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第二章」(2008/10/14 (火) 01:00:50) の最新版変更点

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「キャタピー、思いっきり糸を吐くんだ!」 幾条もの白い糸が、周辺の木々に張り巡らされていた。 行動範囲を限定させて、確実に絡め取るつもりか。よく考えている。 しかし、ヒナタの方が一枚上手だ。 「そうはさせるもんですか。ヒトデマン、高速スピンよ!」 キャタピーは大量の糸を吐き出した。 が、次の瞬間には糸は切り裂かれ、空気中で凝固し、地面にはらはらと落ちていった。 高速スピンは、拘束系の技を無効化するのだ。 「今よ、たいあたり!」 高速スピンの余勢を生かし、ヒトデマンは、無防備なキャタピーに突っ込んでいった。 「キャタピー!!」 細い悲鳴を上げて、少年はキャタピーに駆け寄った。 しきりに心配しているが、精々気絶している程度だろう。 流血、瀕死、死亡のような事態は、ハイレベルのポケモン同士が戦って、初めて起こりうるのだから―― と僕がぼんやり考えていると、ヒナタは僕の傍を離れて、少年に話しかけているところだった。 「ごめんね。ちょっと強くやりすぎたかも……」 「い、いいんだよ。僕が勝負を仕掛けて、負けたんだ。  はいこれ、少ないけど、上げるよ」 少年はポケットをまさぐり、数枚の硬貨を取り出した。 ポケモンバトルにおける金銭の賭けは、使用するポケモンのレベルに比例する。 ヒナタは受け取るだろうか。それとも―― 「要らないわ。どうしてあたしがあなたからお金をもらわなきゃならないの?」 「どうしてって、じゃあ君はこれからどうやって旅を続けていくつもりなんだい?  お金がないと、色々と困るだろう?」 彼女は首を振り、微笑む。 「だいじょうぶよ。  食べ物だって、泊まるところだって、なんとかなるわ。  それに、どうしようもなくなったときだって、ポケモンセンターがあるじゃない」 「でも……」 「いいの。お金がないと困るのは、あなたも同じでしょ?」 「う、うん」 ヒナタの手が、少年の手を包み、押し返す。 こんな反応をされた経験がなかったのだろう、少年の顔は朱くなっていた。 僕はヒナタの行動が、偽善でも自己満足でもないことを知っている。 彼女の父親も――サトシも、ポケモンバトルで相手からお金を奪ったりはしなかった。 虫取り少年に別れを告げて、僕たちはまたトキワの森の探索を開始する。 ヒナタは鬱蒼と生い茂る木々の葉を見上げて言った。 「あたし、こんな場所があるなんて知らなかった。  ううん、本とかTVで知っていたけど、実際にこうやって歩いてると、  そういった知識と全然違うってことが分かって、その、うーん、なんて言えばいいんだろ」 「ピッ、ピカチュ」 それはね、ヒナタが心の奥底で、実は、戸惑っているからなんだよ。 マサラタウンという狭い世界でずっと過ごしてきただろう。だから、新鮮な外の世界に、ヒナタはまだ慣れていないのさ。 道中、ヒナタはトキワの森の真ん中あたりで、休憩をとった。 大樹の幹にもたれかかって、深く呼吸する。懐かしい香りが肺に満ちた。 ここは今でも、僕が"初めて"訪れたあのときのままだ――。 僕は少し散歩してみることにした。 「ピカチュウ、あんまり離れたところにいったら駄目だからねー」 彼女が眠そうに言う。僕は短く返事した。 「チュ!」 散歩の目的は二つあった。 一つ目は、本当にトキワの森を散策すること。 二つ目は、僕の力が衰えていないか計ること。 