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ハナコが泊まっているという民宿の前で、ハナコは青年にお辞儀した。 「今日は本当にありがとう。  タマムシの色んな場所に連れて行ってくれて、博士のところにも案内してくれて」 「ハナコは……マサラタウンに帰るの?」 「そうね……。明日にはタマムシを発とうと思ってるわ。  お父さんのことは、これで、諦めがついたから。  わたし、誰かにはっきり言ってもらわないと、ダメだったみたい」 「…………」 ぽつり、ぽつりと街灯が点り始める。 どこか遠くで、子供たちとポケモンのはしゃぐ声が響いている。 先科からの帰り道、青年はハナコの「これから」について、何も彼女に尋ねなかった。 案内人としての立場から、一歩踏み出す資格があるのか、悩んでいた。 ハナコとこれっきりになってしまうのが名残惜しいからじゃない。 彼女が父の消息を掴めないまま、失意のうちにこの街を去るのが、許せなかったから。 「明日の朝……」 「えっ?」 「明日の朝、君を見送ってもいい?」 「それは……ええ、もちろん。わざわざありがとう」 ハナコの顔が綻ぶ。純粋に見送られるのが嬉しいからだろうか。 それとも、俺との時間が少しでも延びたことを喜んでいるからだろうか――両方であってほしいと、淡い期待を抱いた。 「それじゃあ、おやすみなさい」 「うん、おやすみ」 踵を返し、青年は彼が一人暮らししているアパートにではなく、タマムシ大学の図書館に向かった。 大学の敷地内には夜の帳が降りていたが、構内には勉強熱心な学生が残っており、窓から明かりが漏れている。 顔なじみの図書館司書は、青年の来訪に少し驚いた顔をした。 「やあ、こんな時間に珍しいね」 「こんばんは。資料室の鍵、貸してもらえますか」 「もうすぐ閉館だけど、急ぎの調べ物なのかい?」 「ええ。明日の朝が期限なんです」 司書は困ったように眉を傾げて、次の瞬間には鍵を青年の手に渡してくれた。 真面目な学生生活を四年も貫くと、こんな恩恵もあるものだ。 「今回だけ特別だよ。明日の朝にまた来るから、そのとき鍵を返してね」 「ありがとうございます」 資料室に足を踏み入れる。 空調が作動しているとはいえ、中は古紙の匂いで満ちている。 書架に所狭しと並べられているのは、大学設立当時から学生が提出してきた論文原本、 あるいは高名な研究者たちが遺した学術文献の写しである。 これだけの文書から目的のものを浚うのは骨だな、と青年は嘆息しつつ、 どこか晴れ晴れとした顔つきで、スツールの一つを抜き出した。 翌朝。 民宿の前でハナコと合流した青年は、彼女を喫茶店に誘った。 彼女を暴漢から助けた後に寄った、あの喫茶店である。 「あの、話って?」 ハナコは困惑している様子だ。そりゃそうだろう、と青年は思う。 マサラタウンに帰る準備をしていたのに、 急に「話があるから、とりあえず荷物を置いて、喫茶店に行かないか」 と言われれば困惑もする。 「見せたいものがあるんだ」 青年はあくびをかみ殺しながら、一枚の紙を差し出した。 ハナコが紙に目を通す。が、すぐにはそれが何か理解できないようだ。 「これは?」 「昨日、ハナコのお父さんの名前を教えてくれただろう?  それで、そこそこ有名な探検家なら、何か論文を遺しているんじゃないか、  そうでなくても、他の懇意にしていた探検家や研究者の論文に、  共著者として名前が残っているんじゃないか、と思ってね。調べてみた」 「調べたって……昨日の夜から、ずっと?」 「うん、まあ」 確かに昨日から一睡もしていないが、三徹経験者の彼からすれば、どうってことない眠気である。 「それは君のお父さんに関連のある人物のリストだ。  君のお父さんにある地域の探検を頼んでいた人や、  一緒に探検をしていた人……それほど多くないけど、見つかったよ」 論文の共著者として、ハナコの父親が載っていることは稀だった。 彼女の父親の名前は、主に論文執筆者の謝辞の中に、他の探検家の名前と並んで記されていた。 青年はコーヒーを一口飲んでから、ハナコに語りかけた。 「君は昨日、お父さんのことを諦められた、って言ったけど、  俺は……俺はまだ、君がお父さんのことを諦めるのは、早いんじゃないかって思ってる。  確かに半年も連絡がないのは心配だけど、単に君のお父さんが、もの凄い連絡無精になっただけかもしれない」 ハナコは透き通るような双眸で、じっと青年の顔を見つめている。 あれ、今の笑うところなんだけどな、と焦りつつ、青年は続けた。 「冗談はさておき――俺は大木戸博士の他にも、このリストに載っている君のお父さんの知り合いに、  君のお父さんの行方について、訊いてみるべきだと思うんだ。  もっとも、俺はただの部外者で、これはあくまでお節介だ。  君にもマサラタウンでの生活があるだろうし、帰るならこの紙は僕が預かっておくよ」 「どうして?」 「うん?」 「どうしてあなたは、知り合って間もないわたしのために、こんなに親切にしてくれるの?」 「どうしてって……」 君に惚れているから、とは言えずに、 「昔から、困ってるというか、困っていそうな人を見かけると放っておけないんだ」 「……それだけ?」 ハナコの小さい呟き声に、青年は眉を顰めた。 俺は何か間違ったことを言ったのだろうか。 「えっと……ううん、気にしないで」 にわかに頬を朱に染め、とりなすようにコーヒーを飲んでから、ハナコは言った。 「わたし、この人たちに会えるかしら?」 「ハナコは休学中とはいえ、大学生だ。  卒業研究に関する調査の一環で、お話を聞きたいと言えば、ほとんどの人は会う時間を作ってくれると思うよ」 わざわざ麗しの女学生が、自分のために遠方から会いに来たと知れば、 自然と応対も温かく、口も緩くなるというものだろう。それが男だ。 だが、ハナコは目を伏せて、言い辛そうに口を開いた。 「あなたにはこれまでにも色々お世話になって、こんな調べ物までしてもらって悪いんだけど……」 青年は一瞬、ハナコがこのままマサラタウンに帰る選択肢を取ることを予測し、 「わたし、一人でこの人たちに会うのが不安なの。それで……もしもあなたさえ良ければ、わたしと一緒に……」 なんだ。ハナコ、君はそんなことで悩んでいたのか。 「一緒に行こう。そうだな、俺は君と共同研究をしている学生ってことにでもしておこうか」 「……っ」 いたく感激したらしいハナコが、青年の手を取った。 ハナコの手の滑らかさ、柔らかさ、温かさに、意識が持って行かれそうになる。 「本当にありがとう。わたし、あなたにはどうやってお礼をすればいいか分からないわ」 「とっ、とにかく、まずはこの人たちに電話して、都合の良い日時を訊いてみよう」 手を取り合って語り合う二人。店内の客はそれを温かい目で見守っていたが、 その中に、鋭い眼光で彼らを射貫く黒ずくめの男がいることに、青年が気付く由もなかった。

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