「fathers & mothers 9」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

fathers & mothers 9」(2013/03/18 (月) 18:30:44) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

青年はモンスターボールに手をかけた。 閃光が走り、彼のオコリザルが現れる。 「ハナコの匂いを辿れるか?」 オコリザルは大きな鼻をくんくんとひくつかせ、両手を万歳の形にした。 親友が不安げに言った。 「お手上げって意味か?」 「大丈夫って意味だ」 以前、ハナコと公園で手持ちのポケモンを見せ合ったときに、オコリザルはハナコの匂いを覚えている。 「俺はオコリザルの後をついていくけど、こいつの鼻も絶対に信用できるわけじゃない。  二手に分かれよう」 「オーケー。見つかっても見つからなくても、またゲームコーナー前で集合だ」 オコリザルが「早く早く」というように手招きする。 青年と親友は、別方向に走り出した。 オコリザルは大通りから路地裏に入った。 オコリザルの嗅覚は、ごみや汚泥の悪臭の中から、ハナコの匂いを選り分けることができる。 ハナコは入り組んだ路地裏を、まるで街の活気から遠ざかるように移動しているようだった。 一瞬、気配を感じて視線をやると、小さなベトベターが暗渠から顔を覗かせていた。 見上げた空は四角く切り取られ、換気ダクトの送風音が物寂しく響いている。 こんな場所にハナコは何の用があって――いや、違う。こんな場所に、いったい誰がハナコを連れてきた? 角を曲がったところで、迷路は行き止まりだった。 ハナコと、見覚えのある人間がいくらかと、黒ずくめの男がそこにいた。 ハナコは後ろから羽交い締めにされ、口を塞がれていた。 「てめえらはそこで見てろ」 「へっ、へい!」 黒ずくめの男に声をかけられ、見覚えのある男たち――ハナコに絡んでいた暴走族――が深く頭を下げる。 確か暴走族リーダーの男は、リョウという名前だったか。 そのリーダーまでもが恐縮しているところを見ると、あの男の立場は、相当に上らしい。 その男が、青年に目を向けた。 青年は反射的に、ボールを二つ展開する。 モルフォンとライチュウは、青年の表情を読み取り、直ちに臨戦態勢を取った。 本能的に、この男はやばい、と感じた。 黒のカーゴスラックスに、黒の革ジャケット。 オールバックの髪型のせいで、猛禽類じみた三白眼が露わになっている。 「タマムシ大学に通う未来のエリート様が、正義感に駆られて悪党退治か……。  度胸は認めてやるが、手を出す相手を間違えたな」 黒ずくめの男は無造作にベルトからボールを落とした。 アーボックとマタドガス――薄暗い路地裏に、巨大な影が差す。 青年は高鳴る動悸を隠して、虚勢を張った。 「お前は誰だ?どうしてハナコをさらった?」 「俺はロケット団のサカキ……この不出来共のケツ持ちをやっている。  女をさらったのは、言うまでもねえ、お前を人気のない場所におびき出すためだ」 「ロケット団……!?」 「てめえにはここで、制裁を受けてもらう。  なに、手足の一本や二本不自由になったところで、将来ホワイトカラーのお前には関係ねえだろう?」 青年が抗弁する間もなく、アーボックが尻尾をしならせた。 雑多に積まれた廃材が砕け散り、破片が青年のほうに飛んでくる。 しかし青年は微動だにせず、オコリザルが破片をいなすのに任せた。 「ほぉ……いい反応だ」 サカキと名乗った男が、にやりと笑う。 青年は確信していた。ここは私刑場だ。 これまで何人もの人間が、彼らに痛めつけられてきたに違いない。 助けを呼んでも、悲鳴を振り絞っても、誰にも届くことのないこの場所で。 