試す場所はすぐに見つかった。 若い樹木に栄養を奪われ、節々が枯れてしまった大木。 抜けるように青い晴れ空の下、そこだけが影になっていた。 本当は、僕が己の力を試すのには、開けた場所ならどこだって良かったのだけれど、 万が一のことも考えて、僕はこの場所を選んだ。 僕は耳を立てて、周囲を確認する。 この枯れた大木を住処にしているポケモンはいないようだし、 辺りに人を含む生き物の気配もなかった。 さあ、始めよう。 電気袋に意識を集中させる。 神経の一本一本が、緊張するのを感じる。 電圧が高まり、制御できなかった分の電気が、空気中に漏れる。 その音は、まるで小鳥の囀りのよう。 体内の脂肪を主とした絶縁体はきちんと機能しているようで、 電気袋がエネルギーを蓄積していくあいだも、僕は自身の電気で感電したりはしなかった。 そして、充電が完了する。 うまくいくだろうか。 何しろ久方ぶりだ。 狙いがはずれるかもしれない。 放出する電力の制御ができなくなっているかもしれない。 けど、それがなんだ。 時間はある。ブランクは埋めていけばいい。 「ピーカー、チュウ~~~~!!!!!」 僕は、電圧を解放した。 閃光。 轟音。 空気の振動が収まったとき、大木はその幹に大穴を開けていた。 縁はほのかに赤く燃え、黒い煙がくゆっている。 「ピカー……」 数年ぶりとなる10万ボルトの調子は、及第点、といったところだろうか。 技の使用に当たって支障がなかったのは喜ぶべきことだが、 狙いが15cmほど左に反れてしまっていたし、出力を絞り切れなかった。 「……チュウ、チュウ」 とりあえず、大木に謝っておく。 放っておいても凋萎していたに違いないが、僕が生命を絶ってしまったことには違いないから。 僕はヒナタのもとに戻ることにした。 そろそろ"うたた寝"から目覚めて、僕を捜しているかもしれない――。 「ピカ?」 その時、僕の耳が妙な空気の乱れを捉えた。 嫌な予感がした、次の瞬間、 「いやぁあ――――!!!!」 叫び声が、トキワの森に響き渡った。 「ピッ!」 リハビリ、テストといった考えが吹き飛ぶ。 僕は耳が良い。あの声はヒナタのものだ。 彼女のアルトは毎日聞いていたから間違えようもない。 四肢の筋肉に力を込めた。 耐えきれるかどうかなんて、どうでもよかった。 駆け出す。 一刹那の加速。 景色がスローモーションになったみたいに、僕の両脇を過ぎていく。 "電光石火"は、僕を一瞬で彼女の元に導いてくれた。 そして僕は、ヒナタに悲鳴を上げさせているポケモンを見た。 スピア―だった。 ジジジジ、と羽音を立てながらヒナタを中心に旋回している。 大きな両腕の針を交差さえ、お尻の棘をつきだして、攻撃姿勢になっている。 どうしてこんなことに? 彼女は震えながら、僕に言った。 「ピカチュウ!? 来ちゃ駄目、逃げるのよ!  ヒトデマンがやられちゃったの……、ピカチュウじゃ無理なの」 電気袋に充電し始めていた僕は、愕然とした。 ヒナタは僕が、レベルが低く、弱いポケモンだと思っている。 ――ヒナタの前で、本当の力を発揮してはならない。 それはカスミとの約束だった。 でも、今の状況でもその約束に拘っていていてもいいのだろうか。 すぐ近くにはヒトデマンが倒れていて、胸の結晶を静かに明滅させていた。 瀕死か――すぐにでも治療が必要だ。 思考が冷える。 要は。 ヒナタに僕の能力を見せずに、 スピア―を速やかに排除すれば良い。 そうさ、こんな序盤で、カスミとの約束を反故にするわけにはいかないんだ。 「ピカチュ!」 ヒナタ安心して。今すぐ助けるからね。 僕は走り出した。 彼女が短く叫ぶ。 「お願い、逃げて!」 