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環境対策・保全課について、多くの市民は――役所の職員ですら――閑職である、と考えていた。 なぜなら同課の職員は取り組むべき仕事を見つけられず、さらに長たる課長の職務怠慢が常態化していたからである。 であるからして、青年が入所し、まず取り組んだことは、環境保全協定、公害防止計画、 化学物質対策、自然災害防止計画、そしてマサラタウン周辺に生息する野生ポケモンの精確な分布調査であった。 従来の業務履歴への批評と今後の計画についての青年の上申を、しかし、課長は鼻で笑い飛ばした。 仕方ないので青年は区長に直訴した。 新人に逸材あり、と聞き及んでいた区長は、十分間の対談機会を彼に与えた。 その対談は一時間に及び、青年が上申した複数の計画のうち、優先順位が高いものから実施されることが決定した。 「……それでついたあだ名が、マサラタウンの風雲児、ねえ。  あんまり派手にやると、目を付けられるぜ……って、もう手遅れか」 「俺はやって当たり前のことを当たり前にやってるだけだよ。  誰かに目を付けられたとしても、この町を良くするためなら、構わない」 「ははっ、お前、もうすっかりマサラタウンの住人だな」 「褒め言葉として受け取っておくよ」 青年は彼の親友に笑いかけ、 「ところで、今日の訪問の理由は?」 「まあ、見当はついてるだろうが、転職の誘いだ。  ……親父の私立研究所で、俺と一緒に助手をやる気はねえか?」 「ない。役所での仕事を途中で放り出すことはできない。大木戸博士には申し訳ないけどね」 「そう言うと思ったぜ。親父も最初から諦めてる風だったし。でも、たまには顔出せよ。  お前の興味のありそうな論文が届いたら教えてやるからさ。正直、この町の図書館は物足りねえだろ?」 「うん……ありがとう」 大木戸博士の私立研究所は、約一ヶ月前、マサラタウン北部に竣工した。 不惑の歳を過ぎて間もなくタマムシ大学名誉教授の称号を得、 彼が次に望んだのは、さらなる名声ではなく、生まれ故郷――マサラタウン――での、己が為のポケモン研究だった。 博士の息子たる青年の親友は、ポケモンボール製造を一手に担う半官半民会社・シルフカンパニーの内定を辞退し、 博士の私立研究所の助手となる道を選んだ。 「研究所への、資材の運搬は済んでるの?」 「ぼちぼちってところだな。なにせ量がものすげえからよ。  ヤマブキのメーカから直接、護衛トレーナー付きの運搬車で運んで来てるんだぜ。  親父のパトロン、どんだけの金を親父に注ぎ込んでんだか。  タマムシかヤマブキに研究所作った方が、よっぽど経済的だってのに」 「研究所の設立場所をマサラタウンで通したのは、大木戸博士の人望の為せる業だね」 「お話中ごめんなさい。お待ちどうさま」 キッチンから声がして、大皿を手にしたハナコがリビングルームにやってきた。 その後ろから、ミトンをつけたプクリンがぐつぐつと煮えたシチュー鍋を運んでくる。 「うおおお、こりゃウマそうだ! お前、毎日こんな料理作ってもらってんのかよ!」 「ハナコにはいつも感謝してるよ。ハナコにも日中は仕事があるのに、料理を任せてしまってるから」 「博物館の仕事はお役所より先に終わるし、お料理は好きだから、いいのよ。  それに、あなただって他の家事を率先してやってくれてるじゃない」 「ハナコに比べたら全然できていないよ。昨日の掃除も君が勝手に――」 「あーはいはい、ノロケんな」 青年の親友が苦々しげな顔で言った。 そして、青年とハナコの薬指に光るリングを見つめながら、 「俺がお前に先を越されちまうとはなー……。  気を取り直して食おうぜ。ハナコちゃん、いっただきまーす」 「あっ、ちょっとまって。