青年が一歩あとじさる。 「逃げ道はねえぞ」 「俺は逃げない。その子を返してもらう」 ハナコが捕まっている時点で、逃走の選択肢は消えている。 青年の親友が自力でここを見つけ出す確率は、ゼロに近い。 つまり――自分で切り抜けるしかない。 青年の目つきが変わったのを見て取り、サカキも口角を吊り上げた。 「やる気になったな?  てめえがそこそこ出来るってのは、こいつらから聞いてる。  ただの私刑じゃつまらねえ。精々俺を愉しませろ。……"煙幕"」 マタドガスが黒煙を吐き出し、青年とサカキの間に煙の壁を作り出す。 青年は煙幕から距離を取ろうとして、「逃げ道はない」というサカキの言葉の意味を思い知った。 目で見て分かるほどの濃いスモッグが、青年の背後、路地裏の壁の配管から漏れ出していた。 煙幕の向こう、サカキがいる場所の配管から、マタドガスがスモッグを送り込み、 青年の背後に出てくる仕組みになっているのだろう。 時間が経てば、スモッグに背後から飲み込まれる。 隙が生じるのを覚悟で、モルフォンにスモッグを吹き飛ばしてもらうべきか? いや、ここは相手の作戦を逆手に取って――。 マタドガスが煙幕が張り終わった途端、煙幕越しにアーボックの"毒針"が飛来する。 寸前まで視認できない攻撃を、オコリザルとライチュウが辛うじていなしていたが、 「――ッ」 青年に直撃しかけた一本を、オコリザルが左手のひらで受け止めた。 ものの数分で、オコリザルは神経毒に冒されるだろう。だが仕掛けは施せた。 「ごめん、オコリザル。  ライチュウ、モルフォンの"風起こし"と一緒に"電光石火"だ。速攻をかける」 モルフォンが羽ばたき、前方の煙幕を吹き飛ばす。 煙が晴れた瞬間にライチュウが飛び出し、毒針を撒いていたアーボックに吶喊する。 そのままアーボックもろとも地面に倒れ込んだところで、 「"電気ショック"だ」 ライチュウが零距離で電流を流し込んだ。これでアーボックはしばらく身動きが取れないはずだ。 そして、吹き飛ばした煙幕に含ませていたモルフォンの"眠り粉"で、マタドガス、暴走族、ハナコが次々と倒れていく。 想定外だったのは、サカキが顔の下半分を覆うガスマスクを着用していたことだ。 「起きろ」 サカキはマタドガスを踏みつけ、乱暴にアンプルを突き立てた。 マタドガスが意識を取り戻す――眠気覚ましか。 青年が舌打ちしたそのとき、アーボックがライチュウを払いのけた。 あれほど電流を流し込んだにも関わらず、アーボックは完全な麻痺状態になっていなかったようだ。 「自家中毒対策だ」 眠り粉と煙幕が完全に晴れたところで、サカキがマスクを外した。 青年の隣で、オコリザルが片膝をついた。 「くそ、毒の回りが早すぎる……」 「そのサルはもう使い物にならねえ。  アーボックとライチュウの体力は五分、マタドガスとモルフォンはほぼ無傷。  くっくっく、良い勝負じゃねえか」 サカキの言葉は過大評価だ。 先手を打ったのはサカキだが、戦力は三対二と、青年が有利だった。 それが今では二対二に持ち込まれた……。全てのポケモンを場に出すべきなのか? いや、ダメだ。サカキがそれに応じてポケモンを追加召還すれば、いよいよ俺の勝ち目は薄まる。 青年が唇を噛んだそのとき、 「……やめ、て……」 眠り粉を吸って倒れていたはずのハナコが、壁によりかかるようにして、立ち上がっていた。 「馬鹿な……!」 「ハナコ……!?」 青年とサカキの疑問は、彼女の口元と、右手親指の付け根から流れる血によって氷解した。 恐らくハナコは意識を失う寸前に、思い切り親指の付け根を噛み、その激痛によって意識を保ったのだ。 ハナコがボールを展開する。 現れたプクリンは、路地裏の惨状を前にして、ぷるぷると震えていた。 