僕は無視する。 走る。電光石火は使わない。 スピア―が僕に気づく。 そして姿勢を反転し……。 複眼が僕を捉える。 セーフティ・シールドを犯した僕が、新たな攻撃目標に成り代わる。 スピア―は、両方の針をいっぱいに引き絞り、 しかし、その行動はあまりにも遅かった。 「チュウッ!」 跳躍し、反りあがったお尻の棘に足をかけ、再び跳躍する。 突き出された両手の針は空を切り、 僕はスピアーの複眼に、片手を押し当てた。 バチッ、と鋭い音が響く。スピア―はその巨躯を、まるで火の粉から逃れるように、飛び退かせた。 当然だ。僕は全身を帯電させていたのだから。 『森の奥に帰れ』 短い接触の間に、僕は視線でそう伝えた。 ここに現れた理由が何であるにせよ、ヒナタを危険に晒したのに変わりはない。 スピア―は弱々しく羽音を響かせて、去っていった。 それを見送っていると、 「ピカチュウ、怪我してない? 攻撃されなかった!?」 抱きしめられる。 「チュウウ」 君の抱擁の方が苦しいよ、ヒナタ。 「あんなにおっきなスピア―、初めて見たわ。  でもそれよりもすごいのはピカチュウね。  ちっとも怖がらずに、正面からスピア―に"たいあたり"して……」 そう、全てはスピア―の羽を背にした、死角での出来事。 「でも」 と、ヒナタは思い出したように言った。僕を抱きしめる力が一層強まる。 「これからは、あたしの言うことをちゃんと聞いてね。  さっきは運が良かったからスピア―を追い払えたけど、次も上手くいくとは限らないんだから」 「チュウ?」 「ほ、本当はあたし一人でも少しくらいは時間稼ぎできたのよ?  その間にピカチュウに、近くのトレーナーに助けを呼んでもらって……ね?」 「……チュウ?」 本当にあの状況下で、そんな冷静な判断が下せたのだろうか。甚だ疑問である。 「なによ、疑ってるの?」 ヒナタの目が若干つり上がる。 「ピカピカ」 僕は大急ぎで首を横に振った。 ああ、似ている。若い頃のカスミに。 カスミとサトシが喧嘩をしているとき、僕がサトシの傍にいると、 「何よピカチュウ、あんたもサトシの味方するわけぇ~?」 という実に理不尽な理由で、電気袋を弄くり回されたものだった。 僕はヒナタの、白く細い、作り物のように綺麗な指を眺める。ヒナタはカスミの娘だ。 この指が僕の大切な電気袋を弄くり回さないという保証は、どこにもないのである。 どこにもないのだが、 「わたしはポケモンマスターを目指しているのよ。  こんなことくらいで、いちいち怖がったりしていられないの」 「ピ……………………チュウッ」 僕は笑いをこらえきれなかった。 「こらぁっ、今笑ったでしょ、ピカチュウ!?」 僕は彼女の腕を抜けて、駆け出した。 ただし、彼女の視界から外れない速度で。 トキワの森を抜けた時、僕は彼女に捕まった。 「捕まえたっ。これはお仕置きよー」 人差し指と親指で、電気袋をぷにぷにされる。痛かったけど、それは、幸福な痛みだった。 ひとしきり弄くり回されたあと。 僕は頬をさすりさすり、トキワの森を振り返った。 あのスピア―は、何故開けた道に姿を現したのだろう。 何故、彼女に対して好戦的だったのだろう。 謎は解き明かされないまま、森に残したままだ。 そういえば、謎の他にも、森に残してきたものがあるような気がする。 答えはすぐに見つかった。 僕は俯きながら、ヒナタのスカートを引っ張った。 「ピカ、ピカチュ」 両手を広げ、次に地面にばったり倒れ、すぐに飛び起きて、ヒナタのベルトを指さす。 ヒナタの顔が、蒼白になる。ジェスチャーは上手く通じたようだ。ヒナタは罪悪感に満ちた声で言った。 「あはは……あの子のこと、すっかり忘れてた」 僕たちはヒトデマンを置き去りにしていた。 &bold(){第二章 終わり }
「キャタピー、思いっきり糸を吐くんだ!」 幾条もの白い糸が、周辺の木々に張り巡らされていた。 行動範囲を限定させて、確実に絡め取るつもりか。よく考えている。 しかし、ヒナタの方が一枚上手だ。 「そうはさせるもんですか。ヒトデマン、高速スピンよ!」 キャタピーは大量の糸を吐き出した。 が、次の瞬間には糸は切り裂かれ、空気中で凝固し、地面にはらはらと落ちていった。 高速スピンは、拘束系の技を無効化するのだ。 「今よ、たいあたり!」 高速スピンの余勢を生かし、ヒトデマンは、無防備なキャタピーに突っ込んでいった。 「キャタピー!!」 細い悲鳴を上げて、少年はキャタピーに駆け寄った。 しきりに心配しているが、精々気絶している程度だろう。 流血、瀕死、死亡のような事態は、ハイレベルのポケモン同士が戦って、初めて起こりうるのだから―― と僕がぼんやり考えていると、ヒナタは僕の傍を離れて、少年に話しかけているところだった。 「ごめんね。ちょっと強くやりすぎたかも……」 「い、いいんだよ。僕が勝負を仕掛けて、負けたんだ。  はいこれ、少ないけど、上げるよ」 少年はポケットをまさぐり、数枚の硬貨を取り出した。 ポケモンバトルにおける金銭の賭けは、使用するポケモンのレベルに比例する。 ヒナタは受け取るだろうか。それとも―― 「要らないわ。どうしてあたしがあなたからお金をもらわなきゃならないの?」 「どうしてって、じゃあ君はこれからどうやって旅を続けていくつもりなんだい?  お金がないと、色々と困るだろう?」 彼女は首を振り、微笑む。 「だいじょうぶよ。  食べ物だって、泊まるところだって、なんとかなるわ。  それに、どうしようもなくなったときだって、ポケモンセンターがあるじゃない」 「でも……」 「いいの。お金がないと困るのは、あなたも同じでしょ?」 「う、うん」 ヒナタの手が、少年の手を包み、押し返す。 こんな反応をされた経験がなかったのだろう、少年の顔は朱くなっていた。 僕はヒナタの行動が、偽善でも自己満足でもないことを知っている。 彼女の父親も――サトシも、ポケモンバトルで相手からお金を奪ったりはしなかった。 虫取り少年に別れを告げて、僕たちはまたトキワの森の探索を開始する。 ヒナタは鬱蒼と生い茂る木々の葉を見上げて言った。 「あたし、こんな場所があるなんて知らなかった。  ううん、本とかTVで知っていたけど、実際にこうやって歩いてると、  そういった知識と全然違うってことが分かって、その、うーん、なんて言えばいいんだろ」 「ピッ、ピカチュ」 それはね、ヒナタが心の奥底で、実は、戸惑っているからなんだよ。 マサラタウンという狭い世界でずっと過ごしてきただろう。だから、新鮮な外の世界に、ヒナタはまだ慣れていないのさ。 道中、ヒナタはトキワの森の真ん中あたりで、休憩をとった。 大樹の幹にもたれかかって、深く呼吸する。懐かしい香りが肺に満ちた。 ここは今でも、僕が"初めて"訪れたあのときのままだ――。 僕は少し散歩してみることにした。 「ピカチュウ、あんまり離れたところにいったら駄目だからねー」 彼女が眠そうに言う。僕は短く返事した。 「チュ!」 散歩の目的は二つあった。 一つ目は、本当にトキワの森を散策すること。 二つ目は、僕の力が衰えていないか計ること。 試す場所はすぐに見つかった。 若い樹木に栄養を奪われ、節々が枯れてしまった大木。 抜けるように青い晴れ空の下、そこだけが影になっていた。 本当は、僕が己の力を試すのには、開けた場所ならどこだって良かったのだけれど、 万が一のことも考えて、僕はこの場所を選んだ。 