモンもいてね。これがエリカのプライドを酷く傷つけたのだろう。  以来、エリカはその少年ばかりを意識するようになってしまった」 先代頭首とは名乗っていても、やっぱりエリカさんのお父さんね……。 エリカさんのことになった途端に饒舌になるんだもの。 「その少年は、今はどうしているんですか?」 当時のエリカさんに勝つほど強いなら、 今は有名なトレーナーとして活躍していると考えるのが普通よね。 「さあ、どうしているのだろうな。  ワシはポケモンの世界から引退して久しい。  エリカはジム戦以後も、その少年と幾度か交流を持っていたようだが……詳しくは知らぬ。  まったく、年頃の娘とはどうしてああも秘密主義なのか」 もしもお父さんと一緒に暮らしていたら……、 あたしも14歳くらいの時は、お父さんにたくさん隠し事をしていたかもしれない。 党首の問いにあたしは答えず、 エリカさんの容態を確認したいと言った。 語り終えてカエデを見ると、その目はどこか遠くを見つめていた。 「エリカさん、絶対その男の子のことが好きだったに違いないわ。  プライドを傷つけた相手を憎んでいるうちに 四六時中その人のことを考えてしまっている自分がいて、 もしかしてこれは恋? でもでもジムリーダーが挑戦者と交際してもいいのかしら? いいえ、何を早合点しているんですの。恋なんてありえませんわ。 私を倒したあの方に抱くべきは絶対の敵愾心。それのみです。 ジムリーダーたるもの、いつまでも過去に囚われてはなりませんもの。 あと一度、そう、あと一度だけお逢いできれば、 その時こそ私の草ポケモンが最強であることを証明してみせますのに――みたいな?」 「みたいな? って言われても……」 「ヒナタもそう思うでしょ?」 「……まあね。カエデには話してなかったと思うけど、  エリカさんもかつてはポケモンマスターを目指そうとしていたらしいの。  もしかしたらその切欠は、その少年に負けたことだったのかもしれないわね」 「その男の子を意識するようになって、自由な生き方に憧れたのかもねー。  でも結局はジムリーダーに落ち着いちゃった、と。  案外、エリカさんが未婚なのも未だにその男の子を思い続けているからだったりして」 常識的に考えればあり得ないことだ。 でも、各界からも引く手数多に違いないのエリカさんに、 結婚はおろか特定の人がいるという噂さえ流れないのには、 お見合いを進めるエリカさんのお父さんと、エリカさんの折り合いがつかないから、 という理由とは、また違った何かがあるように思える。……って、どうして真剣にカエデの妄想に付き合ってるんだろ、あたし。 「その話はもうやめ。エリカさんに失礼じゃない?」 「聞かれてないんだし別にいいじゃん」 「そういう問題じゃないでしょ」 まったくヒナタは堅いんだからー、とカエデはわざとらしく首を竦めて、不意に唇を引き結んだ。 まるで悪夢から覚めた直後みたいに怖い顔になる。 あたしは訊いた。 「どうしたの?」 「エリカさんのことを話してる場合じゃなかったわ」 呼吸一つ分間をおいてから、 「ヒナタはゲンガーを、この先ずっとボールの中に閉じ込めとくつもりなの?」 「ずっと、って言い方は間違ってるわ。  ゲンガーが前世の性格に乗っ取られないようになるか、  あたしがゴールドバッジを手に入れて暴走したゲンガーを抑えつけられるようになるまで閉じ込めておくの」 あたしの言い分に間違っているところなんてないはずなのに、 どこかそう言い切ることに後ろめたさを感じる。 「ゲンガーが暴走する条件をもう一度言ってみて」 「ポケモンバトルに出すこと。  細かく言うと、相手のポケモンに真剣な敵意を向けられることよ」 「……ふーん」 カエデのミディアムブーツのかかとがアスファルトを叩く音が、耳障りだった。 「あたし不思議なんだけど。  条件がたったそれだけなら、こーいう休憩時間のあいだもゲンガーを閉じ込めておく理由って、なに?」 あたしは用意していた答えをそのまま口にした。 「普段のゲンガーが危なくないことは知ってるわ。  でも、こうやって旅をしている以上、  どこで野生のポケモンや心ないトレーナーに襲われるか分からない。  ゲンガーが暴走してしまってからでは遅いの」 「危ないと感じたらすぐにボールに戻せばいいじゃない」 「リスクは最小限にしたいの」 「リスク管理、ね」 カエデは冷ややかな声で言う。 「バカヒナタのくせに難しく考えすぎなんじゃないの?」 「茶化さないで。  カエデはゲンガーを閉じ込めてるあたしのことを酷いと思ってるのかもしれないけど、  これはカエデや、カエデのポケモンのためでもあるんだから」 「どういう意味?」 分かってるくせに。 「暴走したゲンガーを止めるには、  エリカさんのお父さんがしたように、  ゲンガーをどんな形であれ、戦闘不能にするしかないの。  ゲンガーは抵抗するわ。  きっと、あたしやカエデに攻撃することも厭わないでしょうね」 「あたしは別に構わないけど?  あ、これ別に売り言葉に買い言葉とかそんなんじゃないから」 その言葉が強がりでないことは、なんとなく理解できた。 「もし仮にゲンガーが暴走しちゃったとして、  あたしたちが全力で止めればいいだけの話でしょ?  エリカさんのお父さんがしたみたいに、一斉に複数のポケモンでかかれば大丈夫だって。  そりゃ無傷では抑えきれないかもしれないけど――」 「ダメよ」 と遮って、 「カエデは暴走したゲンガーを見たことがないからそんなことが言えるの。  エリカさんのラフレシアが為す術もなくやられたくらいなのよ?  今のあたしたちのポケモンじゃ歯が立たないに決まってるわ。  それに……暴走したゲンガ―を鎮めるために、別のポケモンが傷つくのは間違ってる」 押し黙るカエデ。やっと納得してくれたみたいね、と安堵の溜息を吐こうとしたときだった。 「間違ってるのはヒナタのほうよ」 と、カエデはきっぱりとした口調で言った。 解らない。どうしてカエデは、こんなにもゲンガーの肩を持つんだろう。 あの子が我を失った時、カエデのポケモンや、カエデ自身が傷つくかもしれないのに。 あたしが返す言葉を探していると、カエデはすたすたと二人の女の子の元へ行ってしまった。 「ポケモンはモノじゃない。生きてるのよ」 去り際に言われたその言葉が、耳の奥でいつまでも残響していた。

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