「それ以上……乱暴したら……この子に歌わせるから」 確かに反響しやすい路地裏でプクリンが歌えば、路地裏にいる全員が眠りに落ちるだろう。 だが、その脅しは無意味だ。 サカキのアーボックの敏捷性を考えれば、プクリンは歌声を披露する間もなく、喉を潰される。 しかしハナコが意識を取り戻したことで、サカキに虚が生まれたのは確かだった。 青年が語りかけた。 「サカキ……俺やハナコは、あんたに、こんな目に遭わされることをした覚えはない」 「てめえはこいつらのシマを襲撃した。理由はそれだけで十分だろうが」 サカキが獲物を追い詰めるように目を細め、さらにボールを展開する。 ニドランと呼ぶには大きすぎる雌雄のつがいが、路地裏の塵を巻き上げた。 ハナコは臆さなかった。 「あなたは……騙されてるのよ……」 「なんだと?」 「最初にわたしに声をかけてきたのは、この人たち……」 ハナコが、熟睡している暴走族に視線を落とす。 「その人は、わたしが絡まれてるのを見つけて、助けてくれた……ただ、それだけなのに……」 ハナコの膝から、力が抜ける。意識を保つので必死なのだろう。 青年は今すぐ駆け寄りたかったが、サカキの強大なポケモンが邪魔をしていた。 今の話を汲んで、暴走族に確認するか、私刑を続行するかは、サカキ次第だ。 濃密な数秒の時間が流れ、サカキはゆっくりと、いびきをかいている暴走族のリーダーに近寄っていった。 「おい、リョウ」 「………」 「起きろ。今すぐにだ」 サカキの強烈なヤクザキックが、無防備な暴走族リーダーの側頭に決まった。 「ぎゃっ!」 激痛でゴロゴロと転げ回るリーダーの上に跨がり、胸ぐらを掴みあげるサカキ。 まさに鬼の形相だった。 「てめえ、この俺様をてめえの鬱憤晴らしに使ったな?」 「……へ?な、なんでバレ……あっ」 その一言が決め手になった。 容赦ない鉄拳がリーダーの頬を打ち抜き、リーダーは再び静かになった。 それからサカキは他の暴走族も、順に蹴りで起こしていった。 「あ、あの……サカキさん……俺たちはリョウさんに従っただけで……」 「リョウを担いで消えろ。仕置きを覚悟しておけよ」 「は、はいぃっ!」 暴走族たちがリーダーを担ぎ挙げ、這うようにして路地裏を去って行く。 サカキは思い出したように、青年とハナコに目を向けた。 「お前らも行け。今回のことは全て忘れるんだな」 「ちょっと……待ちなさいよ……」 青年が激情を抑えた矢先に、ハナコが突っかかった。 やめろ、ハナコ。気持ちは分かるが、無事に帰れる機会を、ふいにしちゃダメだ。 「これだけのことをしておいて……謝罪のひとつも……ないのかしら……」 「……なに?」 「お母さんから習わなかったの……悪いことしたら……相手に謝りなさいって……」 息も絶え絶えなハナコの挑発に、サカキが反応する。 「おい女、俺が誰だか分かって言ってるのか?」 「……あんたがロケット団だろうと、何だろうと、関係ない……わたしたちに、謝って……」 サカキの眉根に、深い皺が刻まれる。 やがてサカキは、懐に手を入れ――ナイフの代わりに、一枚の名刺を取り出した。 かがみ込み、それをハナコの手に忍ばせる。 「ロケットゲームコーナーのポスター裏に、隠し階段のスイッチがある」 青年が割って入った。 「急に何の話だ?」 「黙って聞け。その階段は、ロケット団の地下施設に通じてる。  団員に会ったら、この名刺を見せろ。一度だけなら手を貸してやる」 「そんな、手を貸してやるって……」 「堅気な方法で上手く行かないこともあるだろうがよ」 サカキはポケモンをボールに仕舞うと、 「……悪かったな」 悠然とした足取りで路地裏を去って行った。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: