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 施設の中でも最も頑丈な壁で作られているジェロニモの部屋にやってきた一同が、本を前に呟く。
「翻訳機能か……」
「アメリカ人が来たって聞いたから、どんな奴かと思えば」
 002、と呼ばれている赤毛のアメリカ人青年ジェットが、この大男の前で笑う。
「インディアンだなんて聞いてないぜ」
 ジェロニモが思わず、眉を微かにしかめて抗議する。
「その呼び方、良くない」
「……英語、苦手なんだってな」
「………」
「まあ、オレだってまともな教育受けちゃいねえし、下町訛りはひでえもんだから、人のこと言えた義理じゃないけどな」
 あのじいさんは人選を謝ってやがる、と首を振りながら、彼はちらりと視線を後ろに流して言った。
「オレの名前はジェット。通称002だ。あんたは005……たしか『ジェロニモ』だっけ?」
「ああ」
 数字で名前を呼ばれないのは久しぶりだ、と思いながら頷くと、後ろからやってきた亜麻色の髪の娘が微笑む。
「私はフランソワーズ。003よ。これからも宜しく。会えて嬉しいわ」
「Merci」
 人種の入り交じった大都会で覚えた数少ないフランス語で返事を返してみると、少女が嬉しそうに笑う。目と耳を主に強化されたらしい、この美しい少女の青い瞳は、生まれ育った大地の晴れ渡った空の色にも良く似ている。そして、女性の話す異国の言葉というのも、こんなにも美しいものなのか、と彼は思わず目を細めた。
「案外、あのおっさんの方がまともな英語を喋れるかもな」
 後ろで腕を組んで目を閉じている全身武器の男の方へ振り返り、ジェロニモが聞く。
「そうなのか?」
「こいつの、スラングだらけの英語よりはな。俺は004」
 ご丁寧にも、翻訳機能を使わずに、訛りの少ない英語で返事を返す004ことアルベルト。
「Albert?」
「アルベルトだ。最も、名前で呼んでくれるのはここのご同類だけだがな」
 生まれ育ちも環境も全く異なっていたが、現時点で世界で5人しかいない『仲間』である。自嘲混じりにマシンガンに改造された手で握手を求めてやるが、それを驚きもせずに丁重に、大きな手で握手を返してくれたジェロニモを、思わず彼はもう一度、改めて見やる。
「………生まれは旧東ドイツ。今はない国だ。今度も宜しく。あそこにいる鳥頭のアメリカ人よりは、まともな英語を話せるつもりだ」
 自分とは一番歳が近いであろうこの白人にも、故郷がないらしい。
「何だと、このジャガイモ野郎」
「今のがいわゆるヤンキーのスラングってやつだ。覚えなくてもいい」
 後ろのフランソワーズが吹き出した。
「私、英語はあまり出来ないのよ。でも、あなたには私の言ってることが、翻訳されて聞こえてるの?」
「うむ。フランス語、翻訳機、対応する」
「不思議な感じよね………」
 小さなソファに腰掛けて『北米大陸先住民の風習と言語一覧』をなんとなくめくったフランソワーズが、目を丸くする。
「ここの地名、綴りがフランス語ね」
「昔、交流、あった」
「そうなの? あ、でも歴史の先生に習ったような……」
 何度も目を瞬きさせて、ジェロニモは脳波通信を入れる。
『毛皮をやりとりしていた。遙か昔、フランス人と交流があった。共に戦ったことも、対立したこともある』
「もしかして、アメリカ独立戦争のことかしら?」
『そうだ』
 ふと、近くにあったボールペンで彼は「ILLINOIS」と綴る。
「イリノイ州?」
 ジェットが、それくらいはわかる、と言わんばかりの目で大男を見上げる。
「OIS……成る程。フランス語の複数形だな」
 アルベルトが思わず顎に手を当てて頷く。
「あら、あなたフランス語も出来るんじゃないの」
「習ったからな」
『元々、我々の言葉で『ININI』と呼んでいた。『教養ある人々』という意味だ。それが、フランス語になった』
「物知りなんだな、お前」
『喋るのが追いつかない。お前が羨ましいものだ』
「でも俺は、書くのが苦手なんだ。お前は? 補助脳付けられてからちょっとは覚えたけどさ」
 教育とはほとんど無縁の、荒んだ青春時代を送ったジェットが笑う。
『………成る程、文字か』
「あ、そうよね。まずは書き取りと発音をしっかりしなきゃ。ジェット、あなたも一緒にやりなさいよ」
