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「翻訳機が作動しない?」
「いや、作動してはいるんですが……」
 助手が首を捻り、超強化ガラスの向かい側に立っている、赤銅色の肌の大男を見上げて困惑の色を浮かべる。
「一部しか反応しないんですよ。言語を英語に変換させても片言になってしまって。こいつ、どこの出身なんでしょうね」
 アイザック・ギルモアは深々と溜め息を吐き出した。
「アメリカ出身だったはずじゃが………」
「一応、アメリカ人の元で働いていた奴なんですがね。それでも英語があまり通じないのかもしれません。次はもっとメジャーな言語の国から連れてこさせないと」
 世界で一番良く使われている言語は中国語である。
「そうじゃなあ………」
 そうなると次の被験体は、中国当たりから連れてこられるのかもしれない。何とも言えない気分で白髪頭をかきながら、ギルモアは、ガラスの向こう側に立っている大男に聞いてみる。
「名前は?」
「ジェロニモ」
 ガラス越しに聞こえる低い声でそう答える彼を、改めてまじまじと見やる。元々からして寡黙な性格らしいが、まだこの環境と、己の投げ込まれた運命に慣れてはいないのだろう。
「資料を探してきてくれ。我々とのコミュニケーションに差し障るようなことがあったらいかん」
「わかりました」
 助手がドアを開けていそいそと出て行く。ふとドアの方を見ると、外には数名の人だかりができていた。だがしかし、
「所詮はインディアンか」
「しかも造ったのはロシア人だ」
 ドアの向こうから聞こえてくる「野蛮人」やら「ユダヤ人」などといったこれ見よがしな悪口もまた、博士だけでなくこの「005」の耳に入っていた。誇り高き先住民族出身の大男が、微かに眉を寄せて不服そうに何事かを呟く。彼の体内に内蔵した翻訳機も、出力の方はおぼつかないが、入力の方は完璧にこなしているらしい。
(ロケット開発で我が国に盛大な遅れを取った癖に何を言う、あの能無しアメリカ人どもめが)
 ギルモアが忌々しげに呟く。
「002の飛行技術は誰のお陰だと思っとるんじゃ……」
 だがしかし、ネイティブ・アメリカンは部族ごとに使用する言語が異なっているらしい。科学の最先端を持ってしても、北米大陸の先住民族達の使う言葉まではカバーしきれなかった。
(サイボーグ同士なら脳波通信があるが……)
 サイボーグ達を兵器として『使用する』為には、使用する側との円滑なコミュニケーションが必要である。戦車一台を素手で破壊するパワーを持つからこそ、会話が通じないと恐ろしいことになりかねない。同僚の博士達に至っては、被験体が本来持っている記憶やら習慣やらを、完全に脳から削除することを求めてくる始末である。
(ロボットとは違う)
 ロシア人研究者、という存在自体がこの組織では既に珍しくなっている。しかも彼はユダヤ系である。成果を上げる度に、賞賛よりは嫉みにさらされるようになって久しかった。彼らの遙か上を行く研究結果を出し続けることで、研究者としての気骨と意地と誇りを表現し続けてかれこれ何年だろうか。強化ガラスのドアの開閉スイッチを押して、彼は中へ入っていく。
「英語は、わかるかね?」
 流暢な英語で問いかける。
「………わかる。だが、話すのは、別」
 白人の元で働いていたので、英語を理解することは既に容易かった。だがしかし、元々が寡黙な性格ゆえか、喋るということに関しては流暢にというわけにはいかなかった。そんな彼が、黒服の男達が告げた、仕事の口を紹介するという話に騙されて拉致られたのは3ヵ月ほど前である。目が覚めたら自分の身体が「自分のもの」ではなくなっていたことにも驚愕したが、回りの人間達が喋っている言語が勝手に翻訳されて頭に入ってくることにも、ジェロニモは驚いていた。最も、それを表情に出すことはなかったが。
「読めるかの?」
 差し出された書類に綴られているアルファベットに、見慣れない単語が混じっている。
「Ivan、Jet………Francoise……フランス語?」
 大都会で働いていた事もある彼は、話すことは出来ないが色んな言語と接してきている。建築や土木関係の労働者として雇われることが多かった為、アメリカ独特の様々な言語で記された道路や標識看板などを扱うことも多かった。
「お前さんの補助脳には、大体の言語認識を植え付けてある。サイボーグ同士なら脳波通信も使える。じゃが、脳をダイレクトに使う以上、疲労も早い。補助脳と翻訳装置を使って話した方が、良いじゃろう」
 書類をゆっくりとめくる。読めるはずのないものが自動的にすらすら読める、という感覚が妙に空恐ろしい。思わず手を止めた男に、博士が言った。
「メンバーの名前じゃよ」
「女の、名前」
「フランス人の女の子でな。お前さんと同じ『サイボーグ』じゃ」
 ぎょっとして、彼は思わず博士を凝視する。CYBORGという単語の意味すら最初はわからなかったが、どうやら己と同じように身体を改造され、鉄の身体になるものにされた女の子がここにはいるらしい。思わず厳しい視線を目の前の老人に投げかける。博士がその視線を瞬きしながら受け止めて、苦笑する。
「………お前さんが来る、といったら、彼女にも同じように睨まれたがの」
 助手が戻ってくる。恐る恐るガラス製のドアの中に入ってきて、
「あの、これくらいしかなかったんですが」
 数冊の本と英語の発音辞典を手渡し、巨躯の男を横目でそっと眺めてから、そそくさと立ち去っていく。
『北米大陸先住民の風習と言語一覧』
『ネイティブ・アメリカンの発音学』
 博士はページをめくる。
「……お前さんの出身は?」
 巻末の地図と表を見せられて、彼はしばらくそれを眺めてから、片手に書類を持ったまま、居住区ごとにカラフルに色分けされた北米大陸の一点を、ゆっくりと指で差す。
「ふむ。今では随分と観光地化された場所じゃな」
 ジェロニモの表情が微かに歪む。指を表から話して、彼は言った。
「故郷は、もうない」
「ない?」
「おれの故郷も、こう。おれと、同じ」
 話した指を、心臓の部分に当てる。もはや人工のものに置き換えられてしまった機械の心臓を指差す。その意味をしばし後に察して、博士が本から目を離して呟く。
「………そうか」
 博士が視線を外した本を、ジェロニモは再び眺める。今では故郷ですら使わなくなった絵文字や風俗、習慣が、論理的に綴られている。彼が本に釘付けになっているのを見て、博士が言う。
「もう少し別の資料を集めねばならん。まあ、その本一冊くらいならしばらく、お前さんに貸してやれるじゃろう。補助脳と翻訳装置の練習にもなる」
 そして、ふと呟いた。
「話し相手がいた方が、いいじゃろうな。ついでに他の皆との初顔合わせもさせておくか……」