僕は耳を立てて、周囲を確認する。 この枯れた大木を住処にしているポケモンはいないようだし、 辺りに人を含む生き物の気配もなかった。 さあ、始めよう。 電気袋に意識を集中させる。 神経の一本一本が、緊張するのを感じる。 電圧が高まり、制御できなかった分の電気が、空気中に漏れる。 その音は、まるで小鳥の囀りのよう。 体内の脂肪を主とした絶縁体はきちんと機能しているようで、 電気袋がエネルギーを蓄積していくあいだも、僕は自身の電気で感電したりはしなかった。 そして、充電が完了する。 うまくいくだろうか。 何しろ久方ぶりだ。 狙いがはずれるかもしれない。 放出する電力の制御ができなくなっているかもしれない。 けど、それがなんだ。 時間はある。ブランクは埋めていけばいい。 「ピーカー、チュウ~~~~!!!!!」 僕は、電圧を解放した。 閃光。 轟音。 空気の振動が収まったとき、大木はその幹に大穴を開けていた。 縁はほのかに赤く燃え、黒い煙がくゆっている。 「ピカー……」 数年ぶりとなる10万ボルトの調子は、及第点、といったところだろうか。 技の使用に当たって支障がなかったのは喜ぶべきことだが、 狙いが15cmほど左に反れてしまっていたし、出力を絞り切れなかった。 「……チュウ、チュウ」 とりあえず、大木に謝っておく。 放っておいても凋萎していたに違いないが、僕が生命を絶ってしまったことには違いないから。 僕はヒナタのもとに戻ることにした。 そろそろ"うたた寝"から目覚めて、僕を捜しているかもしれない――。 「ピカ?」 その時、僕の耳が妙な空気の乱れを捉えた。 嫌な予感がした、次の瞬間、 「いやぁあ――――!!!!」 叫び声が、トキワの森に響き渡った。 「ピッ!」 リハビリ、テストといった考えが吹き飛ぶ。 僕は耳が良い。あの声はヒナタのものだ。 彼女のアルトは毎日聞いていたから間違えようもない。 四肢の筋肉に力を込めた。 耐えきれるかどうかなんて、どうでもよかった。 駆け出す。 一刹那の加速。 景色がスローモーションになったみたいに、僕の両脇を過ぎていく。 "電光石火"は、僕を一瞬で彼女の元に導いてくれた。 そして僕は、ヒナタに悲鳴を上げさせているポケモンを見た。 スピア―だった。 ジジジジ、と羽音を立てながらヒナタを中心に旋回している。 大きな両腕の針を交差さえ、お尻の棘をつきだして、攻撃姿勢になっている。 どうしてこんなことに? 彼女は震えながら、僕に言った。 「ピカチュウ!? 来ちゃ駄目、逃げるのよ!  ヒトデマンがやられちゃったの……、ピカチュウじゃ無理なの」 電気袋に充電し始めていた僕は、愕然とした。 ヒナタは僕が、レベルが低く、弱いポケモンだと思っている。 ――ヒナタの前で、本当の力を発揮してはならない。 それはカスミとの約束だった。 でも、今の状況でもその約束に拘っていていてもいいのだろうか。 すぐ近くにはヒトデマンが倒れていて、胸の結晶を静かに明滅させていた。 瀕死か――すぐにでも治療が必要だ。 思考が冷える。 要は。 ヒナタに僕の能力を見せずに、 スピア―を速やかに排除すれば良い。 そうさ、こんな序盤で、カスミとの約束を反故にするわけにはいかないんだ。 「ピカチュ!」 ヒナタ安心して。今すぐ助けるからね。 僕は走り出した。 彼女が短く叫ぶ。 「お願い、逃げて!」 僕は無視する。 走る。電光石火は使わない。 スピア―が僕に気づく。 そして姿勢を反転し……。 複眼が僕を捉える。 セーフティ・シールドを犯した僕が、新たな攻撃目標に成り代わる。 