「何で俺が! そんなガラじゃねえって。アルファベット全部書ければ十分じゃねえか」
「アクサンテギュ、アクサングラーヴ、アクサンコンフレクス、トレマ、セディーユの使い方はわかるの?」
「何だよ、その甘ったるいお菓子みたいなのは」
「フランス語で使う記号よ」
 アルベルトが珍しく、口元に愉快げな笑みを浮かべてジェットに言う。
「いつかどこぞの可愛いフランス娘にラブレターが書けるかもしれんぞ。覚えておいて損はない」
「どうせ、フランスの女ってのはこんなんばかりなんじゃないのか? オレの好みじゃないね」
「む、それは失礼。フランソワーズ、良い女性」
「まあ!」
 脳波通信ではなく、素の言葉で誉められて嬉しかったのか、いそいそとフランソワーズがジェロニモの隣にやってきて腰を下ろし、ボールペンを手にとって笑う。
「アルベルトも来てちょうだい。あんな軽薄なアメリカンなんか放っておいて、3人で勉強しましょ。せっかく出来た仲間ですもの」
「成る程、いい考えだ。そうだな。まずは『HELLO』からか」
「何で肝心のオレ抜きで英語をやるんだよ」
 寡黙な大男が思わず笑みをこぼす。
「仲間、か」
 アルベルトが言った。
「今は寝てるらしいが、あともう一人いる」
「Ivanか」
「イワンは赤ん坊だ」
「赤子が、改造されたのか?」
「いや………脳だけとか言ってたぜ。俺たちみたいに全身鋼鉄の塊じゃないんだけどさ……まあ、少なくともオレよりは頭が良いっていうか」
 陽気な男の眉が、少し曇る。
「我らが優秀なる参謀だ。最も、15日限定だが。あと三日もすれば目が覚めるはずだ。そうすれば否応なしに会えるだろう。ただし、抱っこする時は気をつけたほうがいい」
「ああ、結構ケチつけてくるしな。固いだの雑だの」
「ちゃんとミルク貰ってるのかしら……心配だわ」
「ギルモア博士がいる限りは大丈夫だろう。ここの施設で俺達を仮にも『人間』と見なすのはあの御仁だけだ」
 一同が複雑そうな顔で思わず溜め息を付く。
「あいつが起きたら、訓練だな」
「またなの………」
 悲しげな顔になったフランソワーズに、アルベルトが皮肉めいた笑みを向ける。
「この可愛い後輩にこいつを見せる、いい機会だ」
 アルベルトが皮肉混じりに、何やら武器が内蔵されているらしい膝を叩く。
「外の空気が吸えるだけ、ここよりはマシだしな」
 ジェットがフランソワーズの肩を無造作に叩いて笑う。
「そういや、オレの能力も見せてねえな。きっとこいつもビビるって」
「鳥頭にはぴったりな力だ」
 努めて明るく振る舞っている。初めて会ったというのにそれだけはわかる。ここには風も土もないが、空気が悲しみを伝えてくれる。
「アイアンマン、だっけな。お前のそれは、すごい筋力だって聞いたけど」
 ジェットに聞かれ、彼は言った。
「いいや。もう一つ、ある」
 機械の身体にされてから、外の空気には一度も触れていない。大地の精霊の声に耳を傾けることすらもできない。鉄の身体に、彼らは語りかけてくれるだろうか。それが聞こえなくなっていたら、自分は一体どうすれば良いのか想像も見当も付かない。きっと、そうなった時にこそ、今ではさっぱり実感のわいてこない『絶望』がこの身にも降りかかってくるのだろう。だが、彼は皆にゆっくりと告げる。
「その時になったら、教えよう。博士達も、知らない、秘密」
 思わず彼を除いた三人が顔を見合わせた。
「博士達も知らない秘密だって?」
 それは、自分にとってはあまりにも衣食住と同じくらい『当たり前』のことであり、秘密にする云々という以前の事柄だったが、彼はまだ少し悲しげな顔のフランソワーズに言ってやった。
「外に出れば、わかる。楽しみに、待つといい。それまでは、本、読む」
 太陽の照りつける乾燥した岩山にも似た赤い髪、晴れ渡った空にも似た青い瞳、夜の澄み渡った闇に浮ぶ銀色の月の色の髪を前に、この先住民族の男が、口元に微かな笑みを浮かべ、
(どうか、おれにまた、言葉を届けてくださるよう)
 3ヵ月振りに、口の中で大いなる大地への祈りを呟いてから再び、本に視線をゆっくりと落とす。フランソワーズがそんな男を見て、
「そうね。この発音記号の読み方……教えてあげる」
 ペンを片手に、小さく微笑んだ。