実はもう一人、夕食に呼んでるの」 タイミングよく、チャイムが鳴る。 新たな訪問者は、勝手知ったるというふうに家に上がり、リビングに通じるドアを開け、一升瓶を胸に抱いて宣言した。 「ハーナーコー。今日は旦那の帰りが遅いんだってー?  イイお酒持ってきたから呑むわよ〜〜〜!」 「…………」 「…………」 「…………」 ハナコは青年の親友を確認して、 「……聞いてない」 回れ右しようとしたハナコの親友を、プクリンが通路いっぱいに体を広げて食い止める。 「お、おい。俺も聞いてねえぞ」と青年の親友。 「言ってなかったからね」と青年。 朗らかな笑みを浮かべる夫妻の策略にハマったことを、青年の親友とハナコの親友は理解した。 ハナコの親友とマサラタウンで別れた次の日から、青年の親友はナンパのやり方を忘れてしまっていた。 正確には女の子に声をかけて仲良くなるまでは行くのだが、そのまま何もせずに解散するようになった。 青年はそれを、大学の後輩からの便りで知った。 そして、それをハナコに教えたところ、彼女は今回の再会を計画したのだ。 どう転ぶかは神のみぞ知る。 しかしハナコは直感で、女好きの青年の親友と、男嫌いのハナコの親友が関わり合えば、きっと、素敵な中和反応が起きると信じていた。 ---- 終始ぎこちない雰囲気の夕食が終わり、青年の親友とハナコの親友が帰った後、 ハナコは「今朝、あなたが家を出た後に伝書ピジョットが運んできたわ」と封筒を青年に手渡した。 宛名には青年の名前がある。差出人は、石英ポケモンリーグ委員会。 「また?」 「うん、まただ」 もう何度も同じ手紙をもらっている。 手紙の目的は、ポケモンリーグ公式試合参加の勧誘だ。 「どうして、公式戦に参加しないの?」 「ポケモンリーグチャンピオンの座に興味がないから。  そもそも時間がないよ。そんなことをしている暇があったら、仕事や、君に当てたい」 「仕事が最優先なのかしら?」 ハナコがわざと顔を険しくして、青年の隣に腰掛ける。 「はは……順序を言い間違えたな」 「冗談よ」 ハナコは笑んだ。いつもなら別の話題に移る。 しかしその時に限って、ハナコは膝に視線を落として尋ねた。 「本当にリーグに興味がないから、時間がないから、公式試合に参加しないの?  いつか、トキワシティジムリーダーに『もう公式試合に参加するな』って言われて、あなたは肯いた。  どうしてあなたはあの時、あんなに素直に、リーダーの言葉を受け入れたの?」 「あのとき、多分リーダーは、俺が伸びしろのないトレーナーだってことを見抜いてたんだ。  だから、俺がリーグチャンピオンを目指して無駄な努力をしなくてもいいように、ああ言ってくれたんだよ。言い方は厳しかったけどね」 「本当に、そんな意味だったのかしら……」 「……コーヒーを入れるよ。ハナコも飲むよね」 「ええ」 お湯を沸かしながら、青年は考える。 トキワシティジムリーダーの言葉は、提言ではなく――警句の類だと認識していた。 もう公式試合に参加するな――そのニュアンスは「これ以上目立つな」に近い。 つい先日、白鉄組頭領を諌めたときのことを振り返る。 ライチュウとモルフォンの連携による瞬間移動からの斬撃はアドリブだった。 通常、熟練トレーナーが二匹のポケモンに技のタイミングを叩き込み、阿吽の呼吸で連携出来るようになるまで、一月の訓練を要する。 ましてや青年は一言も命じていない。なのに彼のポケモンは、彼の意図を瞬時に理解し、最高のタイミングで連携を取った……。 異常だった。そしてその異常さは、青年がポケモンを使役する度、加速度的にましている。 青年はポケモンリーグからの手紙を、キッチンのゴミ箱にそっと捨てた。

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