スピア―は、両方の針をいっぱいに引き絞り、 しかし、その行動はあまりにも遅かった。 「チュウッ!」 跳躍し、反りあがったお尻の棘に足をかけ、再び跳躍する。 突き出された両手の針は空を切り、 僕はスピアーの複眼に、片手を押し当てた。 バチッ、と鋭い音が響く。スピア―はその巨躯を、まるで火の粉から逃れるように、飛び退かせた。 当然だ。僕は全身を帯電させていたのだから。 『森の奥に帰れ』 短い接触の間に、僕は視線でそう伝えた。 ここに現れた理由が何であるにせよ、ヒナタを危険に晒したのに変わりはない。 スピア―は弱々しく羽音を響かせて、去っていった。 それを見送っていると、 「ピカチュウ、怪我してない? 攻撃されなかった!?」 抱きしめられる。 「チュウウ」 君の抱擁の方が苦しいよ、ヒナタ。 「あんなにおっきなスピア―、初めて見たわ。  でもそれよりもすごいのはピカチュウね。  ちっとも怖がらずに、正面からスピア―に"たいあたり"して……」 そう、全てはスピア―の羽を背にした、死角での出来事。 「でも」 と、ヒナタは思い出したように言った。僕を抱きしめる力が一層強まる。 「これからは、あたしの言うことをちゃんと聞いてね。  さっきは運が良かったからスピア―を追い払えたけど、次も上手くいくとは限らないんだから」 「チュウ?」 「ほ、本当はあたし一人でも少しくらいは時間稼ぎできたのよ?  その間にピカチュウに、近くのトレーナーに助けを呼んでもらって……ね?」 「……チュウ?」 本当にあの状況下で、そんな冷静な判断が下せたのだろうか。甚だ疑問である。 「なによ、疑ってるの?」 ヒナタの目が若干つり上がる。 「ピカピカ」 僕は大急ぎで首を横に振った。 ああ、似ている。若い頃のカスミに。 カスミとサトシが喧嘩をしているとき、僕がサトシの傍にいると、 「何よピカチュウ、あんたもサトシの味方するわけぇ~?」 という実に理不尽な理由で、電気袋を弄くり回されたものだった。 僕はヒナタの、白く細い、作り物のように綺麗な指を眺める。ヒナタはカスミの娘だ。 この指が僕の大切な電気袋を弄くり回さないという保証は、どこにもないのである。 どこにもないのだが、 「わたしはポケモンマスターを目指しているのよ。  こんなことくらいで、いちいち怖がったりしていられないの」 「ピ……………………チュウッ」 僕は笑いをこらえきれなかった。 「こらぁっ、今笑ったでしょ、ピカチュウ!?」 僕は彼女の腕を抜けて、駆け出した。 ただし、彼女の視界から外れない速度で。 トキワの森を抜けた時、僕は彼女に捕まった。 「捕まえたっ。これはお仕置きよー」 人差し指と親指で、電気袋をぷにぷにされる。痛かったけど、それは、幸福な痛みだった。 ひとしきり弄くり回されたあと。 僕は頬をさすりさすり、トキワの森を振り返った。 あのスピア―は、何故開けた道に姿を現したのだろう。 何故、彼女に対して好戦的だったのだろう。 謎は解き明かされないまま、森に残したままだ。 そういえば、謎の他にも、森に残してきたものがあるような気がする。 答えはすぐに見つかった。 僕は俯きながら、ヒナタのスカートを引っ張った。 「ピカ、ピカチュ」 両手を広げ、次に地面にばったり倒れ、すぐに飛び起きて、ヒナタのベルトを指さす。 ヒナタの顔が、蒼白になる。ジェスチャーは上手く通じたようだ。ヒナタは罪悪感に満ちた声で言った。 「あはは……あの子のこと、すっかり忘れてた」 僕たちはヒトデマンを置き去りにしていた。 &bold(){第二章 終わり }

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